第60話 対空光線
四日後、二〇二一年一月十一日。東京、羽田空港。
ライリーがターミナルビルのロビーで待っていると、そこへ響華がやって来た。ライリーは深く頭を下げる。
「藤島響華、おはようございます」
「おはようございます!」
元気よく挨拶をする響華。するとその後ろから碧、芽生、遥、雪乃の四人が歩いてきた。
「皆さんはお見送りですか?」
ライリーが問いかける。碧は首を横に振り、鋭い視線を向けた。
「いいえ。藤島の護衛に参りました」
「護衛? アメリカへはCIAが責任を持ってお送りします。わざわざ同行する必要はありません」
「必要なんですよ。もしご理解頂けないようなら、響華さんをアメリカに行かせるわけにはいきませんが」
ライリーは背後からの声に驚いて振り返る。
「国元勇也……」
呟くライリーに、国元は詰め寄りながら言う。
「本当は転移魔法で移動してもらうつもりだったのですが、許可が降りなかったもので。響華さんは米軍から狙われています。護衛は絶対に必要です」
国元の言葉に、ライリーは渋々ながら首を縦に振った。
「……分かりました。CIAの施設までの同行を許可します」
「四人分の費用はこちらで負担しますのでご心配なく」
国元はそう告げると、踵を返しターミナルビルを後にした。
「すみません、なんか大人数になっちゃって……」
響華が申し訳なさそうに言うと、ライリーは真顔のまま「気にしないで下さい」と返した。
「CIAだか何だか知らないけど、あの人いけ好かなくて苦手だな〜」
遥が雪乃に小声で話しかける。
「確かに、ちょっと怖いですよね……」
雪乃もこくこくと頷く。
「ほら二人とも、聞こえたらどうするのよ」
芽生はこそっと注意したが、ライリーは全部聞こえていたようで。
「別に構いません。目の敵にされることには慣れてますので」
こちらに冷たい視線を向けた。
「うお、怖っ……!」
身震いする遥。
「滝川さん、もう何も言わない方がいいですって……!」
雪乃はあの視線が忘れられず、しばらく心拍数が上がったままだった。
「それでは、搭乗手続きに向かいましょう」
ライリーが出国ゲートへと歩き出す。響華たちはライリーの後に続いて搭乗手続きに向かった。
東京、国会議事堂。
「アマテラス様、このままではアメリカとの国交が本当に断絶してしまいます。宜しいのですか?」
木下副長官の問いかけに、アマテラスは当然のように答える。
「構わヌ。マリナの力などわらわには邪魔でしか無イ」
「ですが、日本の防衛は米軍頼りです。これからどうなさるのですか?」
「有事ノ際は魔災隊にでもやらせレバ良かろう」
この言葉に、木下副長官は少し感情的になる。
「お言葉ですが、魔災隊は軍隊ではありません。少女たちに戦争をさせるなんて、到底認めかねます」
アマテラスは赤く光る目を木下副長官に向ける。
「お前は、わらわに楯突くつもりカ?」
「い、いえ。そんなつもりは……!」
木下副長官は慌てて頭を下げる。
「お前は由依ヲ助けたいのだろう? わらわに黙ッテ従っていれば、いずれ叶えてやるさ」
「……はい」
アマテラスは木下副長官の肩を叩いて、どこかへと消えてしまった。
一人残された木下副長官は、スマホを取り出して待ち受け画面を開いた。そこには、木下副長官と小学生ほどの少女が笑顔で並んで写っていた。
「由依……。もうすぐ、もうすぐだからね……」
木下副長官は待ち受け画面を見ながら呟く。するとその時、スマホに一件の新着メールが届いた。
「メール? 誰からでしょう……」
木下副長官はメールのアイコンをタップする。
《From:e382b3e38394e383bce382a2e3839ee38386e383a9e382b9》
新着メールのアドレスはどの携帯キャリアのものでもなく、不可解な文字列になっている。木下副長官は訝しみながらもそのメールを開く。
「これは、アマテラスのコピーから……!」
文章を読んで驚いた表情を見せる。内容は国会議事堂の地下へ来いというだけのものだったが、木下副長官にとってはそれだけで送り主を推察するのは容易だった。
木下副長官は急いで地下へと向かう。スーパーコンピューターのコンソールの前に立つと、アマテラスのコピーが話しかけてきた。
『オリジナルに勘付かれたくナイ。簡潔ニ話そう』
アマテラスのコピーの切羽詰まった様子に、木下副長官は気を引き締める。
『これから藤島響華が羽田から飛行機に乗ル。しかし、その飛行機は途中デ攻撃を受け太平洋に墜落する。お前には藤島響華への転移魔法ノ使用許可と、その飛行機の離陸中止指示ヲ出して欲しい』
「ですが、転移魔法使用を認めなかったのはオリジナルです。コピーであるあなたはなぜそのような判断を?」
木下副長官が問いかけると、アマテラスのコピーは。
『オリジナルのやり方は間違ってイル。このままでは、オリジナルもろとも日本ハ滅ぶ。それに、オリジナルはお前との約束を果たすつもりも無いようダ。オリジナルの言うことを聞ク必要は、お前には無いのだ』
と答えた。
「そ、そんな……」
木下副長官はショックを受けた様子で、呆然としてしまっている。
『とにかく、お前には直ちニ羽田に向かい藤島響華ヲ止めて欲しい。時間ガ無いのだ』
アマテラスのコピーの言葉に、木下副長官は気持ちを切り替える。
「……分かりました。魔法目録十五条、転移。場所、羽田空港」
木下副長官は転移魔法を唱え、羽田空港へと向かう。
『ギリギリだな。間に合うと良いのダガ……』
アマテラスのコピーは祈るように呟いた。
東京、羽田空港。
木下副長官が転移してきた時、すでに響華たちを乗せたチャーター機は滑走路にあった。
「離陸してしまう……!」
木下副長官は管制に連絡しようとしたが、一歩遅かった。チャーター機は一気に速度を上げ、空へと飛び立ってしまった。
「私が、転移魔法使用を、許可しなかったから……」
悔やむように言い、その場に崩れ落ちる木下副長官。誰もいないターミナルビルのロビーには、木下副長官の咽び泣く声が響き渡っていた。
響華たちを乗せたチャーター機は太平洋上を飛行していた。
「ロサンゼルスに到着後は、CIAの用意した車で検査施設へ向かいます。全員が乗れるよう大型の車に変更しましたので、護衛の皆さんもご一緒にどうぞ」
「ありがとうございます!」
ライリーから今後の流れの説明を聞いた響華がお辞儀する。
「それにしても、米軍がチャーター機を攻撃するなんてことがあるのかしら?」
芽生が首を傾げる。
「狙いが藤島である以上、どんな手を使ってくるかは分からないからな」
碧は警戒するように窓の外を眺めている。
「と言ってもさ、ずっと気を張ってたら疲れちゃうよ? ちょっとは休みなね」
遥が碧に言う。
「でも、もしものことを考えれば起きていた方がいいのかもしれませんけど……」
不安そうに呟く雪乃に、ライリーは。
「リスクがあるとすればロサンゼルス到着後でしょう。機内で休んでおくべきだと考えます」
と冷静に言った。
「じゃ、そういうことで。おやすみ〜」
遥が目を瞑る。
「全く、それは緊張感無さすぎだろう……」
碧は呆れた様子でため息をつき、再び視線を窓の外に移した。
離陸から八時間後。辺りは真っ暗で、チャーター機のナビゲーションライトだけが光を放っている。
ぐっすりと眠っていた響華たちは、突然の大きな揺れに目を覚ました。
『ドーン!』
「うわぁ何!?」
響華が驚いて大きな声を上げる。
「まさか、攻撃?」
芽生が窓の外を見ると、機体が斜めに傾いているのか海面が見える。そしてそこには、大きな戦艦が一隻浮かんでいる。碧はその戦艦を見て息を呑む。
「あれは、米軍の誇る魔法空母《サラトガ》だ」
「……サラトガちゃん?」
遥は寝ぼけているのか碧の顔をぼーっと見つめている。
「もう、滝川さん。ゲームの擬人化キャラの話はしてないですよ! 本物の空母から攻撃されてるんです!」
雪乃が言うと、遥はようやく事態を飲み込んだ様子で。
「え〜っ! どうすんの? めっちゃピンチじゃん!」
と大声を上げた。
「落ち着いてください。どうにかしますから」
ライリーは立ち上がってコックピットの方へと向かおうとした。しかしその時、サラトガの砲門から光線が放たれ、それが機体を掠めた。
『ドカーン!』
大きな音が響き渡る。
「えっ何? って、ちょっと、うわぁ〜!」
音のした方を見ようとした途端、響華は突然の強風に襲われた。全員座席にしがみついて、吹き飛ばされないようにしながら状況を確認する。
「機体に穴が空いてるわ!」
芽生は座席の影から覗き込むようにしてその穴を見る。穴は芽生のいた座席のすぐ近くに空いていて、高さが床から天井まで、横幅が座席一列分ほどと、かなり大きい。
「私が物質変換魔法で修復してみる! 芽生ちゃん、もうちょっとだけ耐えてて!」
響華は通路に身を乗り出して、魔法を唱える。
「魔法目録八条二項、物質変換……」
あと少しで魔法を発動できる。そう思った時、芽生の体がふわりと浮き上がって、その穴へと吹き飛ばされる。
「メイメイ!」
「桜木さん!」
「桜木!」
遥、雪乃、碧が一斉に声を上げる。響華は危険を顧みずに穴へと向かって駆け出した。
『パシッ』
響華が芽生の右手を掴む。芽生の体は機体からぶら下がっている状態で、響華が手を離せば海に落ちてしまう。
「芽生ちゃん、絶対離さないでね! 今すぐ助けるから!」
響華は芽生を引っ張り上げようと試みるが、風圧の影響もあってなかなか上手くいかない。
「響華、無理しないで。あなたまで落ちちゃったら、元も子もないわ」
そう言って微笑みかける芽生に、響華は首を横に振る。
「嫌だよ! 絶対に助けるから!」
響華は全身に力を込め、必死に芽生を引っ張り上げようとする。だが、響華の腕も限界に近づいていて、助けられる可能性は限りなく低かった。
それを悟った芽生は左手を動かし、肌身離さず身につけていた魔法結晶のペンダントを首から外して、それを響華に渡した。
「響華。これ、あなたが持ってて」
「えっ、どうして? だってこれ、コンパイルから貰った芽生ちゃんの魂なんでしょ? 外しちゃダメって、言われてるんだよね?」
響華は芽生に返そうとしたが、芽生は受け取ろうとはしなかった。
「私はもう海に落ちるわ。確かにその結晶は私の魂そのもの。でも、それが割れなければ私は生き返れる。だからこそ、あなたにこれを持っておいてほしいのよ。もし私が救助されたら、それを首にかけてくれる?」
「芽生ちゃん……」
響華の目に涙が浮かぶ。芽生は優しく微笑んで、最後に一言。
「さよなら、響華」
芽生の右手がするっと滑り、響華の手から外れる。海に向かって落ちていく芽生に、響華が泣きながら叫ぶ。
「芽生ちゃん、また後でね〜!」
水面に波しぶきが立つ。響華は涙を拭って、魔法を唱える。
「魔法目録八条二項、物質変換、ジュラルミン」
魔法を発動させると、機体に空いた穴がみるみると塞がっていく。
「…………」
響華たちは穴の空いていた所を黙って見つめている。ライリーはその光景を横目に、コックピットの方へと歩いていった。
「ライリーさん、芽生ちゃんのこと、何も思ってないのかな……?」
響華が呟く。
「さあ、どうなんだろうね」
遥は内心イラついている様子だ。
「何にせよ、早く助けなければ桜木が危ない」
碧の言葉に、雪乃が頷く。
「はい。いくら魔法結晶が無事とはいえ、身体が損傷してしまっては良くないですもんね」
響華は芽生から託された魔法結晶を握りしめ、前を向いた。
「芽生ちゃんのこと、絶対に助けよう!」
四人が大きく頷く。
しかしその瞬間、再び光線が直撃し機体が大きく揺れる。またしても強風にさらされる響華たち。どこかにしがみつこうと必死にもがいたが、気が付いた時にはすでに外に投げ出されてしまっていた。
「うわぁ〜っ!」
『バシャーン!』
響華たちが水面に体を打ち付ける。
(芽生ちゃん、ごめん。私も、海に落ちちゃった……)
響華の意識が遠のいていく。暗く冷たい海に飲み込まれていくような、そんな感覚に包まれていた。
プカプカと浮かんでいる響華たち四人を、救助ボートで駆けつけた何者かが引き上げる。
「Is this all?」
「Yes.」
四人を乗せると、救助ボートはすぐに引き返した。
この時、乗組員が身に纏っているのが米海軍の制服であることを、近くにいたライリーは見逃さなかった。




