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Lesson2.クラブ・ペコー(5)

 オレンジ・クラブを探索する海岸は白い砂浜が続き、瑠璃色の綺麗な海が広がっている。おもわず「泳げないかなぁ」などと呑気な事を言うコレットに、仕事中不謹慎だと不機嫌になるマウノだったが、「ルネちゃんと泳ごうかなぁ」とつぶやくと押し黙った。恐らくルネが泳ぐ姿を想像したのだろう。


「いやっ、マウノさんてば、いやらしい、不潔、変態」


 ルネの声色を真似してからかうと、かなり本気で怒られた。半泣きでぶたれた頭を押さえていると、クダチに優しく撫でられたのだが、それで痛みが飛んで行くわけでは無い。うっすらと涙を流していると、遠くから地響きが聞こえて来た。

 地面に何かを打ち込むような音と振動が連続して続き、視界の端で砂埃が舞い上がっている。巨大なカニが悠然と砂浜を移動していた。


「おい、晩ご飯が来たぞ!」

「でかっ。鍋に入るのかよ」

「二人とも、頭がおかしいですね」


 頼もしい前衛二人がそれぞれ戦闘態勢を整える間に、コレットは『パルセノキッサス』を用意しようとしたが、すぐに方針転換した。おそらくツタで足止めしようとしても巨大なハサミで切られるか、力ずくで引きちぎられてしまうだろう。それならば、前衛二人に直接支援する魔法の方が良いだろうと考えた。


「メンタ・ピペリタ・フランジ」


 控えめに、そっと呟くような声で花の名前を発する。細かな粒子状の音符がコレットの周りを漂い、砂浜へ落ちと同時に彼女を中心とした円上にペパーミントが咲き乱れた。コレットが右手を振ると、その先から花と葉が消えていき、香りだけが残された。

 すでに走り始めていた前衛二人は、鼻にふわりと良い香りが漂ってきた途端、急に身体が軽くなるのを感じた。


「む?これは何だ」

「お、助かるな」


 反応は違うが、二人とも感覚でその効果を理解したようだった。


「っしゃあ」

「いただきますっ!」


 妙に気合いが入ったかけ声とともに、拳と木刀が打ち込まれていく。が、オレンジ・クラブは硬い事で有名だ。マウノの拳で甲羅ボコンとへこみ、クダチの木刀で足が一本もがれたが、たぶん硬い…はずである。苦戦するはずである。


「あれぇ?」


 あれよあれよという間に、オレンジ・クラブは地に伏していた。通常魔法を使う暇もなく決着が付いた事実に、コレットは愕然とする。中級冒険者だって苦労するはずであり、そんなに弱いはずはないのだのだが。


「ちょっと、倒すの早すぎないかな?」

「何を言う、彼女…村のためには即刻全滅させなくてはならん」

「今さらりと彼女のためって言ったよね?」

「さあ、早く解体して不味い食事にしようではないか」

「全力でスルーですか、マウも非道になったものです」

「彼女を食事に誘うことはできないだろうか。そうすればこのようなゲテモノすら極上の料理に変わるはず。いや、まて、そうなると彼女に酷く不味い料理を強要することになるではないか、それはできない。断じて許されない、が、しかし」

「全然聞いてやがりません」


 色ボケ虎なんて放っておいて、カニの処理をどうするか相談しようとクダチの方に顔を向けたのだが、こちらは腕組みをしたまま眉間にしわを寄せていた。


「クダチ、どうしました。何か問題でも」

「甲羅焼きが、できない」

「は?こうら?」

「デカすぎるんだ。こいつを調理するには、巨大な鉄板がいる。あと、鍋だ。しかし、今からでは時間が足りない。いやいや、諦めるな俺。死力を尽くすんだ」


 こっちはカニ料理の事しか頭になかった。ブツブツと独り言を言い始めたクダチの背中に落書きを残して、コレットは波打ち際まで歩いていった。

 阿呆二人は放っておき、海でも見て心を落ち着かせることにした。

 最後に潮の香りを嗅いだのは十年くらい前で、それもほうきの練習で上空を通過しただけ。うずうずする心を押さえきれず、靴を脱ぎ捨てて波の感触を楽しんでしまった。


「おおぉ、引きずり込まれるー」


 引き潮とともに連れて行かれそうになる感覚を楽しみ、しばらくパシャパシャと水を蹴ったり飛び跳ねてみたりする。ゆらりと黒い影が水面を近づいてくるのに気がついたのは、そんな時であった。


「なんだろ」


 のぞき込もうと身を屈めたコレットの頭上を、ヒュンと何かが通り過ぎていった。


「え?」


 直後に大量の水しぶきが横殴りに飛んでくる。突然奪われた視界の外で、バシャーンと何かが跳ねる音がする。咄嗟に後ろへと逃げようとしたのが幸いだった。

 波に足を取られてよろめいたが、それでもわずかに後退できたおかげで、上から振ってきた巨大なハサミに、串刺しにされずにすんだのだから。


 ゴバァと水の渦をいくつも作りだしながら水面に顔を出したのは、オレンジ・クラブだった。しかし、その大きさは先ほどの個体とは比べものにならない程大きく、全身のとげは倍くらい立派に育っていた。


「コレット、逃げろ!」


 クダチがわめきながら走ってくるのがわかる。


「わかって…うぎっ!」


 背中が急に熱くなり、次の瞬間には天地が逆になっていた。回転しながら砂浜へと叩きつけられたとわかったのは、口の中がジャリッと不快な音を立てた時だった。


「コレット!」

「クダチ、私が壁をつくる」

「すまん、マウ。頼む」


(いや、私は大丈夫だから、でっかいカニを先に倒さないとだよ?)


「嘘だろ、くそっ、だめだ!マウ、まずい!このまま戻るぞっ」

「バカ言え、こんな化け物連れて戻れんわ!」

「知るか、コレットが優先だ」


(ちょ、落ち着こうよ。このくらい、なんてこと無いって。ちょっと眠いけど)


「ヤバイ、コレット目ぇあけろっ。戻ってこい!」


(なんだろうね、必死なクダチって珍しいよね?でも、なんか怠いわけですよ、こうまぶたがズーンと重いというか)


「クダチ、落ち着けっ。まずはコイツをどうにか…」

「阿呆、そんな暇があるか!」


(そんなに怒ると、しわが増えますよ~。あれ、なんか身体がふわふわする)


「後ろは防げよ、一発でも通したら殺してやる」

「無茶言いやがる」


(おお、なんですか。お姫様抱っこは二回目ですねぇ…あぁ、そんなことより大きなお鍋を作らないとです。きっとお風呂にもなりますね、カニのお風呂です。ふふふ~)


 そこでコレットの意識は途切れた。

 同時にくぐもった声とともにマウノがクダチの横に吹き飛ばされてきた。くるりと回転して受け身をとっていたが、その全身は細かい血の花が咲き乱れいてた。


「くそっ。あの馬鹿力、防ぎきれん!」


 ぐい、と口もとの血を拭ったマウノに、クダチはぐったりしたコレットをそっと手渡した。


「マウ、落とすなよ」

「お、おい。何するつもりだ?」


 クダチの手には、どこから出したのか一振りの剣が握られていた。細身のその剣は、緩やかに反っていて、美しい装飾が施されていた。


(カタナか…)


 マウノも実践で見るのは初めてだった。よく切れると評判の剣だが、分厚い剣での叩き合いではすぐ折れると不人気で、使っている冒険者は見たことが無い。

 クダチは鯉口を切ると、無造作に鞘を放り投げた。


「決まってるだろう。ブッ殺してやんだよ!」


 その後の出来事は、マウノにもよくわからなかった。なぜ斬れるのか、どう斬ったのか全くわからないが、とにかくカニは真っ二つになっていた。

 アハハと狂喜の叫びを上げながら、黙々とカニを切り刻む姿は、正視に耐えない。


「どうしたってんだ、おい、クダチ!?」


 声を掛けたマウノを振り返ったクダチの目は怪しく光り、とても正気だとは思えなかった。


「コロシテヤルヨ」

「っとお?」


 ヒュンと音がした時には、すでに本能で後ろに跳躍していた。


「お、おいおいおい!」


 マウノの背中を嫌な汗が伝う。コレットを抱えたまま、こんな暴走したクダチを相手に出来るはずが無い。本意ではないが、コレットを使わせて貰う事にした。


「馬鹿。コレットが死ぬぞ、いいのか!」


 その名前は絶大な効果を持っていた。

 突如何事か大声で叫び出すと、自らの太股を切りつけたクダチ。すると徐々に動きを止めてガクリと膝を着いた。

 暫く荒い息を整え終えたクダチが苦しそうに唸った。


「何してんだマウノ。コレットを早く治療師のところに連れて行け」

「おまえな…いや、わかった」

「たぶんルネの母親は、心得がある」

「お前何で知ってるのかは、この際置いておく。カタナの事とか、後でじっくり聞かせてもらうぞ」


 こう言う時、素早く頭を切り替えられる仲間がいると助かる。クダチは心の底からマウノに感謝した。瞬く間に遠ざかっていく虎の後ろ姿を見つめ、それからゆっくりと足を引きずりながら砂浜を歩いていった。

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