これで王手だよ。 大人しく我々の仲間になれ!
「小娘が何を言うか」
私が言い放った一言に表情こそ冷笑している南雲中尉だったが、目を見ると完全に笑っていない。
「おっと図星を付かれて怒ったかい?」
などと挑発して見たものの、不利な状況には変わりはない。
チラリと古都さんと博士、菊恵さんの様子を見る。
博士は菊恵さんを抱きかかえた状態で彼女の様子を見ている。
菊恵さんは先ほどと変わらずピクリとも動かない。
古都さんは博士に見てもらったとはいえ、ハァハァと辛そうに息をしながら顔色は真っ青になり始めている。
「ところで、どうして私がその女の右手を切り落としたと思う?」
南雲中尉の不意の問いに私は視線を彼に戻す。
「これさ」
彼は後ろに控えている死食鬼から何かを受け取り私に見せた。
「くっ!」
それはあまりにもひどく、不快で、私の怒りに再び火をつけるのに十分だったものだった。
南雲中尉が見せた物は、それは拳銃が握られている古都さんの右手だった。
「いやぁ、咄嗟の判断だったよ。 一瞬遅れればそこの女の放つ銃弾にやられてしまっていたところだったよ」
「南雲中尉!」
私は南雲中尉に向けて魔術式を書いたメモを投げつけて指を”パチン、パチン”と二回鳴らす。
動作を受けたメモは光の杭に変化をし、さらに爪楊枝台の大きさに細かく分裂して南雲中尉の顔面向かって飛んでいく。
「だから無駄だと……」
中尉が手を軽く振ると一体の死食鬼が彼の壁となるべく立ちはだかる。
「甘い!」
私がさらに指をパチンと鳴らすと、杭達は一斉に弧を描いて死食鬼の横を通り抜ける軌道を取る。
「ちぃ!」
南雲中尉は左腕で死食鬼が着ている軍服の襟首を掴んで強引に自分を守る盾にする。
光の杭達は、ほとんどが死食鬼の顔面に突き刺さるが、何本かが横を擦り抜けて南雲中尉に向かっていく。
擦り抜けた杭は、彼の軍帽を飛ばし、髪と頬を掠ったが、一本が彼の右目に突き刺り彼の手に持っていた古都さんの手首は拳銃ごと床へと落ち、拳銃は床を”カラカラ”と音を立てながら滑っていく。
(しまった…)
私は彼の右肩を狙ったはずだったのだったが、誤って中尉の右目に突き刺さってしまった。
本来、光の杭はターゲットに向かって真っすぐしか跳ばないのけれど、彼が前の死食鬼を盾に使うと読んだ私は、無理な修正で軌道を変えて見たが、手元が狂ったとしか言いようがない。
ところが右目に杭が刺さっているはずの彼はゆっくりと不気味に笑みを浮かべた。
「ふふふ……はははっ!」
何と右目に手傷を受けたにも関わらず、南雲中尉にダメージを与えた感じが無かった。
普通の人間なら目に鋭利な物が刺されば転がって悶絶するものなのだけど。
「この感じは……まさか!!」
「そのまさかだよ。 須藤女給」
彼の無事な左目を見ると、不気味に薄らと赤く光っている。
「あんたも死食鬼化したのか?」
「その通り。 とは言えワクチンを使った時は死ぬほど痛かったがね。 今は爽快な気分だよ。 それに君は気づかないのか?」
「?」
南雲中尉は潜水艦の壁の方に顔を向けて首を小さく上げる。
「……」
私も潜水艦の壁の方を凝視する。
「……一体……」
「……音が」
「えっ?」
古都さんがそう呟いたのが聞こえ、私は耳を澄ます。
「……何も聞こえない?」
南雲中尉がこの部屋に入ってくるまで、五月蠅いほど聞こえてきた罵声と銃声は止んでおり、不気味な静けさが漂う。
「分からないなら、教えてあげよう。 蟻をご存知かな? 須藤女給」
彼は人間とは思えない悪魔のような笑みを見せながら私にそう言った。
「蟻?」
「そう蟻さ。 私がワクチンを投与され、最初の兵士を食らった時、彼はすぐに死に死食鬼化した。 ところが本能で血肉を食らうはずの死食鬼は、私の指示を聴き、指示通りに動く。まるで働きアリが女王蟻の為に死ぬまで餌や卵の世話をするように、この死食鬼になった兵士達は、私の為にその身が朽ちるまで国と閣下に尽くすのさ」
「まるでキャリアだ」
私の後ろから氷室博士が、ボソッと呟いたのが聞こえる。
「中尉。 あなたは女王蟻なんかじゃない。 病原菌を国や社会に振りまくキャリアだ。 そんな物、誰も王とはいわない」
菊恵さんの頭をギュッと胸で抱き寄せて氷室博士は、化け物を見るような目で南雲中尉にそう言い放ったが、
中尉は”フン!”と鼻で返す。
「どう言われようがこの第9造船所にいる兵士はすべて私の配下となった。 残っている人間はここに居る貴様らだけだ」
「自分の部下を死食鬼にするなんてアンタは本当に人間だったのか!!」
「彼らは国に忠誠を誓った者達だ。 自分の命を差し出すくらいどういうことはないし、私はそれに対して哀悼の意を表するだけだ。 完璧な兵士になれたことで彼らの魂は――」
「それはあんたの勝手な考えだ! 誰も望んで死ぬ奴なんていない!」
「死ぬ奴なんていない? それこそ君の勝手な考えだよ。 それとも君はすべての人を救える正義の味方にでもなったつもりか?」
そう彼が言った瞬間、私はキッと南雲中尉を睨み付けて言い放つ。
「ああ、そうだよ。 私は正義の味方だ!」
「思い込みの激しい女給さんだ。 それに」
南雲中尉が左腕を上げて指をパチンと鳴らすと、彼の後ろから数体がぞろぞろと現れて、得意げな顔をして南雲中尉は言う。
「これで王手だよ。 大人しく我々の仲間になれ!」
「ちぃ!」
私は残りの魔術式の書いたメモを全部取り出して、出てきた死食鬼たちに対して構える。
(……数が多いな)
この潜水艦の食堂に入ってきた奴でも六体、中尉の後ろにもうごめく赤い目と影が見えることから、数は十体以上いるとみていいだろう。
そうなると、手持ちのメモだけじゃ全然足りない。
「覚悟はいいかな?」
南雲中尉が突撃の号令をかけるように左手を上に揚げた時だった。
『ドン!』
中尉の後方から鈍い大きな音と、振動が私達に伝わってくる。
「何事だ!?」
彼が事態を確認しようと、慌てて後ろを振り向く。
(今だ!)
私は急いで博士に近寄り、耳元で小声で話す。
(博士! 南雲中尉が後ろに気を取られている内に!)
(えっ?)
呆けている氷室博士に食堂の奥にあるハンドルの付いたドアを指差す。
(……あ、ああ!)
博士も私の意図したことを理解しようで、菊恵さんを抱き上げる。
(よし。 後は――)
今度は古都さんの方へ移動し、床に蹲っている彼女に腰を屈めて話しかける。
「古都さん。 動けるか?」
「え……ええ……」
私の質問に笑顔を見せる彼女だったが、その顔色は血の気が無くなっていて、真っ白だ。
『ドン! ドン! ドン!!』
「一体なんだと言うのだ!!」
謎の轟音と震動の状況が理解できずに苛立って怒鳴り声を上げ、死食鬼達も彼と同じ方に顔を向けている。
「今だ!」
私は古都さん左肩を支え、博士は菊恵さんを抱きかかえ、奥のドアへと走る。
食堂のドアへ到着すると、博士は菊恵さんを一旦下ろし、ドアに付いているハンドルを回し始めるが、ハンドルの軸の油が切れいるようで、その動きは鈍くキィーキィーと甲高い音を出している。
その音に中尉が気づかないはずもなく、すぐにこちらに顔を向けて慌てた様子で、号令を出す。
「くっ! いつの間に! 奴らを逃がすな!!」
中尉の号令を受けて、彼の方向を向いていた死食鬼達はすぐに体を私達に向け、動きはゆっくりながらもじわりじわりとこちらに近づいてくる。
「ちぃ! もう気づいたか!」
私は魔術式の書かれたメモを一枚、死食鬼に向けて飛ばし指を”パチン”と鳴らす。
動作を受けたメモは、小型の光の杭に変化をし、死食鬼向かって飛んでいき、命中するが、死食鬼は体を後ろに反り返っただけで、すぐに体制を立て直して再びこちらへと歩みを進める。
「足止めにもならないのか! 氷室博士、急いでくれ!」
「わ、分かってる!」
私に急かされ博士は力いっぱいハンドルを回すが、死食鬼は一歩一歩確実にこちらの距離を詰めてくる。
私と古都さんは、死食鬼が一歩進むたびに一歩後退する。
「はははは!! さぁ食われろ! 食われて私達と同じとなれ!」
死食鬼の後ろから南雲中尉は気でも狂った様な声を張り上げる。
「あ、諦めてたまるか!」
私はもう一枚メモを投げ、杭を飛ばす。
もう一枚。
もう一枚。
だんだん手持ちのメモの枚数も減っていくが、死食鬼達は一向に歩みを止めない。
「くそ!」
気が付けば残りのメモは最後の一枚になっていた。
(残るは私がいつも使っている栞だけか……)
いざという時に取っておいたものだったが、今の状況では使わざる負えないと思った私はポケットから栞を取り出して構える。
その時、私の後ろから”ガキン”と金属音が鳴り、ドアの方を見ると扉は開かれ、奥の部屋から博士が顔を出している。
「急いで! 早く!」
「さすがだ! 博士!」
私は食堂の奥のドアへと向けて古都さんを連れて速足で向かう。
「逃がすな!!」
私の姿を見て南雲中尉の怒号の号令が飛ぶ。
「こんな所で死ぬわけにはいかない!!」
彼の号令を聞き、速足でドアまで向かうが、あと一歩と言うところで何かが私の右足を掴んだ。
「わわわっ!」
突然のことで、前のめりになって床へと倒れる。
「きゃっ!」
私が転んでしまったことで、肩を支えていた古都さんも私の手を離れてしまう。
「おっと!」
けれど、古都さんの体を氷室博士がキャッチし奥の部屋へと引き込んでくれた。
「一体何が……」
私が足首を見ると、そこには死食鬼化した兵士が、逃がさんとばかりにがっちりと両手で私の右足を掴んでいた。
(クソ! 私はこんな所で死ねないんだ!!)
私は足首を掴んでいる死食鬼兵に対して栞を構えた。