私の思い……分かったありがとう
「Congratulationsだって?」
老紳士の放った一言に私は呆然と立ち尽く。
「ふざけるな!!」
ニコニコと拍手しながらそう言った彼に私は怒りのあまりに怒鳴り声を上げる。
さらに彼は続けてにこやかにこう言った。
「何をそんなに怒鳴っている? 君は様々な試練を乗り越えてここへたどりついたのだぞ?」
「あれだけ死人を出しておいて何が”Congratulations”だ! それに古都さんを何処へやったんだ!」
私の怒りの声に老紳士は口元に蓄えた髭を弄りながらヤレヤレと言う態度で話し始めた。
「彼女は”先”に出てもらったよ。そんなことよりも突っ立てないで座ったらどうだい?、席は空いている」
彼は私を手招きする様にテーブルの椅子の1つを指差し、私は警戒しながらもその椅子へ近づいた。
椅子に近づき何か仕掛けが無いか、ジロジロ観察する私に老紳士は小さく”ふふっ”っと笑う。
「大丈夫じゃよ。 何も仕掛けておりはせんよ。 私は君を陥れると言うよりも祝しているのだから」
「……」
老紳士の言葉に不信感を抱きながらも私はそっと椅子を引いて彼の対面の席に着く。
「何飲むかね?」
老紳士が指をパチンと鳴らすと、テーブルの上が一瞬だけ光ってティーポットと二つのカップが現れた。
出現したポットを彼は取って、テーブルの上にあるカップへ注ぎ、カップの一つを私の前に差し出した。
私がカップを受け取って中身を見ると、芳醇な香りが漂う赤茶色の紅茶が入っていた。
だが私はすぐに口は付けずに毒などが入っていないかジッと観察していると、その様子を見ていた老紳士が自身の前にあるティーカップを取って声を掛ける。
「安心しなさい。 毒など入っていない。 うむ、いい香りだ」
彼は紅茶の香りを楽しんだ後、一啜り紅茶を飲んで見せ、ニコリ笑う。
その姿を見た私は恐る恐る紅茶を口へ運んだ。
一口飲むと口の中で紅茶の香りと味が一気に広がる。
普段淳子姉の所でスーパーの特売で売っているコーヒーと彼女がたまに何処かから買ってくる安い紅茶を飲んでいる私にでも、今飲んでいるこれは相当上質な物だと分かる。
「この日の為に取ってい置いたんだよ。 では――」
老紳士は持っているカップをテーブルの上に置くと、私の顔をジッと見る。
「橋の上での質問の答えを聞こうか?」
私は陸軍港に入る少し前、藤堂さんに起動橋の操作をお願いしている時に彼に私の推測を言いかけていたのを思い出した。
「あの時までは私はこれで時間を遡行して過去へと飛んでしまった思っていた」
私は自分のボロボロになったメイド服の左ポケットから銀色の鍵をテーブルの上に置く。
「けれどそれは間違っていた。 これは”ただの鍵”で魔道具でも何でもない。 だからここに来てしまったのは別の要因だと思ったんだ」
「……それは?」
老紳士の問いに私は一呼吸おいて答えた。
「ここは”本の中”だ」
「なぜそう思うのだね?」
「最初に不思議に思ったのは、時間遡行系の魔道具は私の魔力を莫大に奪うはずなのに、私はすぐに動けたこと。 それと使用者の意思とは別に発動したことだ」
「それで?」
老紳士は私の話を聞きながらテーブルに置いたカップを手に取って一口飲む。
「橋の前でも話をしたと思うけど、まるで私をサポートする様に現れる老紳士の存在だ。 私が窮地や困難がある時は必ず現れて道を示す。 まるで主人公を助ける様に……。そこで私は思ったんだ。 まるで小説のような物語が進むようだと」
「ほぅ……」
「そして物語の進行に不具合や予定外なことが起きると、まるでテープを巻き戻すようにしてもう一度進行させてスケジュールを消化させる。 だから最初に私が死食鬼にやられそうになった時や、古都さんの勤め先でカップを落とした時に遡行が発生した」
「……なるほど、では君は私がこの物語を完結させるのが目的だと……そう言うのだね?」
「そうだ。 私は新聞部の真帆が高橋先輩から預かった本を読んだことで意識を失った。 古都さんの新聞社の先輩である藤堂さんも私と同じように気が付いたらこの世界にいたと言っていた。 南雲中尉も同じ理由だろう。 彼らの話から私はこの世界が過去の現実ではなく、過去を模した幻想だと確信したんだ」
私の言葉を聞いて老紳士は小さく笑い再び私の話を聞き始める。
「私がここへ来たことによって物語がスタートし、南雲中尉や藤堂さん、古都さん達はスケジュールによって各役を始めたのだろう。 ただ分からないのは、なぜ私よりも先に来ているはずの南雲中尉や藤堂さん達で物語が完結しなかったということだ。 彼らなら私よりも明確な理由があり、物語を完結させるのに適役だと思っていたのだけれど?」
「……彼らもまた主人公だったのだよ」
老紳士は少し悲しそうな表情を浮かべて私の方を見て続けてこう話した。
「あの南雲や藤堂という若者も、彼らを中心に話を進めていたのだが、南雲は己の信念の為に、藤堂は復讐の為に役割を無視して動き始めてしまった。 そうなってしまえば私はどうすることもできない……」
「できない? そんなことはないだろう? あなたは私が物語と違った行動を取った時に時間を戻したり、誘導したりしていたじゃないか?」
私の問いに彼は”ふぅ”と小さくため息を付いた。
「そうだ。 私が物語のスケジュールに戻そうとすると、彼は決まってスケジュールと違う行動を取り続けた。 私は助手で有って、作者ではない。 物語の進行を変えることはできない。その度に私は物語を止めて、新しい主人公がこの世界へ来るの待った……。
そして女給、いや須藤女子、あなたが現れ物語を完結してくれた」
「後、もう一つ聞きたいことがある。 私が手に取ったのはもしかして魔術書なのか?」
この質問を老紳士に投げかけたのは、魔術師として思うところがあったからだ。
本来、魔術書とは強力な魔術を封印もしくは記したもので、例え効力が低いものでも少なからず魔力を纏っているからだ。 前回の泥人形使いの時にまだ魔術がうまく使えない望月君ならいざ知らず、それなりに経験を積んだ私がこれほどの世界を形成するほどの魔術書を見抜けないわけがない。
私の質問に老紳士は少し間を置き答えた。
「いやこの本……いや私を制作したのは作者が、執筆していた小説だよ」
「では貴方はこの本その物と言うこと?」
老紳士は私の質問にコクリと頷いた。
「そうだな……私のことは”本の精霊”など思ってくれていいよ。 私自身もそれは自覚している」
「……それでその作者は?」
続けてした私の問いに老紳士は視線をテーブルに落として少し顔を下げる。
「作者は、すでにこの世にいない。 創作意欲が旺盛な青年だった……。 何度、何度も物語を書き直し彼はみんなが感動できるストーリーを作りたいと願い、私に書き続けた……が、それも叶わなかった。 作者が二十歳の時に戦争が始まり、彼は私を置いて戦地へと赴いた。 そして帰って来なかった」
老紳士は飲んでいた紅茶のカップをテーブルに置いて俯いていた顔を上げて私の顔を見た。
「残された私は人や古書店を盥回しにされ、東洋の軍人の手に渡った」
「それが…南雲中尉?」
老紳士は私の問いにコクンと頷いて話し続けた。
「彼は祖国への土産だと言っていたよ。 私を手に取った彼を待っていたのは、彼が滞在している国の敗北と祖国の作戦中止命令だった」
「それを聞いたから南雲中尉は特派員を殺し、藤堂さん達が向かったわけか。 しかし作戦中止が出ているのになぜ彼はそれを強行しようとしたんだ?」
「私も分からないよ。 分かることは私を握って港へ向かう彼の表情からは激しい怒りを感じたよ。 ところで御代わりは?」
その本の精霊と名乗った老紳士は、私が手に持っているカップを見てそう言った。
私がカップを見ると中は空になっている。
「…いただく」
そう答えると、彼は私からカップを受け取り、ポットから紅茶を注いで私の前へ置く。
「それで話の続きは?」
置かれた紅茶を一啜りした後、老紳士に話の続きを訪ねた。
「ふむ、そうじゃな。 南雲が潜水艦に乗り込んでからが壮絶じゃった。 日数が立ち、敵国の爆雷や戦艦を回避ながら祖国へ向かう彼の精神はだんだんと不安定になっていった。 恐らく自分でも分かっていたのだろう。 国帰っても同志殺しで銃殺か、それともこのまま敵の爆弾で海の藻屑と成るか……。 そして船員たちの念願である祖国の大陸が見えた時に彼は狂気に走った。 南雲は私と一緒に持ち込んだバックからある物を取り出して潜水艦の自室を出て行った。 扉の向こうからは銃声と罵声、悲鳴が響き渡った」
「死食鬼粉……」
「そうじゃ」
老紳士はそう答えてカップから紅茶を一啜りすると、”コトン”と音を立ててテーブルの上にカップを置いた。
「戻ってきた彼は全身返り血で白かった軍服を赤く染めた姿で戻ってきた。 そして自室にある机の引き出しから万年筆で私のページに殴り書いた”仲間の命大海に燃ゆが、我は使命果たすまで死ぬことなかれ”と……」
「じゃあ、南雲中尉は貴方に遺書ならぬ、決意文を書いたと? 仲間の命を犠牲にして? 無茶苦茶だ」
「君の言うとおり無茶苦茶じゃ。 その後、彼は私と鞄を持って死屍累々の船内を掻い潜り、機関室の下の隠し扉に入って、当時の最新技術だった潜水服を着て艦内を脱出した」
「そうか。 艦内を脱出した南雲中尉は日本に潜伏して、自分を捕まえようとした人間を知って藤堂さん達を襲って、自分で書いた本の文字を読んでこの世界へ入ったと言うわけか?」
私の問いに老紳士は頷く。
「概ね君のいうお通りじゃな。 この世界へ来た南雲を私は主人公としたが、結果はさっき話した通りじゃ。 もちろんその後に来た藤堂と言う青年もな。 じゃが君は違った。 君は私が用意した物語通りに事を進んでくれ、ここへたどり着いた」
ニコニコと満足そうな笑顔見せる老紳士が紅茶を口へ運ぼうとした時に、私はこの物語にある矛盾があることに気づいた。
「けれど、作者が思い描いた”end”じゃない」
老紳士は私の言葉を聞き口元へ運んでいたカップが止まる。
「貴方に記そうとした物語は誰もが幸せで終われる”ハッピーエンド”のはずだ。 藤堂さんや菊恵さん、氷室博士、千倉さん、朝倉教授……みんな死んでしまった。 こんなものが、こんな物語が貴方に書こうとした作者の物語なのか?」
私の言葉に老紳士は視線を落とす。
「貴方は物語の進行を優先して、本来あるはずだった物語を無視したんだ。 右も左も死人だからけで魂の籠っていない駄作など誰が読むんだ?」
「……」
私がそう投げかけると老紳士はしばらく黙り込んだ。
みんな死んでしまった。
この世界で死ぬと言うことはおそらくだが、現実世界でも同じ死が彼らを待っている。
物語を完結させたからと言って、これじゃあ何にもならないじゃないか。
しばらく経ち、老紳士は”ふう”小さくため息を付いて、その口を開けた。
「まったくその通りじゃな。 私はただ彼が描く小説を物語を見たかったんじゃよ。けどそれは私の傲りだったようだ」
「最後に一つ聞きたい」
私はメイド服のポケットから銀色の鍵を取り出してテーブルの上に置いた。
「結局はこの鍵は何なんだ?」
「これはただ単にミスリードをさせる為に作った道具じゃよ。 君が主人公に耐ええる存在かどうか試す為だよ。 君が最初に思った通りこれが次元や時間軸を超える物と拘るようなら、ここへはたどり着けないようになっていたのだが、君は引っかからなかった」
老紳士はパチンと指を鳴らすと、テーブルの上に置いた銀色の鍵は銀色の粒子となって溶ける様に消えてしまった。
「それとこれをお返ししよう」
彼は上着のポケットからある物をテーブルの上に置く。
それは折りたたみ式の携帯電話だ。
良く見れば見覚えのある形状に機種だった。
「あ! 私の携帯!」
この世界に来た時に何処かへ無くしてしまった思っていた私の携帯電話だ。
「さすがに私の物語に、この手の物は時代に合わないと思ったから、君が寝ている間に私が預からせてもらった。 では時間のようだ」
老紳士が飲み終えたカップをテーブルに”コトッ”と音を立てて置くと、彼の後方に空間を歪めて焦げ茶色の木製で、銀色の金属製の取っ手が付いたドアが出現した。
「あれを開けばこの世界は閉じられ、君は元の世界へと変えることができるよ。 さぁ行きたまえ」
私は椅子から立ち上がり、テーブルの上の携帯をそそくさとボロボロになってしまったメイド服のポケットに仕舞いこみ、出現したドアの方へと足向ける。
老紳士の横を通る時に私は彼の方を向いて問う。
「貴方は私や藤堂さん、南雲中尉の様に再びこの世界へ人を引き入れることをするのか?」
私の質問に彼は首を横に振る。
「いや、物語は完結している。 物語が終わればこの世界は崩壊し再び開くことはないよ。ただ作者の意向は踏みにじってしまった結果にはなってしまったがね」
「……そう。 あ、後」
「どうしたのかね? 忘れ物があると言ってもすでにこの空間以外は閉じてしまっているよ」
「……いや、そうじゃないのだけど」
私は照れくさそうに少し俯き加減で老紳士に聞いた。
「古都……さんは、彼女はこの世界の住人だったのか? それとも私の世界の住人だったのか?」
この問いに老紳士は目を少し大きくするが、すぐに戻しこう答えた。
「それはあなたの思い次第じゃよ」
「私の思い……分かったありがとう」
私は視線を紳士から木製のドアへと移し、ドアの前に向かって歩き出す。
そしてドアノブを回し扉を開く。
開かれた瞬間、ここに来るとき同じく急激な眠気が私を襲う。
「……う……ぁ……」
意識を失う瞬間、頭の中で老紳士の言葉聞こえる。
(それでは残りの人生はあなたの思う通りの人生を……)
私の意識は闇の奥へと消えて行った。