ちょっとした非日常と、私の進路
「あのねー。ルベウス様、翠ちゃん」
「何ですか?ハル」
「何かしら遥ちゃん」
履修時間と休み時間を交互1時間、合計4時間取って、現在昼の12時の学校の屋上。
紫外線除去ガラス張りのテラスになっているそこは、昼食を取る為の人気のスポットだ。
そこに平凡顔が1人と、学校中の眼を引く美少女と美女が占めるテーブルが一つ。
周囲の耳目は自然、そこに集まる。
「これってさ。男の子でいうギャルゲー。女の子がやる乙女ゲーみたいな状況だと思うんだよね」
「それがどうしました?さぁハル、あーんしてください」
「ちょっと、今は私の番よルベウス。はい、あーんして遥ちゃん」
「……これは私を堕落させて肥えさせる陰謀だと思うんだー……」
平和な朝食の時間だった。
ルベウスも翠も、ひな鳥に餌を与える親鳥のように遥に、3人分の料理が詰まった大きなパックから彩り鮮やかな食材を取り分けて遥に食べさせる。
それがしばらく続くと、いつものように遥がギブアップする。
「も、もーやめて。おなか一杯……うむぅー」
「ふふ、今日も沢山食べましたねハル」
「ねえ、どうだった遥ちゃん。私のお弁当美味しかった?」
にこやかな翠の問いに、遥は消化を助ける成分の配合されたお茶を、小さなカップ一杯飲みながら言った。
「美味しかったよ。特にミニハンバーグね、あれすごいよー。デミグラスのと、ケチャップベースのソースの奴用意してどっちも美味しいんだもん。私特にケチャップの方のファーストフード風の味好き」
「そう!?よかったぁ。遥ちゃんに美味しいって言ってもらえると私も嬉しいわ」
「美味しく食べられて良かったですね、ハル。さぁ私達も食べましょうミドリ」
「そうね。それじゃあ頂きます」
「頂きます」
顔を見合わせて微笑みあったルベウスと翠が自分の分を食べ始めてから遥は言った。
「はー。平和だー。お腹も一杯だし、美女二人に挟まれて私しあわせ……」
ここ数ヶ月で遥の面の皮は、随分と厚くなったようである。
初めて二人と同じ席で昼食を取った時など、まるで自分は場違い、生きててごめんなさいというような顔をしていたのに。
すでにあーんされるたびに周囲から集まる視線に胃を痛めていた彼女は居ない。
人間の慣れとは恐ろしいものである。
遥と翠の年齢がもう少しで18から19になる程度の時間が過ぎた現在、世間では既に異世界を観測する、アウターワールドホロスコープと名づけられた機械が開発されていた。
これは最大12の異界座標を固定して、異世界を観察して楽しむという道具だ。
この機械の開発で、ある世界には既にこちらが観測されていた、というのが判明する事態もあったが、それは尚更異世界への進出を求める機運を高めるだけの物だった。
すでに宇宙に広がった人類は360度の世界だけでなく、4次元的な座標の移動も視野に入れるようになったのだ。
それらの動きは尚更アウターワールドドリーマーの数を増やしていた、が。
いい加減今暮らしている現実でも基盤を作れなければ超人的な力を手に入れても意味がない事に気づき始めた人々は、その性急さを収めた。
ゲームの世界一辺倒ではなく、現実にも使える教育と向き合う日々を取り戻しつつあった。
「そういえばさー、異世界を観れる機械できたよね」
「そうですね。私の居た世界はまだ見付かっていないようですが」
「あれ、高いらしいわね。欲しいの?遥ちゃん」
「いや、そーいうわけじゃないんだけどね」
弁当を食べる二人を見ながら、遥はぼんやり思っていた事を言う。
「もし私がルベウス様の世界に居たままだったら、その内こんな風に観測されたのかなーって」
この言葉に翠はクスクス笑ってから訂正した。
「遥ちゃんとルベウスがこの世界に帰って来たから今の異世界に触れる世界があるんじゃない。遥ちゃんが帰ってきてなかったら、行方不明事件が一軒起きただけになってたわよ」
「あ、それもそっかー」
「私とハルは始まりの二人というわけですか。それにしても……」
「ん?どしたのルベウス様」
「監視は何時まで付くんでしょうね」
ちらりとルベウスが視線を走らせた先には、明らかに学生ではない年齢の厳つい人間が、男女問わず生徒に紛れ込んでいた。
彼らは政府が付けた監視要員で、遥とルベウスを常に監視していた。
「確かに、あれはちょっと窮屈だね」
「仕方ないわよ遥ちゃん。この間も監視の人達のおかげで助かったんでしょ」
「うんー、まぁそうなんだけど」
つい一週間前、帰宅する遥とルベウスの傍を通りがかったボックスカーが急停車した。
そこからバラバラと降りて来た男達が二人の周囲を囲もうとしたその時。
四色の積層装甲のパワードスーツを着た部隊が、その男たちが持っていた光線兵器を抜く間も与えず制圧した。
正直余りにも簡単に事が片付いたので遥には危機感が無かったのだが、周囲には狙撃手も配置されていたらしい。
後から聞けば常人以上の力を持つルベウスでも対処しきれない事態だったと聞かされて、ぼんやりと物騒だなぁと思うに留まった。
「おかしな人達が政府が用意した施設じゃ遥ちゃん達の事、解析し切れていないに違いないって思って行動起こしてるんだから」
「んー、でも実感ないんだよねぇ」
「ハル、貴女は危機感を持ってください。あの事件は事前に情報を掴んでいた政府の動きが迅速だったから無事に収まりましたが、もしそうでなかったらと思うと」
「はい……なんだかなぁ。異世界行って良かったことってルベウス様と会えた事くらいしかないよね、私。まーそれだけで十分なんだけど」
自分と出会ったことが幸運に数えられているのが嬉しかったのか、ルベウスが笑顔になる。
それを羨ましそうに見た翠が遥に言った。
「あの、遥ちゃん。こっちの世界で私に出会えたのはどうかしら?」
「え?翠ちゃんと関わったのは……まぁ結果オーライ、かな」
「そうよね!え、えへへ」
遥の言葉に嬉しそうに箸を噛む翠を横目に、ルベウスは翠の作った弁当に舌鼓を打つ。
ルベウスが目論んだとおり、翠という人間を傍に引き入れた事で、余計な人間が遥に近づく事を抑止する事には成功した。
もし遥とルベウスの二人だけならルベウスを目当てに遥を引き離そうとする人間が現れただろう。
だが都合の良い事に勉強も出来て外見もいいが、多少社会的な頭の周りの悪い、遥に張り付く人間が居た。
これを少し調整して味方に引き入れれば、簡単な防壁が出来る。
ルベウスは自らの美しさを自覚していたし、翠なりの美しさというのも解る程度の審美眼は持っていた。
だから不自然に遥を目当てに近づく人間はあぶりだされる。
結果、三人一組という安定した形を作ることに成功して今に至る。
ルベウスは満足していた。
密約こそ対等の形に見えるが、精神的に翠とは順列が完璧に出来上がっている。
頂点は遥であり、二番目は自分、翠は最下位だ。
遥に最上位者であるという意識は無いだろうが、翠を抑えるルベウスは彼女の言葉に逆らえないのだから、同じ事だ。
ルベウスはその状態を楽しんでいた。
そして、今は翠が作って来る料理が美味しい。
これ以上に望む物があるだろうか。
この一年ほどでルベウスは2450年代の社会という物を理解していた。
極度に電子化の進んだ世界では貨幣は消え、社会における個人の仕事に対する評価点がそのまま資産として扱われる、ややもすると危うい世界だという事を。
そんな中で望むとすれば現物を作る1次産業従事者になるのが望ましいだろうが、現代日本にその空きは無い。
高度な文明の進歩は農業従事者の仕事を気候を見てその日その日の水や肥料の散布量を入力し、害虫駆除の小型機械群の働きをチェックする程度までに減らしてしまった。
自動収穫機は人の手で行うのと同等の繊細さで仕事を完遂し、出荷にいたる。
なのでこの時代における農家というのはその気になれば誰でも成れる筈が、土地不足のせいで成れない職業という立場に移り変わっている。
自らの世界なら棲家から見渡す限り土地が広がっていたのを覚えているルベウスにとっては、なんともため息の出る話である。
そして実際にため息をつこうとしたその時、チャイムが鳴り響いた。
「あ、予鈴だねー。そろそろ教室戻ろうか二人とも」
「そうね、遥ちゃん」
「ん……もうそんな時間ですか。では行きましょう」
ちなみに学校に通い始めて一年足らずでルベウスは易々と遥の達成度を越える成績を修めている。
もう何時社会に出てもいい程度の力を彼女は身につけている。
頃合を見て、遥達の両親に独立する事を告げるつもりで居る。
遥には以前言った様に文筆業にでも付いてもらうのがいいと思っている。
なぜなら、遥はルベウスにとっての宝であり、仕舞いこんでおきたいものだからだ。
翠はさしずめその管理人といった所か、ルベウスは翠には遥をなるべく家から出さずに健康を保つ役割を負わせるつもりだ。
ちなみにこの時代、主婦のような家事従事者は申請すれば政府から給与が出る。
定期的に審査があるが、社会システムを専門に補助する一種の職業として家事を行う人間にも収入が発生するようになったのだ。
本来ならそのサービスを受ける個人が賃金を出すべきだという論もあったのだが、現代における平均的な収入から家事従事者への報酬を出すのは現実ではないとされてこのような形になった。
これも実の資産ではなく、虚でもある社会貢献度を資産として扱う電子社会の恩恵である。
それらの事を考慮して、ルベウスは翠に密約を持ちかけたときの通り。
自らが稼ぎに出る婿になり、遥をその妻に、翠を遥の花嫁という名の家事手伝いにするという絵図を描いていた。
一年後、事は大体ルベウスの目論見どおりに進んだ。
遥は翠もルベウスの話に乗った結果、何とかザ・ワンでのプレイを元に創作した物語を纏めて読み物にする作業に専念している。
勿論元がザ・ワンだと匂わす程度にしか感じられない程度に事前に翠とルベウスに内容を修正された文章になっているが。
それを彼女は出版社に持ち込み、ある程度の読者受けはすると判断されて、一定量の文章が編集者に認められれば電子書籍として販売してもらっている。
翠は日夜遥の為に身の回りを整え、食事を作り、遥の書いた文章が編集に読まれる前に大雑把なの感想や誤字脱字の報告を行っている。
実はコレをするに伴って翠は両親を説得し、遥と結婚式を挙げ、籍を入れた。
その行為に遥の両親である健三と由香里は、娘が式を挙げる相手がルベウス出ない事に驚きながらも幼馴染である翠との結婚を祝福した。
そして肝心のルベウス本人だが、彼女は政府と取引をした。
取引といっても、世間的に目新しい何かを始めた、というわけではない。
彼女はこの世界の人類よりも本質的に強靭な自らの肉体の組織とその再生力に目をつけたのだ。
2450年代の世界において、人間はより優れた性質を持つ生物の組織の特性を人体に植えつける技術の開発には成功していた。
別にそれは外見が獣に近くなるという物ではなく、イヌ科動物のような持久力や、ネコ科の瞬発力を身につけさせるだけの技術だった。
何故そんな技術があるのにアウターワールドドリーマーなどという現象が起こったのかといえば、ひとえに植えつけられる能力は全て地球上の生物の限界を超えないという事に尽きる。
仮想世界での超生物に、現実の動物の優れた能力では敵わない、それだけの事だ。
そこで現実には存在し得ない超能力を持つ自分の体の組織を売り物にした。
採取部位は彼女の身体の部位の中でも最も再生力の強い尻尾だ。
その組織は強靭で、外傷を受けた場合にも治療を受けずとも再生する。
この特質を他者に植え付ける、後にドラゴノイドカプセルと呼ばれる薬の素材として尻尾を切り分け販売する。
まさに彼女にしか出来ない取引だった。
そんな美味い獲物に何故政府は直接手を出さなかったのか。
それはルベウスの身体能力を正確に調べる前に、異世界からの漂着者というインパクトでその存在を公にしてしまったという、人為的なミスが原因だ。
一度その存在を公にしてしまってから、その能力が優れているから強制的にその肉体組織を徴発するという、非人道的な行為は許される事がなかった。
だからこそ全ての軍事関係者が歯噛みしながら、その力を求めつつ、お互いに牽制しあい手を出す事ができずに居た。
そこに、ルベウス本人からの肉体組織の販売である。
当然、政府はこの肉の買取に手を挙げた。
一日の生産量は尻尾一本分。
それは買い占めればドラゴノイドカプセル1万個分、多いように思えるが2450年代の人口は地球だけで約70億人。
宇宙に進出している人々まで含めると、その実数は数倍に膨れ上がるだろう。
その中で考えると「たった一万個にしからない」である。
こういった、需要の高い薬の素材を彼女は売った。
それは彼女の体の機能として重要な部位である尻尾を、一時的にとはいえ失う行為である。
なので、まず最初に販売を持ちかけたのは政府だ。
この時代、国という物は惑星単位に変わり、地球の国家は統一されている。
これまで日本と記していたのは地球国日本地方、という意味を持つ。
それはさておき、彼女は自らの尻尾を交渉材料に政府と取引をした。
尻尾一本に対する高額の報酬と、尻尾が必要な間の護衛の貸与という条件で。
政府はそれを飲み、日々ルベウスに日辺り1億を支払って尻尾を引き取っている。
これがしばしの間、1日1万人、白兵戦において圧倒的な有利を得られる兵士を生み出す代償としては安い報酬だろう。
それにその薬は自国の兵士に投与するに留まらず、他国との交渉にも利用できる。
こうして世界はいまだ異世界に触れる技術の開発には成功していなかったが、異世界と自己の世界の産物の合成物には触れることになったのだった。
「ねー、ルベウス様」
「なんですか?ハル」
ルベウスの稼ぎ出した資金で購入したマンションに居を移した遥達。
遥と翠の両親も同じマンションに住まないかルベウスが打診したが、両親達は愛着のある自宅に残る事を選んだ。
そんな家のリビングで翠の食事を待っているときに、遥が少し聞きたい事があるという感じで口を開く。
「実はねー、編集さんが一緒に考えるからもっとヒロイン的なキャラを増やしませんか、って言ってるの」
「それは創造神の名無き世界のヒロインですか?」
「うん。あれはある意味私とルベウス様の話だから、ちゃんと聞いておきたいなって」
「……これは我がままかもしれませんが、やはりヒロイン、恋愛相手として意識するのは私だけにしていただきたいですね。小説の中でくらいは」
「そう?んー、解った。編集さんにはヒロインは一人で、テイムしていくモンスターのキャラを立てていくって方向で行くね」
遥が思い切ったようにそういうと、ルベウスは顔をほころばせた。
隣に座っていても、その時ルベウスの方を伺っていた遥にはその表情がはっきり見えた。
「ルベウス様嬉しそう」
「ええ、嬉しいですよ。翠の事は嫌いではなく、むしろ好ましいと思っていますが。やはり貴女を独占出来るというのは嬉しいですね」
「あ、翠ちゃんといえば本当に私のお嫁さんみたいになっちゃったよねー。部屋数の都合とはいえ、寝るのも同じ部屋だし」
「そうですね。ハルは彼女に夫らしい事をしてあげていますか?」
「えぇっ、それって……」
少し赤くなった遥。
彼女なりに知識はあるらしい。
「いいんですよ、ハル。私も貴女と」
「わー!わー!ダメ!食事前にそーゆー生々しいのはなし!」
「ふふ、ではやめておきましょうか」
そんなやり取りをする二人に、ダイニングキッチンから翠が声を飛ばす。
遥はその声を聞いてキッチンの方を見る。
「何騒いでるの遥ちゃん」
「いや、なんでもないよー!」
「そう?換気扇の音でよく聞こえなかったんだけど……なんでもないなら良いわ」
「うん!晩御飯お願いね!楽しみにしてるから!」
「えへへ、楽しみにしててね遥ちゃん。今日は貴女の大好物の秋刀魚よ!加脂育の良いの買ったから、美味しいから!」
遥の料理を楽しみにしているという言葉に、うきうきと料理に戻る翠。
ちなみに加脂育と言うのは養殖で育成した食用の生き物を意図的に脂身を増やすようにして旨みを増した食品の事だ。
200年ほど前に生まれた言葉で、どちらかというとお手軽な庶民の食べ物扱いで、現在では加脂育ではない、脂身の少ない天然物は高級品扱いされている。
「おー。脂たっぷりの秋刀魚だって。楽しみだねルベウス様」
「そうですね。ところで……」
「何ー?」
「今夜は夫と妻、どちらになるんです?」
にやりと笑うルベウスに、遥はぽすんと力の入っていないパンチを入れる。
それからそっぽを向きながら言った。
「きょ、今日は徹夜で創造神の名無き世界の続き書く!」
「おや、徹夜はお肌に良くないですよ」
からかうようにそっぽを向く遥の首筋に、ルベウスは掠るようなキスをする。
「ふぁっ……んもー!」
いたずらを仕掛けてきたルベウスに、軽い怒りを見せる遥だが、その程度はルベウスにとって楽しみなのだろう。
遥にじっとりと睨まれてもルベウスはにこにこと笑うばかり。
ルベウスは、こんな具合のやり取りをするたびに思う。
遥とこの世界に来て本当に良かったと。




