第75話 緊急対策会議
二〇二一年三月十九日、午後一時二十七分。
響華たちは食堂で遅めの昼食を取っていた。アマテラスの捜索に夢中で正午を過ぎたことに気付いていなかった五人は、近くのコンビニで軽食を購入し、ここで食べることにしたのだ。
「都内は全滅か〜。アマテラスはどこへ消えたのやら……」
遥がサンドイッチを包装袋から取り出し、それを頬張る。
「もうすでに神界との境界は飛行機の飛ぶ高度まで到達しています。日本中を調べるほどの時間的猶予はありませんし、別の方法を考えないとですね……」
雪乃は呟くと、鮭おにぎりの上の角を小動物のようにちょこっとかじった。
「別の方法といっても、アマテラスを探すには魔力反応を調べる以外に何か手段があるのか?」
碧が首を傾げる。すると芽生がペットボトルのお茶を一口飲んでから言う。
「アマテラスを探すとなると、それしか方法は無いでしょうね」
「探すとなるとって、探さなくてどうするの?」
口にご飯が入ったまま問いかける響華。芽生は窓の外を見遣ってから、口を開いた。
「アマテラスを倒して神界との融合を止めるのがベストなのは分かってるわ。でも、現状ではそれは難しい。そうなると次に考えられるのはアマテラスを倒さずに神界の境界を押し戻すこと。だけどそれも今の所は不可能。つまり、私たちが取るべき行動は……」
そこまで言ったところで、ご飯を飲み込んだ響華が声を上げた。
「もしかして芽生ちゃん、神界との融合を阻止するんじゃなくて、融合を前提にリスクを抑える方法を考えるべきだって言いたいの?」
響華は芽生の顔をじっと見つめる。響華が抵抗することは予想していたが、芽生は何処かのタイミングでこの話を切り出さなければいけないとずっと考えていた。
「ええ、そうよ。私だって融合を阻止したい。けど、今の状況でその考えは合理的じゃないのよ……」
芽生が少し俯く。
「メイメイだって悔しいんだ。みんな響華っちと気持ちは同じ。でも、魔災隊として一番大事なのは国民の命と生活を守ること。それを考えたら、何をすべきかは分かるよね?」
遥の言葉に、響華は首を縦に振った。
「そうだね……。ごめんね、芽生ちゃん。今脅威になっているのは神界との融合であってアマテラスじゃない。まずは神界と融合した後の対策を考えよう」
響華が言うと四人は大きく頷き、残りの昼食を急いで口に運んだ。
昼食を済ませた響華たちが司令室へ戻ると、長官が話しかけてきた。
「君たちに出てもらいたい会議があるの。私と一緒に来てくれないかな?」
「会議って、どんな会議ですか?」
響華が首を傾げる。
「異常現象緊急対策会議。簡単に説明すると、東京が神界に飲み込まれた場合にどんなリスクがあるかを議論して、対応を検討するって会議なんだけどね。魔法省の人がどうしても君たちに出てほしいって言うから、断れなくて……」
「つまり、私たちに拒否権は無いんですね?」
碧が問いかけると、長官は申し訳なさそうな表情をしてこくりと頷いた。芽生は呆れた様子でため息をつく。
「全く、長官は人が良すぎるのよ。まあ、私たちもその方向で話をしていたから、会議に参加出来るのはこちらとしてもありがたいわ」
「それに、色んな有識者の方が集まるんですよね? 全員の知識を合わせれば、被害をゼロにすることだって出来るかもしれません」
雪乃の言葉に、遥も首肯する。
「そうだよ。みんなで力を合わせれば、どんなピンチも乗り越えられる!」
「長官、私たちもその会議に参加します!」
響華が言うと、長官は「ありがとう」と優しく微笑んだ。
魔法省、第一会議室。
長官に連れられ、響華たちが部屋に入る。そこには長机と椅子が並べられていて、魔法省の職員や警察、消防、自衛隊の幹部が一堂に会していた。
「君たちはここに座って」
長官に促され、五人は椅子に座る。
「なんか本格的で緊張するね……」
遥が囁きかけると、雪乃は「そうですね……」と緊張気味に返した。
「それでは、第一回異常現象緊急対策会議を始めます」
魔法省職員の男性が告げると、全員の表情が引き締まる。
「まずはじめに、現時点の状況説明をお願いします」
男性が長官にマイクを手渡す。長官はそれを受け取ると、立ち上がって一礼する。
「魔法省事務次官、魔法災害隊東京本庁長官の進藤さゆりです。現在、神界との境界は……」
長官はメモを見ることもなく、完璧に現状を説明した。その様子に見惚れていた響華は、一人の女性にじっと見つめられていることに気が付いていなかった。
「続いて、神界の観測結果を」
男性は長官からマイクを回収すると、白衣を着た女性にそれを渡した。
「コンニチハ、魔法省魔法科学課の依田凛風デス。魔法物質研究機構で観測した神界のデータ、見てもらった方が早いと思うので、印刷したものをお配りしマス」
凛風はA4の紙を全員に配って回る。
「ハイ、どうぞ」
響華の前に紙が置かれる。
「ありがとうございます」
響華が振り向いて凛風の顔を見る。その時、響華の脳裏にある人物の顔が浮かんだ。ハッとした表情を見せる響華に、凛風は耳元でこう囁いた。
「……お久しぶりですネ。藤島響華?」
凛風はにやりと笑うと、何事もなかったかのように隣の長官に紙を配った。
(あの顔、イントネーション、絶対そうだ。凛風って名前、どこかで聞いた気がしてたけど、あれは中国語読みでリンファ。依田凛風は、公安に捕まったはずのユー・リンファだ……!)
なぜリンファがここにいるのか。そして、苗字を変えてまで魔法省に潜り込んだ理由は何か。響華の頭の中はリンファのことで一杯になる。
「では、説明しますネ」
凛風/リンファはマイクを握ると、紙に印刷されたデータについての説明を始めた。
「神界の向こう側についてですが、観測出来たのはほんの数メートルの範囲デス。しかし、そこに直接的な脅威は確認されませんでシタ。そして、そのデータから詳しい解析をした結果、神界には『何も無い』ということが分かりまシタ。正確には魔法物質で満たされているようですが、それはこの世界にも存在しており、それがすぐに脅威となり得るとは考えにくいでショウ」
「では、対策は特に必要ないと?」
自衛隊幹部の男性が問いかける。
「いいえ、対策は必要デス。魔法物質は魔獣や魔法爆発といった魔法災害を引き起こすものデス。神界ではアマテラスが思い通りにそれらを引き起こせると考えられマス」
リンファの答えに、警視庁の男性が口を開いた。
「都内全域に外出禁止令を出す。我々が取れる対策はそれくらいでしょうか?」
「そうですネ。あとは魔災隊の皆さんの頑張り次第でショウ」
リンファは頷いて言うと、響華たちの方をちらりと見遣った。
「ワタシからは以上デス」
リンファが席に座る。
響華は横目で長官と四人を見る。長官も碧、芽生、遥、雪乃も凛風がリンファだと気が付いている様子で、怪訝な目をリンファに向けていた。
会議終了後。響華たちの元へリンファが近づいてきた。
「リンファさんがどうしてここにいるんですか?」
響華が問いかけると、リンファは微笑んでから口を開いた。
「そんな怖い顔しないでくださいヨ。感動の再会じゃないですカ」
「いいから質問に答えてくれるかな? 君は逮捕されて服役中のはずだよね?」
長官が詰め寄る。リンファは焦った様子で両手を前に出して水平に動かす。
「スミマセン、ちゃんと説明しますカラ……!」
「で、あなたがここにいるのはなぜ?」
鋭い視線を向ける芽生。
「ワタシはつい先日まで刑務所にいたんですが、突然釈放されたんデス。ただ、それには一つ条件がありまシテ」
リンファの言葉に、碧が首を傾げる。
「条件? 一体それはどういうものだ」
「アマテラス討伐のため、魔法省に協力する事。それがワタシに課せられた条件デス」
リンファはそう答えると、腕時計を確認した。
「おっと、もうこんな時間でしたカ! ワタシは引き続き神界の観測をするので、皆さんも頑張ってくださいネ」
踵を返し、会議室を後にするリンファ。
響華はリンファがまだ何かを隠していると感じ、その背中を睨みつけた。




