燃え盛る村、悲鳴と怒号、硝煙と血肉の匂いが立ち込めるあの地獄の中でアイツは村人の食らっていたんだ
「やめてくれ! 藤堂さん!!」
飛び込んだ千倉さんは菊恵さんを掴んだまま私の後方のエンジンがある方へ共に飛んで行った。
「止める? どうしてだ?」
「藤堂さん……」
そう言い放った彼の顔は、新聞社や朝倉邸、そしてこの陸軍港の時とは違い。 ロボットの様に無表情で、瞳には一切の光は無く真黒な冷たい闇のようなものが彼の眼球を支配している。
「さて……」
藤堂さんは自分のトレンチコートの内側から拳銃を取り出し、銃口を私に向けた。
「動くなよ。 なるべく、あんたは傷つけたくない」
ピタリと私に標準を合わせたその銃には見覚えがある。 古都さんが私を守るために忍ばせていた拳銃と同じ型のようだったが、彼女の銃とは違いだいぶ年季が入っているように見える。
「古都さんと同じ銃? けどそっちのはだいぶ使い込んでいるみたいだね」
「古都の奴、確かに銃器の取り扱いは教えたが、なるべく使うと言っておいたのに」
「いや、そのおかげで私は助かったんだよ。 ここはありがとう…と言うべきか?」
私の問いに藤堂さんは首を横に振った。
「いいや、そいつは古都に言ってやってくれ。 それに俺にはまだやることがある」
彼が奥へと視線を送ると、私も同じく彼が見ている方向を見る。
そこには揺れた前髪をからチラリチラリ赤い光を光らせながら、菊恵さんに襲い掛かる千倉さんの姿があった。
「やめて千倉さん! 私達はこんなことは!!」
「ウォォォ!!!」
彼の攻撃を右腕一本で捌きながら菊恵さんは制止する様に呼びかけるが、その声は彼に届いている様子はない。
「千倉さん……」
徐々に壁側に彼女は追い詰められしまう。
そこへ千倉さんの容赦ない右ストレートが彼女の顔面目掛けて放たれる。
菊恵さんは一瞬体を床に落として彼の攻撃を回避したと、同時に”ドン”と大きな破裂音にも似た音を立てて潜水艦の壁に拳は当たり、鋼鉄製であろう潜水艦の壁が飴細工の様に変形する。
「なんて威力だ……」
あの攻撃を見ると、いくら博士の血でパワーアップしている菊恵さんと言えど、致命傷は避けられない。
「アイツは、初期の頃に実験体にされたからな。 威力も南雲やあの女よりも上だよ。 今はな」
「何かないのか?」
私は周りを見渡し彼女の手助けに成りそうな物を探したが、周りには気絶している南雲中尉と古都さん、後は軍服ごと肉塊になっている死食鬼兵に、後は手元にあるだいぶ威力が落ちてしまっているが、最後の光の杭だ。
杭を彼女に投げ渡してみるか? いや私の魔術の効力上、今の彼女は意識こそ人間と同じであるが、肉体は死食鬼と同じだ。 手渡したところで術の効力で彼女の体は弾かれてしまう。
「藤堂さん! 何でこんなことをするんだ! あなたは私達の味方ではなかったのか!?」
「そうだ。 俺は今でもそのつもりだ。 それに言っただろう? これは”報い”だと」
「確かに博士や菊恵さんは、千倉さんに非人道的な実験をしたのかも知れない。 けれどそれは軍の命令であって彼女たちの意思ではないだろう!」
「ああ、そうだ。 須藤お前の言う通りだよ。 確かに連中にはそう言った罪の意識はないかもしれない。 けどな、現に千倉がああなってしまったのはあいつ等が、アイツの体を好き勝手に弄ったからだろうが! その事実に変わりはない!」
私に強く銃口を突き付けている藤堂さんの表情は、深い憎しみの表情を露わにする。
「俺と千倉は、南雲の愚行を止めるためにここまで来たんだ!」
「南雲中尉を止める?」
私は思わず半裸で潜水艦の床に伏せったままで、ピクリとも動かない南雲中尉の方を見た。 そしてすぐに視線を藤堂さんに戻す。
「米帝の大空襲で帝都が焼野原になった翌日、俺達は司令部の命令で奴を捕まえるために大勢の憲兵達と軍港で待っていたんだ。 そして予定到着時間から6時間ほど遅れて、奴が運んできた潜水艦が見えたんだ。 だが、湾内に入っていると言うに艦は減速する様子が全く無く、そのまま軍港の船着き場へと突っ込んだ。 状況が見えない俺達は艦の入口を開くと、咽返るような死臭と、血と硝煙の匂いで充満していた。 生き残りが居ないかと艦内に入った俺達を待っていたのは、仲間の死体を貪り食う鬼と化した連中だったよ」
(と言うことは、南雲中尉はまさか!)
「焦ったよ。 弾丸を浴びせても効きはしねぇし、噛まれた憲兵は同じ風になっちまうし、死に物狂いで艦内から脱出した俺達は船で奴の運んできた潜水艦を牽引して沖合で雷撃処分した。 その時、南雲も同じく死んだと思っていたよ。 けどな…」
藤堂さんはギリギリと奥歯を噛みしめる。
その出来事の後、彼らに一体何があったと言うのだろうか?
「程なくして戦争が終わり、BC裁判で判決を受けた俺達は懲役を終えて、各々の地元へと戻った。 それからしばらくして千倉から手紙で呼び出された俺は、都内にある奴のアパートへと向かったんだ。 アパートには千倉と結婚したばかりの奴のカミさんが居た。 いい人でな。 首から懐中時計を掛けていたのが、未だに目に映るよ。久方の再開を俺達は喜び、酒を酌み交わした。 そしてアイツが来たんだ」
「……アイツ?」
「千倉のアパートのドアを叩いてきたのは、あの時俺達が死んだと思っていた南雲だった。 ボロボロの軍服を着て奴は生きていた。 そしてこう言ったんだよ。 ”貴様ら、我祖国が負けたと言うのに何をしているんだ”とね。 そうしたら奴は応対に出た千倉のカミさんにあの粉を撒いてその場から逃げたんだ。 俺はすぐに追ったが酔っていたせいもあって奴を見失ってしまった。 急いでアパートに戻って最初に目に飛び込んできたのは、千倉が自分のカミさんを包丁でめった刺しにしている姿だったよ。 千倉は警察に逮捕され刑務所へ送られたよ。 その時はなぜあいつが自分の最愛の妻にこんなことをしたのか分からなかった」
「もしかして、南雲中尉は死食鬼粉を千倉さんの奥さんに……」
「ああ、そして妻殺しで無期懲役で服役していた千倉が刑務所から姿を消したと連絡を受けて、カミさんの方の両親が行きたがらないから、戦友である俺が奴の服役していた刑務所に赴いた。 奴の居た独房には一冊の本と包み紙と、奴のカミさんの懐中時計がそこにあった。 包み紙には宛先はなかった。 そこで俺はそこにあった本を手に取って開いた。 驚いたことにその本のページには文字が書かれていなかった。 真っ白なページばかり続いてたよ。 けど一番最後のページに殴り書きで”奴を見つけた” そう書かれていた。本を読み終えた時、唐突な睡魔に襲われた。 気が付いた俺は奴のカミさんの懐中時計を握りしめて、この時代にいた。 あんたもそうだろう須藤」
彼の問いに私はコクンと頷く。
「最初は混乱したよ。 周りを見るとあの空襲で焼野原になってしまった帝都が記憶のままに目の前にあったんだから、俺はまさかと思い軍令部に向かった。 そこには空襲で死んだはずの部下や裁判で死刑になったはずの上官が、いつも通りの仕事をしていたんだよ。 職場の扉越しに呆然としている俺に1人の部下が俺に言ったんだ。 ”あんた誰だ?”ってな。 てっきり俺は冗談かと思っていたんだ。 だが、部下のや上司の態度が本当に初対面の人間とある様な対応だった。俺は最初から軍にはいない。 すぐに憲兵隊が来て俺は取り押さえられた。そして床から顔を上げると目の前には、奴が南雲が立っていたいやがったんだ。 俺はすぐに堪らなくなって、奴に飛び掛かったが、憲兵の連中に押さえつけらえた。暴れる俺の耳元で奴は”お前も来たか”と呟いた。 それ以上ことを問い詰めようとしたが、俺は軍部から叩き出され、街をさまよう俺の目の前に古都が現れた」
「古都さんが?」
「奴はどんなことをしたのか知らんが、男と揉めている最中でな。 学生の癖にずいぶん強気に出ていたよ。 その態度が気に入らなかったのか男が古都のことを殴りそうになった所を俺が助けたんだよ」
「ふふふ、古都さんらしい」
緊迫している状況であるはずなのだが、藤堂さんのその話を聞いてつい”ふふふ”と笑みが零れてしまった。
「まぁ後は、古都に銃器やちょっとした護身術を教える代わりに、今の仕事を紹介して貰ったんだよ。 自分が狙っている会社だからって、先に入るから貴方は私の先輩ですねってね。 新聞社の仕事をしながら、今自分がこの時代でどういった立ち位置なのかを調べていたら、ある資料にアイツの名前が載っていた。 俺が来た時間よりも数年前に起きたクーデターを画策した張本人が」
「まさか、クーデターを起こした犯人って……」
一呼吸置いたのにちに藤堂さんは言った。その犯人の名前を。
「帝都を転覆させようとした犯人”千倉 和利”とその資料には書かれていたんだ」
「じゃあ、もしかして博士が言っていた。 本土来た大罪人は帝都でクーデターを実行した千倉さん達……」
彼は小さく頷くと、まるで吐き出すように話しだした。
「現実に俺が着任していた頃にも、同じ事件は起こっていた。だがその時には俺も千倉も加担していない。 おそらく、ここに南雲が居ることを分かった千倉が当時の情勢に不満を持つ連中を集めて起こしたんだろう。 だが奴は失敗した。 事を起こすのが早すぎたんだ」
「早すぎた?」
「俺が調べた限りじゃ、実際の事件が起きた年よりも2年早かったんだよ。 千倉以外に軍法会議に掛けられた奴らの名前や人数がだいぶ違っていた。 南雲もおそらく千倉が何か画策していることに気づいてクーデターを回避し、千倉たちは捕まった。 その事実を知った俺はずいぶん荒れたよ。 今の俺はただの新聞記者、軍や国の情勢不安の記事を書いて対抗しようとした時もあったが、その度に特高の連中に捕まって拷問を受けた。 雑魚だと思っていたのか。南雲は特に仕掛けてはこなかった。 この時代に来てから2年後の大陸で、俺は千倉と再会した」
「その時、彼は……」
そこで藤堂さんは何を見たのだろうか? 彼は即答せずに一呼吸おいて言った。
「燃え盛る村、悲鳴と怒号、硝煙と血肉の匂いが立ち込めるあの地獄の中でアイツは村人の食らっていたんだ」