なーんで、こんなことになっちまったのだろう……
「はぁ……」
電車の窓から流れる田んぼや畑ばかりの外の景色を見ながら、俺は思わず大きなため息を吐く。
今、俺は阿比留川行きの電車に乗り、夜刀浦市の近くにある陰巣枡という漁村に向かっている。
「なーんで、こんなことになっちまったのだろう……」
車両がトンネルに入って、車内の蛍光灯が点き、俺は今ここ居る顛末を思い出していた。
そう、なんで俺がこんなことをしているかというと、事の始まりは昨日の夕方まで遡る。
前の事件からおよそ1カ月が経過して、月日は変わり6月になった。
ジメジメした梅雨の季節であり、毎日を雨雲と大量の湿気で俺のやる気と根気がダウンしがちな時期だ。
そして、高校生である俺に中間テスト言う、大きな大きな難関を突破しなければならない時期でもある……はずなのだが、前回の泥人形使いの戦いで俺自身の銃の腕を先輩に指摘され、淳子さん監修の元、銃の練習に明け暮れる日々を送っていた。
前の事だが、この銃の弾丸の金額は俺にとって高価な代物だ。 そんな物を練習とはいえ再利用できない物に掛けられるほど、金銭的余裕などあるわけがない。
そこで、未成年から余りにもお金を搾取するのは社会人としてどうなのかっと言う、淳子さんへ須藤先輩が助言して暮れていたらしく。
渋々淳子さんが用意してくれた、俺が使っている銃と同じぐらいの重さと大きさのガス式モデルガンで射撃練習をしている。しかも有料で。
こっちは、1000発で1,000円と安価でいいのだが、何と言うかそこまでして幼気な高校生から、しかも先輩の助言を聞いていたのに有料で俺から金を取る淳子さんの守銭奴ぶりは異常である。
とは言えここ一か月は、淳子さんの的確な指導のおかげで、的に当たる回数が10発中8発が命中するにまで俺の射撃スキルは上げることができた。
それに魔術の方の訓練も忘れずに行っている。 けれどこちらの方は、心底、センスの欠片が無いと言うのか未だに発動どころか、魔術のまの字も全く見えずにいる始末だ。
昨日も俺はいつも通り射撃練習をするため、先輩に付き添われて淳子さんの待つ”骨董店 アークライト”に向かった。
「しかし~望月君さぁ。 アレから一か月ほど経つが、いい加減ちょっとした魔術でも掴めてもいいはずなんだけどな」
「……すみません」
彼女は持っていた学校指定の手さげ鞄を背中に持ち直して、俺にサラッと嫌味をほざきやがる。 対し俺はそれに”すみません”としか言葉が出てこない。
「ん~どうしたものかな~? やはり君が使っている依代が悪いのではないか?」
彼女にそう言われて、俺は制服の胸のポケットから1枚のプラスチック製で白と青のストライプ柄のカードを取り出た。
これは俺が以前、ゲームセンターのアーケードゲームでスコアやセーブデータなどに使っていたカードで、今は新しいものに更新して現在は使っていない廃棄カード言われる物だ。 須藤先輩の依代が栞の様に、俺はこの”カード”を依代として訓練をしている。
訓練しているはずだった…。
「やっぱりこんなカードじゃ、ダメっぽいのかな……?」
”はぁ……”と、俺はついつい深いため息を吐き、肩をガクッと落とす。
俺の姿を見てだろうフォローとばかりに先輩は声を掛ける。
「まぁなんだ。 私の場合はよく読書をしていることもあって、”栞”が魔術のイメージが湧きやすいから使っているに過ぎないからね。 望月君もよくゲームをするのだろう? ならその”カード”がいつかは発動できるはずさ。たぶん」
彼女の言った最後の”たぶん”と言う言葉が俺には巨大な剣に見え、ザックリと胸の辺りに容赦なく突き刺さる。
この剣の精神的ダメージは強烈で俺はさらに肩を落とす。 先輩は俺が落胆する様子みて慌てた様子で、先ほどの弁解をし始めた。
「ほ、ほら! 今は全然でも使い続けていれば、もしかしたら魔術式が、ただ単に間違っているだけかも知れないしね! 万里の長城も一歩からと言うだろう」
「……ならいいんですけど」
俺は手に持っているカードの裏側に返す、表には俺のハンドルネームや戦歴などが書かれおり、裏の銀色の磁気部分には須藤先輩や淳子さんに教えて指南してもらった自作の魔術式が書かれている。もちろんまだ未完成なのだが。
「お……見えてきたぞ」
俺が俯き加減で歩いていると、彼女にそう言われ前を向くと、淳子さんの経営する”骨董店 アークライト”が道路の向こう側に小さく見えてくる。
「淳子姉も待っているだろうし急ごうか? なぁに気に病んでも仕方ないよ、もっと訓練を積めば使えるようになるさ」
「……そうですね」
俺は制服の上着の胸ポケットにカードをしまい、先輩と共に速足で店へと急いだ。
店のドアを開けて中に入ると、ドアに備え付けれているベルが鳴り来客を告げる。店内には、相変わらず店主である淳子さん何処からか集めてきた変てこな像や仮面、古いオルガンなどなどが店中にずらりと並んでいる。
店奥側にある木製のカウンターに、彼女の姿が無いことに気づいた先輩は大声で淳子さんの名前を呼ぶ。
「淳子姉いるー!?」
しかし空しくも淳子さんからの返事は無く、カウンターの奥から誰も出てくる気配はない。
「やれやれ、またどこか行っているのかな?」
業を煮やした先輩はズカズカと無礼にカウンターの中から店の裏へと侵入し、対し俺は、暇つぶしに店内に並べられている商品を見ながら適当に見つけた小さな木彫りの人形を手に取った。
「これって本当に売れているのかな?」
この店にある商品のラインナップを見ると、最初に来た時よりも量が増加していることに気が付いた。
「こんなんで商売が成り立っているのか? 前に比べて商品が増えている気がする……。 その内潰れてしまうんじゃないか? この店」
俺のお節介とも言える独り言を呟いていると、淳子さんが見つからなかった様で須藤先輩が店の裏から、店内へと戻ってきた。
「どうやら出かけているみたいだ。 いつも裏に止めてある淳子姉のバイクが無かったよ」
淳子さんが居ないのでは、勝手にモデルガンや的を使うわけにはいかないので、先輩にどうするかを尋ねる。
「それじゃあ、今日はどうします? 中止しますか?」
「いや、とりあえず待ってみよう。 もしかしたらすぐ帰ってくるかも知れない。 ところで喉は乾いてないか望月君?」
そう俺に告げると、彼女は再び店の裏に行き、10分ほど経ってから今度はティーカップ2つとポット、シュガーポットとミルクをお盆に載せて店内へ戻ってきた。
「淳子姉が戻ってくるまで、暇だしお茶にでもしよう」
「大丈夫なんですか? 勝手に使っちゃって?」
あの守銭奴の淳子さんのことだ、このお茶も後で請求されるに決まっているし、それに勝手に飲んだとあれば法外な金額を叩きつけられたら、たまったもんじゃない。
俺の勝手な心配を余所に、須藤先輩はニコリと笑顔を見せながら手慣れた感じでお茶の準備をし始めた。
「大丈夫だよ。この位のことは、後でキチンと元の場所に戻しておけば平気だよ。 淳子姉は金にはうるさいが、持ち物対しては案外ズボラなんだよ」
「ならいいんですけど……」
先輩の言うことに不信を抱いている俺に、彼女は紅茶の入ったティーカップをカウンターの上に置いた。
「棚の奥にオレンジペコがあったから、今日はこれにしてみたよ。 砂糖はいるかい?」
カウンターの上で湯気を立てているティーカップを前に、俺は以前の学校の部室で先輩が出してくれた、超絶濃厚極苦コーヒーの記憶がフラッシュバックし恐る恐る彼女に質問をしてしまう。
「あの……今回のこれは大丈夫なんですか……」
「ん? 大丈夫とは何のことだ? 毒なら入っていないぞ?」
「…いや……そう言うことではなく……」
「良くわからん奴だな? 折角入れたのに紅茶が冷めてしまうぞ?」
「は、はい……」
トラウマと言う物なのか、俺は紅茶を手に持った瞬間、突然心臓が大きく高鳴り、大量の脂汗が額から噴き出す。
そして先輩の方をチラリと見ると、俺が質問したのが、気に入らないのか若干むくれた表情でジッとこちらに視線を向けている。 ドクン、ドクンと心臓の音がどんどん大きくなる。 だが飲まないわけにもいかない。
「い、いただきます……」
俺はこの世と自分の舌に別れる覚悟を決めて、ティーカップに入った紅茶を己の口へ運んだ。
するとオレンジのいい香りが鼻を抜ける事に俺は仰天する。
「あ……美味しい……」
「ふん! だから言っただろ」
完全に不意を突かれた。 俺はてっきりどうやって入れているかは今でも謎だが、1口飲んでしまえば強烈な痺れが舌を蹂躙し、濃厚な苦味が口の中を支配する先輩が作る泥水……いやコーヒーを創造していたのだけれど、彼女が出した紅茶は普通に、ものすごく普通に当然に飲める代物だ。
「…で砂糖は使うかね? 望月君?」
須藤先輩はまだ不機嫌らしくカウンターにある椅子にドカッと座り、ぶっきら棒な態度で砂糖の有無を俺に尋ねてくる。
「ええ、それじゃあ使います」
俺も近くにあった椅子を引っ張って腰を下ろし、シュガーポットから小さなトングを使って角砂糖と2個入れる。
「じゃあ、私も頂くとするか」
彼女もシュガーポットから砂糖を1つ、2つ、3つ、4つ……っと次々に自分のティーカップへと投入して行く。
「せ、先輩? いくら何でも入れすぎじゃないですか?」
「ん? そうか?」
俺の忠告を無視して更に砂糖を入れ続け、10個目を入れたところで手が止まり、それをスプーンで掻き混ぜて先輩は飲んだ。
「うん、美味しい」
やはり俺が思った通り、この人はトンでもなくバカ舌だ。 今日、まともな紅茶を入れて感心したのがバカみたいだ。 どう見ても砂糖以外の味しかしないはずの紅茶だった物を旨そうに飲む先輩に思わず尋ねる。
「お、美味しいですか?」
「とっても美味しいよ望月君? 君もどうだい?」
「いいえ。 遠慮させていただきます」
常人では甘すぎて飲めるとは思えない物体を、彼女は平然と飲んでいる先輩に呆れていると、テーブル代わりに使っているカウンター上の端に小さな蛸の硝子細工が置かれているに気がついた。
「あれ? 先輩、これって前来た時にありましたっけ?」
「ああ、淳子姉またか……」
またとはどういうことなのだろうか? 先輩はやれやれという態度で紅茶を啜りながら語り始める。
「淳子姉はちょっと変わったものを集めるのが趣味でね。 よくネットオークションや骨董品の個人売買などでよく買ってくるんだよ。 飽きたものをこうして店に展示して売っているんだ。 まぁ本人はあんまり売る気も無いみたいだけどね」
「なるほど…だから、こんないろんなものが店に並んでいるんですね」
先輩の説明で店のラインナップが変なのが合点がいった。 ここはどうやら淳子さんのコレクションルームと化しているようだ。
「うーむ、やはり、お茶だけでは味気ないな……何か摘めるものはなかったかな?」
彼女は紅茶だけでは寂しくなった様で、今度はお茶菓子を探そうと椅子から立った瞬間、先輩の膝が当たり”ゴン”という鈍い音を立ててカウンターを少し揺らした。
「あ、危ない」
俺は揺れて倒れそうになったティーポットを押さえた時、ガシャンというと何かが割れる音が店内に響く。
「え……」
俺が恐る恐る床を見ると、さっきまでカウンターの上にあったはずの硝子細工が落下し、見る影も無く粉々に砕け散っている。
「あわわ…どうしましょう!! 先輩!!」
「ん~不味いことになったな。 望月君」
「あああああ、どうしよう、まずいですよ!! 淳子さん絶対怒りますよ!!」
「さてさて、どうしたものかな~」
俺が硝子細工を壊してしまって慌てているのに対し、先輩はいつもの様に冷静な態度で砕けたそれを見ていた。
「どうするんですかこれ!? ヤバいですよ、不味いですよ、絶対弁償ですよ!?」
「う~ん。 カウンターの上に置いてあった事は、淳子姉の新しいお気に入りだな…。 それを壊したとなると、もしかしたら私達は、明日あたり東京湾に沈められるかも知れないね」
先輩に言われ、俺は淳子さんに沈められている光景が目の前に広がり一層焦る。
「うわー!! ヤバイ! ヤバイよ絶対!!」
「参ったな~」
そうこうしている間に、表の方からバイクらしきマフラー音が店前に停止する音が俺の耳に入ってきた。
「あ、淳子姉帰ってきた」
先輩の呟きと同時にカランカランと扉が開いて、この店の店主である”白井 淳子”さんが帰ってきた。
「ただいまー、ごめんね、ちょっと出かけてて……」
帰ってきた彼女の視線は床に砕け散った自分のお気に入りの悲惨な姿を見て凍り付いた様に凝視している。 そして固まっている淳子さんがゆっくりと口を開いた。
「それ…最近……やっと手に入れた……クラーケンの硝子細工……」
淳子さんは余りのショックのせいで、うまく思考が制御できていないのか所々切れ切れに言葉を返す。
「えっとですね……これは先輩が…って、あ、あれ? 先輩?」
俺が振り向くと、さっきまで俺の後ろのカウンターにいた先輩の姿は、きれいさっぱり消え去っていのだ。
彼女の居ない状況を把握できていない俺に、バイブレーション音が鳴っているのに気づき俺は制服のポケットに入れていた携帯電話を取り出して確認すると画面にはメール受信の文字が表示されている。
メールの送り主は須藤先輩の様で内容を確認するとこんな文章が携帯電話の画面に表示された。
『すまない、望月君。 後は頼んだぞ! テヘっ」
(あ……あの女逃げやがった!!!!)
俺がメールの内容に対し憤慨していると、淳子さんがツカツカと無表情でこちらに近づき、両手で俺の方を強く掴んで拘束し、顔を俺の目の前に出す。
「望月君? こ・れ・はどういうことかな? なんで私の大事な大事な硝子細工どうして砕けているのかな? ねぇ 望月君?」
「あ…と…え…と、これはその…ですね」
強く握られる肩はギリギリと音を立て始めたが、無表情で俺の顔の前にいる淳子さんが恐怖で痛みを感じさせない上、スクルト効果で全身が震えて歯が噛み合わずうまく喋れない。
「え、えっと、えっと…こ、これは先輩が、」
「恵美が…そうかい……あの子が……やったのかい!」
「そう、なんで、すけど、もう逃げちゃった…みたいで……」
俺の言葉に淳子さんは怒りを爆発させて怒号が店中に木魂する。
「恵美ー!!!!!」
このとき俺を拘束していた彼女の手が離れた。
(今だ!!)
俺はチャンスばかりに、上手くこの場から立ち去ろうとそーっと忍び足で淳子さんの横を通り抜けようと試みる。
「まちな!!」
「はいっ!!!!」
ところが鋭い眼光と彼女の声が、俺の動きを止め反射的に気をつけの姿勢を取ってしまった。
「望月君は、恵美のサポートだよね?」
「はい!! そうです!!」
「なら恵美の仕出かした失態は、望月君にも責任があるわけだよね?」
「せ、責任ですか?」
「そうだよ…」
俺が横目で淳子さんを見ると、顔はニコニコ笑いながらも、威圧する低い声でこちらに話しかけてくる。
その表情に俺は恐怖し声が裏返って返事をしてしまった。
「だからさ……恵美のほうは私が、お仕置きしておくからさ……秀一君には1つお願いを聞いてもらいたいんだけどね……」
「お、お願いですか?」
俺が答えると淳子さんはニヤァと笑った。
「そうお願いだよ、それはね――」
つまりは須藤先輩の尻拭いをする形で、俺は淳子さんが注文を受けた商品をその村まで届けることになった。
本来なら配達業者を使えばいい話なのだが、これから行くところは業者でも配達地域外らしく届けることができないらしい。
「はぁ…先輩のせいで、いいとばっちりだよ……」
電車は真っ暗なトンネルを抜け切り、外の風景は田園から視界いっぱいに広がる大海原へと移り変わった。
俺は思わず車両の上下に開く窓を開けると、塩の香りが車内一杯に入り込んでくる。
『次は~夜刀浦~夜刀浦~お出口左側になります。 土更津方面の方は……」
「やっと着いたか。 じゃあ降りる準備をしないと……」
電車のアナウンスが夜刀浦到着を知らせ、俺は座っている席の頭上にある網棚からリュックを下ろして車両の降り口へと足を進めた。
ただこの時には魔術師として未熟な俺がある事件と試練に巻き込まれるとは、夢にも思っていなかったのである。




