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虚構原型-プロトタイプ・フィクション-  作者: 山下 式
第1層-オートマタ-
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オートマタ

夜の空冷した暗黒。


光は千切れ気味の雲の向こうであり、まともな月明かりとは程遠い。


おかげで昼間の喉にまとわりつくような汚染された空気と、テムズ川の悪臭も多少の収まりを見せていた。


そんなロンドンの比較的穏やかな気候とは裏腹に、ここ、ボウストリートの中央警察は狭い通路の入り口に押し寄せ、不穏な熱気を漂わせている。


縦長の帽子に顎紐を肥満気質な二重顎に引っ掛けている警官が、うんざり気味に上官へと報告し、その奥では他の警官がカービン銃を通路へと指向している。


周囲の建物から漏れ出るガスランプの光を頼りにしても、通路の奥は伺えそうにない。


私は通路の入り口を遮る警官の間隙を縫うように前へ前へと詰め寄った。


「事件だ。ここから先には進めない」


民衆を遠ざけるために等間隔に配置されている警官の一人が私を阻んだ。


頬に浮かぶ青い帯は今朝剃った髭の後であり、品性の良さを印象させる。


気品のある警官の機嫌を損なわないよう、私はウェストコートの裏にピンで留めているグレート・ブリテンのバッジを披露した。


「王室直轄の・・・」


ブリテンのバッジを確認すると、警官は静かに道を空けた。


奥でカービン銃を構える警官も左右に広がり、私はその中央を堂々と歩む。


「誰なのです」


道を空けた警官が疑念の問いを同僚の警官へと投げかける。


「秘密警察さ」


「女王陛下の庇護を直接受けているというあの?」


「あぁ。奴らが出てきたということは、この事件はもう俺たちの手に負えないということさ」


「ちっ・・・青い果実が熟れた途端に寄ってきやがる・・・」


警官の嫌味を尻目に、私は通路の入り口の壁に張り付いて、奥の様子を見る。聞く。待つ。


おおよそ生き物が息を潜めてこちらを待ち伏せているときのような、攻撃的な静寂は伺えない。


私はコートの裏にあるガンホルダーに収まっているリボルバーの銃把に手を添えた。


ゆっくりと銃を引き抜き、通路の奥行きから上下に至るあらゆる安全を確認してから、私は仄暗い迷宮へと足を踏み入れた。


通路に入ると暗黒がより濃くなった。


建物の窓越しに見えるガスランプが真鍮の輪の中から微かに燈を届けてくれる。


揺れる燈を頼りに、地べたを這う赤ん坊よりも鈍い歩みを維持しながらターゲットを探索する。


取り付けの悪い鉄製の梯子が錆びた音を立てた。


素早く音の鳴る方へとリボルバーを指向する。


梯子の隣には蛇のようにガス管が煉瓦造りの壁を這っていて、そのガス管と梯子の陰をも隈なく索敵したが、ターゲットの姿は見られない。


銃把を握る手の内で汗がひしめく。こめかみの髪の薄い血管が唸りを強める。


もし私がこの通路で敵を待ち伏せるならどうするか。


そう考えると答えはすぐに出た。


それは、ここに敵がいると判断を誤ったところを不意打ちすることだ。


そう、例えば今この瞬間・・・


そんなことを考えていたからだろうか。


目は梯子とガス管の陰を見ていたが、耳は風を切る音を聞き逃さなかった。私は即座に姿勢を低くした。


瞬間、顔の高さの位置を脚が駆け抜けた。鋭い蹴りだった。


着地する足音から2撃目がくることは容易に想像できた。

今度はそれを後方回転受け身をして避ける。


その2撃で敵の位置は概ね把握することができた。


そして自身の体の前面が飛んできた蹴りと同じ方向を向いた瞬間、暗い空間へとリボルバーを指向し、人差し指は引き金をタップした。


手応えはあった。驚くほどに渇いた手応えが。


空洞を宿したものを撃ったような。弾丸が体を食い破る、そんな湿った音とは無縁な空虚な音だ。


こぼれ落ちるのは断じて熱い血液などではなく、冷たい殻の欠片。


そんな無機質な音。


暗順応の目が、奥に潜む影の体を捉える。


ヒビだ。


影の体は割れていた。


そのとき、住民が撃発の音に驚いた拍子に触れてしまったのだろうか。


窓越しにあるガスランプの燈が揺れた。


私は燈に照らし出されたターゲットの姿を鮮明に捉えようとした。


途端、ターゲットはおおよそ人間とは思えない脚力で空中へと飛び上がり・・・


揺れた燈は、その空虚な音の正体を。


その完璧な造形美を。


空洞の中身を。


卑猥にも似た純真な体躯を照らした。


”彼女”は私を見下ろしながら、空へと排出された蒸気スチームの回廊の奥へと消えていった。


その目は、私を見ていた。


オートマタ。


今時珍しくもない。


かのジャック・ド・ヴォーカンソンが開発したオートマタは、今やこのロンドンの経済と工業を支える労働力だ。


工業用オートマタ、警備型オートマタ、交通整理オートマタ。


ここ、ボウストリートを数分散歩するだけで何体ものオートマタを見つけることができる。


だからオートマタそのものに珍品を見たような好奇心は抱かない。


問題はこの騒ぎにオートマタが絡んでいるということだ。


オートマタに複雑な機構は技術的に備えることができない。


許されるのはごく単純な動きのみ。


魂のない死体のように、あれらは反復する動きの他に可能性を持ち得ない。


思考することもなく、感情もない。


僅かに人間らしく見える眼も、その焦点は虚ろで、あくまで眼という形をした装飾品以上の意味はない。


だが、さっきのあのオートマタは何だ。


私が目撃したオートマタは、まるでこちらを見ているかのようだった。


おおよそ人間には真似できない、堅く美しい表情に目を奪われ、四肢を繋ぐ球体関節は彼女がどうしようもなく人形であることを視覚的に証明しているというのに、ただのオートマタだと割り切らせない生々しさがあった。


明確な意志を持って私を認識しているかのように、彼女はこの場から飛び立った。


人間のようであり、しかし人間離れした美しさが、ロンドンの汚染された空へと散る。


途端、渇いた物音がボウストリートの石畳に響いた。そこには、先程の彼女とはまた別のオートマタが、壁に寄りかかるように機能を停止していた。


機能を停止したオートマタなんてのも特別珍しいものではない。


オートマタも物である以上、壊れれば廃棄されるし、古くなれば取り替えられる。


しばらく観察していると、右手に一切れの紙をつまんでいることに気がついた。


私はオートマタの手を優しく開いて紙に目をやる。


“グレッグは工場に”


グレッグとは恐らく誰かの名前。工場にとはいったいどういう意味があるのだろうか。


紙には只のそれだけが記されていた。


オートマタの身辺を見落としなく観察をしたが、他に変わったところはないようだ。


ただ一点を除いては。


それはあまりに異様な様相だった。


哀れにも劇場型犯罪の犠牲となった死体の第1発見者になったような気分だ。


壁に寄りかかるこのオートマタは、腹部と胸部が切り裂かれ、その中身がごっそりと抜き取られていた。

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