12
朝食を摂るために食堂に向かうと、すでに国王、王妃、ウォーレスはテーブルについていた。急いでジャスミンもウォーレスの隣の席に座る。
「遅くなって申し訳ありません」
咎められることはないのは分かっているが、軽く頭を下げて謝っておく。家族とはいえ、礼儀は必要。さらに言えば、両親とは言っても前世の普通の家庭と違って、いわば上司と部下の関係なのだ。
「気にするな。女性の支度は時間がかかるものだからな」
ウォーレスに国王も同意する。
「急いで怪我をされても困るしな。それに急いで簡素な装いをされるより、着飾っているジャスミンを見るほうが楽しい」
「あら。私が着飾っても楽しくないのでしょうか」
本当はさほど気にしていないくせに、王妃はわざと厭味ったらしくそれでいて悲し気に言った。その途端、国王は哀れなほどにおろおろし始めた。
「そ、そんなはずはないだろう! お前は私の妻なのだから! ああ、そうだ。午後に少し時間が取れるから、一緒に観劇に行こうじゃないか。美しく着飾った姿を存分に見せておくれ」
王妃は扇で隠して、ジャスミンにだけ見えるようにぺろっと舌を出した。二人のやり取りにジャスミンはクスクス笑う。
(さすがお母さまだわ)
こうして国王と王妃は結婚して二十年以上たつのに、今でも円満なのだ。
その間に使用人が食事を並べてくれた。挨拶をすませ、食事を始める。
「ところでジャスミン。縁談の申し込みがたくさん来ているのよ。あとで私の部屋で一緒に絵姿を見ましょう」
王妃の言葉に、ジャスミンは内心うんざりした。もうすぐ成人の十八歳になるので、これまでの比ではなく毎日のように縁談の申し込みがくる。
もっとも王族であるジャスミンならば、すでに婚約者がいてもおかしくない。それを考えれば、国王も王妃もジャスミンに甘い。
「今のところどなたとも結婚は考えておりません。ですので絵姿を見るまでもありません。お断りの返事だけ出しますので、手紙だけいただきます。お母さま」
ジャスミンの言葉に、王妃はあからさまにがっかりしている。
「じゃあ、リュディアスさまのことはどう考えているの? あなたさえその気なら、私は反対しないわよ。あなたを大切にしてくださる方なのは、この二年でよく分かっているし。竜族の長ならば、嫁いでも苦労しなそうだしね」
「ええと……。リュディアスさまとも今のところ結婚は考えておりません。初めてお会いしたときに、お断りしております。一応」
王妃はフォークでぐさぐさとフルーツを刺す。マナーとしてはよくないが、ここには家族しかいないので、王妃といえど気が緩んでいるのだろう。
「えー。早く孫の顔が見たいわぁー。娘の結婚式のドレス選びたいわぁー。今は若いから遊びたいんだろうけれど、そのうちどこからもお呼びが来なくなるわよ? 子ども産むなら、早いほうがいいわ。私がウォーレスを産んだのは、十八のときよ?」
くどくどと説教を始める王妃と対照的に、国王とウォーレスは嬉しそうだ。ジャスミンを溺愛している二人は、この城から離れないことが嬉しいのだ。
「まあまあ。急がなくてもいいだろう」
「そうですよ。母上。なんならずっと城にいたって、かまわないではないですか」
「あなたもウォーレスも、ジャスミンを甘やかすのはおやめになって! ずっと城にいたら、かまうに決まっているでしょう! よりよいところに嫁いで、子を成すことが女の幸せであり、義務なのですから」
(お母さまのおっしゃることは分かる)
前世ですら年頃になったら、同じようなことを言われていた。ましてや今のジャスミンは王女だ。いつまでも結婚したくない、が通じるはずがない。義務だからだ。いくら国王がかばってくれようと、だ。
「成人するまではお待ちいただけませんか。お母さま」
殊勝な顔を作ると、
「ん……。仕方ないわね。成人を迎えたら婚約者は定めてもらうわよ」
やはり王妃もジャスミンに甘い。
「それに順番からいけば、お兄さまのほうが先だと思います」
ジャスミンがにこっと笑うと、王妃はころっと矛先をウォーレスに向けた。
「それもそうね。とりあえずウォーレスが結婚して子ども作ってくれないと、おちおち隠居できないわぁ。ねぇ、あなた」
「うむ。そうだな」
「ね、ウォーレス。あとで私の部屋に来なさい」
「まだ隠居する年齢ではないではないですか! まだまだお若いですよ、母上!」
ジャスミンに向いていた王妃の結婚攻撃が自分に向いて、ウォーレスは慌ててそう言ったが、彼女の考えは変わらないようだった。
「若いのは分かっているわよ」
「私はまだ若輩者ですし」
「二十五なのだから、落ち着いてもいい頃だろう。何、いざ身を固めれば自信もつく」
国王も王妃に全面的に同意しているようだ。ジャスミンとウォーレスにとっては、とんでもないことを言いだす。
「後日舞踏会を催すとしよう」
「「え!?」」
「あらいいわね! ついでにゆくゆくジャスミンのお相手になるかもしれない方も呼べるし!」
国王の提案に、王妃はぱんっと両手を合わせた。ジャスミンの相手を探すことも諦めていなかったらしい。
「舞踏会……ですか」
「そんなことしなくてもいいと思いますけど」
ものすごく嫌そうなウォーレスとジャスミンの二人と対照的に、王妃はものすごく生き生きしている。
「どこのお嬢さんをお呼びするか選ばなくてはね! 私の二人目の娘になるのですから。私とジャスミンのドレスも仕立てなくてはいけないわね! 会場の飾りつけ、料理、音楽隊の演奏……打ち合わせしなければならないことがたくさんあるわ! 忙しくなるわねぇ」
「ジャスミン……当日は私から離れないでくれ」
ボソッとささやいてきたウォーレスに、ジャスミンも小声で返した。
「わたしもそうしたいところですけれど、許されないと思いますよ。お兄さま。母さまものすごく張り切ってますもの」
居心地の悪い朝食がようやく終わり、ジャスミンとウォーレスは逃げるように食堂を出た。
ウォーレスはひとまず居室に戻るそうなので、そのまま流れで一緒に行くことになった。王族の居室は同じ棟に固まっている。
「なぁ」
「はい。お兄さま」
ウォーレスが思いのほか真剣な顔で見つめてきて、ジャスミンは戸惑った。
「私は確かにお前がどこかに嫁ぐのは嫌だよ。だけど、私も父上も一番の願いはお前の幸福だ。もしお前が心から好きだと思う人ができて、その人がお前を幸せにできるのなら……。くやしいが、結婚してほしい」
「お兄さま……」
重度のシスコンである兄が、自ら結婚してほしいというとは。つい先日も、国王とどちらがジャスミンと結婚するかという不毛な争いを繰り広げていたのに。
「そのうえで尋ねるが、お前は嫁ぎたい方はいないんだな?」
(嫁ぎたい方……。いないわ。いるわけがない)
あんな思いをする覚悟を持ってまで、結婚などしたくはない。
「……はい」
ジャスミンは少し間をあけて、こくりとうなづいた。その言葉が真実ではないと感じたのか、ウォーレスは重ねて尋ねてくる。
「本当に、だな?」
「……」
「分かった。気が変わったら教えてくれ。これだけは覚えておけよ」
明らかに納得していない様子だったが、ウォーレスは一応そこで一旦口を結んだ。
「水は常に流れている。同じところにはとどまっていないぞ」
状況もリュディアスの心も変化する。そういいたいのだろう。
「……分かっている、つもりです。お兄さま」