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その愛はハートを捧げるほどに

 ハルがルベウスをテイムしたという話は瞬く間にザ・ワンの中を駆け巡った。

ハルの名前が売れた、というのもあるが、それ以上にプレイヤー達の中の、廃人と呼ばれる人々。

彼らにルベウス様がテイム可能なボスだと知れ渡った事が大きい。

かつて挑戦し、そこに至る前に諦め、あるいは損得を計算して他の美味しい狩場へ移動したりした彼ら。


 そんな彼らの心に再びルベウスという極上のレアペット入手への欲求が燃え上がる。

再び、ルベウス様が実装された当時のように人々がアグドリア山脈に集い始めた。

そんな人の集まりに様々な消耗品を売るために生産職や商人プレイを行うプレイヤーも集まり、瞬く間に新たな街を作り上げる。

アグドリア山脈は今、燃えていた。


 さて、肝心の初テイム成功者であるハルはどうしていたか。

学校の宿題プログラムを行っていた。

宿題プログラムというのは学校の基礎授業ではカバーしない分野。

例えば家庭科などの作業を体感する事ができる貸与式の電脳体験プログラムを差す。

あくまで生徒が自主的に選ぶ者なので、その達成度は高めになる分野だ。


「ふぅ、今日はここまで……ログアウト」


 宿題プログラムに一区切りを付けて、遥は現実に戻る。

時計を見ると時刻19:30で、夕食の時間だった。


「んんー。これなら夕飯食べてからゆっくりログインした方がいいかな」


 しばらく時計と睨めっこして次の行動を決めた遥は自室を出て、一階の食卓に向かった。


「おかーさん。ご飯出来てる?」

「もー、あんたはいい年して手伝いもしないで」

「えへへ、今電脳で包丁捌きの練習しててさー」

「なら手伝いくらい出来るでしょ」


 えへへ、と頬を掻きながら言い訳する遥に、母である由香里は呆れた声で言った。

しかし遥はむすっとした顔で反論する。


「おかーさんがそれいうかな……家庭科達成度極まってるおかーさんの手伝いなんて下手にしたら、料理不味くするだけじゃない」

「はぁ。まぁ遊んでたわけじゃないから勘弁してあげましょっか。ご飯はできてるから、後は運ぶだけよ」

「あ、運ぶのやるよ」


 自分にも出来る作業となると顔を輝かせる遥に少し息をつくと、由香里は一人分の食器を四角いボックスの中に入れはじめた。


「そう?じゃあ私と遥の分だけ運んどいて。私はお父さんの分保温機の中に入れておくから」

「はーい」


 由香里に言われたとおりに、ご飯味噌汁焼き魚におひたしをほいほい運ぶ。

そして遥はお箸を持ってきた由香里から箸を受け取ってから、いただきますと食べ始めた。


「そういえば遥。最近ザ・ワンやってないみたいじゃない」


 食事の最中に振られた話題に、遥は箸を止める。


「ああ、あれね」

「どうしたの。何かやな事でもあったの?」

「ううん。そういうんじゃないの。でもねー。なんか、おっきな事をやり遂げると、あー、終わっちゃったんだなーって思うじゃない」

「ふぅん。解らないでもないけど」

「私はゲーム内で2000年掛けてボスを口説いたらなんか、クリアしちゃったっていうのかなぁ。そんな感じ」

「じゃあしばらくはやらないの?」

「んー。もしかすると引退かも。もう17だし、私そんな達成度高い方じゃないから、色々勉強しなきゃ」


 そう言って、再び食卓の上の料理に手を伸ばし始める遥に、少し嬉しさと寂しさが入り混じるったような顔をする由香里。


「貴女も大人になってきたわね」

「そりゃーね。私最近なりたい物できたし」

「あら、何に成りたいの?」

「おかーさんみたいな、料理上手なお嫁さん!」

「やだ、子供みたいよそれ」

「えーでもさー、他になりたい物って聞かれたら本当は歌手とかいいたいけどさ……自分のリアルの声にはそんな自信持てないよ」

「あら、成りたいならお父さんもお母さんも応援するわよ。歌手」

「無理無理ー。私の声ふつーだし。ザ・ワンでも魅了できるのはモンスターくらいだったしさ」


 焼き魚、とはいっても現代のものとは違う、無脊椎動物のような形をしたカルシウムの全てが肉の中に溶け込む生き物を食べながら、遥は言う。


「夢は夢ってねー。そもそも私、料理上手なお嫁さんの方すら怪しいし。あー、私お先真っ暗だー」

「ふふ、大丈夫よ。きっと遥なら明るい未来が待ってるわ」


 こうして娘の成長を楽しみながら、由香里は食事を進めたのだった。




 そして、遥の18歳の誕生日。

ふと思い立った事だった。

ずっとザ・ワンにログインしていない間に、ルベウスがどうなったかが知りたかった。

ただそれだけの事、過去に手に入れた思い出の品を見るような、そんな感覚で遥が電脳接続機でのダイブ先に久しぶりにザ・ワンを選んだその時だった。


「っ……!?」


 普通のダイブなら感じない、鼓膜が張り詰めるような感覚。

それを覚えてバッと目を覚ました遥の目の前には最後にログアウトした石造りの天井は現れなかった。

満天の星空で、大小あわせて21個の惑星が十字に並ぶ夜の空。

吹きすさぶ寒風に身を震わせると、確かに暖かなものに包まれる感覚。

電気の灯りはないのに、星明りだけで明るい周囲を見回して目に入ったのは、大きな乳房だった。


 頬に乳房の先端にある部位の感触を感じる。

張りのあるその感触に、慌てて顔を上下に動かすと、視界の中に記憶に深く刻まれた、一年前まで毎日のように顔を合わせていた顔があった。


「ハル、ハル……私のハル……ようやく招きよせられた……ようやく会えた……私の、ハル」


 脳に響くその美しい声は、確かにルベウスの声だった。


「へ?え?あれれー?もしかしてここ神竜の棲家?なんで……私最後にログアウトしたの、たしかアルディン村の宿屋で……てか寒い!」

「大丈夫ですか?今温風のブレスで暖めてあげます」

「あ、あったかーい……じゃなくて!なにこれ!なんでルベウス様に乳首あんの!?年齢規制は!?」


 遥の問いに、ルベウスはぽかんとしても崩れない美しさの顔で応えた。


「500と30年、貴女は2000年掛けて口説き落とした私を放り出してどこかへ行ってしまった。だから、私は望む相手を召喚する術を求めて200年掛けて創造神に会いに行き、その術を教わった。そして私は三つある心臓のうち一つを捧げて貴女を召喚したんですよ、ハル」


 一息に応えたルベウスの言葉に、遥は更に頭を混乱させる。


「は?500……え?召喚って……心臓とか……えええー?」


 あまりの説明に呆然とする。

遥の脳内には、一年でザ・ワンの世界観変わっちゃった?などというものも混じる。


「えっと、あのね。これ……ゲーム、だよね?」

「ゲーム。何を言っているんですかハル。これは現実ですよ」

「は?はぁぁぁぁぁ!?ちょ、ちょっとGMコール!AIが暴走してる!ログアウト!ログアウト!あれ?ステータス……え?し、システムは……え?え?え?」


 体で覚えていた思考操作を試みるも、全て通じない感触。

これがゲームであるという可能性が一つ一つ消えていく度に、遥の顔が青くなっていく。


「どうしましたハル?顔色が悪いですよ。ハル?ハル……」

「い、いやぁぁぁぁあーーーー!なんで!?なんで!?嘘でしょ!?こんなの、嘘よ!帰して!私を家に帰して!」

「ハル、ハル!そんなにこの世界はダメですか!?私が、嫌いですか!?」


 暴れる遥を柔らかく、しかししっかりと抱きしめるルベウス。

そして彼女の呼びかけに、しゃっくりを交えながら遥は答えた。


「わた、わたし……ルベウス様はきらいじゃないけど、もとのせかいにかえりたい……おとうさん、おかあさんのところにかえりたい……」


 ローブに包まれた腕で流れ出る涙を拭いながら零れた遥の望み。

それを受けてルベウス様は静かに頷いた。


「……解りました。ハル、貴女の望みがそうならば。私が貴女の世界に行きましょう」

「へ?」


 遥が呆然としていると、美しい、鮮烈な紅が映える顔を慈愛に満ちた笑みに変えて見せた後。

ルベウスは天を仰ぎ詠唱を始めた。


「名無き創造神!私の心臓を1つお捧げします!私ルベウスとハルを、ハルの生きていた世界に移ることをお許しください!伏してお願い申し上げます!アギ・アギ・メディナ・ストゥ・マギラ・カンカ・ディア!」

「ルベウス様……心臓を1つって……」


 遥が自らが抱かれた胸の、心臓があるとおぼしき胸の中心に置くと、確かに2つの鼓動が聞こえた。

だが、それは唐突に1つ数を減らす。


「ルベウス様?」

「……願いは、聞き届けられました。間も無くハルの世界へ帰れますよ」


 静かに、ルベウスが遥に再び微笑む。

そんな彼女を揺さぶって遥は叫ぶ。


「ルベウス様!心臓を1つって!ダメだよ!私そんな価値ないよ!なんでそんな事してくれるの!?」

「長く生きてきて、初めて愛しいと思いました。それ以上に重い理由なんてありませんよ」

「そんなー!」


 言い合う二人を、柔らかな光が包む。

そしてどこからともなく声が響く。


「汝の願い聞き届けたり。理の異なる世界でも達者で暮らすが良い」


 その声は深く、低く、柔らかに脳に響く声だった。

全てのものの父としての威厳のある、そんな声だった。


「だ、ダメ……ルベウス様。私の世界になんかきたら、ルベウス様きっと酷い目に遭う……だからダメ!」

「もう遅いですよ遥。それに……もしそうだとしても、貴女と同じ世界にいられる。それだけで私には十分」

「ル、ルベウス様……うえぇぇぇーーん!」

「何を泣くんですか遥。私は貴女と出会えて幸せですよ」


 創造神の転移の光と、ルベウスの柔らかで暖かな身体に包み込まれながら、遥は思い出していた。

神竜人ルベウスは、たった一人の連れ添いが自らを求めてくるのを待っている。

そんな、ゲームの中の設定を。


 光の白色で目の前が染まったと思った次の瞬間。

遥は抱きしめられる感触はそのままに、身体が接している岩肌だった所が、覚えのある柔らかな感触になっていることに気づく。

だがそんな事は今は遥にはどうでも良かった。


「ルベウス様!」


 自分の事を抱きしめている、神竜人の女性に呼びかける。

遥を抱え込むように気を失っているルベウスの肩を思わず揺さぶりそうになって、遥は思いとどまる。

ルベウス様は心臓を1つ捧げたと言っていた。

なら不用意に動かすべきではないと感じたから。


 それから、なんとか自分より大柄で重いルベウスの腕の中から抜け出して、遥は階下にいる母を呼んだ。


「おかーさん!大変!大変なの!」


 遥の切羽詰った声に、由香里も異常を感じたのか、すぐに二階に上がってくる。


「どうしたの遥!そんな大声出して!」

「あ、あのね。信じられないかもしれないけど聞いてね」

「何よ、そんな凄い事が起こったの?」

「えっと、私異世界に行って、そこでルベウス様に元の世界に帰りたいって言ったら、ルベウス様が心臓を神様に捧げて私をこの世界に戻してくれて……」


 完全に動揺している遥の様子と言動に、眉をしかめて由香里は遥に話しかける。


「貴女、自分の名前は解る?生年月日は?後私の名前も」

「あああー!お母さん!ちょっといいから私の部屋に来て!」

「こらっ、ちゃんと答えなさい」

「いいから!実物見れば大体納得するから!」


 困惑する由香里の腕を引いて、遥は自分の部屋に入る。

すると由香里はそこに居た存在に、空いた手で口を覆って声を押し殺す。


 ベッドの上に、明らかに作り物ではない翼と尻尾、そして角を備えた、鮮やかな紅の髪を広げて蹲る人外の姿。

それは先ほどの娘の言葉より遥かに重い説得力を持って由香里に現実を訴えかけた。


「は、遥?この……これ……なに?」

「だから、これがルベウス様!心臓を1つ神様に捧げちゃったの!あ、私を呼ぶのにもう1つ使っちゃってるから2つか……とにかく、大変なの!どうすればいい!?」

「え、だってこんな……どんな病院に運べばいいのかなんてお母さんも解らないわよっ」

「でも、でも私のせいで心臓を2つも捧げちゃったんだから何か、何かして上げなきゃ……」


 混乱と共に縋りつく娘の姿を見て、逆に冷静になったのか、由香里は遥の肩を押さえて言った。


「……どうなるか解らないけど、救急車を呼びましょう」

「病院、大丈夫かな?」


 言外に、こんな人と違う存在を運び入れて、何事も無く済むかという言葉が含まれているのを承知した上で由香里は言う。


「大丈夫だと思って呼ぶしかないわよ。私達は医療系達成度なんて持っていないんだから」

「……私、ルベウス様が実験動物見たいに扱われるの嫌だよ……」

「しばらくはそうなるかもしれない。でも、この人?が未知の病気を持っているかもしれないし、どちらにせよ調査してもらうのは必要よ」

「うぅー……解った。私見てるから、お母さん救急車よろしくね」

「解ったわ。遥はとにかく落ち着いてね」


 そういうと、由香里は通信端末を取り出して、円盤の表面に描かれた番号をプッシュして病院に連絡を取った。

病院側には通常の人には無い場所をとる奇形がある人の、心臓疾患が発病して倒れたので搬送をお願いしたいというのに留めた。

科学技術の進歩と共に無人医療技術が進化した2450年で、救急車の出動範囲内で病院への搬送が断られる事はほとんどない。

医師の手が空いていないという事はないし、入院が必要な患者である事を考慮して病床が空いている病院がまず最初にコール先として選別される。

そして何より大きいのが、施設費の廉価化によって病院ごとの可能な治療の格差の縮小というのが挙げられる。

コレによって個人病棟というべきものまで出現し、医師不足問題はほぼ解決したといえる状態にあるのが2450年なのだ。


 そんな時代だからか、緊急搬送ロボを指揮する人間がルベウスを見た瞬間戸惑いをあらわにしたものの、彼女は遥と由香里に付き添われて、無事病院へと搬送された。

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