ミル
父と私が二人で暮らす生活に子猫が加わります。
父が車庫で猫が子猫を産んでいるようだ、私に言った。
猫好きな私はそーっと様子を見に行ったら、シャム系の白い子猫が三匹産まれていた。まだやっと目が開いたばかりのようで、見えてはいないようだった。
猫がギャオギャオと叫ぶ声で私は目を覚ました。子猫のうちの一匹が苦瓜を這わせるためにしていた緑色のネットに足を絡ませて逆さ吊りになっていたのだった。
私は父に頼んで絡んだネットを切って貰い、子猫を救出してホッとしていた。
一週間くらいした時のこと、父が親猫があの子猫の足を食い千切った、と私に言うので呆然としてしまった。父によると、「子猫の足は壊死していたのでは無いか」との事だった。
子猫は左脚の膝から下が無くなってしまっていた。なんとか捕まえて獣医さんのところに処置をしに連れて行った。彼女は、大人しくて甘えん坊な性格のようで、ずっと撫でてやったら私にすっかり懐いていた。
父にこの子だけは我が家で飼いたいとお願いをした。父は渋い顔をしていたが、「仕方がないな。お前が面倒をみると約束するならいいぞ」と、子猫を飼うことを許してくれた。
私はフランス語で千を意味する「ミル」と、その子猫に名前を付けた。
ミルの母猫や兄弟は、車庫から姿を消してしまっていた。私はまだミルクが必要だろうと、獣医さんをふたたび訪ねて、哺乳瓶と人工ミルクを買って、ミルクの与え方を習って来た。
ミルク作りは温度管理が難しく、量が少ない為にすぐに冷めてしまうから、慌てながら私はミルにミルクを与えた。ミルは最初は嫌がって飲まなかったけれど、哺乳瓶のゴム乳首の吸い方になれたら、ものすごい勢いでミルクを飲んだ。
獣医さんによるとミルは生後約二、三週間だと思うとのことだった。まだ前歯四本のみで牙は生えていなかった。
ミルクを飲んだ後もミルは私の指を舐めたり、吸い付いたりしていた。猫の舌特有のザラザラとした感覚がくすぐったかった。
膝に抱いて身体を撫でてあげると、ミルは喉を上げて「撫でて」とアピールしたり、身体全体を大きく伸ばして欠伸をした。そのまま私の膝の上で、ミルは寝てしまった。
ミルは左足の下の方の脚が欠けていたが、駆けっこも出来た。ゴム毬のように飛び跳ねていた。
ミルが鳴く度に、ミルクを与えていたせいか、ミルは身体つきがコロコロとして来た。毛艶も良くなり、私はミルに話し掛けながらブラッシングするのが楽しみの一つになっていた。
ミルはシャム猫の血を引いていて、顔や身体は真っ白だったけれど、耳と尻尾が淡い茶色だった。目は水色だった。
ミルは夜は私のベッドの上に寝ていた。眠たくなると私の寝室のドアの前で開けてとばかりに鳴いていた。ベッドに乗せて上げるとミルはいつも眠るポジションで丸くなって毛繕いをした後に寝ていた。私はミルが眠りにつくまで、いつも見守っていた。
早朝に私はミルに顔を軽く引っ掻かれて目を覚ましていた。「お腹が減ったのね」とミルを抱っこしてから、台所でミルクを作って与えていた。
それからまたミルとベッドに戻って、二度寝するのが常だった。
父が起きた気配で私は起きて、まだ寝ているミルを寝室に置いたまま、顔を洗い歯を磨いて、母の位牌に供花や水をあげて、「おはよう」と挨拶をしてから、父の朝ご飯とお弁当を作った。
父が出勤してから私も朝食をとって、洗濯をしながらゆっくり新聞を読んでから、今日の晩ご飯は何を作ろうかなぁと考えていると、ミルが起きて来て私に纏わりついて、みぃみぃと鳴いてまたミルクをねだるのだった。
ミルクを与えてから洗濯物を干して、庭いじりを少ししてから、私はミルとお昼寝をしていた。
お昼ご飯はミルを飼うようになる前は、食べに外に出ていたが、父のお弁当の残り物を軽く食べるだけになっていた。
洗い物をしているとミルは私の足にスリスリと身体を擦りつけて、私がズボンを履いている時には、生地に爪を引っかけてよじ登ったりしていた。
お昼ご飯を食べてから、珈琲を入れてから私は在宅でしている仕事に取り掛かった。私は自宅で生け花教室を開いていた。花屋さんと次回の教室の花材の打ち合わせをして、相談しながら花材を決めていた。
生徒さん達には火曜か水曜日の午前か午後に自宅に来て貰っていた。
私が自宅で教室を始めるに際しては、使って居なかった和室を使う事を父にお願いして、特別な自宅の改装はしていなかった。
生徒さんは、嫁入り修行をなされる若い方と、私の母と同世代の方達に分かれていたが、我ながら和やかな雰囲気の教室作りが出来ていたと思う。
生け終えた後に皆さんとお茶会をしていた。私の母と同世代の生徒さん達はお菓子やお漬物、おかずを差し入れて下さったりしていた。若い生徒さんは仕事帰りに遅い時間に来られるので、私が作った晩ご飯を一緒に食べたい後に花を教えていた。
生徒さん達のミルに対する関心は大きかったが、最初の頃ミルは人見知りして、生徒さんがいらっしゃる時には、ミルは隠れてしまっていた。後になってからようやく生徒さんに慣れて、出迎えやお見送りを私と一緒にするようになった。
ミルとの生活は穏やかだった。ミルは甘えたがりで、私から離れたがらず、私は家の外にはほとんど出ないで生活していたので、自宅に引きこもって生活していた。
食材を近くの商店街に買いに出たり、父と母の月命日にお墓参りをしに行く出掛けたり、私の花の先生から手伝いを頼まれる時くらいにしか家を空けなかった。
「ペットがいると、家を空けられなくなるね。旅行どうしようかな」と私は父に言った。「一緒に連れて行けばいい。ペット可の宿を探そう」と父が提案してくれた。
それから私はミルを車に慣れさせる事を始めた。まずは乗せてみた。ミルはしきりに車内の匂いを嗅いで、慣れてから車内を探索して回っていた。
次に近くまでミルとドライブをした。キャリーバッグは嫌がるので、ケージを買って後部座席に置いてミルを中に入れてドライブをした。ミルは最初は鳴いていたが、やがて外の様子を興味深気に見つめていた。
少しずつドライブする距離を私は伸ばして行った。ミルも慣れて来て、眠るようにまでなった。
ペット可の温泉宿を父が見付けてくれた。父の運転で私たちは宿へ向かった。宿に着いて中居さんらに迎えられ、和室の部屋の座椅子に腰を下ろして、「お疲れさま」と私は父に言った。お茶を二人で飲んで、ミルには餌と水を与えた。
温泉にはペット湯もあった。ミルは数回しか身体を洗ってあげた事が無かった。私はその浅い湯船にミルを浸からせてみたくなった。ミルは最初は暴れていたが、私が「大丈夫よ」と声を掛けながら、身体や頭を撫でてやっていたら落ち着いた。五分ほど湯船に浸からせて、「気持ち良かった?」とミルの身体を拭いてあげた。
すでにビールを飲み始めていた父にミルを任せて、私も離れに付いている桜の木々や竹に囲まれた露天風呂に入った。まだ外は明るくて、夜空はさぞや美しいだろうな、桜の時期にまた来たいな、と思いながら温泉を楽しんだ。
浴衣を着て離れの部屋に戻ると、中居さんがちょうど前菜を持って来られて、台に並べて置いていた。「いいお湯でした」と私は中居さんに用意していたポチ袋をお渡しした。
料理は山菜がメインの季節のものだった。ちょうど食べ終わるくらいに中居さんが出来立ての料理を一品一品運んでくださった。ミルを見て、「可愛い猫ちゃんですね」と仰られて嬉しく感じた。
父はこの辺りの地酒も頼んで手酌で飲んでいた。私はそれを一杯だけ貰ったが、一口、ふた口くちを付けただけで止めた。「お前は母さんに似たな」と父から「顔が真っ赤だぞ」とからかわれた。ミルは餌を食べた後に毛繕いをしてから、座布団の上で寝ていた。
離れの奥にも和室があり、お布団が並べて敷いてあった。父は軽く温泉に入って来る、と言って露天風呂へ向かった。ミルを座布団ごと抱き上げて私はお布団に入って、生け花教室の生徒さん達に何をお土産にしようかな、とその土地の名産品やお菓子が掲載された冊子を眺めていた。
父は部屋に戻って来て、窓の近くに置かれた椅子に腰掛けて、また地酒を飲んでいた。「久しぶりにお父さん飲んでるね」と私は起きて父の向かいの椅子に座ってお茶を飲んだ。「仕事の酒は酒じゃない。今日のような酒は格別に旨い」と父は言うのだった。「ありがとう。ミルを連れて来てくれて」と私は父に礼を言った。「お前の子どもだからな、ミルは。俺の孫だ」と父が茶化して言った。私たちは外の月明かりに照らされる庭を眺めながら、しばらく語り合っていた。
翌朝、ミルにいつものように起こされて、餌を与えてから私は庭園を散策した。木々の紅葉ぶりが素晴らしかった。裸足になって芝生の上を歩いて、その感触を楽しんだ。
朝食は父が起きてから頼む事にしていた。私は身支度を整えて、ミルの身体を撫でて「楽しかった?また来ようね」と話し掛けていた。
父が起きて、ミルは父の脚に擦り寄って「撫でて」とアピールしていた。普段ミルが見せない行動に父も私も驚いていた。
丁寧に作られたと分かる朝食をゆっくり食べてから、父も身支度を整えて私たちは宿を出た。お土産はロビーに隣接してあったお土産コーナーで買い求めた。私自身へのお土産に帯留めを眺めていたら、父が「これがいい」と買ってくれた。
帰りの道中はスムーズで、お昼過ぎには自宅に私たちは着いた。ミルは走ってトイレに行った。あらあら我慢させちゃったかな、と私は申し訳なく思った。
「まだお腹空かないね。朝ご飯がたっぷりだった」と私は父に言った。父は「休んで来る」と父の寝室に入った。
私は家中の窓を開けて空気の入れ替えをしてから、二人分の荷ほどきをして洗濯をした。ミルが鳴くので餌をあげてみたが、食べない。ミルはその内悲鳴のような声を上げだして、痙攣して身体を大きく震わせて、口を大きく開けて胃液を吐くのを繰り返した。
私は恐慌状態にして陥りながらも、ミルが舌を噛んだらいけないと、口の中に指を差し入れた。ミルの牙が人差し指と中指になって刺さって血が流れた。ミルの発作が落ち着いて来てから、私は父に書き置きを残して獣医さんにミルを連れて行った。
ミルは脚の怪我をした時の雑菌が脳を犯しているかも知れません、と診断を受けて、右足の毛を剃られて抗生物質入りの点滴を受けた。「取り敢えず様子を見ましょう」と先生は仰られて、「ミルは一晩預かります」と仰られた。
私は待合室で、ぼうっとしていた。するといつの間に来ていたのか、父が私の横に座って「大丈夫か」と言った。「分からない」と私は下を向いて組んだ指に力を入れた。
翌日、獣医さんの医院が開く時間に私は訪ねて行った。ミルは私の姿を見ると飛び起きて鳴いていた。「ミルちゃん、頑張りましたよ、退院です」とスタッフさんに言われて私は涙を零した。
ミルを抱っこして、「頑張ったねぇ、偉かったねぇ」と声を掛けた。
ミルは自宅に戻ってから、自分のトイレに走りオシッコをまずした。そして、鳴いて餌をねだった。すっかり元気になっている様子のミルに安心して、私は肩に入っていた力が抜けて眠たくなってしまった。ミルとお昼寝をしていたら、携帯が鳴る音で私は目を覚ました。父だった。「ミルは」と尋ねる父に「もう大丈夫みたい」と私は欠伸をこらえながら答えた。父は仕事の帰りにミルの好物の餌をたくさん買って来てくれた。
ミルが我が家に来て、私の世界は色鮮やかになったように思う。ミルが鳴いて私を呼ぶ声がするだけで、私は微笑んでしまう。母がミルを我が家に導いてくれたのかな、と内心感じている。
そんなミルと私のお話でした。
物語の締め方が分からなくなりながら書きました。これでは、連載が増えてしまう!と焦りました。強引に終わりました。。。
また猫の話ですいませんm(_ _)m
お付き合いくださり、ありがとうございます。