ダレガニンゲンダト?
”パチン”と甲高い音が周りに響いた。
「やれやれ……」
なんと驚いたことに死食鬼兵をも叩き潰してしまう菊恵さんの右拳を左手で簡単に止めてしまった。
彼女もそのことに驚いているようで、さっきの俊敏な動きがピタリと止まってしまった。
「ふん!」
南雲中尉が意気込むと、菊恵さんを掴んだまま潜水艦の天井へ勢いよく振り上げる。
「ガァ!!」
”ゴン”と鈍い音と共に、潜水艦の天井を走っている太いパイプにぶつかり、そのまま床へと叩きつけられる。
「ふん! ふんっ! ふんっ!!」
何度も何度も上下に菊恵さんを片手で叩きつける南雲中尉に、私は栞を構える。
「くそ! やめろ!!」
私がそう言った時、彼は菊恵さんを床に叩きつけて、私の方を向いて右手の人差し指を立てた。
「くくくっ…彼女を助けるか? なら一発で仕留めることだ。 仕留めなければ、次に死ぬのは須藤女給。 あなただ」
不気味に笑いながら私にそう投げかける。
「舐めるな!」
私が左手で指を鳴らそうとした時、床にうっぷした菊恵さんが動いた。
「……うわぁぁ!!」
彼女は左手で拳を作り、南雲中尉の私が潰した右目側に裏拳を叩き込む。
「何ッ!!? グッ!」
これには南雲中尉も反応できなかったようで、彼女の攻撃を受けてしまい、口からはツツッと血が一本流れる。
「この未完成品が!!」
彼女の反撃に頭に来た南雲中尉はそのまま彼女を野球ボールの様に投げ飛ばした。
「菊恵さん!?」
剛速で投げられた菊恵さんは私の横を通り過ぎ、機関室の奥の壁へとぶつかり、衝撃で受けからパイプや機材の瓦礫が彼女の上に乗りかかり、姿が見えなくなってしまった。
「ふん! 人間を食ったところでこの程度。 それが完全な私に刃向うなどと……恥を知れ!」
そして、じろりと私の方を南雲中尉は睨み、”コツコツ”軍靴の足音を立ながら近づき、私の着ているメイド服の胸ぐらを掴み、そのまま片手で持ち上げる。
「ぐぅっ!」
胸元が閉まり私はつい声を上げてしまうが、そんなことお構いなしに中尉はゆっくりな口調で私にこう言った。
「須藤女給よ。 貴様はさっき”だから戦争に負けた”、そう言ったな?」
「…な、何を……?」
「一つ問う。 なぜ戦争をするかを考えたことは考えたことはあるのか?」
「…戦争の……理由……だと?」
私がそう答えると南雲中尉はニヤリと笑う。
「そうだ。 戦争には、人種、権利、土地、名誉、資産……理由を挙げればキリがない。 だが、すべての戦争に置いて一つだけ共通している者がある」
「共通…している…モノ?」
「それは連合でも、枢軸でも、敗戦国でも、戦勝国でも戦争に参加するすべての者は、自国が正義であると言うことだ」
「…正義だと!?」
「そうだ!!」
南雲中尉は強い口調に変わったと共に、私を床へと叩き落とす。
「ぐはぁ!?……痛っ…」
打ち付けられた衝撃で私の右肩の傷が開いたらしく、博士が巻いてくれた包帯から赤い血がゆっくりと滲んでいく。
痛みが体が走る中、私は咳き込みながら南雲中尉を睨み付ける。
「けほ、けほ、正義だって……私は戦争がどういう物かを体験したわけじゃない。 けど、学校の教科書やここに住む人たちの話を聞いかぎりでは、そんなものはない!!」
「な…に…?」
「貴方達がして来たのは、他国に対する略奪と殺戮だ。 そんなものは……そんなものは正義とは認めない!」
「小娘が!」
「くっ!」
床に伏せている私の怪我している右肩に彼の軍靴が思いっきり踏みつけられ、グリグリと傷口を抉るように動かす。
「ああああぁ!!」
元々の傷も相まってあまりの激痛に悲鳴を上げてしまう。
「貴様に何が分かるのだ! 何が!! 閣下の命を受けて第三国から、この新型潜水艦を帝国に持ち帰ってみれば、戦争は終わり、美しかった帝都は米帝の攻撃で見るも無残な焼野原だ! 奴らこそ虐殺の根源! 悪の枢軸と言ってもいい! そこに佇んだ私の気持ちなど、貴様などに分かるものか!」
南雲中尉は怒りによって踏みつけている私の右肩への力が強くなる。
「ぐぅ…ああああ!!」
気が狂ってしまいそうな痛みに私はさっきよりも大きな悲鳴を上げる。
「ふん!」
それと同時に中尉は足を私の右肩から放し、思いっきり私の右脇を蹴り込んだ。
「ごほぉ!」
蹴り上げられた私はゴロゴロと転がされて、蹴られた部位に労わるように左手を当てる。
「ゲホゲホ……」
あまりに強く蹴られたためつい咳き込んでしまったが、痛みを堪えつつ今の自分の体の状態を確認する。
踏まれた右肩は当然ながら傷口が開いてしまい、そこからは鮮血が博士が巻いてくれた包帯を赤黒く染め広がっていく。
蹴られた右脇は、当てている左手の感覚から、肋骨が幾つか折れているようで、息苦しい。
今持っている栞で彼を串刺しにするのは簡単だが、彼の後ろに控えている死食鬼兵達をどうするか……。
色々と思考を巡らせていると、私の後方から”カタリ”と何かが落ちる音が聞こえ、チラッと音のした方に視線を送るとそこには――。
「さて、貴様をこの力で同志にしようなどと思ったが考えが変わった」
「ああぁ!!」
南雲中尉は私に近づいて見下ろしながら語りかけ、私の髪の毛を右手で掴んでゆっくりと持ち上げて、顔を近づける。
「まずは貴様の腕と足を落とし、続いて腹を裂いて中身を床にぶちまけて、首を落としてやる。 そうだな。 残った体は死食兵の食事にしてやろう? こやつ等も腹が減ってきた頃合いだ。」
彼が私に対して不敵で勝ち誇った笑みを浮かべ、後ろの死食鬼兵達は真っ赤な目を光らせながら”うぅ”と低く唸っているが、私はその光景に慄くことなくニヤッと笑ってこう返した。
「その言いぐさまるで化物だな。とても帝都や閣下を守っている軍人のする顔じゃあない。 そんな化け物はグチャグチャのミンチにでもなれ!」
「なに!?」
彼が驚愕すると同時に、後ろのエンジンルームの方から瓦礫を吹き飛ばして、一直線に何かが飛んで彼の左腹部へと重い一撃を食らわす。
「うおおぉ!!」
「きゃぁ!」
殴られた衝撃で私の髪を掴んでた右手は離れ、私はそのまま床へと落ち、彼は自分の死食兵の壁へと突っ込んだ。
突っ込まれた中尉に巻き込まれた死食鬼たちがバタバタと折り重なるように彼の体の上に倒れ込んで、死食鬼の山が出来上がった。
血飛沫とチリと埃が舞い、ゆっくりと晴れていく。
そして一人の影が立っている。
「これ以上……あなたの好きにはさせない……」
私を助けてくれたのは真っ白だったワンピースを真紅に染めあげた姿で立っている菊恵さんだった。
「貴方がその力を振るうたびに、氷室博士は悲しくなる」
「菊恵さん。 あなた言葉が…」
驚いたことに、初めて路地裏で彼女に出会った時は、”あー”しか言えなかった菊恵さんは、普通に、そう普通に話していた。
「多分、博士が体を私に食べさせてくれたからだと思うわ。 けど…」
「えっ?」
菊枝さんがそう言った時、彼女の左腕が崩れてボトリと床へと落ちた。
「き…菊恵さん?」
「大丈夫…痛みはないわ。 私の体あまり長くは持たないわ。 南雲中尉が言ったように私は出来そこない。 今は博士の血と肉で一時的に覚醒しているに過ぎない」
「それじゃ、時が来れば…」
「本当に私は死ぬ……けど、その前に!」
菊恵さんはキッと南雲中尉が突っ込んだ死食鬼兵の崩れた山を睨む。
次の瞬間、死食鬼の山から一体が菊恵さん目掛けて飛んでた。
「……」
菊恵さんは飛んできた死食鬼を無言で右の平手でそれを弾く。
弾かれた死食鬼は私の横の壁にベチャッと音を立てて張り付いた。
中尉に突っ込まれ、菊恵さんに弾かれて、ほとんど人間の体をしていないのにもかかわらず、カチカチと歯を合わせて動かしている姿を見ると、この種族の生命力には本当に驚かされる。
「やってくれたな……出来そこない」
死食鬼を飛ばしたのは、南雲中尉だった。
彼は自分で築き上げた死食鬼達を押しのけてゆっくりと立ちあがった。
しかし、その姿は、到る所が傷だらけで、帽子は吹き飛び、着ていた白い軍服は到る所が破れてボロボロになり、右腕は折れてあさっての方向を向き、腹部は破れて、腸は垂れ下がり、中身がいろいろと見えている。 この様子を見ると彼もかなりのダメージを負っているようだ。
「油断したよ…。 人間の頃の私だったら悶絶して床を転げ回っていることだろう……だが!」
中尉は自分の軍服の左ポケットからある物を取り出した。
「それは!」
彼が取り出したのは、私が知っている物、朝倉教授に渡した緑の液体の入った瓶と白い粉の入った瓶だ。
「朝倉教授に託した……あの人はこの件には無関係なはずだ!」
「この薬を分析したのだ。 無関係ではない。 それに彼を巻き込んだのは貴様だ」
「何を!!」
「この薬を人類がどうたらと説法を偉そうに垂れていたよ。 やれやれ、学者と言う人類はどうしてこうもああなんだ。 大陸の時も研究所の連中も同じようなことを私に言っていたな……」
「じゃあ大陸の研究所で博士が起きたのは……」
「大陸でも研究は殆ど終わっていた。 ほぼ完成した検体さえあれば残りは本国で調整ができるからな。 実験のことを知っている研究員とモルモット共を生かしておく予定はない。 軍事機密の処理するのが定石と言うものだ」
「ならば……教授は……」
南雲中尉はニヤリと笑って言い放った。
「今頃はあの屋敷の門に生首のオブジェで警察や住民が騒いでいることだろうよ」
「……あんたは……本当に……人間……か……」
私は俯き、沸々と湧き上がってくる怒りを抑えつけて彼にそう問う。
「人間? いいや違うな? 私はすでに人間を超越したものだ! そして我同志がこの世界を統一した暁には頂点に閣下が立たれるのだよ! その為には……」
南雲中尉は白い粉の入った小瓶を放り、緑の小瓶を開けてそれを一気に飲み干した。
薬を飲みほした瞬間、中尉の体に変化が起こり始めた。
私の潰した目や菊恵さんの攻撃した場所が見る見るうちに再生し、筋肉は2倍、いや3倍に膨れ上がり、肌は避け赤い筋肉の繊維が見えたが、どす黒く変色していく。
体の至る所に肉こぶが出来ては開き、そこから鋭く尖った骨が飛び出す。
顔も筋肉の一部に取り込まれ、すでに形は人間の原型を留めていない。
「これは……」
中尉の変化に菊枝さんが驚愕していたが、私はこれと似た状況を前に見たことがある。
魔道具の使用過多だ。
この現象は経験の少ない探索者や未熟な魔術師が起こすことなのだが、探索者が使用する魔道具は自衛のための武器が多いし、魔術師も強力な魔術を使えるわけではないので深刻な事態に至ることは少ない。
精々、怪我をしたり気を失ったりする程度で済むが、中尉の姿はそれを大きく超えている。
「やり過ぎだ……」
「オオオオォォォ……」
中尉は低く唸ると同時に床へとバタンと倒れてしまった。
「……死んだの?」
菊恵さんは顔向けて問いかけてくるが、私は首を横に振る。
「分からない。 けれど、強い力を使いすぎれば体が持たないのは当然だ。 人間が操れるものじゃない」
「ダレガニンゲンダト?」
倒れたはずの中尉だったモノから喉が潰れてしまったようで、低く片言の日本語が聞こえてくる。
「ワ、ワタシハ、チョウエツシャ。 ニンゲンヲコエ、死食鬼ヲコエタモノ……」
「化け物め……」
彼の醜悪な成れの果てに私は吐き捨てるようにその台詞を言った。




