いいえ!! 退きません!!
氷室博士が隠れているというボロ小屋の中へ入ると、室内は机に椅子、ベット替わりなのか雨戸にいろいろ染みの着いたシーツが掛けられ、咽返すほどの消毒液の匂いと血の匂い、そして煙草の匂いが充満している。
その中に、薄汚れた白衣を着て椅子に座っている貧困街の住人と思われる男性の左腕に包帯を巻いて治療している男がいた。
「お、菊恵。 戻ったのか? ん?お客さんか?」
「あー…」
こちらを振り向いて菊恵さんに声をかける男性。
その顔を見ると、丸メガネに少し痩せこけて無精ひげが生えてはいるが、間違いなく南雲中尉が私に見せた写真の人物。
”氷室博士”に違いないだろう。
「すぐに終わるからそこで待っててもらいなさい。それと健太すまなかったかな。 菊恵を探して来てもらって、ほれ、お駄賃だ」
彼は薄汚れた白衣のポケットから一口サイズの四角い立方体の包みを男の子に手渡した。
「ありがとう! 氷室のオッチャン! オラ、キャラメル大好きなんだ!」
「そうか。 ちゃんと手を洗ってから食べるんだよ」
「はーい」
男の子は渡されたキャラメルを受け取ると元気よく博士に手を振ってドア代わりの垂れ幕を走って外へ出て行った。
「さてと、あなたはもう少しで終わりますから」
彼は椅子に座っている男性に言うと、手早く包帯を巻いた。
「これで良し!」
「先生ぃ~今度はもう少し優しくやってくれよ~」
「何言っているです。 元はと言えば君が現場の木材の上にふざけて乗って落ちたのが原因じゃないか。 自業自得というものです」
博士は男性にそう説教すると、包帯の巻かれた腕を軽く平手で叩く。
「あいた!!」
「まぁ見たところ折れて無いようだし、少し骨にヒビが入ったくらいでしょう。 なるべく左腕は動かさない様に」
「あ、ありがとうござます」
治療の終えた男性は包帯の巻かれた左腕を抑えながら、博士に何回かお礼とお辞儀をすると小屋を後にした。
「お待たせして申し訳ない。 えっと、何処を怪我されましたか? 私の見たところ2人とも健康体に見えますが?」
博士はジロジロと私と古都さんを見ると笑顔でそう言った。
「いや、別に私達は怪我をしたわけじゃない」
「それでは、どうしてここへ?」
「あ~それは……」
私はチラリと古都さんの方を見ると彼女は私が送った視線に気が付いたみたいだ。
「……私ちょっと外の空気でも吸ってきます」
彼女は博士に軽く会釈をすると暖簾を潜って小屋の外へと出て行った。
「あー…」
後、菊恵さんの方を見たが、彼女は博士をボーっと見ている。
「まぁ彼女は大丈夫か」
「ん? では、君は僕に何か御用かな?」
「いや、用というか。 南雲中尉が――」
「南雲だって!!」
南雲中尉の名前を聞いた途端に氷室博士は大声を出して驚いて私から素早い動きで距離を取った。
「ぼ、僕は戻らないぞ!!」
「はぁ?」
「き、君も”アレ”が目的なんだろう!!」
彼は机の引き出しを開けて、中に入っている物を引っ掻き回して何かを探し始めた。
かなり焦っているようで、引き出しの中に仕舞われていた物がボトボトと下の地面に落ちていく。
「ッ!」
彼が引き出しから見つけこちらに向けたのは小型のオートマチック拳銃だった。
こちらに標準を向けられて私は慌てて彼を説得するように話しかけた。
「ま、待ってくれ! 私は別に南雲中尉に頼まれてここに来たんじゃない!」
「う、嘘だ!! そうやって油断させるつもりだろう!」
彼がこちらに向けている銃口はカタカタと小刻みに震えてうまく標準が付いていない。
「別に私はあなたに対して何もしないし、何かを強要するつもりもない。 誤解だ!」
「黙れ! 黙れ! 黙れ!!!」
「あー…」
ちらりと菊恵さんの方を見ると、この状況に動じていないのか、それともわかっていないのか、相変わらず”あー”と小さく発言して呆けている。
「ぼ、僕は軍に戻るつもりはないし、”アレ”の研究を続けるつもりない! そう南雲に伝えろ!!」
「弱ったな……」
「あのー」
声に気が付いて入口の方を見ると、この騒動に気が付いた古都さんが暖簾から顔を出していた。
「ダメだ! 古都さん来ては!!」
「えっ?」
「ッ!!」
彼の標的が私から古都さんへと変わり”パーン”と乾いた音が鳴り、銃口から火が噴く。
銃弾が発射された瞬間に私の体は動きだしていた。
(魔術は間に合わない。 ならば!!)
私は古都さんを庇うため両手を広げて前に立つ。
「ッ!!」
銃弾は私の右肩に命中し、肉が抉れる音と、骨に硬いものが当たる音、そして痛みと熱さが体の中を駆け巡る。
「す、須藤さん!!」
怪我の痛みに私の片膝がガクンと床へ落ち、怪我の部分からは鮮血が腕を伝ってポタポタと滴り地面を濡らす。
私は堪らずに右肩の傷口部分を止血するため左手で抑える。
「ぅぅ」
痛い、今にも泣きそうなくらいの激痛が私を襲う。
「ふー、ふー!!」
氷室博士の方を見上げると再び私に銃口を向けている。
あまりに興奮しているためか、口からは細かくを吸ったり吐いたりしている。
このままではもう一撃食らうのは目に見えている。
(栞を……くっ!)
右手でポケットに入っている栞を取り出そうとするが、少し動かしただけで”ズキン”と強烈な痛みが走って取り出せそうにない。
(このままでは……)
そう思った時だ。
「や、やめてください!!」
今度は古都さんが私の盾になる様に両手を広げて前方に立った。
「お、お前も、こいつの仲間か!」
「確かに私はこの人の友人ですが、あなたの敵ではありません!!」
友人。
確かに彼女は私のことをそう言った。
今まで私の魔術を見た人は、その後、冷たく余所余所しく腫物にでも障る様に避けて”友人”と呼べる人間はいなかった。
けれど、彼女はあの魔術を見ても私を友人と呼んでくれた。
私の前に立つ古都さんはよく見ると小さくカタカタと体全体を震わせて、氷室博士の構える銃口の前に立っている。
彼が引き金を引いて次段が発射されれば、彼女が傷つく恐怖があるのにそれを押しのけて私を庇っている。
今この時、古都さんが魔術師である私よりも勇敢で強い存在に感じ取れた。
「ふー!! ふー!!」
彼の指に掛かっているトリガーがゆっくりと引かれて撃鉄が下がっていくのが見える。
このままでは、本当に古都さんが私を庇って撃たれてしまう。
「古都さん! 退いてくれ!! このままじゃあなたが!」
「いいえ!! 退きません!!」
古都さんは少し顔を後ろに向けて私の方を見る。
その表情は涙目を浮かべてはいたが、最初の時と同じ笑顔だった。
「だ、大丈夫ですよ。 たとえ私が撃たれて死んでも私は須藤さん友人です。 あの橋であなたに助けてもらってから」
「……古都さん」
「……だから」
古都さんは前を向き直り博士を威嚇する。
「だから、私の友人をこれ以上傷つけるのは許せません!!」
「う、うわぁぁぁぁ!!」
「くっ!」
氷室博士が引き金を引く瞬間、彼の銃の上から誰かの両手が制止させる様に置かれる。
「あー…」
「き、菊恵……」
「あー…」
彼の銃に両手を載せた菊恵さんだった。
そして彼女は首を横に振った。
「違うと言うのかい。 菊恵?」
「あー…」
菊恵さんは博士の問いにコクンと小さく頷いた。
「…………」
すると先ほどまで興奮状態でこちらに構えていた銃口がゆっくりと下に降ろされる。
「……ふぅ」
どうやら菊恵さんのお蔭で危機は脱したようだ。
そして私は体を張って庇ってくれた古都さんにお礼を言った。
「古都さんありがとう。 あなたが居なかったからどうなっていたか」
「…………」
私が古都さんに話しかけるが、彼女は私の前に立ったまま微動だにしない。
「古都さん?」
「あ、あ、す、須藤さん」
先ほどの違ってギコチナイ動きでこちらに向けた古都さんの表情は涙目を浮かべ顔面は真っ青になっている。
「す、すみません。 か、体がガチガチになっちゃって。 う、うまく動けないんです」
危機を脱したが、古都さんの体は未だに緊張のために筋肉が収縮してしまったままのようだ。
魔術師や格闘技などの特別な訓練を受けていない彼女には無理もないことだ。
「いや、それでもありがとう。 私を友人と呼んでくれて」
私は固まっている彼女を片手でギュッと抱きしめる。
「須藤さん……」
彼女は少し顔を赤められたが、すぐにニコッといつもの笑顔を見せてくれた。
「あー…ところで」
氷室博士の声で私達はハッとなり、抱きついていた古都さんの体から離れて俯いて顔を私は顔赤くする。
古都さんの方は、少し照れくさそうに頬を指で掻いていた。
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その後、博士が私の傷の手当てをしてくれるとのことだったので、怪我をしている右肩部分を治療するためにメイド服を脱ごうとしたが、やっぱり脱ぐことができず、仕方がないのでメイド服の右肩部分から下をハサミで切り落として、博士は治療を始めた。
「後ろから弾が抜けた形跡がない。 麻酔がないので我慢してくれ。 このまま弾が残った状態では破傷風に掛かる恐れがある」
「いいからやってくれ。 私もこのまま肩に異物が残ったままではヤダからね」
「分かった」
そう言うと彼は熱湯で煮沸消毒していたハサミのような鉗子とメスを取り出した。
「では行くよ」
彼の言葉に私は頷いて痛みに耐えるために奥歯をグッと噛みしめる。
「―――ッ!!!!」
氷室博士が私の撃たれた傷口の穴をメスで少し広げそこへ鉗子を突っ込む。
気が狂いそうな痛みが右肩から頭部の脳へシグナルを送る。
「ッーーー!!!」
「もう少しだ………取れた」
彼が傷口から鉗子を抜いた時、私の血で赤金色になった銃弾が挟まれていた。
博士はそれを銀色をした医療用のタライに”カラン”と高い金属音を鳴らして取り出した銃弾を置いた。
「大した者だ。 麻酔なしで銃弾を取り出したら屈強な大男でも泣き叫んで痛がると言うのに」
「なぁに、このぐらいの傷なんてよくあることだからこれぐらいは平気だ」
博士は次にガーゼと包帯を取り出して来て、ガーゼを傷口に当てながら口を開いた。
「先ほどはすまなかったね。 こちらも”アイツ”の名前を言うから早とちりをしてしまって」
「いや、気にしなくていいよ」
博士は私が受けた銃弾の手当てをしながら、先ほどの騒ぎの謝罪をする。
「ならば、何で君は僕に会いたいと思ったのです? 別に君は僕に何かさせたいと言うわけではないのですか?」
「ん~それに関しては私も何でこんな簡単にあなたに会えたのか。 私自身よくは分かっていない。 けれど、別に私はあなたを南雲中尉が探していて軍に連れ戻すとか、研究の続きをさせようとなどとは思ってはいないよ。 ただ……」
「ただ?」
肩に包帯を巻きながら博士は私の最後の言葉に首を傾げる。
「ただ……何と無くなのだけれど。 どうもここまでの流れが誰かの筋書きに沿って動いている気がするんだ」
「つまり君は誰かの思惑に動いているかもしれないと疑っていると?」
「まだ杞憂の段階だけどね。 私はここまで自分の判断してあなたの所へたどり着いた。 けれど、そこまでの道のりが何だか上手く行きすぎているような気がするんだ。 ホント、ただの杞憂ならいいんだけどね」
「……ふむ」
私の肩の包帯を巻き終えて博士は最後に巻き漏れや緩い所がないかチェックをする。
「すこし動かしてみて」
私が治療した右肩を左右上下に動かしてみたが、少し痛むくらいで右腕で動作するのは問題なさそうだ。
しかし、万全だった時と違って素早くポケットから栞を出したりするのは難しそうだ。
「少し痛むが大丈夫だ」
「そうか。 よかった」
パタパタと治療道具を片付ける博士を見て私はあることを思い出した。
「ああ、待ってくれ。 あの子も治療してあげてくれないか? 右手の甲を切っているだ」
「菊恵を?」
菊恵さんを軍人から助け出す時に爆発の小さな破片が彼女の手の甲を傷つけていたし、この人は博士と言う割には医者のようだし一緒に治療して貰おうと思ったのだ。
「菊恵なら大丈夫だ」
そういうと彼は引き続き道具の片づけをする。
「おいおい、このままじゃ彼女も破傷風に――」
私が菊恵さんに近づいて彼女の右手を掴んで切り傷の甲の部分を見るが、驚いたことにそこには一本赤く切れているはずの皮膚が何事もなかったように綺麗な白い肌が私の視界に現れる。
「傷が治ってる? 確かにあの時には傷が……」
「本当だ治ってますね」
私の記憶違いかと思っていた私と同じく彼女の傷を見に来た古都さんも同じことを言っているので、菊恵さんが怪我をしていたのは間違いなかった。
「あー…」
当の本人はいつもながら何事もなかったように”あー”っと小さく呟いただけだった。
「彼女は……特別だからね」
最後に包帯を救急箱に入れながら博士はそう私達に言った。
「特別? あなたが大陸でしていたことはなんだ? 何の研究をしていたんだ?」
「僕は……」
彼は箱のふたを”パタン”と閉めてこう言った。
「僕は人の心の研究をしていたんだ」




