「ムー・ペトリのアルバイト」<エンドリア物語外伝6>
「ボクしゃん、アルバイトしたいでしゅ」
晴れた冬の朝、何の前触れもなく、ムーが突然言い出した。
「どうかしたのか?」
「お金しゃん、ないしゅ」
従業員として働いているシュデルには給料を渡しているが、ムーには現金を渡したことはない。
本業以外の依頼を引き受けることもあるが、こちらは本業よりも金にならないから、ムーの収入はゼロに等しい。
とはいえ、ムーはペトリの家とスウィンデルズ家から、それなり額の小遣いをもらっていたはずだ。
「何に使ったんだ?」
「これ、しゅ」
ムーの手に乗っていたのは、ピンクのカップケーキ。
「商店街で話題のマルコ洋菓子店の新作ケーキだよな。これがどうかしたのか?」
「すごーく、おいしいっしゅ」
うっとりと言うムー。
目がとろんとしている。
これにはまって、使い果たしたらしい。
「アルバイトをするのは構わないが、何をするんだ?桃海亭は人が足りているぞ」
「スウィンデルズの爺が、古文書を解読して欲しい、言ってましゅ。1枚につき、金貨10枚しゅ」
金貨10枚。
法外な価格だが、スウィンデルズの爺さんのことだ。真の目的は古文書の解読ではなく、ムーにお小遣いをやることなんだろう。
「わかった。爺さんに迷惑をかけない程度にやれよ」
「はい、しゅ」
ムーが神妙な顔でうなずいた。
スウィンデルズの爺さんがやってきたのは、それから10日後だった。
爺さんはムーの失踪を機に、一族の長を引退した。隠居生活で暇になるのかと思ったら、前より忙しくなったらしい。
この間来たとき、宮仕えはつらいとこぼしていた。
「ムーは、いるかの?」
扉を開けながら、声をかけてきた。
丸めた古い巻物を、4、5本右腕に抱えている。
「ムーなら、2階に…」
「うわっ!」
オレの隣にいたシュデルが叫んだ。
「どうした!?」
「て、店長、大変です」
わたわたと震える指で、爺さんをさした。
「ワシがどうかしたか?」
「巻物、あれ、禁呪、禁呪です」
「禁呪だって!」
魔術師には研究好きが多い。せっせと色々な研究する。
そうして、できた新しい魔法は人の世に役に立つ場合もあるが、この世に出してはいけないような、問題魔法もある。
それが禁呪と呼ばれる危険魔法だ。
危険な魔法であるとわかった時点で、その地域の魔法協会が保管場所に封印する。
「シュデルちゃんには、隠せないのう」と、うわははっと笑うスウィンデルズの爺さん。
爺さんの言葉に、シュデルが目をつり上げた。
「ちゃん付けは止めてくださいと、何度も言っています」
「そう、言われても、大国の皇子様を呼び捨てにはできん」
「僕に敬称はいりません」
「呼び捨ては、わしがしたくない」
「では、君でお願いします」
「しかしのう、アデレード様にそっくりの顔じゃからのう」
後で知ったのだが、爺さん、シュデルの母親を知っていた。「えらい別嬪さんだった」らしい。
「それは敬称とは関係ありません」
キリッと言い返したシュデル。
スウィンデルズの爺さんは、腹を抱えて笑っている。
世間ずれしていないシュデルは、桃海亭にくる奴らにおもちゃにされる。
スウィンデルズの爺さんはまだいい方だ。賢者カウフマンは、水晶の魔法鏡に集めた美女ヌードコレクションを無理矢理見せて遊んでいた。
そろそろ間に入ろうか考えていると、2階から足音が降りてきた。
ムーが眠そうな目で、店内に入ってくる。
「ムー、ここに置いておくからの」
「はい、しゅ」
「寒くなってきた、身体に気をつけての」
さて、忙しい、忙しいと出ていこうとした、爺さんをオレは慌てて呼び止めた。
「おい、待てよ。そいつは、もって帰ってくれ」
禁呪の巻物などゴメンだ。
聞こえていたはずなのに、爺さんはオレを無視して出ていった。
「待てよ、爺さん!」
追いかけたオレは、扉を開いたとたん、強風にあおられた。
渦巻く風の向こうには、飛竜に乗った爺さん。爺さんはオレに向かって手を振ると、見る見る遠ざかっていった。
「おーい、戻ってこーい!」
オレの必死の呼び声は、商店街の空にむなしく散っていった。
「返してこい。今すぐ、速攻でだ」
禁呪の巻物は、全部で5本。
シュデルによると、記憶のついているのが2本。どちらも開発した魔術師のもので、1本が人を退化させる魔法、もう1本は水を瞬時に沸騰させる魔法。
水を沸騰させられるなら便利な魔法じゃないかと言ったオレに、シュデルは禁呪に指定された理由を開発した魔術師の記憶に聞いてくれた。
少ない魔力で大量の水を沸騰できるので、海や川にかける者がでないように封印されたらしい。
「返したら、アルバイトできない、しゅ」
「アルバイトは中止だ」
「でも、解析しないと爺、困りましゅ」
困るかもしれない。
だが、桃海亭を守るためには、禁呪などという怪しげなものを置くわけいかない。
ここはスウィンデルズの爺さんに諦めてもらおう。
「それでもいいから、返してこい」
「爺の持ってきた巻物しゅ。そんなに危ない魔法はないしゅ」
ムーの言い分も一理ある。
厳重な封印が必要な危険な禁呪は、可愛い孫のところには持ってはこないだろう。シュデルが調べてくれた巻物も危険性は低かった。
「終われば金貨50枚しゅ」
金貨50枚。
桃海亭の年間収入を越える金額だ。
だが、今回はムーの収入で桃海亭には関係ない。
「わかった。だが、条件がある。
解読は今日中に終わらせろ」
「はい、しゅ」
「それから」
ムーの前に、掌をだす。
「この店を危険にさらす保険代として金貨40枚を支払ってもらおう」
ムーの顔がビキッとひきつった
金貨は後払い、ということで、ムーは巻物の解読にかかった。
「2階でやってください」
シュデルの再三の頼みを無視して、店の片隅で巻物を読んでいる。
残り3本のうち、2本はすぐに解読した。どんぐりの超巨大化とぶどう酒をワインビネガーにしてしまうという、迷惑だが危険度の低い呪文だった。
「…わからないしゅ」
ムーが床につっぷした。
「お前でも読めない言語があるのか?」
「ありましゅ。でも、これはそうじゃありまっしぇん」
開いた巻物をオレに見せる。
<ラブ&ピース>
字の下に、崩れたハートみたいなのが線画で書かれている。
「魔力がこめられているのはわかりましゅ。でも、発動条件がさっぱりしゅ」
「このハートみたいなのが、条件なんじゃないか?」
「その絵に魔力を流してみましゅたが、なんーもおこないしゅ」
オレとムーが巻物をのぞきこんでいると、シュデルが割り込んできた。
「魔力で筋状にして描いたものを、はめ込んでみたらどうですか?」
「魔力で絵が描けるのか?」と聞いたオレとは違い、ムーは「おぉ、その手があったしゅ」と、大声をあげた。
「魔力の多い人にしかできないですが、魔力を圧縮して視認できるようにすることはできます。
こんな感じです」
シュデルの指先に、小さな丸い球が浮かんだ。乳白色に近いそれは、すぐに消えた。
「魔力がこんな色をしているとは知らなかったぜ」
感嘆しているオレの目の前に、ムーが左手のひろげた。
「色は勝手に決められるんでしゅ」
5本の指に、赤、青、黄、白、黒の球体が乗る。
シュデルへの対抗心、見え見えだ。
青ざめたシュデルが、ムーの肩をつかむ。
「だめです!そんなに魔力を消費しては!」
「だいじょうぶしゅ!」
「でも…」
シュデルの様子からすると、問題ありだろう。
「おい、消せよ」
「ちぃ、しゅ」
渋々、ムーが指先の球体を消した。
シュデルが胸をなでおろしている。
「あの球体、まずいのか?」
「はい、あれだけの魔力を体外に出すのは、色々な意味で危険です」
「なにが危険なんだ?」
「圧縮している間、維持する魔力だけでも大量に必要ですので、一時的に魔力不足になる危険があります」
「ムーでもか?」
「はい。それと、店長には5つの玉にしか見えなかったと思いますが、あれは膨大な魔力の塊です。もし、あの玉に炎系の魔法を乗せて発動させたら、このニダウが消し炭になります」
消し炭。
火の海でも、業火の町でなく、消し炭。
「……ムー」
「はい、しゅ」
「いいわけがあるなら聞いてやる」
「ぼくしゃん、悪くないしゅ」
「それだけか?」
「先にやったのシュデルしゅ」
たしかに、シュデルも球体をつくっていた。
そこで、オレはある疑問に突き当たった。
「おい、もしかして、シュデルも魔力が多い方なのか?」
「ええとです、ね」
シュデルは困ったような顔で、もじもじしている。
代わりに答えたのはムー。
「少ない、しゅ」
「本当か?」
「本当しゅ、スウィンデルズの爺より、ちょっぴり、少ないしゅ」
ムーの頭に拳を落とした。
「多い方じゃないか!」
スウィンデルズの爺さんは、賢者と呼ばれている。それとほぼ同等となると、魔力の量は、トップクラスだろう。
「でも、でもしゅ」
恥ずかしそうにしているシュデルを、ムーが指さす。
「こいつは、骨と腐った死体しか動かせないしゅ」
シュデルが、ガクリと肩を落とした。背後に落ちこみオーラが、ゆらめいている。
ネクロマンサーだから仕方ないと思うのだが、指摘されるのはキツいらしい。
「そういう時は、スケルトンとゾンビと言うんじゃよ」
ペトリの爺さんが、オレの肩越しにムーをたしなめた。
この爺さん、農業従事者なのに盗賊なみの身の軽さを持っている。
扉を開けるのも、歩くのも、無音でできる。
「爺さん、頼むから、音を立ててくれ」
いたずら好きの爺さんは、最近はわざと音を消して現れる。
「今日はアケビを持ってきたんじゃ。シュデルは食べるのは初めてじゃろう」
手に提げた駕籠から、アケビをひとつ取り出す。
オレのことは、完全無視。
昔、といっても、1年と少し前、オレとムーが塔に幽閉されたことがあった。その時、ムーにイガゲラの実の食えと言ったことがあった。イガゲラの実には非常にうまいのだが、魔力のある者は食えない。それから、爺さんはオレとは必要最低限のことしか話さない。
そのことに腹を立てているのだと思っていたが、最近、違うことに気がついた。
オレに冷たくなったきっかけは、イガゲラの実だったが、今冷たいのは、ムーがオレの店に住んでいるからだ。
爺さんはペトリの家で、ムーと一緒に暮らしたいらしい。ようするに、ただの八つ当たりだ。
差し出されたアケビを、シュデルがうれしそうに受け取った。
「これがアケビですか。僕、みるのも初めてです。ペトリさん、いつもありがとうございます」
うんうん、と、爺さん、笑顔でうなずいている。
礼儀正しいシュデルは、ペトリ爺さんのお気に入りだ。
「ボクしゃんも、食べるしゅ」
差し出された手にアケビを渡そうとした爺さんは、逆の手に持っていた巻物に目を留めた。
「ムー、そりゃ、なんじゃ?」
「アルバイトしゅ」
「アルバイト?」
「この巻物が何の魔法か、調べるしゅ」
「何の魔法だったんじゃ?」
「こうすると、発動するかも、しゅ」
人差し指を立てると、空中にハートを描いた。指の軌跡は光の筋にで残っており、巻物の不器用なハートとほぼ同じだった。
「これを、これに、入れてみるしゅ」
光のハートを巻物のハートにあわせた。
まぶしいほどの光が、ハートから溢れた。
「ムー!」
「なんじゃ?」
「わぁ!」
「ほえ?」
光はすぐに消えた。だが、あとに残ったものがあった。
「パンパカパーン。
ボクはこの魔法ラブ&ピースの精。
これから君たちを愛の世界に導くよ」
天使、に似ている。
赤ん坊に羽をはやした、エンジェルと呼ばれているものに、よく似た形状だ。
ラブ&ピースの精は、オレ達の頭上でくるりと一回転すると、早口で話を続けた。
「ボクがこれから素敵なことを教えてあげる。
聞きたい?
聞きたいだろ?
ボクが教えてあげるのは、君たちが今日から1年の間に異性からどれだけ愛されるからだよ。
未来のことがわかるんだ、素敵だろ。
ハートが1つにつき、1人。
家族愛とか、友情なんかは入らない。
純粋に恋愛対象としての、愛だからね。
そこの君、ハートをたくさん期待しているかい?
たくさんあたったら、ハーレムを作ろうか、なんて思っている?
ダメ、ダメ。
ボクが現れたのは、そんなことの為じゃない。
もし、君に好きは人がいて、その人も君を思っている、ような気がする。
そんな時の為、ボクがいるんだ。
君にハートが届いたら、それが君の好きな人のハートかもしれない。
さあ、勇気を出して、愛を告白してみよよう。
君の願いは、君の手でつかみとるんだ」
清々しい笑顔で言い終えた天使は、ポンと音をたてて消えた。
天使が消えたのが合図だったのか、巻物からピンクの煙がでてきた。その間にハートがふわふわと浮かんでいる。
これが天使の言っていた、愛されているハートなんだなと、思っているうちに、煙も消えた。
「こりゃ、また、変わった魔法じゃなあ」
ペトリの爺さんが自分の頭上に浮かんだピンクのハートを指で突っついた。
ふわふわと浮かんでいるハートは3つ。
1つは奥さんとして、あとの2つは…。
ペトリ家の平和を考え、見なかったことにする。
「可愛い魔法なのに、なぜ、禁呪なんでしょう」
首をかしげたシュデル。
頭上には10数個のハートは浮いている。
ムーは巻物をクルクルと丸めると、他の巻物を一緒に置いた。
目が据わって、頬が膨らんでいる。
ムーの頭上にハートはない。
オレの頭上にもハートはない。
「こんなの、ポイポイ捨てちゃえの禁呪でしゅ」
オレも強くうなずいた。
好きになってもらえる人の数がわかる魔法。
もし、ハートが1個も浮かなければ、1年間、異性に好きになってもらえない。
恋人できません宣言。
希望より、絶望をばらまくだけだ。
「アルバイトしたいしゅ」
金貨を受け取った翌日、ムーがまた言った。
「また、巻物の解読をするのか?」
「違いましゅ」
ずいと差し出したのは、一枚の紙。
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アルバイト募集
ロマン洋菓子店、
仕事内容 販売
時間 9時~15時
時給 10銅貨
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目的は見え見えだが、別に反対する理由もない。
「いいんじゃないか」
オレの許可を得たムーは、面接に行き、無事採用された。
真面目に働いて、バイト代をすべてケーキに変えて持って帰ってくる。
通常のムーからは考えられないが、幼児語まで封印して、頑張っていた。
が、5日目でアルバイトは突然終わりを告げた。
「そう、しょげるなよ、ムー」
「ボクしゃんのせいでしゅ」
ムーにはルブスク魔法協会の監視がついている。常時ではないが、危険魔術師ということで、時々ムーの動向をチェックしているらしい。
「まさか、あの優しいロマン洋菓子店の店長が指名犯だとは思わないだろ」
このニダウに来る10年以上前、シェフォビス共和国で強盗を働いていたらしい。時効直前、ムー動向をチェックしに魔法協会の調査員に気づかれたらしい。
「ケーキさん、食べられなくなったしゅ」
店長が捕まったことよりも、カップケーキが食べられなくなったことが、ショックだったらしい。
相当なショックだったようで、ムーは大好きな古文書や石版も読まずに、店の隅にうずくまっていた。
数日後、オレが買い出しから店に帰ると、食堂のテーブルに山積みになったカップケーキが置かれていた。
椅子に座ったムーが、口一杯に頬張っている。
「おい、どうしたんだ、これ?」
どこから、どうみても、ロマン洋菓子店のカップケーキだ。
だが、このケーキを作れるロマン洋菓子店の店長は、今頃シェフォビス共和国の牢屋にいるはずだ。
「貰ったしゅ」
「誰から?」
「秘密しゅ」
いやな予感がした。
「ただで、貰ったのか?」
「違いましゅ、報酬でしゅ」
報酬。
オレの想像が当たっているような気がする。
聞きたくない気持ちと聞いておいたほうが良いという気持ちがせめぎあったが、聞いておいた方がいいという気持ちが勝った。
「何の報酬だ?」
「お外までの道案内しゅ」
その後、満面の笑みで言った。
「アルバイト、しゅ!」
翌日、オレの通報でムーは捕まった。
罪名、脱獄幇助。
すぐに解放されたが、たっぷりとお説教を食らったらしい。
店に戻ったムーは、開口一番に言った。
「アルバイトは、もう、いいっしゅ」