表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚構原型-プロトタイプ・フィクション-  作者: 山下 式
第3層-幻視の痛み-
34/38

ベイオネット

「今晩、ここを発つわ」


突然の出立に驚くほどの意外性はない。同じ場所にとどまり続ける危険性や、密航の協力者の希少性を鑑みると、タイミングを逸することは許されない。


「行くのですね」


「えぇ。深夜に」


「せめて最後に見送らせてください」


「ダメだ」


私は彼女の意思を押さえ込むようにその言葉に声を重ねた。そして胸ポケットから袋に入った錠剤を机に置く。


「睡眠薬だ。今夜はこれを飲んでから眠ってくれ。君が深い眠りについている間に我々は出て行く」


万が一ついて来られ、港で大声を叫ばれて連れて行かざるを得ないなんてコメディが起きないためにも、我々の消息はここで断たなければならない。


「見送ることも許されないのですね・・・いいえ、あなたたちの立場を考えればそれも仕方のないこと」


「すまないな。何から何まで」


「あなた方の手助けができて私も光栄でした。お陰で、私ももう少し頑張ってみようと思います」


「諒、君の感性は時々よく分からないな。私は君を支えるようなことは何もしていないが」


諒は優しく眼を細める。


「確かに、傷ついた女の子の傷口に塩を塗り込むような言葉をかける男性なんてあなたの他に知りません」


そう言う諒は寂しげにも朗らかに笑った。表情には言葉のような批判の色はない。そうして3人でほんの少しの間、談笑した。


「これを飲んで眠ると、もうあなたはここに居ないのですね・・・」


「あぁ」


「まだ少し、期待してしまいます。目覚めると本当はまだここに居るんじゃないかって。そんな甘い夢を。あなたさえよければ、そんな甘い夢を実現できるというのに、それでもあえて辛い未来へと進むのですね。なぜですかジェイ?なぜあなたは自らを苦へと追い込むのですか?それがどうしても見るに耐えなない・・・」


諒に思いを重ねるように、エイダも同調の色を示した。2人が私に回答を求める眼差しを向ける。


「私の肉体は悲鳴をあげている。いつ消えるか分からない意識、いつ消されてもおかしくない命。本当のところ、私の肉体は諒の言う悠久とした甘い夢に沈んでしまいたいと望んでいる。だが私の精神は・・・私の心は・・・真に何を為すべきかを、いつだって投げかけるのだ。私はどうしてもそれから目を背けることができないんだ。どれだけそれから目を背けても、逃げたとしても、私の内面には真に為すべき答えがある。それを為すには執着を捨てる覚悟がいる。富、名声、財産、家族でさえ・・・命でさえ・・・不思議な話だ。全てを捨て去る覚悟がある者だけが、その全てを手に入れられるのだから。だから諒、私は君と共に歩む道を捨てる。その先にこそ、君と私の未来がある。私と君の道は離れるが、しかし、やはり未来はその先にしかないのさ」


諒は呆れたように首をもたげた。眼は諦めの細さに開かれていた。


「不器用な人。でも、だから・・・」


諒はそこで言葉を切った。そして全ての境遇を受け入れたかのような、優しく、強い笑顔がそこにはあった。


「ありがとうジェイ。あなたたちのご武運を祈っています」


諒はそう言って睡眠薬を飲んだ。諒が寝静まったことを確認して、私とエイダは別荘をあとにした。





まとわりつくような湿気が夏の夜を握る。


次に向かうは大陸の戦地。飛び交う弾丸を隠れ蓑にして、イギリスの追跡から逃れるという魂胆だ。そして、意識アルゴリズムに関する情報を世界中から消し去り、不死者の製造を止める。そして・・・


私たちの目的、その境界線の先を想像しようとしてやめた。


そうさせない異様が満ちていた。


私はエイダと目を合わせる。私たちはこの気配を知っている。いつのまにか湿気の抱擁は身を潜め、冷たく乾いた風が吹き荒れている。


そして風に混じり雪が視界を覆った。夏の雪というあまりにも異常な風景は幻想にも似ていて、しかしその肌触りは作り物のそれとはかけ離れたリアリティそのものだった。私もエイダも拳銃を握り臨戦態勢に入る。少し先にぼんやりと、鬼火のような青い炎が冷たい色を放った。


まるで魂が視覚化されたような、死者が生者の世界に降り立つように、炎の中から人の手がズルりと這い出た。






「夜だ・・・夜が始まる・・・銀色の雪原に潜む夜の暗闇に鋼鉄の刃が舞う。刺突の柔らかい内臓の儚き崩壊・・・斬撃の首筋から吹き出す血しぶきの暖かさ・・・斬打撃の砕く骨の哀れみ・・・銃弾では感じることのない、手から伝わる人の死の感触が、触れた死の数だけ私に刻み込まれていく・・・死が侵食していく・・・私の・・・生の息吹を・・・!さぁ・・・お前の感触を教えてくれ!」







「ダイイング・ベイオネット・・・!!」


這い出た手は青白く、その瞳もまた青かった。顔に刻まれた壮年の、土を削る風が残す谷のような(しわ)が老兵の威厳を際立たせている。スーツを着こなし、首回りには厚いマフラー。一見紳士の佇まいは、堀の深い目元から滲み出た戦士の刺突でかき消されている。


エイダは拳銃の構えを解くことなく手に青筋を立てる。額の汗が凍り、白い礫が髪に張り付いていた。


「まさか!?」


私は自身の持つ拳銃の遊底スライドを引いてみた。しかし遊底スライドは頑なに動こうとしない。遊底スライドは急激に低下した気温で凍りついていた。私はただの鉄になった拳銃を懐へ収め、腰ベルトに仕込んでいるナイフを抜いた。


「エイダ、拳銃は無駄だ。凍りついている」


エイダは緊張した腕の先にある拳銃を私と同じように点検した。そしてそれが無駄だと知り、拳銃を収める。


「どう攻める?」


敵から視線を外さず、エイダは声をひそめる。雪が激しい風に吹かれて視界が悪い。少しでも気を許せばあっという間に敵を見失いかねない。


「エイダ、君は身を隠せ」


「何を言っているの。私も戦うわ」


「もちろんだ。だがいくら何でも視界が悪すぎる。下手をしたらお互いに傷つけ合ってしまう」


「私が奴の気を引きつける。君が隙を見て致命傷を狙え」


「・・・了解。死なないで・・・」


そう言い残してエイダは闇と雪が遮る視界の外へと消えていった。


何を馬鹿な。


私はとうに死んでいる。


今はもう、デジタル化された私の意識アルゴリズムがこの体を通して外部に出力されているに過ぎない。


私はナイフを握って闇へと躍り出た。私の動きに合わせるようにベイオネットは駆け出し、闇と雪の幻に隠れるかのように一瞬に私との間合いを詰めた。闇をも切り裂く鋭い剣尖が空を斬る。私は間合いをとって戦闘の決を急ぎ過ぎないように気を留める。ベイオネットは執拗な追撃はせず、慎重に刃を揺らしている。


その腕から伸びる氷の刃は異様で、彼が人のそれから大きく踏み外した存在であることをまじまじと感じさせる。一瞬、戦闘とは関係のない思考を見抜いたようにベイオネットは私の腹へと向かって刺突を繰り出した。私は避けられないと瞬時に判断し、ナイフを握る右手とは逆の左手の平でベイオネットの腕を上から押さえ込んだ。押さえ込んだ手首を掴み、引きつけると同時にナイフのきっさきを喉仏へと打ち込む。しかしその鋭い攻撃とは裏腹に、鈍い打撃の痛みが私の腹部を襲った。


ベイオネットは押さえ込まれた刃の腕と逆の手で私の頸部を掴んで引き寄せ、その勢いで膝蹴りを打ち込んできたのだ。とっさの思いで腹部に力を込めて防いだが、ベイオネットの強力な膝蹴りはこみ上げる痛みと胃液を抑え込もうと私の思考を乱す。私の突き出した刃はベイオネットの頬を掠めて空を斬り、私は間合いをとり直そうと脚を引く。しかしそれが愚かな選択であることを瞬時に判断し、私はベイオネットの服を掴んだ。


ベイオネットの近接格闘は鬼気迫るものがある。この男とナイフの間合いで戦ってはまず勝ち目はない。私の闘争本能がそう囁いた。私はナイフよりも、拳よりも、脚よりも更に近い間合いでの戦闘へと持ち込んだ。ベイオネットが服を掴む私の腕を振り払おうと暴れる。腕の氷の刃は致命的な一撃を打ち出せないでいるも、抑え込む私の体を浅く細かく切り刻んでいく。私は歯を食いしばりながらベイオネットに絡みつき、徐々に関節の可動域を狭めていく。そうしてほぼ完璧にその動きを抑え込むことに成功した。


「エイダ!」


彼女の名を叫ぶと同時にエイダは闇からその朧げな姿を鮮明にさせ、脱兎の如く駆けるその運動エネルギーは彼女の持つナイフに乗ってベイオネットの胸へと吸い込まれた。

しかしベイオネットは動きをとめない。


既に死んでいるその肉体は恐ろしいほどの力をして私の拘束を振りほどこうともがく。その度に胸から血液が溢れ出し、積もった雪を赤く染める。エイダはその一撃では足りないと察し、刃を引き抜いて何度もベイオネットに振り下ろした。刃に付着した血が辺りに飛び散り、血の雨を降らす。


からくり人形のように何度も同じ動作を繰り返すエイダと裏腹に、ベイオネットの腕は力が抜けて垂れ下がっていた。


雪と血の紅白が夜に明るく映えている。


その光景は地獄と称して何の問題もなかった。


地獄。


戦場は地獄だった。






「吹雪が・・・止んだ・・・?敵は!?敵はどうなった!?奴ら・・・!吹雪に乗じて我々の塹壕まで乗り込んで・・・!敵味方が入り混じる乱闘で・・・!凍った銃も使えず・・・ナイフと銃剣・・・シャベルに銃そのものを振り回しての激戦で!だが・・・我々が勝ったのか・・・?やった・・・やったぞ!これで兵站部隊がこの山まで来れる!もう飢えに苦しまなくていい!みんな!早く態勢を整えるんだ・・・どうしたんだみんな?誰か返事をしてくれ!誰か・・・誰・・・か・・・誰も・・・いない・・・生きている者なんて・・・誰も・・・」









血飛沫に塗れたエイダは表情を拭って腰を下ろす私へと手を差し出した。その手を掴んで立ち上がるとき、エイダの手のひらからは一切の体温を感じられなかった。その顔もさっきまでの命のやりとりなど無かったかのように冷淡で、恐らく私も、彼女と同じ顔をしているのだろうと思った。


私は夜空を見上げて息絶えたベイオネットを見下ろした。そしてその腕から剥がれ落ちた刃を拾いあげる。刃を覆っていた氷は溶け、白銀の刀身が露わになっている。


屍剣・不死刺し(しけん・ふしざし)。ブロワールの残した資料にはそう記されていたわ」


これで手元には2つの武器が揃った。残り1つで我々の業深き技術の抹消が達成できる。


「ダイイング・ベイオネット。ゴーストスクワッドの隊員よ。彼は冬戦争に参戦していたフィンランド人。圧倒的な軍事力を示して平和的に交渉の台につかせようとロシアはフィンランドに約3倍の兵力を投入したわ。しかしフィンランドは独立を守るために戦争を選択した。結果フィンランドは戦争に勝利して独立を守り抜いた。そしてダイイング・ベイオネットという怪物を生み出してしまった・・・雪中戦に慣れていた両国の勝敗はどう粘るかが別れ目だった。あるとき、猛吹雪の悪天候の中でロシア軍はフィンランドの塹壕が展開する防御陣地を攻めることを決断した。吹雪と夜の闇に紛れて一気に陣地に攻め込もうという作戦だった。フィンランド軍もそれを察知していたから、厳しい警戒を夜通しで行なっていた。想像に反していたのは、両国とも火器が凍りついて使えなくなっていたということ・・・その中で、ダイイング・ベイオネットだけは己の銃剣を手に持ってロシア軍の攻撃に備え続けていた。やがて戦闘が始まった。弾丸を使わない、塹壕という狭い通路で銃剣、ナイフ、銃、シャベルといったあらゆる物を使っての殴り合い、刺し合い、斬り合いというそれは恐ろしい風景だったそうよ。へこんだ頭蓋骨、刺された眼、そんな死体で溢れかえった。両軍は全滅。ただ1人生き残った彼の手には、凍って張り付いた銃剣があったというわ。そして彼はベイオネット(銃剣)という名を冠した。古い古い昔話よ」


今夜の月は大きく明るい。しかし空を見上げるベイオネットの眼は凍っていた。蒼白の瞳が、今もなお雪に埋もれた塹壕を宿していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ