ラブレターはいらない
花瓶の乗った机を尻目に、ペンを持ち、紙の上に滑らせる。
手紙を書いてみた。
君への想いとか、つまり、ラブレター。
どうせ出せるわけもないと自嘲気味に笑い、丁寧に山折り谷折り付けていく。
爪で擦るように折り目を付けて出来上がった紙飛行機は、折り目正しく先端が鋭利。
夕焼け色に染まった教室で一人、冷静になると何をしているんだろうとも思い、やはり自嘲気味な笑みが落ちる。
そのまま窓を開ければ、日が沈むにつれて冷えた風が頬を撫でていく。
カサリと乾いた音を立てたのは紙飛行機で、俺はそれを勢い良く飛ばす。
俺の指から離れて、夕日に向かって飛ぶ紙飛行機は、風に合わせて左右に揺れる。
不規則な軌道を描いて飛んでいくそれを見る俺は、気怠くなって窓枠に肘を置く。
『あなたが幸せになりますように』
手紙なんてめったに書かないから、と丁寧に連ねた文字を思い出す。
『そして、あなたを永遠に忘れられない誰かのことは、どうか』
かつて借りた本に記されていた言葉だ。
本の虫たる彼女からすれば、過去に読んだうちの一冊で、俺にとっては唯一無二の一冊。
夕日の奥に、その彼女を見た。
長く黒い髪をサイドに結わえ、大きな癖がアクセントになった女の子。
真っ黒な瞳は光を宿さないのに、決して淀むことがなく透き通っていた。
華奢な体付きに、細い指先に出来上がった歪なペンだこが印象的で、俺はもうずっと彼女を待っている。
抑揚のない、それでいて澄んだ声で俺を呼ぶ。
『崎代くん』嫌だ。
『崎代くん』忘れないで。
『崎代くん』行かないで。
『崎代くん』……逝かないで。
***
「起きろ」
スパンッ、とよく乾きよく響く音。
重い瞼を持ち上げ、無理矢理覚醒させられた頭を回して状況を確認した。
体を起こして見上げた先には、形のいい眉を歪めた女の子がいる。
「起きた?起きたね」
振り下ろされていたのは、薄っぺらいノートらしくフンと鼻を鳴らしたその子は、俺が起きたことを確認してノートを仕舞う。
長く黒い髪がサイドに結えられ、動きに合わせてふわふわと揺れた。
全く、と言わんばかりに細められた目は、黒く塗り潰されたようで、それでいて、それなのに淀みなく透き通る。
「崎代くんってあれだね。意外と寝汚いんだね」
溜息混じりに吐き出される言葉は、感情の乗りがいまいちで真意が読み取りにくい。
今のは皮肉、なんだろうけれど、それでも風鈴を思わせる涼やかな響きを持つ。
置きっ放しだった俺の眼鏡を持ち上げる指には、違和感とも言えるペンだこがあった。
それも右手薬指で、ペンの持ち方に癖があるような場所。
「……ねぇ、大丈夫?生きてる?まだ寝てるの?」
いい加減反応を示さない俺を不審に思ったのか、目の前で手を振られる。
前髪を掻き上げられ、ついでに、というように眼鏡を掛けさせてくれた。
長い前髪の隙間から覗く黒目は、怪訝そうな色を乗せている。
「作ちゃん」彼女の名前を呼ぶ。
細い首を傾げた彼女に「作ちゃん」手を伸ばす。
触れた手は思いの外体温が高くて「作ちゃん」確かにそこにいる。
「作ちゃん」ペンだこを指でなぞるように触れれば、嫌そうに指先が小さく動いた。
「作ちゃん、生きてる」
「えぇ……何なの君。気持ち悪いよ」
手を握った俺に顔を歪めた作ちゃんは、今日一番の表情の変化と声の抑揚を見せた。
決して好意的な顔と声ではないものの、俺は細く息を吐いて手を強く握る。
華奢な指先は、少し力を込めただけでポキリと音を立てそうだ。
横目に見る机の上は何も乗っておらず綺麗で、俺は手紙なんて書いていない。
俺の机の上にあるのは一冊の本で、それも紙のカバーが掛けられており、タイトルは確認出来なかった。
でも、俺はそれを知っている。
手を握ったままの作ちゃんにそれを差し出せば、作ちゃんは嗚呼と短く頷いて片手でその本を受け取った。
本を鞄に入れたい様子だが、俺が手を離さないことには動けない。
作ちゃんが細めた黒目を俺に向ける。
「ねぇ、本当、何?」
「……作ちゃん」
「だから何」
「いかないでね」
握った手を左右に揺らす。
されるがままになっている作ちゃんは、一体何のことだと言いたげに眉を寄せた。
眉間に刻まれた数本のシワを見る俺は、曖昧な笑顔を作ちゃんに向ける。
「?一緒に帰りたいって言うから、迎えに来たのに何で置いて帰るの?」
心底分からないと言いたげに前髪を揺らし、首を傾ける作ちゃんを、俺はそれでいいと思う。
「……うん、そうだね。一緒に帰ろう、作ちゃん」
そう言って指先を絡めれば、本を鞄に入れたいと抗議の声が発せられる。
仕方なく離したものの、本を入れた後は再度手を繋ぎ、指を絡めるも文句は言われない。
夕焼け色に染まった廊下に伸びる、俺達二人分の影を見て、俺は渡せないラブレターなんて書きたくないなぁ、と思った。