違う! 違うんだ!
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
私はハッチに梯子を下りて息を整えながら周りを見渡す。
潜水艦の内部は天井に太い茶色の配管が3本前後に通っており左右壁側には木製の二段ベットが2つづつ設置さている。
ここは船員が睡眠を取るところのようだ。
前にはハンドル付きの鉄製のドア、後ろも同じだ。
「さて前扉と後ろ扉どっちに古都さん達はいるんだ?」
私がどちらに進むか躊躇していた時だ。 前の扉から”ドン”と大きな音が鳴った。
「なんだ?」
私はドアに耳を当てて中の様子を探る。
『僕は…くそっ! ああっ……』
ドアの向こうから聞き覚えのある男性の声がする。
「この声はまさか……」
私は聞き耳を立てるのを止め、ハンドルを回してドアを開けた。
入った部屋には左右に太いパイプと細いパイプが網目状に配管され、何かのメーターが幾つも取り付けられている。
前には上下左右に丸い何かを入れるレバーの付いた蓋と天井にはロケットのような形のものがぶら下がっていた。
そして私の登場と同時に彼は叫ぶ。
「くっ!! な、何度言われたって君らに協力はする気はない!!」
「やっぱり氷室博士」
「え? その声は……僕の診療所に来た女給さん?」
「女給じゃなくてメ・イ・ドだ」
つい女給という言葉に反応してメイドと言い直してしまったが、大声を出していた博士自身は壁にある配管に左手を手錠で繋がれ、メガネは片方にヒビが入り、来ているYシャツやズボンは薄汚れている状態だった。
「ふぅ、とにかく無事でよかった」
私は手に持っている光の杭を構え、彼の繋がれている手錠の鎖に狙いを定める。
「……ハッ!」
杭をきれいな横一線のスイングは見事に博士を拘束している手錠の鎖を断ち切ったが、その瞬間、魔術の効力が切れ杭は光の粒子となって消滅する。
「た、助かったよ」
繋がれていた左手首を労わるようにして彼は私にお礼を言う。
「無事でよかった。 ところで古都さんは?」
私の質問に彼は首を横に振った。
「分からない。 だが僕と一緒にこの船に乗せられたのは確かだ。 多分、ここからもっと奥だと思うが……」
「……そうですか」
博士と一緒でないとなると益々彼女の安否が心配になってしまう。
けれど彼女が捕まっているところまであと少しなのは確かだ。
「あれ、そう言えば」
彼のその状況を見てあることに違和感を覚える。
あの死食鬼の力を見せた謎の女性。 菊恵さんの姿がない。
「菊恵さんはどうしたんだ? 一緒じゃないのか?」
私が博士にこの質問を投げかけた時に彼の表情が先ほどまでとは違いだんだん暗くなるのが分かった。
「彼女は行ってしまった……。 彼、帝国陸軍士官の南雲中尉と一緒にね」
「え? な、何だって!? 行ったってどこに?」
「分からない。 僕達三人が潜水艦に連れてこられた時に中尉は菊恵の手を引っ張ってもっと後方の方へ連れて行こうとしたんだ。 僕は嫌がる彼女を見て彼に抵抗したが、所詮僕は一般の研究員だ。 訓練を受けた軍人に敵うわけがない」
なるほど、これで彼の今のナリの説明が付いた。
博士は菊恵さんを連れて行かれまいと抵抗したが、南雲中尉から顔面にきついイッパツを食らったとのことだった。
「南雲中尉が彼女に何かするのが明白と感じた僕は、再び彼に向かって行ったんだ。 飛び掛かる瞬間、菊恵が言ったんだ。 ”大丈夫だから”って」
彼は俯き大粒の涙が茶色の鉄製の床にポツリ、ポツリと滴り落ちる。
「菊恵は! 菊恵は……笑って言ったんだ……菊恵のその笑顔を見た僕は何も出来なくなってしまった……今はそれが悔しくて……悔しくて!!」
私がここに入った時に聞こえた”ドン”という音は彼の行き場のない怒りが爆発した証というわけか。
俯いて泣いている彼に私は、今この船の外で起きている状況を博士に教える。
「もしかしたら連れて行かれた菊恵さんと関係が有るかも知れないが、今も現在進行形で潜水艦の周りには死食鬼がウヨウヨしているよ。 そいつらを撃退するために兵隊が乱闘の真っ最中だ」
「な、何だって!? 道理でここに閉じ込められている時に外が騒がしいと思ったら……まさか南雲中尉は菊恵の血液を!?」
「菊恵さんの血液? あなたが言っていた赤い小瓶と同じ効果があるのか!?」
「あくまで僕の推測だったんだが何てことだ! 大陸の惨劇がこのままではここ帝都でも起きてしまう」
つまりは博士が陸の研究所に居た時に南雲中尉が持ち込んだ人を死食鬼化させる赤い液体と同じ効力が菊恵さんの血液でもあるってことなる。
今は地上に連中が出た気配はないが、それも時間の問題だ。
そんなことになれば死食鬼はネズミ式に増えて、ビルやオフィス、下町や貧困街にいる大勢の人達がいる帝都は、死食鬼達が徘徊する死都となってしまう。
「おそらく南雲中尉の仕業だ。 けれどなんで彼は自分の部下に殺し合いをさせるような真似を?」
「彼の嗜好は私にも分からないよ。 それよりも残りの二人を助けに行くのが先だ」
「こうしてはいられない! 止めなければ!」
博士は目から流れていた涙をYシャツの袖でグッと拭うと勇ましく立ち上がった。
「博士、ここは船のどこの位置になるんだ? 銃とかライフルぐらいの認識はできるんだけど、私はこういうのに詳しくなくてね」
「僕が捕まっていたのは潜水艦の前側の魚雷発射室だ。 彼女たちは船のもっと船尾の方いると思う」
「軍の研究部所属なのに詳しいね」
「第三帝国に留学していた時に向こうの友人から教えてもらったんだよ。 ただあの時は戦争が終わったばかりで今ほど世界は緊迫はしていなかったけどね」
「そう。 じゃあ行こうか」
私達はドアを開けて船の奥へと歩き出した。
博士の捕まっていた魚雷発射室から私がハッチから入って最初の部屋に戻ってきたところであることを思い出した。
「あ、博士ちょっと待ってくれ」
「大丈夫だが、どうしたんだ?」
「ちょっと”残弾”の確認だよ」
そう言うと私はメイド服の両ポケットから今入っている物を取り出して二段ベットの下段の白いシーツの上に並べる。
取り出した物は、魔術式の書いたメモが6枚と私が愛用している栞が1枚、そして朝倉教授がら返し貰った銀の鍵が一本。
「ここに来るまでに節約していたつもりだったけど、かなり消費したみたい」
上手く古都さん達を助け出したとしてこれだけの憑代で外にいる死食鬼を相手にできるだろうか?
恐らく勝算は限りなく0に近いだろし、朝倉邸を出てから遡行現象は一度も起きていない。
しくじればアウトだ。
「けど、やるしかない」
私はベットのシーツの上に出した物を再びポケットに仕舞い始める。
魔術式の書いたメモと栞は左ポケットに、そして右ポケットに銀の鍵を入れようと持ち上げた時だった。
「うっ!」
ズキンとした痛みが右肩に走り掴みあげた銀の鍵をベット上に落としてしまった。
「ちょっと見せて」
私のこの状況を見てか、博士は私をベットに座らせてメイド服のを開けて右肩の様子を見る。
「これは傷口が開いてしまっているね」
以前に彼に治療してもらった右肩の包帯は真っ赤に滲んでいる。
第九造船所までは傷を多少庇いながら来たが、潜水艦のハッチを開けるときに無理に筋力増加の魔力を使ってこじ開けた時に傷が開いてしまったようだ。
「今、手元に替えの包帯がないが……」
博士は周りをキョロキョロ見渡すと、何を思ったのか、私が座っている反対側のベットのシーツを剥がしジッと状態を確認する。
「よかった替えたばかりの新品だ。 これなら大丈夫だな」
博士は器用にシーツを破るとなんとそれから何本かの包帯を作り出してしまった。
「じゃあ包帯を変えよう」
そう彼が言うと、私に巻かれていた血が滲んだ包帯を取り、シーツで作った包帯を代わりに巻いていく。
「すまない」
包帯を巻きながら博士は私にそんな言葉を漏らす。
「すまないって何のことだ? 傷のことなら私は気にはしていないよ」
私がそう答えると彼は首を横に振る。
「それもあるが、関係のない君たちを巻き込んでしまってすまないと思っている。 本来ならば僕が解決しなければならないのに」
「気にしないでくれ。 荒事は慣れてる」
「君はすごいね。 そんな華奢な体で化け物や軍人相手に立ち待ってきたんだから」
彼は私の右肩に包帯を巻きながら少し笑った。
「以前に僕は人の心の研究をしていたと話をしたよね? 僕は戦争で傷ついた兵士や国民を癒す研究をしたかったんだ。 純粋に人の為になる研究をやりたかったんだ。 けれど、現実は研究は軍に利用される」
私の包帯を替えながら彼は話をするが、さっきの笑みの表情は消え、代わりに彼の顔から悲しみが滲み出てくるのを感じた。
「あの時、僕は研究所が襲撃されて逃げるように帝都行きの船着き場に向かった。 向かったんだ。」
「そのことは聞いたよ。 仕方がないことだろう? 誰もがいきなり警報が鳴れば安全な所に逃げようとするものだよ。それは自然なことだし、人間の本能のようなものだ。 恥じることじゃない。」
「違う! 違うんだ!」
突然の大声に私は驚いた表情を見せるが、彼は続けてこう言った。
「あの時、僕はホッとしたんだ! これでもうあの忌々しく冒涜的で人をまるで実験動物か何かの様に扱う研究をしなくて済むと! けれどそうじゃ無ないんだ! 研究に実験に利用された村人や囚人たちの顔が夜になると目から焼き付いて離れない! 彼らの犠牲の責任から僕は逃げたんだ! 何の迷いも躊躇も無く!」
「いたっ!」
彼は大声を上げて腕に力が入った為、私を巻いている包帯が傷口部分が強く縛り、圧迫されて痛みで声が出る。
「あっ! 済まない!」
博士もすぐそのことに気づき、彼は謝罪し慌てて一度巻いた包帯を解き、再び巻き始めた。
「けどもう逃げることは許されない。 原因はどうあれ僕達が始めてしまった研究だ。 他の研究仲間や主任達が居なくなった今僕がこの惨状の決着をつけないと。 いやつけなければいけないんだ」
私の体に包帯を巻き終えた博士は帯の端と端を”キュッ”と結んで固定させて治療を完了させる。
「良し。 これでどうだい?」
私は包帯を巻きなおされた右肩を左右上下に振ってみると先ほどの痛みは薄らいでいる。
「先ほどよりだいぶマシになったよ。 これでまともに魔術は使える」
けれど思ったより弾数が少ない懸念はあるが、そんなこと彼には言えない。
博士は私に使った余った自作包帯をクルクルとまとめ、それを自分のズボン右ポケットに入れた。
「縫合した部分は少し裂けていたけど、縫合器具がない今の状況だとこれが背一杯だ」
「これだけ動ければ大丈夫だよ。 ありがとう」
彼に礼を言うと、私はベットから立ち上がり奥にあるハンドルの付いたドアの前に立ち、ゆっくりとした口調で彼に言葉を掛けた。
「私には魔術を使って相手を倒すことしかできないけど、あなたは人を救うことができるお医者さんだ。 その力をこれからたくさんの人に使えばいいんだ」
私は純粋にそう思っていた。 私の魔術は対魔術師、対異形種族向きで回復魔術を使うのはものすごく苦手だ。
さらに普段から部室や骨董店で本ばかり読んでいるせいで、手先が不器用だから包帯を巻くなどの作業もできない。
現代で望月君や淳子姉が敵にやられて傷ついたとしても、私にはその相手を串刺しにすることだけだ。
だから、魔術に頼らず自分の力で相手を治療できる彼を羨ましいなどいう感情ではなく、尊敬に値する気持ちなのだ。
「……ありがとう」
少し間を置いて博士はそう呟くと目から一筋の涙を流す。
「さぁ古都さんと菊恵さんを助けに行こう!!」
私達は鉄製のドアに付いているハンドルを回して次の部屋へと向かった。