意識の転写
「以上が、今回の騒動の報告です」
「うむ。ご苦労だった」
ハイライン卿は紫煙を薫せ、事の顛末に想いを馳せている。その暗い瞳は、すでに童心を捨て去った冷淡な視野であり、寓話めいたこの事件もただ街の片隅で起きた小さな出来事として処理しているに違いない。
「ジャケドロー博士には今後、ハイライン家専属の技術者として働いてもらう」
「まさか。ギア・テック社が黙っていませんよ」
「ギア・テックには今回の騒動が会社の責任ではないという線で話をまとめるというと納得した。それに、ジャケドロー博士は急進派に狙われている。彼の意識アルゴリズムの研究は科学、医学といったあらゆる分野を切り開くだろう。我々の近くに置いておいた方が何かといいだろう」
「ハイライン卿にお考えがあるなら、私に異はありません」
「ドウセット卿、今回の君の働きには眼をみはるものがあった。今後もハイライン家のために力を尽くしてくれたまえ」
「もちろんです」
※
「人工の愛の結末ですか」
屋敷の庭のクラウディアの、夕暮れの西日に儚い顔。先を歩く彼女の足跡を辿って行く。
「ねえジェイ。♯6は人間と同じなのかしら」
「そんなはずはないかと。なにせ彼女は愛するように作られたのです。我々人間の愛とは違う」
「あら、そうかしら。♯6がジャケドロー博士を愛するようにつくられたように、私たちも誰かを愛するように、何かを食べるように、眠るように設計されて生まれてきているわ。それに大きな違いなんてあるのかしらね?」
「♯6の手紙にも似たようなことが書いていました。クラウ、あなたは時々そうした破滅的な想像をしますね」
「こんな風に考えるのって面白いと思わない?私たち人間と♯6に違いなんてない。いえ、♯6は自分がそう作られていることを受け入れていたぶん、私たちより先に進んだ存在とも言えるのかも。私、こうした考え方が凄く面白くて好きなのよ」
私は突拍子もないことを言うクラウが好きだった。そんなはずはないと思いつつも、自由な発想がとても魅力的で。博識な彼女の目から見えるロンドンは、どう映っているのだろう。
彼女の隣にいればいつか見える。そんな気がした。
※
「いけません!そんなこと、私が許しません!」
早朝の屋敷。ハイライン家はクラウディアの怒号が響いていた。
「どうしたのですか」
「ジェイ・・・」
クラウは私を見つめてはバツが悪そうに目線を落とした。極めて理性的な彼女がこのように声を荒げる姿は珍しい。クラウの隣に並ぶハイライン卿は表情を変えずに私の眼を捉えると、低い調律で口を開いた。
「ドウセット卿。ジャケドロー博士は大変に優秀な技術者だ。彼の人のアルゴリズムの研究はとんでもない技術を生み出してくれたよ」
「と、言いますと」
「博士は人の意識を全くの別人へと上書きする技術を編み出した」
そう冷たく並び立てるハイライン卿にクラウは血相を変えて押しとどめた。
「お父様!それ以上お話なさるとたとえお父様でも許しません!」
だから私は、クラウのその優しさを氷のように冷たい情動で抑えた。
「クラウディアお嬢様、申し訳ありません。お話を伺ってもいいですか?」
「ジェイ・・・」
そうして掌を向けて、クラウディアを静止させた。クラウディアは言い足りないとばかりに今にも身を乗り出そうとしている。
「ドウセット卿、君の働きぶりは大変素晴らしい。ハイライン家は君を天からの才能だと判断した。できれば、末永くハイライン家に仕えてほしい」
ジャケドローが意識を転写する技術を生み出した。そして私に末永くハイライン家に仕えてほしいというハイライン卿の言葉。そこから導き出される答えは一つしかなかった。
「なるほど。私の意識を他の人間へと上書きしたいと」
「その通りだ」
ハイライン卿は淡々と、事務的にそう述べた。今の肉体を捨てて別の人間へと宿れと。喉元に突き立てられた技術革新の波は、意識だけをくり抜こうと手ぐすねを引いている。
「絶対に許しません!こんなこと、あまりにも非人道的です!」
クラウディアの怒りは収まる気配がない。彼女も立場上、本来であれば私に対して事務的であることが望ましい。それができない彼女を見ているのが、何だか私自身の唯一の幸福に思えてむず痒い。
「ハイライン卿、少し考えをまとめる時間をいただけますか」
「もちろんだとも」
「ありがとうございます。クラウディアお嬢様、少し庭を散歩しましょう」
庭の芝は相変わらず端正だ。時が止まってしまったかのように変化がなく、庭師の仕事のきめ細やかさが見ていて儚い。
「ジェイ、もちろん断ってくれますよね」
外に出るや否やクラウは矢継ぎ早に言葉を紡いだ。
「こんなこと、許されていいはずがありません」
「そうかもしれません」
色のない返事にクラウは苛立った。
「だったら!」
「クラウ、私はこの話を受けようと思います」
「なんですって・・・」
「実はずっと考えていたのです。ハイライン家に永遠に仕えたいと。クラウ、君に。そして君の子孫にも」
「私の子孫ですって!?そんなもの、誰が産むというの!?私はまっぴらごめんよ!こんなことにために・・・」
「私とあなたは引き離されるというの・・・」
「クラウ、私はあなたが思うような綺麗な人間じゃない。これまで何人もの女性と体を重ねてきた。私はあなたの隣に立つには汚れすぎている」
「仕事のためだったんでしょ?誰がとなりに立ってほしいかなんて私が決めることよ」
「たとえ仕事だとしても、許されないことがある。このハイライン家のために多くの事に手を汚してきました。クラウ、君はこんなことをしなくても物事をやり通すための知識がある。私とは違う。私は君と接して多くのことを学んだ。ロンドンの街に沈む運命だった私を引っ張ってくれたハイライン家と、輝く日々をくれた君のためにこれからもずっと働いていたい。私も老いには勝てない。だがジャケドロー博士の技術があれば、世代を越えてハイライン家に仕えていられる。どうか、私のわがままを聞き入れてはくれませんか」
クラウは眉尻を落としながらじりじりと私から距離をおいた。その目は怪物を見たかのように開かれている。
「馬鹿げています・・・こんなこと・・・」
もっともだ。こんな話は馬鹿げている。そんなことは百も承知だった。
「ジェイ、ジャケドロー氏が言っていました。これはあなたの意識アルゴリズムを思考過程や行動から算出し、催眠術を使って他者へと擦り込む技術だと。つまり正確には、意識の転写ではなく、アルゴリズムが刷り込まれたあなたの複製というのが正しい。複製されたあなたは、それはあなた自身だといえるのですか?私には別人にしか思えない・・・そんな新しいあなたを愛する自信を、私は持てそうにない・・・」
「その通りです。それはもう私ではない。だからこれから新しく生まれる私に、今の私と同じように接する必要はない。私はですねクラウ、あのオートマタの行動を見て学んだのです。愛の形は様々だと。愛する者は寄り添い合う。それが真理であると思っていました。しかしあのオートマタは、ジャケドロー博士と離れることで愛を貫いたのです。私はそれに酷く感銘を受けた。人ですら選択できない自由を機械がやってのけたのです。クラウ、私もあなたを愛している。だからこそ、私はあなたと交われない。しかし、あなたを永遠に守り、あなたの子どもたちをも守ることができるなら・・・それが私からあなたへと送る唯一の愛です」
クラウは自身の額をそっと私の胸へと当てた。彼女の背中に手を回そうとしたが、これ以上進むと自分を抑えられなくなる気がしてやめた。
「あなたは本当に酷い人です。私にあなた以外の他の人と契りを交わせというのですから、こんなに残酷な話ありません」
「申し訳ありません」
「本当に酷い人・・・」
※
天井を見つめる私は、硬い清潔なシーツの敷かれたベッドで横になっていた。隣のベッドには麻酔で深い眠りについている見知らぬ男。髪は刈り込まれスキンヘッドになっており、解剖のために用意された死者のよう。私の新しい肉体はデッサン人形よろしく、あらゆる個性を削ぎ落とされ、ソリッドなフォルムに落ち着いている。
グレート・ブリテンに全てを委ね、文字通り身も心も差し出した敬虔なこの臣民は、私の容れ物として今か今かと待っているように見えた。
「クラウディア様はまだ納得していないわ」
エイダはおもむろにクラウディアの名前を出した。
「どうしたエイダ。まるで私に思いとどまってほしいように聞こえるが」
エイダはそれ以上何も言わず、私もまたそれ以上のお喋りを控えた。このまま話していると本当に思いとどまりそうで、酷く情けないがやはり恐怖。
「あんたとはもっと多くの仕事ができると楽しみだったんだがな」
オキタ・ソウジは義理堅い男だ。軽口の裏に見える思いやりが、私の覚悟に触れる。せめて、茶化すことだけが誠意に思えて。
「次の、そのまた次の私がオキタと仕事をしてくれるさ」
そうした感謝しか言えなかった。
「ちっ、つまんねえ冗談だ。悪い夢でも見ているかのようだ」
背を向けたオキタと入れ替わるようにジャケドローがベッドに近寄った。
「これから何日もかけて君に質問をしていく。それに正直に答えてくれ。そうやって君の思考アルゴリズムを収集していく。施術が終われば、心的外傷によって今の君の心は間違いなく壊れる。それはつまり・・・」
「分かっている。覚悟の上だ」
「・・・支えにならないかもしれないが、記憶は引き継がれる。今この瞬間も」
その記憶は私なのだろうか。そこに私の意識は引き継がれるのだろうか。そもそも記憶と意識はイコールなのだろうか。様々な可能性を空間へと浮かべ、何が真実かを探ろうとしても、そのどれもが霧散していく。死の瞬間を感じることができないように、次なる私の意識を感じることはできないのだから。
「さて、始めようか。これから君は多くの時代を越えていく。きっとこの技術も形を変えて引き継がれるだろう。催眠というこんな原始的な手段じゃなく、もっと機械を利用した手段へとね」
ジャケドローが私のアルゴリズムを記録するために紙とペンを持った。その後ろで、エイダが死者への供物のように別れの言葉を手向ける。
「また・・・また会いましょうね。ジェイ」
「あぁ。また・・・」
「では質問をする。君は仕事に臨むとき・・・」
※
繰り返される質問に、私は淡々と答えていった。ずっと同じ部屋にいるせいで、時間の感覚はやがて無くなり、食事の必要性も感じなくなり、いつのまにか寝ていた。そんな日が何日も続き、こうして私の精神は崩壊した。私という意識が希薄になり、やがて私という存在が希薄となる。
今はもう、ただぼんやりとした風前の燈のような恍惚さだけが残っていた。
その燈も風に吹かれ、やがて消えた。
※
1914年、第一次世界大戦勃発。
新型兵器の見本市と言われたこの大戦は、馬に乗った騎兵隊が総力をもって突撃するという前時代の景色がまだ残っていた戦場を急速に変化させていく。
リチャード・ガトリング、機関銃を開発。
ドイツが初めて採用したこの兵器は、突撃するフランスの兵を一網打尽にした。当時、機関銃一丁は一個大隊に比例すると言われた。
フランス軍、機関銃に対抗するために塹壕を掘削。
これにより戦場は停滞し、迫撃砲の徹底した爆撃の後に突撃するという戦法へと変化していく。停滞した戦場では塹壕足などの病が流行し、戦場は衛生面の確保に直面する。
ライト兄弟、飛行機を開発。
上空からの攻撃で停滞した戦場を回転させた。飛行機の軍事的利用を宣伝に、ライト兄弟は莫大な富を得る。
戦車の出現。
この鋼鉄の砲塔は戦場そのものを形にしたかのようだと、歩兵から恐れられた。当時、戦車を直接破壊できる火器は少なく、第二次世界大戦まで歩兵が携行可能な対戦車弾が現れることはなかった。
私は幾多の戦場と時代を跨いだ。
私の意識を宿した新たな肉体は2度の大戦を潜り抜け、この経験もまた新しい肉体へと引き継がれていった。
数多の時代に私は生起し、何度もペーストされ続けている。
こうして私はここにあり、これからもここにあり続けるのだ。
そして
そしていま
※
「意識レベル、フラットから脱出。成功です・・・はい・・・Jが目覚めた」
いかがでしたでしょうか。第1層オートマタ、楽しんでいただけたなら幸いです。
なんといっても産業革命のイギリス。きっとロマンチックが街のあちこちに転がっていた時代だったんでしょう。
煙突から立ち上る破壊の煙。濃霧の陰を翻す混沌の時雨。そんな時代のお話でした。
いやはや技術の進歩とはめざましいものがありますね。
オートマタが我々の生活へと進出。沖田総司という歴史的記号がイギリスへ渡航。細かな差分が幾層に積もり、こうして歴史は分岐を始めました。
あなたがこのフィクションを見た、見なかったことで思考に変化が起きた、起きなかったの差分を計算するのが小説の本来の機能なのです。ここで一つ、あなたの差分を調べてみましょう。
さて、愛することを運命付けられたオートマタの一生。あなたはどう感じましたか?
感情など無い筈なのに、まるで感情があるかのように振る舞って見せたオートマタ。劇中では彼女の立ち振る舞いで多くの人が自身の考えを話していましたね。
ジャケドローは創造の彼女を失った際に失恋を味わった。これはどうしようもないほどに疑似体験に他なりません。ジャケドローは確かに恋をしていたのでしょう。
しかし沖田総司は最後まで♯6を人形だと譲りませんでした。それはそうでしょう。彼女は人形。それは覆しようもない事実なのですから。
あなたはどう感じたでしょうか。
感情的であるならば、たとえ鋼鉄の膚でもそれはもはや生命なのでしょうか。
いやいや、どれだけ感情があるように振る舞っていたとしても、結局はただの鉄細工なのでしょうか。
もしも♯6が生命と同義ならば。
たとえ鉄の回転の連続体だとしても、その感情は、その膚の下には、生命といっても過言ではないのなら。
しかし、どれだけ感情的に見えたとしてもそれはジャケドロー博士がそう見えるようにプログラムしたに過ぎません。彼女は意識を持ってジャケドローを愛したのでしょうか。
そうするようにプログラムされた彼女の決断は、本当に彼女によって決定された意識なのでしょうか。
そうプログラムされているのですから、そこに個人的な意識など存在しないのではないのでしょうか。なら意識の介入を良しとせず、否応無く食事をし、睡眠し、排泄する私たちの体に、私という意識は本当に存在するのでしょうか。
ならば♯6は生命ではない?
感情的にプログラムされていたとしても、それはそう作られたものであり、生命の不規則性とは程遠い?
しかし、私たち人間も感情を持ち、不規則な行動をとるように設計されているのなら、それは彼女とどう違うと言えるのでしょうか。
彼女が歯車の回転と球体関節が織り成す運動でしかないのなら、私たち人間もまた、シナプスの放つ青い光でしかなく、様々な細胞の集合体であり、網目状に構築された器官の運動でしかありません。
意識をしても止めることのできないこの心臓のように、オートマタの動力もまた、疲れを知らない軸であることに何の違いがありましょうか。
いやはや、生命というものの定義は難しいのですね。私たちが信じる科学は、いつか私たちが何者であるかを定義してくれるのでしょうか。
私たちに感情をもたらす意識というものが私自身であるなら、意識の宿るこの体という生きた細胞の寄せ集めは何なのでしょうか。
どこまでの器官が揃えば意識は生まれるのでしょうか。脳のみで意識の存在は可能なのでしょうか。
第2層では私というもの、私という存在を感じさせてくれる意識の在り処の物語。
第2層-意識の在り処-
ジェイムスン・ドウセットの物語はまだまだ続きます。




