テイム成功
ヴァーチャルリアリティを用いたゲームが初めて出たのが350年前。
それから人類はあれやこれやと技術を革新していった。
そうしてヴァーチャルリアリティ空間は、少なくとも先進国と呼ばれる国々では。
現実の数倍の時間を人に与える場所になった。
多くの人々はその構造などはただ知らず、一握りの天才が切り開いた新境地を、ただ甘受した。
彼女、稲穂 遥もそんな甘受する側の人間だった。
この時代、精神が肉体の数倍の時間を過ごせるようになったからと言って、そこに知識を詰め込むような授業は行われなかった。
とりあえず詰め込む事より、理解を優先させたからだ。
だからこの時代、学年という概念は無くなっていた。
あるのは達成度という、この人は現在の指導要綱の内容をここまで理解しています、という目安のような数字だけ。
子供達は自分の就きたい職業に必要な達成度を修得する事で、随時社会に出て行く。
ともあれ、遥はその達成度をほどほどに取得して、ほどほどに遊んでいる。
2450年の日本では割と平均的な17歳の子供だった。
彼女が遊んでいるのは数百年前から、それこそヴァーチャルリアリティが開発される前からある古典的遊び。
多人数参加型アクションロールプレイングゲーム、ザ・ワンだ。
このゲームは種族という概念が基本的に無い。
なぜならアバター製作時にプレイヤーが自由な種族を創れてしまうからだ。
そんな事をしたらゲームバランスなどあったものじゃない!と思うだろう。
事実、制作会社であるライフラインソフトはこのゲームの主眼は、自由な発想によって世界を見て周る種族を創る事だと明言している。
アクションロールプレイングという名を冠してはいるが、どちらかといえばガチガチの戦闘系ではなく、どちらかといえばゆるい環境観賞用ゲームなのだ。
モンスターはきちんとアバターを作りこみ、そのアバターが適応した適正な環境であれば、よほどアクションが苦手な人間でなければ勝利できる様になって居るのが基本だ。
当然、強力な個体であるボスモンスターや、リンクモンスター等の数で押してくるモンスターに対してはソロでは敗北は免れないバランスにはなっていたが。
遥はその緩さが好きでこのゲームをゆったりと遊んでいた。
彼女の作ったアバターは人類型調教種テイムマスター。
平凡な日本人顔のおかっぱ頭に、ちょっと寸胴気味な体型にメリハリを与えて、ほんの少し現実より背の高い163cmにした彼女のアバターの特徴。
それは喉だ。
彼女のアバターの喉は特殊な構造をしていて、水中でも発声できるように、超音波も発する事が出来るようになっている。
そして彼女の声には聞いたモンスターの好感度を上げる効果がある。
ようは、彼女は敵であるモンスターに、攻撃を回避しながら何度も語りかけることで好感度を上げ、使役できるようになるという種族なのだ。
このようなタイプのアバターはプレイヤー間ではセイレーン種と呼ばれる。
声で魅了するその様が、歌声で船乗り達を惑わしたセイレーンのようだからだ。
そんな彼女がずっと、あるボスがアップデートで追加されてから張り込んで「声」を聞かせ続けている。
その名は紅髪紅玉眼の神竜人。
ルビー色のウェーブヘアとルビー色の縦に裂けた瞳孔を持ち、見る物に一様に芳醇な母性と造形美を感じさせる、ザ・ワン内で最も美しいとされるモンスター。
攻撃を受けるまで交戦状態に成らない、所謂ノン・アクティヴモンスターといわれる存在だが、彼女を攻略した者はまだ居ない。
なぜなら一度交戦状態になれば多彩な種類のブレス、炎、氷、風、水、石化、毒、光線、反物質等、考えられる限りの種類のブレスを使い分け、更に同時に圧倒的な身体能力で襲い掛かってくるからだ。
黒檀色の頭部から生えた角は飾りだが、背中の翼と臀部から生える尻尾は飾りではない。
並の人間では容易くその姿を見失うような速度で空を飛び、無慈悲にブレスによる遠距離攻撃と肉弾戦を使い分ける上に、強力な再生能力を持つ凶悪な敵。
それが遥がテイムしようとしているボスモンスター、通称ルベウス様と呼ばれる存在である。
本来なら弱体化調整が入り、倒される敵になるべきはずの「倒せないボス」である彼女に、何故かライフラインソフトは修正を加えなかった。
その強力な力を求めて数多くのプレイヤー達が彼女のテイムに挑戦していたが、ゲーム内時間で1000年掛けても高度な演算機能で実在の人物のように反応する彼女に受け入れられなかったプレイヤー達の多くは、その心を折られて行った。
そんなルベウスのテイムを試みるために学校から帰って、軽くシャワーを浴びて楽な衣服に着替えてから、すぐに今日一度目のトライの為に電脳接続機を被ってログインする遥。
すっと意識は一瞬遠のき、次の瞬間には見慣れた死に戻りポイントである、ルベウス様の住む山のふもとの宿屋の石の天井が目に入る。
「さってと、今回は何秒持つかなー。ルベウス様ガチ狂ボスだからなぁ。まぁ肉壁は途中で適当に調達していくとして……回復薬どのくらいあったっけ、倉庫見てみなきゃ」
独り言でこの後の段取りを確認する、このゲームには装備耐久度という概念はないので、思考開閉ウィンドウでざっと装備だけ確認しながら歩き出す。
彼女の装備で特徴的な物は二つ。
一つはチャームド・メガホン。
これはメガホンを通して声を聞かせるとモンスターへの魅了度が上がりやすくなる以外は攻撃力の無い拡声器。
二つ目はエスケープフロムデス。
一定の割合以上のライフがあれば一度だけ、どんなダメージを受けてもヒットポイントが1残るという純白のローブ。
特に二つ目のエスケープフロムデスは金属製品との同時装備が出来ずとも、ヒットポイントの管理さえ出来ていれば確実に生き残れる一品という事で、魔法系や特殊能力系の後衛職に重宝される高額アイテムだ。
「装備は変わりなし……うっかり外したりもなしっと」
宿屋の部屋の扉を開けて、軋む木製の床を踏みながら階下に下りる。
「こんにちはハルさん。いつもどおりの出動ですね」
ハル……遥のアバターネーム……に話し掛けてくる快活な声は、もんてすきゅ~という鳥人系アバターのプレイヤーだ。
彼はルベウスの住むアグドリア山脈の雄大な自然に魅せられて、日々その上空を自らの翼で飛びまわり、気が向けば狩猟を行っている。
「こんにちはー、もんさん。もんさんはもう一ッ飛びしたんですか?」
「うん。久しぶりの休みだったから山脈の端から端まで飛んで楽しんだよ。やっぱり空の旅は最高だね」
宿屋の一階の広間の安物の腰掛に座りながら、楽しげな声を出すもんてすきゅ~にハルは一礼する。
「私は日課の死に戻りしに行きますー」
「ははは、ハルさんも諦めないなぁ。良かったら頂上まで送ろうか?」
「いえ、途中で肉壁捕まえていくので遠慮します」
「ああ、じゃあ昨日は肉壁全部片付くまでルベウス様にタゲられなかったんだ」
「はい。なんと昨日は12秒も連続で声を聞かせられたんですよ」
「お。凄いね。記録更新じゃない?」
「かもですね。では行ってきまーす」
「はいはい。いってらー」
ハルは結構もんてすきゅ~には世話になっている。
現実の1時間を1月とするこの世界では敢えて各地を自由に行き来するワープポイントなどは設置されていない。
だから、もんてすきゅ~のような高い移動力を持つアバターを持つ人々は運送屋として重宝されることが多い。
ハルは彼にここアグドリア山脈で採れる素材や鉱石などをもんてすきゅ~に代理売買してもらって、日々の狩りの為のアイテムを調達する資金を稼いでいるのだ。
それはさておき、ハルは村の中心にある一番大きな建物である村長宅を訪れる。
「ほっ、ハルさんや。どんなごようですかな」
ハルに声を掛けてきたのはここアルディン村の村長であるノンプレイヤーキャラだ。
彼はこの村におけるプレイヤーのアイテム倉庫番である。
「村長さん。私の預けた一等級ポーションって後何個ありますか?」
「それなら後1000個だね」
「うーん。まだまだ持つかな。じゃあ100個引き出してください」
「はいよ。受け取っておくれ」
村長の手から白い瓶入ったポーションのアイコンがハルの手に送られる。
ハルはそれを軽く受け取って、思考操作でアイテムパックを開くと既に配置されている一等級ポーションに受け取ったデータを重ねる。
それが済むとハルは軽く村長に挨拶してから、石造りの村の中をアグドリア山脈に向かい歩き出す。
「ふぅ、ルベウス様の住処まで4時間くらいかな。私も初めのころは苦労したわよねー、登山」
ぶつぶつといいながらも、簡素なサンダルで険しい山道をハルはすいすいと登っていく。
このゲームでは難易度の高い行為を行う事でアバターが環境に適応していくという形で能力が上昇する。
この3年の間に、貯めたお小遣いで課金アイテムの熟練度限界開放アイテムを使って登山と声の魅了力の限界だけ取り払っている。
そのおかげで彼女は人類型のアバターとしては飛びぬけた登山能力と、ボスですら魅了する声を発する事が出来る能力を獲得している。
アグドリア山脈の頂上に住まうルベウスの巣がある標高が10km越えの超巨峰。
そんな場所に通うのに最初はゲーム内時間で一ヶ月掛けたりしたものだ。
それもすでに懐かしい記憶だ。
彼女の足は確実に蓄積された経験によって平地と変わらぬ速度で山を登る。
既にハルはゲーム内時間で4時間も歩けば高度10kmの山を登れてしまう健脚を獲得しているのだ。
「あら、そこの綺麗な鱗のドラゴンさん。ちょっと私についてこない?」
そしてハルはその道すがら、アグドリア山脈に住まう竜を声で誘惑していく。
強大な精神力を備え、対魅了耐性が高いルベウス相手にリアルで数年、ゲーム内ではおそらく約2000年掛けて語りかけた彼女の声の誘惑能力は非常に高い。
そこいらに居る通常のモンスターならば今のような軽い一言で従順に頭を下げさせ、従えるほどに。
ちなみに、ザ・ワンではボスモンスターをテイムして連れ歩くという行為は、さほど珍しくない。
例えばテイムモンスターで一番人気があるのはオフラインのゲームで言う中ボスに当たる、ローカルボスのドワーブンラビットだ。
そのボスのサイズは像サイズの兎で、色はランダムで決まる。
ドーワブンラビット自体の強さはさほどでもないが、大きくて柔らかい毛皮を持つモンスターとして人気なのだ。
ゲームだからアイテムを運ぶのに振動なども気にしなくていいので、騎乗用としての人気もある。
おそらくそんなドワーブンラビットはハルが「やっほー」と声を掛けただけで服従の意を示すだろう。
それほどまでにハルが挑んでいるルベウス様の魅了耐性は高いのだ。
そんな自慢の声で取り巻きを増やしながら、ゾロゾロとした集団を作りながらハルは山を登る。
時に崖となっている場所を登攀して登り、取り巻きの中の空を飛べるモンスターが、飛べない者を運ぶのを待って座ったりしながら。
時に雪積もる岩場も、さくさくと粗末なサンダルで踏破していく。
そうしてゲーム内時間で5時間ほど掛けて、ハルは頂上である竜神の棲家に辿りつく。
ちなみに、竜神や神竜人などといった、ルベウスが神であるかのような呼称が着いているが、これは彼女が神であるという事ではない。
圧倒的なその力と穏やかな気性から山脈に接する場所に住む人々から、神と崇められる事があるということを示す程度の表記だ。
この世界における本当の神とであえるのはイベントの時だけだ。
例えば、大型イベントである活火山エブリードの噴火を止めるイベントでは話を進めると炎の神であるアンフという神と神像を通して話、上手くイベントを進めれば彼の一柱が光臨する姿が見られる。
プレイヤーとこのゲームにおける神との距離感はこのようなものなので、その気になれば歩いていけばいつでも会えるルベウス様は神の領分に入らないのだ。
「ようこそハル。貴女も懲りませんね」
大小様々なモンスターに囲まれたハルに向かって、あまりの声の透明度に耳が痛くなりそうな美声が放たれる。
下手な返答は声に含まれる魅了効果による敵対行為とルベウスに判断されるために、ハルは黙って頷く。
「実を言えば、そろそろ私も貴女の声の魅了に対抗するのが面倒になってきた所なのです。この2000年、貴女は何度私に殺されても再び山を登ってきました」
青少年表現規制によって、乳首の無いつるりとした大きな乳房を張りながらルベウスは続ける。
「正直な所、そんな愚かしいといえるほどの時間を掛けた貴女の事が気に入っているの」
尻尾を揺ら揺らと揺らし、翼をはためかせながらルベウスが言う。
「だから今回で決めませんか?従えられるか、諦めるか」
自愛に満ちた微笑を湛えて首を傾げる長い紅毛に包まれたルベウスに対して、ここで初めてハルが口を開いた。
そしてメガホン越しに叫ぶ。
「ぜーったい、諦めない!ルベウス様は私のものになるの!」
それが戦闘開始の合図だった。
声でテイムしたことにより脳内でパスが通じたモンスター達に指示をだしながら、ハルは朗々とルベウスを口説く言葉を紡ぐ。
「命の石で作られているかのような髪と瞳を私にください。貴女の母性に私は包まれたい」
この言葉を紡ぐだけで、100体を越えていたハルの取り巻きは1/3に減った。
ルベウス様が最も好む雷撃のブレスでスタン状態にされて転がるモンスター達。
麻痺への抵抗が高い個体ほど、強力な電撃のブレスを浴びせられて体から煙を燻らせている。
「ルベウス様!私の」
水流のブレスで残る1/3がなぎ払われて死亡を示す粒子のエフェクトとなって消える。
「愛を受け入れて!」
言い切ると共に必殺の反物質の塊を吐き出すブレスが直撃してハルのヒットポイントを1にする。
ローブの効果が無ければ即死の攻撃だ。
ハルはショートカットから思考操作でポーションを連打する。
「2000年私の声は貴女の心をは溶かせ無かったの!?私と貴女は多分この世界で最も長い時間を共に過ごした者同士だっていうのに!」
早口で叫んだにも関わらず、この間だけでアイテムパックに重ねて置いておいたポーション100個以上が消える。
「愛してる!」
その言葉を最後に、ハルのアバターは死んだ。
セーブポイントへの帰還を行うかどうかのウィンドウが彼女の視界に浮かぶ。
「あーあ。ダメだったかぁ。お堅い女ね、ルベウス様」
ハルは嘆息しながら死に戻りを選択する。
だが、一瞬の暗転の後、死に戻りポイントである見慣れた石の天井を見るベッドの上から身を起こすと、異変は確実に起こっていた。
「勝負は貴女の勝ちでしたね、ハル。これからよろしくお願いします」
バッと声のした方向を見る。
そこには中世西洋の彫刻のような豊かな美しさを備えた、紅毛の竜人が、僅かに肌を覆う黒檀色の鱗以外は一切見につけていない状態で立っていた。
「う、う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!ルベウス様だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ハルはベッドから跳ね上がってルベウスに飛び掛る。
ルベウスは豊満な胸と、ふっくらとした曲線を持ちながらも頑強な腕でそれを受け止める。
「ふふ、落ち着きなさいハル」
「でも、だって、嘘だぁ……!ルベウス様テイム出来ちゃった!」
「おめでとうございます。貴女の一万年は無駄ではなかった」
「う、う、うわぁぁぁぁーーーーん!やったよぉぉぉぉ!ずっとずっとこうしたかった!」
「ふふ、攻撃的な接触でなければこのくらいの事いくらでも出来たのに。貴女ときたらテイムするまで触らないだなんて言って」
胸に抱かれてもう自分でも訳のわからない事になっている叫びを上げるハルを抱きしめながら、ルベウス様はハルを落ち着かせるかのように小声で囁く。
「ほら、そんな声を出していると誰か来ますよ」
ルベウスの声も遅かったのか、部屋の扉が一気に開かれる。
「ハルさん、どうした……げぇっ!?ルベウス様ぁ!?」
部屋に飛び込んできたもんてすきゅ~が一瞬で部屋の外に戻る。
「さ、ハル。貴女の説明が無ければ彼は怯えたままですよ」
「うぇ?う?あ!え、えと、その、もんさん。私ついにやりました!」
「や、やったって……ルベウス様テイムしちゃったのかい!?」
こそこそとドアの隙間からのぞき見る有翼人に、ハルは大声で言った。
「はい!私の愛、ルベウス様に通じちゃいました!」
その言葉の後は、もんてすきゅ~が声にならない叫びを上げる番だった。