第66話 暗示魔法
渋谷、雑居ビル。
響華が五階にたどり着くと、そこには不敵な笑みを浮かべる芽生と床に倒れた雪乃の姿があった。
「これ、芽生ちゃんがやったの……?」
響華の問いかけに、芽生は首を横に振る。
「いいえ、違うわ。私が来た時にはすでに倒れていたのよ」
「嘘だよ! だって私、さっき聞いたもん。芽生ちゃんが魔法を唱えてたの」
すると、芽生はふふっと笑って響華を睨みつけた。
「まあいいわ。このスナイパーの洗脳は済んだことだし、もうここに用は無イ」
「今の感じ……」
響華は芽生の言葉の奥に嫌な気配を感じた。あの独特なイントネーション、それは今まで戦ってきた人型の魔獣の喋り方によく似ていた。
「魔法目録十五条、転移。また会いましょうね、イレギュラーの藤島響華」
芽生がそう言い残して姿を消す。響華は恐怖を感じ、先ほどまで芽生がいた場所をじっと見つめていた。
しばらくして、雪乃が目を覚ました。
「あれ、私……」
響華は急いで雪乃の元へ近寄る。
「雪乃ちゃん、大丈夫? 怪我とか無い?」
「…………」
しかし、雪乃は黙って響華の顔を眺めている。
「どうしたの、雪乃ちゃん? もしかして、喋れないの……?」
響華が心配そうに言うと、雪乃はゆっくりと口を開いた。
「すみません。あなたは、誰ですか?」
「えっ……?」
何が起きたのか。響華はすぐに理解することが出来なかった。
雪乃は首を傾げてもう一度問いかける。
「あの、どちら様でしょうか? あなたが、助けて下さったんですよね?」
ここで響華は、芽生が唱えた魔法が頭をよぎった。
「ブレインウォッシャミング、洗脳……! 雪乃ちゃん、私だよ私! 藤島響華! 覚えてない?」
響華は自分の顔を指差して必死に聞く。だが、雪乃は怪訝な顔をしてすっと立ち上がる。
「助けて頂いたことは感謝します。ですが、私はあなたのことを知りません。どこで私の名前を知ったのかは分かりませんが、もし魔法災害が発生しているならお助けしますよ。魔法災害隊として」
「……ごめんね、何でもない」
響華が俯き気味に言うと、雪乃は「そうですか、では」と一瞥し階段を降りていってしまった。
「雪乃ちゃんを、助けられなかった……」
響華はその場に立ち尽くし、涙を一粒こぼした。
その頃、外で超巨大魔獣と交戦していた遥は、碧の行動に違和感を感じていた。
(動きを止めた? 一体何をするつもりなんだ……?)
碧は突如動きを止め、じっと固まっていた。
「魔法目録一条、魔法弾!」
遥は魔獣に魔法弾を撃ち込みつつ碧の様子を伺う。するとその時、魔獣が大きな咆哮をあげて身震いをした。
「グギャァァァ!」
「うわ、危なっ!」
バランスを崩す遥。すぐに体勢を整えたが、魔獣はこちらを向いて鋭い牙を剥いている。
「めっちゃピンチじゃん!」
遥は急いで地面を蹴り魔獣と距離をとる。しかし、魔獣はじりじりと首を伸ばし、遥の目の前まで迫ってきた。
「攻撃も効かないし、どうすりゃいいのさ……」
遥がそう呟いた直後、魔獣が苦しそうに呻いて地面に倒れ込んだ。
「グワァ……」
「何が起きたんだ?」
遥が碧の方を見遣ると、碧が深く息をついて弓を下ろすのが見えた。
(まさか、アオは一撃で魔獣を倒したの?)
遥は信じられないといった表情を浮かべ、碧に問いかける。
「ねえ、もしかして今の、アオがやったの?」
碧はゆっくりとこちらに顔を向けると、首を傾げて言う。
「ああ。……ところで、お前は誰だ?」
「は? もうアオ、変な冗談やめてよ? 遥だよ、滝川遥!」
遥が笑いかける。だが、碧は鋭い視線を向け、こう言い放った。
「滝川? そんなやつは知り合いにはいない。お前、何者だ?」
「ウソ、でしょ……?」
遥は相当なショックを受けたようで、その言葉はほとんど声になっていなかった。
「私はまだ任務が残っている。魔獣には気をつけるんだぞ」
碧はそう告げると、どこかへと歩いていってしまった。
遥はしばらく呆然と立ち尽くしていたが、重要なことを思い出し、ハッとした表情でビルに目を向けた。
「そうだ、ユッキー! 響華っちはどうしたかな?」
遥は慌てた様子でビルへと駆け出した。
「響華っち!」
遥が五階に着いた時、響華は放心状態だった。
「響華っち、何があったの? ユッキーはどこ? メイメイは?」
遥は響華の体を揺さぶる。すると響華は、遥の顔を見つめて口を開いた。
「……雪乃ちゃんを、助けられなかった。私が来た時には雪乃ちゃんは芽生ちゃんに洗脳されてた……」
「洗脳……? 暗示魔法ってこと?」
遥の問いかけに、響華は首を縦に振る。
「でも、メイメイは暗示魔法を使えないはず。なのにどうして……」
呟く遥に、響華はこう切り出した。
「あれ、芽生ちゃんじゃないのかも」
「メイメイじゃない?」
首を傾げる遥。
「うん。芽生ちゃんの話し方、ちょっとおかしかったんだよね。例えるなら、アマテラスとか共工みたいな……」
「つまり、魔獣がメイメイになりすましてるってこと?」
驚く遥に、響華はこくりと頷いた。
「多分。それに、私のこのペンダント、芽生ちゃんから託された物の気がするんだよね」
響華は首からぶら下げた魔法結晶のペンダントを握りしめる。
「確かに、そのペンダントは私も疑問だった。そっか、それで納得がいったよ。私たちはすでに暗示魔法にかかっていたんだ。トリックさえ分かれば、あとはメイメイになりすました魔獣を倒すだけ、だね!」
遥が響華に微笑みかける。響華は「うん!」と力強く頷いた。
「それで、この後はどうするの? 芽生ちゃんになりすました魔獣はどこにいるか見当もつかないよ?」
響華が言うと、遥は少し考えてから答える。
「そうだ。響華っちの言ってたこと、試してみない? 私たちはホントに東京を出られないのか」
「もし私たちが謎を解いたら、芽生ちゃんになりすました魔獣も焦って姿を見せるかも」
響華と遥は顔を見合わせ、早速行動を開始した。
東横快速線渋谷駅。
『まもなく一番線に、特急元町・中華街行きが参ります。危ないですので、ホームドアから離れてお待ちください』
「横浜まで行けるね」
「うん」
響華と遥は、しっかりと種別と行き先を確認してから電車に乗り込んだ。
ドアが閉まり電車が動き出す。今のところ、電車や乗客に特に不審な点は見当たらない。
「昨日も最初は普通だった。異変が起きるとすれば、きっと東京を出る直前」
響華の言葉を聞いて、遥がトレインビジョンに目を移す。
「ってことは、自由が丘か……」
二人を乗せた電車は順調に走行を続け、無事に自由が丘に到着した。
『自由が丘です。大岡山線はお乗り換えです』
「自由が丘だね」
響華が呟く。
「さて、何が起こる?」
遥が警戒して周囲を見回す。しかし、何事も起こらず発車メロディがホームに響く。
『ドアが閉まります。駆け込み乗車はおやめください』
「何も、起こらない……?」
響華が不思議そうに言う。遥は再びトレインビジョンを見て、次の可能性を探る。
「ここで何も起こらないとするなら、通過駅の田園調布か多摩川で何かあるだろうね」
「多摩川って駅が東京最後の駅?」
響華の問いかけに、遥が頷く。
「うん。新丸子はもう川崎だからね。まあ川崎に渡れればそれはそれでいいんだけど」
遥はそんな希望的観測を述べつつ、警戒心をむき出しにしていた。
電車は田園調布を通過し、もうすぐ多摩川駅に差し掛かる。するとその時、電車が減速し始めた。
「停まるの、かな……?」
窓の外を見遣る響華。電車が多摩川駅に停車すると、ドアが開いた。
『終点、多摩川です。蒲田連絡線はお乗り換えです』
「終点? そんなはずないでしょ」
遥が声を上げる。しかし、他の乗客たちは気にも留めず電車を降りていく。
「やっぱり、簡単には東京から出られないみたいだね」
響華は仕方ないといった様子で、他の人に続いて電車を降りる。遥も響華とともに電車を降りると、電車の方を振り返った。渋谷では《特急元町・中華街》と書かれていた行き先表示は、《回送》に切り替わっていた。
遥は響華の顔を見て話しかける。
「じゃ、歩いて渡りますか」
二人は改札を出て、丸子橋へと向かった。
中原街道、○子橋。
橋の真ん中あたりから濃い霧がかかっていて、ここから川崎側を見通すことはできない。
「どうする? 行ってみる?」
不安そうに聞く響華。遥は意を決したように拳を握りしめて答える。
「向こうに何があるのか確かめないとだし、行くっきゃないでしょ」
「そうだね……」
響華と遥は霧の中へと慎重に足を進めた。
中野、東京警察病院。
とある病室を守屋刑事が訪ねた。
「芽生さん、まだ意識が戻らないのね……」
その病室のベッドには芽生が眠っていた。医師曰く植物状態にあるとのことだが、顔は青ざめ、手はかなり冷たくなっている。死んでしまっているのではないかとも思うが、モニターに表示された心拍数や脈拍に異常は見られない。
「まさかこのまま、なんてことは無いわよね……」
守屋刑事は心配そうに呟き、芽生の手をぎゅっと握りしめた。




