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虚構原型-プロトタイプ・フィクション-  作者: 山下 式
第2層-意識の在り処-
26/38

統合情報理論

「発表会や!」


「なんだ藪から棒に・・・」


「おっ。ことわざ使えるようになったんか。ジェイ坊の進歩はめざましいな」


負けられないというアピールなのか、紗江子は腕に力こぶを入れる素ぶりをするも、細い華奢な二の腕が上下しているだけだった。


「とはいえ、私は何も用意しとらん。充電期間も必要やろ。かわりに2人の詩を聞かせてや」


「なら私が発表してもいいかしら」


果敢にも諒が前へと出る。そして色気の纏った流し目で私を一瞥した。


「あなたの感想を聞いてみたいしね」


私は警戒心を悟られないように薄い微笑みを浮かべた。今はもう、鏡がなくても軽薄な表情をすぐに作ることができる。しかし諒は私の軽薄な笑みを見て僅かに微笑み、用意した一節を唱えはじめた。


“人は意識的であることから逃れられない”


その瞬間、まるで心臓を直接撫でられたかのような悪寒。諒の発するあまりにもタイムリーな言葉に私の眉間には一筋、汗が伝った。


「とある映画のセリフよ」


「なんかこの前の地獄は頭の中にあると似てるなぁ」


「そうね。私、人の認識する意識というものに興味があるの」


そうだろうさ。なんせ君の母親の意識は綺麗さっぱり吹き飛んでしまっているのだから。だから諒の話は三崎夏子をきっかけにしているはずだ。


なのに。


なのになぜかそれが私へと突きつけられているようで、槍のように私の全身へと突き刺さる。


「強い意識ってはたして本当に必要なのかしら。私たちはいつも自分という存在を認識せざるをえない。鏡を見れば己の顔が持つ美醜を見なければならないし、常にこうあればいいのにという願望を抱いてしまう。でもこの意識が犬や猫くらいに希薄でいることができれば?犬は自分の首回りにもっと勇ましい毛皮が欲しいなんて考えないし、そもそも自己という存在を認識していない。だから犬が鏡を見てもそれが自分だと理解することができない。彼らはそうした希薄な意識のもと、ただ恍惚と・・・流れ行く生を味わっている。それって私たち人間が、休日の朝、布団の中で感じる微睡みに身を委ねたときに感じる幸福に似ていると思わない?はっきりとした意識では感じることのできない境地に犬や猫はいる。もしかすると鳥や魚も。動物たちは人間では達することのできない、幸福な無意識の生を享受することができる存在である・・・そういう意味の台詞なのよ」


諒の言葉が私の視界にノイズを散らす。頭は醒めた幻想を回し、暗がりの、奥に潜む信号の群れが舗装された神経を疾る。感覚の糸が切れた手は浮遊し、脚は3本、やがて無数になり、そしてどれが私のものであったかも分からなくなった。


そこには漠然があった。色も形も関係ない。漠然としたそれ。それではない。漠然。



「ちょっとあんた大丈夫なんか!?」


「え・・・」


目の前には2人の女性。三崎諒と大西紗江子。心配の眼差しを携えて私を見ていた。


「どうしたんだ」


何がどう大丈夫なのか分からず、思わず素っ頓狂な声で聞き返してしまった。


「なんだかぼーっとしてたみたいだけど・・・ごめんなさい、嫌な話だった?」


諒が自分の責任だと言わんばかりの対応で痛ましい。


「いや、とても興味深い話だったよ」


そう返事をしていた。だが彼女の言う通り、頭が冴えないことは間違いない。連日の徹夜、三崎邸の監視の疲労がじわじわと影響しているのかもしれない。


「すまない、実は先日から風邪気味なんだ。悪いけどこれから病院に行くよ」


私は荷物をまとめて席を立った。すると脚がいつもより重いような気がしてフラついてしまう。それを見た諒も立ち上がり、荷物をまとめて鞄を肩にさげた。


「私も病院に用事があるから一緒に行くわ」


合わせて諒が荷物を学生鞄に荷物をまとめだす。しめた。これは諒から父親の話を聞き出せる絶好の機会だ。私はこれから悠に会う。おそらく諒も。これを利用しない手はない。


「諒、心配するほどのものじゃ・・・」


そうやって途中で言葉を切り、弱った少年の薄幸を気取ってみる。


「私も用事があるから、そのついで」


「・・・済まない」


目論見通りに私は諒に連れられて部室をあとにした。後方からは紗江子が"お大事に"と騒がしく叫んでいた。




道中、説得力を増すために程よく体調の悪いフリをしたせいか本当に疲労した。隣にいた諒がずっと心配そうに見ていて良心が痛む。私に痛む良心がまだあるとするならばだが。白い角砂糖のように純白に彩られた病院の自動扉を抜け、エントラスト越しに受付へと歩んで行く。


「いた。悠」


諒が声を発した先には病院の受付のすぐ側、ソファーに座って足をプラプラさせている悠がいた。


「えっ、悠と諒は知り合いなのかい」


白々しく、既に知っている事実をさも知らなかったかのように諒へと問う。


「悠と知り合いなの?」


「あぁ。先日この病院でね」


「悠は私の妹よ」


「そうなのか。知らなかったよ」


そんな嘘を悪意もなく平然と言える自分に反吐が出る。任務のために、他人の家庭に土足で踏み込む行いが喜ばれるはずがない。私にできることは、その嘘が彼女たちにバレないようにすることだけだった。


「お姉ちゃん、ジェイと友達なの?」


「こらっ。ちゃんと“さん”をつけなさい」


「いいんだ。私がそう呼んでいいと言ったから。それより私も諒に謝らないといけない。君の母親のことをその・・・」


「・・・悠に聞かれたんだね」


「あぁ」


「もう・・・悠、あんまりジェイを困らせたらダメよ」


「うん。それでジェイ、頭のいい人に聞いてくれた?」


「あぁ。聞いてきたよ」


「・・・その話、私も聞いていい?」


悠との約束に諒が関心を示した。それも、私の計算の内だった。君も当然、母親の意識がどこにあるのか、知りたくて仕方がないだろうから・・・


「不快に感じるかもしれない」


「構わないわ」


そうして私は、事実のみを淡々と述べた。希薄な意識しか持たない人間が、生きているのか死んでいるのか、私は明確に示すことをしなかった。その解釈は、彼女たちが決めることだろうから。




「そう・・・母は人としては既に死んでいる・・・とも言えるのね」


諒の目は遠かった。放課後、部室でしていたの彼女の話、無意識の幸福が蘇る。意識を失った母親は本当は幸せなんじゃないか。そんな希望を見出そうとしていたのだ。その痛烈で誠実な努力が私をも蝕んでいく。それから逃れるように悠を見た。その表情からは私の答えに満足しているかどうかは伺えない。


「私、ピアノを習っているの」


そして唐突にそんな話を始めだした。


「ピアノを弾いているときね、何も考えてないんだ。なんとなくこうかなーって思うと指が勝手に鍵盤に降りるの。そしてそれ以外何も考えてないの。ピアノの音以外何も聞こえてなくて、楽譜もいつのまにか読んでいて。ピアノを弾いてるとき、私の意識は消えてるの。お母さんと同じ。ピアノを弾いているときの私は、死んでいるの?」


そう尋ねる悠の頭の上に私は手のひらをのせた。


「いや、死んでいないよ。大事なのはきっと、帰ってくることなんだ」


そしてそんな根拠のない言葉を吐いていた。悠ではなく、まるでそうあってほしいという私自身の願いのように。私の意識が、またハイライン家に戻ってこられることを信じて。


「お姉ちゃん、これで決められるね」


「決める?」


悠の屈託のない言葉には言い知れない残虐性を孕んでおり、私は思わず聞き返してしまった。


「私の父は政治家をしてるの。とても忙しく母の世話はほとんど私たちがしているわ。父の仕事のおかげで、生活には苦労していない。けどやっぱり、母の入院費はとても安くない。いずれ決断のときがくる」


「それはつまり・・・」


私は言葉につまる・・・フリをした。


「母の生命維持装置を止めるべきかどうか。とても悩んだわ。何が母にとって最良か、全く想像できなかったから。多くの本を読んで、母の体に起きていることを想像してみたわ。それでも考えはまとまらず、私はやがて母の看病に疲れている自分に気がついたの。こんなことはいつまでも続けられない。私にも私の生活があるんだもの。そうして母のことを優先して考えていた選択肢は、いつしか私の人生もその秤にかかっていたわ・・・汚い女だよね。とんだ親不孝者だよね」


諒は言葉に詰まったが、私は黙ってそのまま聞きに徹した。きっと今の彼女には何を言っても意味がない。何故ならこれは懺悔だからだ。彼女の罪の意識を、少しでも理解することが私にできる彼女への施しなのだ。

難病で引き裂かれるカップルの純愛と家族の絆を描いた小説や映画など、感動したがり屋たちによるタチの悪い希望的観測であることを私は知っている。病んだ者への無償の看病という現実は、残された者の人生を文字通り擦り減らしていく。看病を定められた者は、稼いだ金を吸い上げられ、結婚の幸福を諦め、時間を縛り上げられる。病気すらも感動のために消費されることをよしとした現代において、病に冒された家族の末路など誰も想像することができない。

諒が私を見た。その眼は母親の看病に疲弊した、無償に消費されていく一人の現実があった。


「私は、母の生命維持装置を止めるべきなのかしら・・・それとも、止めるべきなのかしら・・・」


そして自身の母親の命の終着点を私へと委託しようとした。私はそれに答えることができないのをもちろん彼女は知っている。だから私は、黙するしかなかった。


「ごめんなさい・・・本当に・・・ごめんなさい・・・」





「そうか。じゃあお父さんとは別居中なんだ」


「ええ。父は本当に真面目で、仕事も家庭も一生懸命で尊敬しているの。年頃の娘がそんなこと言うとなんだか気持ち悪いよね」


「いや、素晴らしいと思うよ。立派なお父さんじゃないか」


期待はずれの情報に落胆の色が見えないように努め、いたって平静を装う。友人の親がまともなことに落胆するなんてどうかしている。それが私にとって諒がこれまでと同じ、ただのターゲットに過ぎないからに他ならない。そんな冷徹さが自身の中に住んでいる。このまま順調に情など消えてしまえばどれだけ楽になるだろうか。フレイを想う、この気持ちと一緒に。

三崎誠一郎は立派な父親で、スキャンダルによる失脚が見込めない。となると、いよいよ強引な手段を練らなければならない。ターゲットの娘2人の隣でそんなことを考える自分が悪魔のように思える。そんな悪魔を必要とする世界など、さっさと燃えて浄化した方がいいのではないか。そんな短絡的な発想で、自己嫌悪の不安定を取り払った。





「しばらく張ってみたけど、どうやら後ろ暗いことは何もなさそう」


三崎誠一郎が真っ白ならば、次に行うのは工作だ。失脚するほどの何かをでっち上げる必要がある。


「私が準備をするわ、少しだけ時間をちょうだい」


「・・・」


「ねぇ、聞いてるの?」


「あぁすまない。考え事をしていた」


「何か引っかかることがあるなら相談に乗るわ。任務に支障が出てもいけないしね」


私は病院での悠の話が気掛かりだった。無意識にピアノを弾く彼女に似た感覚を、私は仕事中に何度も感じていた。


「三崎悠がピアノの演奏をしている自分には意識がないと言っていた。本当にそうなのか?」


「その通りよ。ピアノに限らない、歩く、走る、コップをとる、そのどれもが必要最小限の意識で実行されているわ。運動を司る小脳の働きでね。でもそれは何もおかしいことではないの。試しにコップを取る動作を全て意識してやってみたら分かるわ。コップを見る、肘を伸ばす、手を差し出す、指を開く、指を閉じる。これら全てを意識的にしたらとてもぎこちないものになるでしょ?小脳を損傷した人間の運動能力が著しく低下する原因は、その運動の全てを意識的に行わざるを得ないから。私たちがこうやって歩いたり、走ったり、滑らかにお喋りできているのは小脳のおかげ」


「なるほど・・・」


そのとき、私は不意にある時代に思いを馳せた。産業革命のイギリスにいたあのオートマタ。♯6には意識があったのだろうか。グレッグ・ジャケドローが愛したあの人形が見せた愛は、明確な意識のもとにあったのだろうか。


「エイダ、機械に意識が宿ることってあるのか?」


「ないわ」


エイダははっきりとそう言った。産業革命の夢など切り捨てろとも言わんばかりで、それが可笑しくて思わず含み笑いをしてしまう。ジャケドロー、さしてはそれらに関わった全ての人を冷やかしているようでもはやギャグでしかなかった。


「はっきりと言うんだな」


「人間と機械に同じ質問をして、同じ答えが返ってきたとする。でもそれが同じ答えでもその意味合いは全く違うわ。意識の有無は、その答えが答えた本人が理解しているかどうかが問題になるの。シャッターをきれば写真をとれるけど、カメラは自分が写真をとっていることなんて理解していないでしょ。近頃、人工知能が人類は滅ぶべきだという答えを出したというけど、それだってあまりに機械的だとは思わないかしら。だってそんなことは分かりきっているんだもの。それでもそんな安易な選択を選ばず、あえて他の可能性を模索しようとすることができる、今の人工知能では真似できないそれが人間の持つ意識の複雑性なの。結局、人工知能というのは10個の選択肢があったとして、そのどれもが単独の機能であって一つにまとまっているわけじゃない。高度な人工知能というのは多くの答えを持ってはいるけど、実態はその答えのどれもが独立している状態なの。けど人の意識はそれとは全く違う。高度な意識とは、無数の他の可能性を排除した上で成り立っていて、その無数のレパートリーに支えられているわ。そしてそれら無数のレパートリー、経験、情報を基盤として統合された単一の存在を意識と呼ぶのよ。これは統合情報理論と言われているわ」


エイダのきめ細かな語りに私は圧倒されていた。


「随分と詳しいんだな」


そうやってさっきの彼女のように冷やかしていた。


「・・・意識について調べる機会があったのよ」


エイダはそれっきり口を閉じ、誠一郎失脚の工作のための準備に取り掛かった。

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