異世界転移は、突然に
どんなファンタジー小説にだって、きっかけというものがある。例えば、事故に遭ったり、東京タワーで雷が落ちてきたり、トンネルの向こう側は不思議な世界だったり。何事にも前触れというものがある。だが、それでも人はそれを突然と言わずにはいられない。
私の場合は、そう。
突然、目が覚めたら砂漠に放置されていたとか。
突然だった。前触れがあったというならば一体何だったのだろう。普段と何ら変わらない一日に思考を巡らせるが、それらしき出来事は思い当たらない。いや、今はそんなことはどうでも良いんだ。
灼熱の太陽の下、四方見渡す限り砂、砂、砂。
あぁ、サハラってこんなところなのかな。
今にも現実逃避しようとする思考を引っ掴み引き戻して、足元を見下ろす。現実はこれである。
「ふふっ」
思わず、あふれた笑い。
だって仕方ないじゃないか。だって、私は知っているもの。
「あぁ、帰ってきたんだ」
こぼれ落ちた言葉は、どこまでも純粋な歓喜。それを何処かの誰かは狂喜だといった。
「ただいま」
聞こえたかな。
届いたかな。
この砂混じりの風に乗って、どうか届けておくれ。
私の帰還を知らせておくれ。
さぁ、物語は再びはじまった。
この旅路で、今度は何を得、何を失うのだろうか。誰かが望んだ終わり無き物語。運命という言葉に踊らされて、また彼らは世界を超えた。なんて感じのナレーションがお似合いだ。
肌に突き刺すような日差し。夏だといってもここまでジリジリしたのは初めてだ。じんわりと内側から噴き出るような汗を手の甲で拭った。
何にしてもこの暑さは参る。数時間したらきっと私もこの砂のように干からびてしまうのだろうか。想像して冷やっとしてしまった。こんな涼しさは勘弁である。
青い空の下に広がる砂に目が眩んだ。決して暑さのせいではない。まだ始まりも始まり。いや、始まってさえいない。これから辿る旅路を乗り越えていく自信はない。もうあの頃のように無鉄砲に「え〜、大丈夫じゃん?」なんて言える子供ではないのだ。
砂の大地に伏せている四人の人間を見下ろす。その姿に見覚えはない。わずかに抱いた期待は目を開けた早々に打ち砕かれたから、もう大丈夫。溜め息が止まらないのは許して欲しい。
この四人も、私と同じような存在なのだろうか。まぁ、起こしてみれば分かるだろう。
とりあえず、女子から起こそうと一番近くに倒れている髪の短い女の子の肩を揺すった。いつまでも起きない四人を待っているわけにもいかない。今や生命の源である太陽は私たちの体力も気力も奪う魔物でしかないのだから。
「もしもーし、起きてくださーい」
「んぅ」
「おーい。おーきーてぇ」
彼女は何度か睫毛を震わせたあと、そっと瞼を開けた。
「ねぇ、大丈夫?起きれる?」
「ん、あ、はい」
促されるまま彼女は体を起こした。そして「え」と戸惑った声を零す。
「大丈夫?」
もう一度問いかければ頷いたが、顔は青ざめている。きっと突然だったのだろう。だけど、この子のメンタルケアなどやっている場合じゃない。
「他の人たちも起こそう」
「あ、は、はい!」
とりあえず、従順な子っぽい。
私は二人の男子を起こしにかかり、彼女はもう一人の女の子の体を揺すった。
「暑い!ちょっと、ここどこよ!?」
「おいおい、まじかよ。何がどうなってんだよ」
「ここは、いったい」
全員が目覚めたところでわかったこと。うん、どうやら異世界転移は経験者は私だけのようだ。まぁ、そんな経験者がホイホイいるわけはいだろうけど。ははっ。
つまるところ、私がこの四人の面倒を見ろってこと?
「あ、あの」
「はい?」
ボブヘアの女の子が子犬のような目で湊を見上げていた。
「え、何?」
「ど、どういうことなのか知ってるんですよね?」
「は?」
女の子の空気を読まない発言で、全員から視線を貰う羽目になったのは言うまでもない。
「言いなさい、ここはどこ?私をどうする気?」
強い口調で言ったのは癖のない真っ直ぐで艶やかな黒い髪を腰まで伸ばした女の子。猫のように吊り上がった目尻が彼女の気の強さを表している。
ここで知ってると正直に話すべきか、それとも私も同じだと白を切るべきか。
頭を悩ませたが、どちらも面倒だ。というか暑くて考えらんない。
「私も突然だった。目が覚めたらこの砂漠に放り出されてたよ」
事実だけを話した。
四人の視線は変わらず自分に注がれたままだけど、とにかく暑いのだ。もぞもぞと肌に張り付いて鬱陶しいシャツをスカートから引っ張り出し、風通しを良くした。あまり意味をなさないだろうが、熱を籠らせるよりは幾分かましだろう。
「なぁ、俺よくわかんねぇけどさぁ、これって死ぬ感じ?」
金髪の男子が浮かべた笑顔は酷く不恰好だった。ぎこちない笑顔を作りながら言ったその一言は皆の心を深く貫いたに違いない。息を呑む音がどこからかした気がした。
「ま、まぁ、ここが何処の砂漠か分からないけど、このままじゃ干涸らびて死ぬのは確実だね」
「ちょっと!怖いこと言わないでよ!」
「ははっ、天理のお嬢様は恐いな」
眼鏡の男子がきっちり締めていたネクタイを息苦しそうに緩めた。そのまま首元のボタンもポチポチと外している。
「うおっ、まじだ!その制服、天理女子じゃん!日本中の男子が憧れるお嬢様学校!しかもそっちの子は聖学じゃね!?」
金髪の男子は、この暑さでもハイテンション。
「はん!お嬢様学校なんて外面だけよ!中身はえげつないんだから!」
「え、えげつないって」
自信満々に言い切った女の子に金髪の男子は引いてる。
「あ、あの、じゃあ、その自己紹介でもしますか?」
おずおずと言ったボブヘアの女の子。砂漠のど真ん中で合コンでも始める気か。
「じゃあ自己紹介の前に、まずは自分たちの身を守ろう」
私の提案にキョトンとした四人に、先が思いやられると頭を抱えたくなった。
このままでは、高校生の干物が四つ出来上がるってのに。
「日焼け止め持ってる?」
男子は持ってないだろうから女の子二人に聞いてみる。私も鞄から手のひらサイズの日焼け止めを出す。
二人は一緒にこちらの世界に飛んできた鞄から日焼け止めを出した。
うむ、さすが女子。
「本当はマントみたいなのがあれば一番なんだけど。そんなのないだろうから、とりあえず日焼け止め。この日差しじゃ、日焼けしたじゃすまないから。火傷しちゃうよ。砂漠の気温は日中五十度を超えるっていうし」
持ってた日焼け止めを金髪の男子に渡した。
「日焼け止め、あざっした。俺、日の出高校一年の東雲伊織っす、よろしく〜」
「日の出って不良高校じゃない。私は、ご存知の通り天理女子の高等部二年、西條彼方よ」
「不良高校って、ひでぇ。それこそ偏見じゃん、お嬢様」
「黙って」
「僕は、柚高の三年、北里悠吏。よろしくね。はい、日焼け止めありがとう」
「あ、は、はい。私は、聖陽学園高等部一年の南芽夢です。よ、よろしくお願いします!」
金髪男子の東雲が南に「タメじゃん、よろ〜」とハイタッチしてた。
では、私の番だね。
「えっと、私は」
「俺、その制服知ってる。あんた神保だろ?」
出鼻を挫かれた。ムッと東雲を睨むと、どうぞどうぞとされた。
「私は、神保二年神山湊」
一通り自己紹介した後、日除け対策の続きである。夏でも電車やバスの中では冷房の効きすぎで冷えたりするので女の子は薄い上着を持っていたりする。私は腰に巻いてた薄いパーカーを既に羽織り、フードもしっかり被ってる。
「南ちゃんもカーディガン着た方が良いよ」
「あ、はい!」
腰に巻いてた薄いピンク色の可愛らしいカーディガンを羽織った。それに習ってお嬢さまも鞄からカーディガンを取り出してる。
「じゃあ僕は、頭にタオルでも巻いておこうかな」
「お、先輩ナイス。俺も〜」
「ヤンキーでもタオル持ってるのね」
「お嬢、ヤンキーに対する偏見」
「お嬢って、あんた」
呆れた顔したお嬢こと西條さんもスポーツタオルを頭から被った。
北里はスポーツタオルを頭に被せて顎の下で括った。ほっかむりである。東雲は指差しながらケラケラ笑っている。あ、東雲も縛られた。コントか、と呆れて眺めていると、その隣ではハンドタオルを頭に乗せた南がお嬢にピンで止めらていた。
うむ、出だしは好調。
それから私たちは、持ってるものを見せ合った。
スマホは電源は点くが、繋がらなかった。まぁ当然である。
北里先輩が、暑さでバッテリーが上がるから取りあえず電源を切っておこうと言ったのでみんな素直に従った。北里先輩は持っていたタブレットの電源も切ってた。
そして大事なのが水分と食料。夏だったので幸いみんなペッドボトル一本分は水分を持っていた。それぞれ大事に飲もうということになり、食料は食べかけのポテチに南ちゃんが、飴玉とグミにポッキー。お嬢さまが、塩分飴一袋。
「さすがお嬢さま。熱中症対策抜群」
「あんたは何で塩昆布なんて持ってんのよ」
「梅昆布が売り切れてた」
「そうじゃないでしょ」
「先輩、何でサバイバルナイフなんて持ってんすか〜!」
「ふふ」
「「こわっ」」
意味深に笑う北里に湊と西條は顔を引き攣らせた。
「で、これからどうするんすかぁ?」
そこである。これからどうするかが問題だ。
出したものをしまいながら、みんなの顔色が悪くなる。
どこまで続いているか分からない砂漠を闇雲に歩くのは自殺行為だ。さてどうしたものか、と空を仰げば憎たらしい太陽と目があった。
「砂漠ならオアシスとかあるんじゃないかな?」
ぽつりと零すように言った北里の言葉に空から視線を逸らすと、いつの間にか湊と同じように空を見上げていたみんなもハッとしたように北里を見た。
「オアシスか!いいな、それ!」
「どこにあるか分からないのに何が良いのよ!」
「あ、あの」
ふむ、オアシスか。
四人の会話に耳を傾けつつ、この世界の地図を頭の中で手繰り寄せる。
砂漠、砂漠かぁ、前に来た時は砂漠は行かなかったな。
魔王サマの奴が「暑いのは嫌いだ」なんてふざけたこと言うから雪山の方ばっかりだったんだよ。そうそう、雪山と真逆の方向に確か砂漠があったんだ。たしかセントラルの南側。あ、だったら星読みの森がある。酒屋で旅人が砂漠を越えて、森を越えて、川を渡って来たって言ってた気がする。
あぁ、どれもうろ覚えだけど、当てもなく歩くよりはましか。
「ねぇ」
声をかければ、みんなが湊を見ていた。
「誰かアナログ時計、持ってない?」
「僕のはデジタル」
「俺、スマホしかねぇ」
「私の針のやつです。ちょっと小さいですけど」
「大丈夫、貸してくれる?」
南ちゃんの花柄の可愛らしい華奢な腕時計を受け取る。時計の針を見て、空を見上げてと繰り返す湊を何をしているんだろうとみんなは首を傾げてる。
「あ、コンパスの代わりにするんだね」
「うん、先輩知ってますか?」
「うん、たしか短針を太陽に向けて、十二時との真ん中が南だった気がする」
「私もやったことないんですけど、まぁ、ないよりはましかなって」
「でも方角がわかったとして、どの方向に進むの?」
「うーん、北かな!」
明らかに勘であろう言い草にみんな呆気に取られた。西條お嬢さまに至っては文句を言いたそうにしていたが、日焼け止めやタオルの件もあり、口をつぐむことにしたらしい。
華奢な腕時計をコンパス代わりに、何処まで続くか分からない砂漠を、ようやく一歩踏み出したのだった。




