21
居ても立っても居られず、ジャスミンは今から竜の島に行くことにした。一応招待客たち全員に挨拶はすませているのだからどうにかなるだろう。
国王たちには止められそうな気がするため、キャロルにだけこっそりと打ち明けておく。リュディアスと話しができ次第すぐ戻るつもりだが、当然ジャスミンの不在がそのうち分かるだろうから、口裏を合わせてもらうことも兼ねている。
リュディアスに会いに行きたいと言うと、キャロルは勢いよく頷いて、協力してくれた。
「それがいいですわ、ジャスミンさま! すぐに手配をいたします」
手際のいいキャロルのおかげで、ジャスミンは数十分もしないうちにアイリーンとともに馬車に揺られることになった。
思えばリュディアスに抱かれて飛んでいく以外の手段で行くのは、初めてだ。
「どのくらいでつけるかしら?」
「そうですね……。国一番の六頭立て馬車ですので、早くて二時間というところでしょうか?」
「早くて二時間……」
よく考えずに思い立ってすぐに来てしまったが、夜まで待って行ったほうがよかったかもしれない。それならば、朝には何食わぬ顔で帰れただろう。
ジャスミンの不安を見透かしたように、
「大丈夫ですよ、ジャスミンさま。キャロルが上手くやってくれます」
アイリーンの言葉に、ジャスミンはほっと安堵する。
「そうよね。キャロルは何かと気が回るから」
「成人の祝いで疲れたようだ」とでも言ってごまかしてくれるだろう。
やきもきしながらも、なんとかアイリーンの予想通り、二時間ほどで竜の島に到着した。
「久しぶりだね、お姉ちゃん! なかなか来てくれないから寂しかったー!」
船を降りると、ちょうど近くで遊んでいたらしい子どもたちにわらわらと取り囲まれてしまう。ジャスミンの顔を覚えていたらしい。
「ねえねえ遊んでー」
「ごめんね、急いでるの。また今度来た時、ゆっくり遊びましょう」
せがまれて申し訳なく思いながらも断る。
「リュディアスさまともしばらく会えてないのだけれど、どんなご様子かしら?」
ふと思い立って聞いてみる。以前と変わらない様子だとか、前よりも楽しそうだとか言われたら落ち込んでしまうが……。
「ずっと寂しそうにしてるよ」
「普段はしないようなミスをする!ってエリクさま怒ってる」
「お姉ちゃんに会ってないからじゃない? 早く会いに行ってあげて!」
「そうなの……」
ジャスミンに会っていないせいだろうか。申し訳なく思う反面、勝手なのは分かっているけれど、まだ気持ちが残っていてくれているのなら、嬉しい、と思ってしまった。
「リュディアスさま、今どこにいらっしゃるか分かるかしら?」
一応こどもたちにリュディアスの所在を聞いてみるが、
「んーん。分からない」
当然首を横に振られてしまった。
「そっか。そうよね」
「エリクさまに聞いてみたら分かるんじゃない?」
「そうね」
確かにエリクならば、大抵リュディアスの予定を把握しているだろう。
だがジャスミンには一つだけ心当たりがあった。
「一か所だけ見に行って、そこにいなかったらエリクさまにおたずねしてみるわ」
こどもたちに別れを告げて、ジャスミンとアイリーンは歩きだした。
あのときリュディアスと一緒に見に行った湖。なぜかジャスミンには、リュディアスがここにいるという確信があった。
港から湖にはほどなくして着いた。湖から少し離れた場所で、
「あなたはここで待っていてくれる? アイリーン」
「お傍で警護させていただきたいのですが」
ここだと話し声どころか、木の陰で姿も見えないので、当然アイリーンは渋った。何かあったとしても、瞬時に助けることができないからだ。
アイリーンの気持ちはよく分かるのだが、ジャスミンとしてもリュディアスとの会話を聞かれたくはない。
ジャスミンは彼女の手を握って、じっと目を見つめた。
「お願い、何かあったら大きな声を出すから」
アイリーンはしばらく考えていたが、小さくため息をついた。
「はい。何かありましたらすぐに大きな声をお出しください」
「ありがとう! 行ってくるわ」
待ちきれないジャスミンは、小走りに駆けて行った。
いた。
やっぱりリュディアスはここにいた。
湖のほとりに、リュディアスは佇んでいた。翼はたたまれている。
背中だけとはいえ、久しぶりのリュディアスの姿に、ジャスミンは涙ぐんだ。
「……」
ジャスミンの気配を感じ取ったのだろう。リュディアスが振り返りそうになったので、ジャスミンは慌ててその背中に飛びついた。勢い余って、リュディアスとともに、湖の中に落ちてしまう。
湖の中に座りこんだリュディアスの腕の中に、ジャスミンが収まっているような格好だ。
自分の腕の中にいきなり現れたジャスミンに、リュディアスは驚きを隠せない。
「ジャスミン……。なぜここに」
うつむいていたジャスミンは、顔を上げてリュディアスをじっと見つめた。リュディアスが頬を赤らめて反らしそうになるのを、
「反らさないでください」
小さな手で、頬を挟み込むようにする。
「好き、です」
ジャスミンの言葉が聞き取れなかったのか、聞こえていて意味が分からなかったのか、リュディアスは目を丸くした。
今度は大きな声ではっきりと言った。
「初めて会った時から、リュディアスさまが好きです。わたしのことをまだ好きでいてくださっているのなら、結婚してください。わたしを離さないで……」
「本当に……?」
信じがたかったのか、戸惑っているリュディアスに、ジャスミンはもう一度言った。
「あなたが信じてくださるまでもう一度言います。わたしと結婚してください!」
「確かにお前の気持ちを聞いた。もう、離してやれないぞ」
リュディアスが、痛いくらいにジャスミンを抱きしめた。
「いいんだな……?」
「はい。あなたがわたしをまだ好きでいてくださっているのなら……」
「好きだ。お前に断られてからも、ずっと諦めきれなかった!お前のことを好きでいられないはずがない! お前はオレの番なんだから……」
両手で頬を挟まれて、リュディアスの端正な顔が近づいてくる。
このままでは明らかにキスされる。心の準備が全くできていなかったジャスミンは、
「え、ちょ……。リュディアスさま、待って」
「待たない。ようやく#番__お前__#を見つけてからさらに待たされたんだ」
口調は優しく、だけれど強引にリュディアスはジャスミンの唇に触れた。角度を変えて、幾度も触れてくる。
「んっ……」
勢いはあったのに、ジャスミンにとっての初めてのキスは繊細で優しくて。
(キスって、こんなに甘かったのね)
知らなかった。キスがこんなに甘く優しく、蕩けそうなものだったなど。前世では何度もしたのに、こんな風に胸がいっぱいになるようなキスなど初めてだった。
しばらく優しいキスをした後、
「もう、離してやれないぞ」
リュディアスは呼吸もできないくらいに強く、ジャスミンを抱きしめた。
「いいんだな……?」
「はい」
「好きだ。お前に断られてからも、ずっと諦めきれなかった!お前のことを好きでいられないはずがない! お前はオレの番なんだから……」
リュディアスからはジャスミンが愛おしいという気持ちが、痛いほどに伝わってくる。
(ああ、どうして)
ジャスミンはリュディアスの胸に頬を寄せた。
一度でも、この人と離れようなんて決断ができたのだろう。
リュディアスはこんなにもジャスミンを思ってくれているのに。彼女もまた、こんなにも彼を求めていたのに。
「……」
おもむろにリュディアスは上着を脱いで、ジャスミンに羽織らせた。
「え、でもリュディアスさまが寒いのでは」
ジャスミンが脱ごうとするのを、押しとどめられる。
「頼むから着ていてくれ。これではまるで拷問だ」
頬を赤らめたリュディアスが、顔をそむける。
「え?ごうも……きゃっ」
自分の姿を見降ろして、濡れているためドレスが透けていることに今更ながらに気づく。ジャスミンは慌ててリュディアスの上着で胸元を隠した。
「……お借りいたします、リュディアスさま」
「ああ、そうしてくれ」
赤らんだリュディアスの頬にそっと手を伸ばしてさする。以前と同じ精悍な顔立ちだが、若干頬肉が落ちた気がする。筋肉質な体も、以前よりもいくぶん細い。
「少し、お痩せになりましたね」
「ジャスミンも、痩せたな」
リュディアスも心配そうな顔で、ジャスミンの頬を撫でる。
「ちょっと体調を崩して、食欲が落ちただけです。あ、そうだわ! わたし城を抜け出してきましたので、時間がないんです。すぐに帰らないと!」
ジャスミンは城を抜け出してきたことを思い出して、慌てて立ち上がった。キャロルが上手くごまかしてくれるとは思うが、それでもできるだけ早く戻らなければ。
「オレが抱いて飛べばすぐだろう? なんにせよ、そのまま返すわけにはいかない。一旦オレの城に戻って着替えるんだ」
「リュディアスさまに飛んでいってもらえればありがたいですけど、リュディアスさまのお城にわたしが着替えられるものがあるのですか?」
当然リュディアスの服はジャスミンには着ることは出来ないだろう。ジャスミンが知らないだけで、ほかに妹がいるのだろうか? それとも女性の使用人の服でも貸してくれるつもりなのだろうか。
リュディアスは困った顔をして、
「ん……まぁな。お前と結婚した時のためにいくつか用意していた。足りなければお前が城に来た時作らせればいいと思ってな」
「ありがとうございます。わたしのためにそんなものまで用意していただいて……」
ジャスミンは感激で目をうるませた。ジャスミンはあんなにつれなくしていたのに、リュディアスは自分と結婚したときのためにあれこれ用意してくれていたのだ。
「気にする必要はない。オレが勝手にしたことだ。早く行こう。オレは体が丈夫だが、お前が風邪をひいては困る」
リュディアスに抱き上げられそうになって、ジャスミンは慌てて、
「あ、少し待ってください。近衛騎士を待たせているので、先に戻らせます」
アイリーンのもとに向かうジャスミンのあとを、リュディアスもついてくる。
「近衛騎士?」
「ヴァ―リアス王国では成人になった王族には、騎士がつけられます。外出するときには護衛としていつも守ってくれるんです」
「ジャスミンを守る役目は、いつも私でありたいのだがな。まさかとは思うが、騎士というのは男じゃないだろうな」
不機嫌そうになったリュディアスにあきれながら、
「リュディアスさまは竜王ですから、いつもわたしの傍にいるわけにはいかないでしょう。ちなみに女性ですよ。紹介します。ああ、ほら。アイリーンです」
突然現れたリュディアスに、アイリーンは戸惑った顔をしたものの、挨拶をする。
「竜……王さま? 本日付でジャスミンさまの近衛騎士を仰せつかりました。アイリーンです」
「そうか。オレが守れない時は、ジャスミンのことをよろしく頼む」
「お任せください。って、竜王さま、ジャスミンさまも! どうなさったのですか? ずぶぬれではないですか。どうしましょう」
ジャスミンたちが、ずいぶんとずぶぬれなことに気づいたらしい。おろおろと自分の上着を脱いで貸してくれようとするが、それではアイリーンが寒いので断る。
「湖の中に落ちてしまったの。リュディアスさまのお城で着替えさせていただいて、そのまま送ってもらうからアイリーンは先に馬車で帰っていて。それでもわたしのほうが、アイリーンより戻るのは早く着くと思うわ。リュディアスさまはとても早いから」
アイリーンはほっとした顔で、
「よかった……。ここに来たかいがありましたね、ジャスミンさま。キャロルもきっと安心します」
アイリーンも心配していたらしい。リュディアスとジャスミンを交互に見て、
「ではお任せしてもよろしいでしょうか? リュディアスさまなら信用できますし、腕も立つのでジャスミンさまを任せられます。わたしが傍にいると移動に支障が出るでしょう」
ジャスミンの耳元に、そっと口を寄せていたずらっぽく囁く。
「わたしがいるとお邪魔になりそうですしね。今回だけは遠慮いたします」
「もう! 気を使う必要ないわよ!」
怒るジャスミンに、アイリーンはくすくす笑いながら港のほうへ歩いて行った。
「では行くか」
「はい」
アイリーンの姿を見送ると、リュディアスはジャスミンを抱えあげた。翼を広げて飛び立つ。
「リュディアスさまにこうして運んでいただくのは、お久しぶりですね」
「そうだな」
お互いの顔が近くにあることも久しぶりで、なんとなく気恥ずかしい。
上空から見下ろす景色も久しぶりだ。
「寒くはないか? もう少しゆっくり飛ぶか?」
リュディアスの飛ぶ速度は早いため、体に受ける風は強いが、彼に抱かれているため寒くはない。
「リュディアスさまに抱かれているので、大丈夫です」
「……そうか」
ジャスミンの答えに、リュディアスが頬を染めた。
(間違ったことは言ってないけれど、恥ずかしい言い方だったかも!)
もっと別の言い方があったかもしれない。ジャスミンもつられて頬を染める。
「ところで、ジャスミンがオレの求婚を受け入れてくれたのは喜ばしいのだが、なぜ急に? お前は前世の経験から、結婚するのが怖いと言っていただろう」
不思議そうにリュディアスが尋ねてくる。
(う……! それは当然気になるわよね)
この一か月何の音さたもなく、そして、あんなにはっきりと拒絶したのに、どの顔を引っ提げて『結婚してください』などと言えたのだろう、と自分でも呆れる。本当は、『好きです』というだけのつもりだったのに……。
だが、もうジャスミンの中では完全に終わったこととはいえ、前世の元婚約者に遭遇したというのは、リュディアスにとっては愉快なことではないだろう。もうジャスミンの近くで仕事をさせるつもりはない。今後会うこともないだろうから、リュディアスに伝えない方がいいだろう。
「前世の婚約者とあなたは……全く違う考え方の人だと、思い知ったので。あの人はわたしを道具のようにしか思っていなくて、あなたはわたしを心から愛してくださっているのがいつも伝わっていました。本当はずっとわかっていたんです。リュディアスさまは、絶対にわたしを裏切らないって。でも、信じるのが怖くて。遅くなって、すみません」
「いいよ」
リュディアスは優しい眼差しで、ジャスミンを見つめた。
「ジャスミンがオレを選んでくれた。だから、もういい。いいんだ」
「リュディアスさま……」
ジャスミンへの気持ちが変わっていなかったとしても、少しの恨み言もリュディアスは彼女に言わなかった。ジャスミンはかなり自分勝手な行動をとっていたというのに。
「お前が現れるまでオレは二百年待ったんだぞ? だから、ひと月程度なんともない」
リュディアスはジャスミンを優し気に見つめて微笑んだ。
そうだ。
リュディアスは二百年もの間、ずっと待っていたのだ。死ぬまでに出会えるかも分からない、番を。
「わたしのことを、二百年も待っていてくれたんですよね……」
リュディアスへの愛おしさがこみ上げてきて、首元に顔をうずめた。
「もう、わたしはあなたから離れたりしません。だから、リュディアスさまも離さないでくださいね?」
「言われなくても。絶対に」
ジャスミンの願いを、リュディアスは微笑んで受け入れた。




