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虚構原型-プロトタイプ・フィクション-  作者: 山下 式
第2層-意識の在り処-
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擦り減る意識

過酷な体力の練磨が終われば、息をつく暇もなく語学を学んだ。冷たいコンクリート壁にスチール製の扉と机という殺風景が私の部屋の全てだった。


過酷な体力の練磨のおかげで、飲み込まれそうな眠気と戦いながら、ほとんど点いていない白熱灯と格子越しの月明かりを頼りに書籍を読解しなければならなかったが、日中の山地機動の訓練の疲労に比べれば遥かにマシだった。


書籍に記された漢字を白紙に書き写していく。私が学んでいる語学は日本語だった。次の任務地が日本だからなのだが、これにはなかなか苦労している。日本とは独特の文化と習俗が過去から現在にかけて絶えず生まれては消える国だとエイダは言っていた。


侍の文化が廃れたというのは残念だが、日本は今もなお新しい文化を生み出し続けているというから驚愕だ。イギリスから離れて行う任務は初めてではなかったが今回は少し事情が違う。


これまでに潜入する国は紛争や内戦やらで何かしら治安が乱れていたから私を気にする人間も少なく、諜報活動も行いやすかった。しかし今度は超法治国家日本で、しかも身を隠さずに堂々と入国するというのだから恐ろしい。文化の理解も含む、言語の習得もなるべく完璧が望ましいだろう。


「進捗はどうかしら」


「おかげさまで捗っているよ」


エイダは紅茶の入ったカップを私が向かう机に置いた。装飾された優雅な陶器には程遠い、ステンレス製の無機質なタンブラーの中には紅く沈んだ香りが揺れている。かつてのロンドンの夕暮れのようにも見えるそれを数秒見つめ、記憶を飲み込むようにあおる。


「これも読めるようになっていてね」


そう言うとエイダはカップの隣に何冊かの本を重ねた。人間失格、砂の女など日本文学がその名を連ねている。


「読んでおけば次の任務に役立つはずよ」


「あぁ。分かった」


私もエイダも要件は終えたはずだから事務的に返事をしたが、彼女は帰るそぶりを見せなかった。


「まだ何か?」


「嫌になったことはないの」


エイダは不意にそう切り出した。


「何度もこの世にペーストされ続け、どれだけ歩もうと新しい任務が待っているだけの人生。嫌にならない?」


私はペンを置いて背もたれに深く腰掛けて息を吐いた。古い簡素な椅子は軋りを上げ、いつでも捨てられる準備を待っているかのようだ。


「クラウディアの守った家系とその血族を守るためにこうしている。満足だよ」


「私は時々想像するわ。もし私がごく一般的な家庭に生まれて、人並みの人生を歩み、人並みに死んでいけたらどれだけ幸福だっただろうって」


「まるで今の人生に不服がある物言いだな」


「あなたを見ているとつくづくそう思うわ。私にもあなたのような壮絶な人生を乗り越える胆力があればって」


まだ暖かい紅茶を一気に流し込み、口元を拭ってから私は言葉を選んでいった。


「私はこう思う。結局、どの人生だろうと壮絶だと。順風満帆な人間なんていやしない。大小はあれど人それぞれに悩みがあり、壁がある。学校の交友関係が世界の全てかのように感じていた時期が君にもあっただろう。君の言う一般的な家庭に起きる大きな悩みだよ」


「明日の料理のメニューを考えたり、掃除と洗濯に追われたり?」


「その通り。やらなければならないとなると、任務であれ掃除であれ料理であれ面倒なものさ」


「・・・」


エイダは私の言葉に満足か不服か、ひび割れたコンクリート製の床を見つめていた。やれやれ、表情から何を考えているのかわからないのは世代を越えて引き継がれているらしい。


「ごめんなさい、邪魔したわね。日本語の習得、頑張ってね」


「・・・」


あんなものは言葉だ。それ以上の意味はない。私の仕事は、それに実践をもって真としなければならないのだ。私は再度ペンを握り、机へと向かった。




砂塵が舞う荒野にポツンとおかれたコンクリートブロックを拳銃の照星が狙いをつける。腕が力んで震えぬように、適切な力配分で重い引き金を引くと、ブロックは弾丸を吸い込むように虚ろな口を開いた。


射撃の腕はそれ程鈍っていなかった。荒涼とした見晴らしで、適当なコンクリート片を的にして短連射を何回か繰り返してみたが、結果は及第点といったところだ。


もう何回か繰り返せば完璧に仕上げられる手応えだろう。風に吹かれる腕の修正も、太陽光による照準のズレも、全てがスプーンを握るように易々と、これまでの経験が思い起こしてくれていた。


少しばかり離れたところではエイダとMI6の技術部門所属の眼鏡をした白衣の男が話をしている。かつて秘密警察として名を馳せていた組織はMI6と呼ばれるようになり、今日まで女王陛下に忠誠を捧げ続けている。


戦い続けなけらばならない。生き続けなければならない。女王陛下にその愛国心を捧げ、そして愛するが故に離れた彼女のためにも。


ただ無心に引き金を引くのだ。息を吸うが如く射撃ができるようになるまで。


私の意識が消えるまで。


男とエイダの会話は聞こえない。だが、読唇術を心得ていた私は、彼らの会話をある程度読み取ることができた。





「最初の不死者・・・彼は確かに傑作です。いや・・・傑作でした。しかし、いつまであんなものに頼り続けるのです」


「ジェイムスンはまだ実戦に耐えうるわ」


「彼の技術は大変素晴らしい。しかし前代から危険な兆候がある。これがダメだと次はどうするおつもりで?」


「・・・次も意識の転写を行うわ」


「いいえ、これがダメなら彼はもう限界です。彼ももう時代錯誤の兵器なのですよ。ここから先は、我が部署の技術の粋をもって結成した新設部隊に世代交代してみては?」


「・・・考えておくわ」


「今すぐにとは言いません。しかし決断のときはそう遠くないと心に留めておいてください」


「そうね・・・決断しないと・・・」


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