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虚構原型-プロトタイプ・フィクション-  作者: 山下 式
第2層-意識の在り処-
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悠久の学園

「次の任務を伝えるわ」


白を基調にしたブリーフィングルームへ通されると、エイダがノートPCを持って反対側のソファーへ座った。


壁を反射するLEDの光が、彼女の整った額を妖艶に照らす。


「あなたの任務は日本へ潜入し、三崎誠一郎という男の裏をとること」


「日本か。昔の知人が日本人だったよ」


かつてオキタと共にボウストリートを駆けたことを思い出す。彼の剣筋、静かな動きのなかにある鋭利な強さは、たとえ100年経とうとも忘れない。だから彼が歴史に名を残していたことも何も不思議じゃなかった。


「その三崎という人物の詳細を」


私がそう言うとエイダはPCの画面を私へと向けた。


三崎誠一郎(みざきせいいちろう)。年齢44歳。妻と2人の娘がいるわ。親米派の政治家で、根っからの日英同盟反対派。イギリスが日本と積極的に交流できない状態が続いているのは彼の強い影響のせい」


「なるほど。つまり三崎誠一郎を失脚させろと?」


「工作は他の諜報員が実行するわ。あなたは彼から後ろ暗い情報を掴んできてほしいの。女性関係、汚職、裏金、何でもいいわ」


「そうなるとどうにかして彼に近い役職に就く必要があるが、この肉体では若すぎる」


そうして自分の体に親指を指してみる。


「むしろ好都合」


エイダはPCの画面に映るページを切り替えて見せた。


三崎諒(みざきりょう)。学園に通う三崎誠一郎の娘」


それを聞いて今回の主要な任務を理解をすると同時に辟易する。画面には黒い艶やかなロングの黒髪と、大きすぎない冷涼な瞳をした少女が映っていた。


「おいおい、まさか私に日本で学生をしろと?」


私の言葉にエイダは迷いなく首を縦に振った。


「あなたは学園に転校した帰国子女として三崎諒と接触。彼女から父親のことを探り、三崎誠一郎を失脚させる情報を得ること」


「やれやれ。そのために日本語を学ばされて、そしてこのティーンエイジャーの肉体ってわけか」


エイダはPCを閉じて脇に置いてあるケースに収納した。


「今回の任務は私も日本へ同行してあなたをサポートするわ」


「それはありがたいが、どうせならミスター三崎のマダムに近づきたいものだ。私もその方がやりやすい」


「残念だけどそれは不可能。三崎誠一郎の妻は脳に病を患って入院している」


それは残念だ。こと後腐れがなければ、人妻とのひと時はいいものなのだが。


「どちらにしてもその若い体では無理があるでしょ?」


「そうかな。なら試してみるかい」


私は机から身を乗り出してエイダに詰め寄った。分厚い軍服には似つかない柑橘の香りが鼻腔をつく。近くで見て分かる、長いまつ毛に潜む冷たい目尻の透き通ったハーゼルの瞳。


そんな私の頬にエイダは手を添えた。そしてじっと私の瞳を見つめ、必然、お互いに見つめ合う形となる。


「あなたはずっと遠くにいるのね」


そう言うとやがて目線を外し、頬の手も膝の上に置いた。私も乗り出した身をソファへ沈め、首を後ろへ倒して天井の蛍光灯に眼を細める。


彼女の言う通り、この天井も、蛍光灯のガラスに映る私の顔もまるでちがう。私の魂はいつも"今"に追いつけず、蒸気に霞む街並みの向こう側にある。


命の終わりはいつのまにか遠く、漠然とした死への恐怖も消えた私は、膨大な時間の恐怖がよりリアルだった。


本当に。


随分と遠くまで来たものだ。





授業の整頓された人混みの奥へと、斜めに入り込もうとする陽光が眠気を誘う。


うずくまるように机に向かう学生たち。少し開かれた窓から光を孕んだ風が入り込み、ベージュのカーテンを揺らす。“転校”したてで新鮮だった授業も、数日で退屈なものに成り下がってしまった。恒常とした退屈な時間。授業がつまらないのはどこの国でも同じらしい。


地理を担任する壮年の教師が黒板に淡々と書き込む内容を、私を含む教室内の生徒がノートに書き連ねていく。“はじめまして。ジェイミー・フォックス”と言います。日本のことはあまり知らないので皆さんに色々教えてもらえたら嬉しいです“


そんな自己紹介をしたのがつい1週間ほど前。英国人が珍しいのか初日は質問責めを受けたが、それもやがて収まり、今ではすっかり馴染んでいた。


とある郊外に位置するこの学校は、御曹司やご令嬢といった金持ちがひいきにしているわけではないのだが、恵まれた家庭に生まれた人間が多いようだ。


教養が身につけば、授業中に消しゴムの欠片が頭の上を飛び交うことはない。皆が真摯に学問を受け入れ、自然と人格が修養される。そんな人間が集まれば、流れる時間は悠久のように穏やかになり、時折鏡でみる私の眼光もまた、優しくなっているかのように思えた。


ハイライン家と女王陛下に忠誠を誓ってから、私の日々は暴力と謀略、平和の柵を飛び越えた天国の外側であり、どこもかしこも裏道ばかりだった。かつて通っていたはずの学び舎も既に記憶の塵へと消え、クラウとの日々と任務だけが鮮明だった。


平和。


この学校は平和だった。


優しい時間が私に優しい心を思い出させてくれた。しかしそんなものは不要だということを決して忘れずに、廊下を歩くときでさえ戦闘が生起した際に優位に立てるような地形を頭に叩き込んでいく。私には引退も老後もない。ただこなしていくだけだ。


それに心が折れた時、逃げ出したとき。死の安息が大口を開いて待っている。


逃げ出したいわけではない。ただ不意に酷く疲れを感じることがあった。どこかで誰かが自殺という選択をするように、私もまた生きるという選択をしているに過ぎなかった。


私の生は、長い時間の中で自殺するというレベルの選択にまで引き下げられていた。だがこの学園には、任務がもたらす疲労と膨大な時間とは程遠い、悠久とした空間の首が横たわっているだけ。


それがあまりにも眩しくて、その変化があまりにゆっくりで。


クラウとの時間を惜しんでいたあの時とはまるで違う、ただ振り向けばそこにあるという贅沢な安心感が、研ぎ澄まされた私の感覚を鈍らせていく。


その優しい侵食を、私はしばしば受け入れていたのだった。

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