糸族の結職人
事の次第を端的に離せば、親方様は頷き弟子に天幕を張らせた。
「この砂の海で、そのような軽装で歩いたのはさぞお辛かったでしょう。日もすぐ傾く。幸い良い岩陰がある。今宵はそこで宿としましょう」
「ははっ、はい」
どうやら岩陰からこちらを覗いている四つの頭はバレバレらしい。
弟子と東雲、北里先輩が手伝って張られた天幕の影の中で、親方様が広げた地図を見る。
「これは、ずいぶん立派な地図ですね」
「そりゃそうだ。親方様が自分で足を運んだところを事細かく記してるんだからな」
「へぇ」
ふふん、と弟子が口の端を上げた。
弟子、なぜお主が威張る。
「これは、見たことのない地図ですね。世界、地図ですか?」
「うむ、世界全てではないが、ミズガルドのセントラルを中央に四方に広がる地図である」
「ミズガルド?」
北里先輩が興味深く地図を覗き込んでいる。少し離れたところで静かに西條お嬢さまと南が肩を寄せ合っている。東雲は入り口近くで外を眺めているが、話は聞いているだろう。
「ふむ、ミナト様」
ちらりと親方様が意味ありげに私を見た。
そろりと視線を外したところで、弟子が「で、お前らは誰だ」と直球で聞いてきた。がっくしである。
「あ、すみません。僕は北里悠里です。高校生、はわからないか。学生です」
「ほう、何か得意なことはありますかな?」
親方様が顎を撫でながら聞いた。
「特技、ですか。強いていうならサバゲー、じゃなくて、射撃ですかね」
サバゲー。だからサバイバルナイフなんて持ってたのか。
「ご挨拶が遅れました。私、西條彼方と申します。特技は、弓を少々。どうぞお見知りおきを」
お嬢さまらしく優雅な礼をした西條に、弟子がヒューと口笛を鳴らした。
アーチェリー、いや、弓道かな。
「えっと、わ、私は、南芽夢です!えっと、と、特技は、その、ピアノと刺繍を少々」
しぼむように言った南に「ほう、楽士の方か」と親方様は目を輝かせ、弟子が「刺繍!?お前も糸族か!」とトンチンカンなことを言った。
入り口でぼーっとしてた東雲が、突然立ち上がった。
「俺は、東雲伊織!特技は特になし!腕っぷしになら自信あるぜ!神山先輩、さっきは悪かった!暑くてイライラしてたんだ!」
ガバッと頭を下げた東雲に一同ポカーン。親方様だけが「素晴らしい若者だ」と、うむうむ頷いていた。
「良いよ。私も暑くてイライラしてた。ごめんね、いおりん」
「いおりん、おう!ミナト!」
「いや、私先輩だから。呼び捨てはない」
「んだよ、ミナト先輩厳しー」
ぐでぇと転がったいおりんを、だらしないとお嬢が叩き起こしてた。
「お察しの通り、彼らは新参者です」
「アスガルドのお導きか」
親方様と弟子の自己紹介を済ませた後、再び地図に注目する。今度は、いおりんも転がりながら見てる。
親方様は今いる場所を指で示した。
やっぱり、ここは南の南の砂漠のようだ。
「しかし、ミナト様が以前いらした時よりも砂漠化が広がり砂漠越えは年々厳しくなっております」
「そうですか」
以前と言われても、以前は星読みの森までしか行ったことがないんだよ。半日でバテた私、いけるか?
顎に指を添えてジッと地図を見つめる私を安心させるように、声を緩め「ですが」と親方殿は続けた。
「幸い、今いる時点は南の森側。明日、いや、徒歩ですと明後日には砂の海終焉の町へと辿りつけるでしょう」
「一晩は砂漠で野宿、ですか」
いや、贅沢は言ってはいけない。あの頃は幾日も野宿なんて当たり前だったじゃないか。そう自分に言いきかせようとしても、いかんせんスパンが開いているせいか不安が拭えない。
少し古びた如何にもな地図はあの頃と変わらないこの世界を示していた。以前、叩き込まれ世界と何一つ変わってはいないのだが、初めましてのような未知を感じてならない。
「この先に古の遺跡があります。そこで、夜を過ごすと良いでしょう」
「古の遺跡って、聖戦の、ですか?」
「さようです。さすがセフィロトの守護者様、その若さで聖戦をご存知とは」
一通りだが、この世界の歴史は学ばされた。といっても所詮は小学生だったのだ。まるで御伽噺のように語られただけなのだが。あとは、私でも読めるような歴史の絵本や、歴史書をかいつまんで読んでもらっていただけだ。あの頃は、自分の世界でも新選組とか戦国武将とか歴史物にハマっていたから。
「親方様、いくらセフィロトの守護者といえど、その軽装じゃ遺跡に着く前に干物になっちまいますぜ?」
「おぉ!そうじゃそうじゃ、貴女様は運が良い。この結職人に出逢えて。さぁさ、これを羽織り下さい。熱を阻み、寒さからをも身を守る我らが一族誇りの外套です」
弟子から親方様へと渡され広げられた外套は結職人一糸一糸紡いだ緻密な模様の外套だ。受け取ってくれとばかりに差し出されたそれに湊は戸惑った。何故なら、湊は知っていたからだ。それが、高級品で値段が付けられないものだということを。
「あ、あの、親方様、私、それに見合う金銭を」
「なにを、お金などもらいませんぞ」
「え、いや、それは、だって、糸族の創るものは手に入れるのは困難だと」
「その通り、我らが糸族の作品を手に入れるのは困難でございます。ですが、それは金銭の問題ではありません」
「え」
「原来、我ら糸族は金銭のために糸を紡いでいるのではないのです。いつからか、我らの作品は値のつけられないほどの高級品と謳われるようになりましたが、それは違うのです。糸族の者が自分の作品を贈るのが自分が認めた者だけだからです」
「自分の認めた」
「えぇ、貴女様は正にそれに値する」
「私は、何も」
「仲間を背に自身の危険も顧りみず我らの前に飛び出す気概、一瞬で我らを判断した聡明さ、そして潔いあの敵意なき姿勢、もはや天晴れでございます」
「あ、あー」
にっこりと笑うお人に湊はたじたじである。
というか、仲間を背にって。
「今、私は貴女様にこの外套を贈りたい。どうか受け取ってはくれないだろうか?」
「心より、感謝を」
深々と頭を下げ私は両手を差し出した。そこに乗せられた外套は見た目に反して、まるで羽毛のように軽かった。
「んじゃあ、お前らにはこれをやるよ。まぁ、残念ながら親方様の作品じゃねぇけど」
「ミナト様、ジャガラはまだ未熟者故」
「いえいえ、大丈夫です。彼らは未熟者も未熟者、この世界では赤子も同然ですから」
二人に「おい」と突っ込まれた。もう誰だかはお分かりであろう。
「ミナト様、言うねぇ」
ニヤリと笑った弟子に、私も同じ顔を返した。どうやら気が合いそうだ。
「ほら、これもやるよ」
弟子が私に向かって徐に何かを放った。私は慌ててそれを腕の上に積み重なった外套でキャッチした。「こら」と親方様に注意されていた。
「これ、良いのですか?」
「日が沈むと困るだろう?」
「ありがとうございます」
糸族の結職人という者は随分と義理堅いようだ。彼らは、会ったばかりの私たちに水と食料まで分け与えてくれた。
翌日。
「それでは、我らは参ります。御武運を」
「じゃあな!」
「はい、お二方の旅路も事無きこと願っております」
彼らの背がやがて米粒になり蜃気楼に消えるその時まで、私たちは頭を下げて見送った。




