Lesson1.ワスレナグサ(20)
コレット達が戻ってから、ギルドは大騒ぎとなった。スランバートルが行方不明とあっては商隊も黙ってはおらず、救出依頼をするとともに、コレット達への厳しい糾弾も行われた。護衛の責務を放棄し、雇い主を置いて逃げ出した犯罪者であると。しかし、事件性を疑ったギルドはコレット達の言い分を聞き入れ、森への再調査が行われることとなった。
「ギルドのトップパーティーが1組、あとは上位ランカーが10名ほど。ギルド長、やりすぎではありませんか?」
応接室横の執務室で頭を抱えるギルド長オクスに、コーベルは率直な意見を投げつけた。たかが新米冒険者の曖昧いな報告で、ギルドのトップパーティーを動かす必要があるのだろうか、と。どうせ恐怖で誇張された報告なのだろうとも思っている。
「お前は何もわかっていない」
「そうですか?」
憮然とした表情の部下に、オクスは青い顔のまま淡々と話した。
「正直、吸血姫だろうがドラゴンだろうが、俺にはどうでもいい」
「そこまで正直にならなくても」
「そんなもの、暴力でどうにかなるからだ。しかし、世の中どうにもならん事がある」
「ずいぶん弱気ですね」
「お前は何もわかっていない」
2度目の言葉は弱々しかった。
「依頼のランクに見合った依頼では無かった可能性が高い」
「そうですね、しかしギルド側に否があるとは思えません。むしろ被害者―」
「阿呆!事前調査不足だろうがっ」
「依頼人は身元がしっかりした豪商でした」
「だから身辺調査を省略したのか」
「…現場判断で仕方ないと思います」
ギロリとオクスに睨まれ、コーベルは肩をすくめた。それはマニュアル通りならば依頼主の身辺調査も行うだろう。しかし、連日数多くの依頼を処理しなくてはならない現実もある。有名で身元がはっきりした依頼人については、身辺調査を省略するのが慣例で、それはギルド長も知っているはずだった。
それでもオクスがあえて言うのは、そのマニュアルを作った人が乗り込んできそうだったからである。
「お前、それを総長に言えるのか?」
「ギルド長の仕事でしょう」
「俺はまだ死にたくない」
だからこそ、せめて調査と討伐は完璧にしなくてはならない。過剰投入と言われようとも、これ以上失態は許されないのだ。ずさんな管理で弟子の命が危険に晒されたなどとわかれば…オクスは悪寒を感じて引き出しから薬を取り出した。
「風邪ですか?」
「胃薬だ」
こうして贅沢な調査隊が出発してから一週間が過ぎた頃、オクスの元に結果が知らされる。
「結論から申しますと、スランバートルという豪商は一部が遺体で発見されました」
「一部?」
「頭部以外は判別出来なかったそうです」
「それで?」
「120年ほど前に取り潰しとなった貴族の屋敷に、本物の貴族が住み着いていたようです」
「貴族…吸血鬼か」
「姫のほうですけどね」
オクスは顔をしかめる。ある意味ドラゴン並に強力で厄介な相手だ。どう考えても駆け出しの冒険者がどうにかできる相手ではない。新米冒険者達の命があった事を、神に祈りたい気分であった。
「おそらくスランバートルは眷属化したと思われます。若い男子の失踪事件がいくつか発生していますので、関わりがあるのでしょう。その後は市民の失踪事件がなくなった変わりに、彼の男が持ち込んだ依頼の数が3倍に増加しています。いずれも失敗が9割、すべてが護衛の全滅です」
「それだけ異常な数値に、誰も気が付かなかったのか」
「噂にはなっていましたが、報酬が安くてすむと初心者ばかり募っていたようで、成功率の低さを強く疑うほどではなかったようです」
「そうか、お疲れさん」
結局、吸血姫は根城を去った後だったので確たる証拠は無かったが、屋敷からは遺体が大量に発見されており、いずれ状況証拠は固められるだろうと一安心する。
「それで、総長のお弟子さんはどうしてる?」
「それが…」
コーベルが言葉を濁したせいで、オクスは急に不安が押し寄せてくる。
「おいっ、まさか怪我が原因で病気とかじゃないだろうなっ!?」
「いえ、むしろ元気すぎるくらいで」
「どういう事だ」
「吸血姫も撃退する、ラブリーなお守りですっ!だそうです」
「はあ?」
頭にいくつものハテナ印を浮かべるオクスに、生真面目なコーベルは街で見かけた光景を事細かに説明し始めた。
* * *
まずその事実に気が付いたのは、マウノだった。
「なあコレット、クダチ、ちょっといいか。実は深刻な問題がある」
「え、何ですか?」
「マウが真面目な顔すると、怖いぞ」
お互いの呼び方もすっかり馴染んでくると、マウノは地が出てきたらしく、古めかしい話し方になっていた。聞き慣れないコレットは時々吹き出しそうになるのを堪えている。
だが、その後の話は笑って聞けるものではなかった。
「お主ら、手持ちはどのくらいある?」
「えっと、あんまりないかな。クダチは?」
コレットが見せた皮袋の中には銅貨が数枚、銀貨が1枚だけである。話を振られたクダチは銅貨4枚を片手に乗せた。
「まさか、それが全財産か?」
「誉めるなよ、照れるじゃないか」
「誉めとらんわ!」
「じゃあマウはどんだけ持ってるんだよ」
「う…」
『おかしいな、俺の国の格言で宵越しの金は…』『アホは死んでも治らんな』などどと話し始める男達の横でコレットはフムと考え込む。
今回の依頼は完全な失敗だったため、成功報酬は一切払われていない。ギルド内では、吸血姫魔手から逃れた奇跡の冒険者として幸運にあやかろうとする者まで出ているが、それでお腹が膨れるわけではない。彼らはお賽銭をくれるわけではないのだ。
(…お賽銭?)
コレットは、おおっと手を叩いた。『生活費どうすんだ無計画すぎだろ』『お前に言われたくないわ』とまだ醜い言い合いをしていた二人が、コレットの方へと振り向く。
「どうした?」
「ついにメイド依頼を受ける気になったか?」
「やりませんよ!」
猫耳と尻尾をつけるだけの簡単なお仕事です、と書かれた極めて怪しいその依頼を二人は強力に推していた。報酬が異常に高いのだ。具体的に言うと、金貨16枚。一人なら16ヶ月贅沢に暮らせる金額である。
「もっと健全に稼げる事を思いつきまして」
「ほう?」
身を乗り出した二人の顔を、近い近いと押し返しながら、先ほど思いついたアイデアを話していく。
「いけるな」
「クダチは女性受けするから、呼び込みを任せたぞ」
「いいけどさ、どこで売る?」
「雑貨屋さんにお心付けを払って、場所を借りようかなって」
「よし、私は獣人仲間に声かけてくるぞ」
次の日、小さな雑貨店の店先で売られた『桃花の思い』という名前の首飾りは女性を中心に口コミで広がり、銀貨1枚という法外な値段にも関わらず、ぼちぼち売れていた。
売り文句は、もちろん『吸血姫も撃退する、軌跡の御守り』だ。クダチ達に使った桃の花飾りをアレンジし、効果は弱いが永続性を持たせている。デザインは男性でもギリギリ恥ずかしくないレベルに落としてある。
そして、ある情報を付加した事により、3日後には爆発的な人気商品に化けることになった。マウノが何気なしに酒場で披露したその話が、女性冒険者を中心にあっという間に広がると、自分用・彼氏用などの目的で注文が殺到することになったのだ。
「これこれ、彼に丁度良いと思うの」
「やだ、あんな筋肉お化けのどこがいいのよ」
「すみませーん、2つ欲しいんですけど、ペアにするので刻印とか無理ですかぁ」
「うそっ、デザイン違いがあるぅ~、全部欲しい」
そう、この花飾りは恋を叶えるという噂が飛び交っているのだ。『あいつらと、あれから仲良くなってな』というマウノの一言が瞬く間に『あいつら、あれがもとで付き合い初めてな』に変わり、さらにはあんなガキのような娘が王子様と付き合えるなら効果が絶大だと、コレットが聞いたら憤死するような噂へと進化を遂げていた。
「うむ、勿怪の幸いとはこのことだな」
「あのなぁ、勝手に俺の彼女にして怒ってるぞ。ちゃんとコレットに謝っておけよ」
「そんな事言って、お主も満更でも無かろう?」
「コレットに迷惑かかるから、止めろ」
本気でマウノを諫めようとしたクダチだったが、すでにマウノは女性客の相手をしている。クダチも手伝おうとしたが、その女性を見た途端その言葉を飲み込んだ。
何故貴女がここに?そんな言葉が出かかったのを、なんとか押しとどめる。
そんなクダチに気が付くことも無く、マウノは2人のお客さんに話しかけられ、商品の説明をしていた。彼らは夫婦らしく、女性は隣の男性に腕を絡めながら、楽しそうに商品を見ている。
将来は、自分もこんな夫婦生活を送れると良いなぁと羨ましそうに見つめるマウノであった。
「あら、素敵な首飾りね。本当に効果があるのかしら?」
「吸血姫を撃退した首飾りですから。効果は少し弱くしてありますが、そのかわり長持ちしますよ」
「あらそう、どうにも劣化していると思ったら、そういう意図があったのね」
「はあ、劣化ですか」
魔法のことはよくわかっていないマウは首を傾げる。
「そう、私が作り上げた完璧な魔法が、ちんちくりんな事になっていて、しかも商品として二束三文の値で売られているからビックリしてしまったのよ」
「え、ええとお客さんは」
「これを作ったのは、あなたではないわよね」
「はあまあ、作ったのは仲間の魔法使いですよ」
「二つ買わせて貰うから、一度会わせて貰えないかしら。少し伺いたいことがあるの」
馬鹿、よせやめろと後ろからサインを送るクダチだったが、マウノが気付くはずもなく、気軽に応えてしまった。
「良いですよ、呼んできましょう」
「あらありがとう」
コレットを呼びにいこうと振り返ったマウノは、顔に手を当てているクダチを見て、再び首を傾げた。
「おいクダチ、ちょっとコレットを呼んでくるから店番を…どうしたんだ、気分が悪いのか」
「お前あの女性が誰だか知らないのか」
「なんだ突然、お前は知ってるのか」
「良く知ってる」
あの女性がかの有名な大魔法使い、神葬のテレーズであること、恐らく直伝の魔法がねじ曲げられて売り物になっていることに対して酷くご立腹であることを教えると、マウノの顔から血の気が引いた。
「頑張ってコレットを呼んできてくれ。まあ多分速攻で逃げると思うが、その場合逃がしたお前は酷い目に会うこと間違い無しだ」
「冗談だろ、クダチ」
「残念ながら、全て真実だ」
ふらりふらりと左右に揺れながら奥に消えていくマウノを見送ると、クダチは嫌々ながらもテレーズの相手をした。
「旦那さんと旅行を楽しんでいたのでは」
「そのはずだったんだけど、ギルドでちょっと不穏な動きがあると耳に入ったものだから、戻って来たのよ。吸血姫が出たんですって?」
「出ましたよ。なんとか命からがら逃げてきましたけど」
「誰か目、つけられたの」
「バッチリ3人とも」
「それはまた、厄介な事になったわねえ」
「全くですよ」
吸血姫と対峙して倒せなかった場合、非常に面倒臭い事になる。彼女達は獲物に対する執着心が強く、どちらかの命がつきるまでしつこく粘着してくるのだ。
知能も高く、魔法も人間より遥かに使いこなしているだけに、始末に負えない。
これからずっと命を狙われ続けると思うと、憂鬱にもなるというものだ。
「何か考えておくけど、しばらくは派手に動かないようにして。でこちゃんが心配だわ」
「努力はしますが、冒険者ですからね。日銭を稼がないと飢え死にます」
「少しは貯蓄しなさいよ。あなた隣国では結構有名になってるじゃない」
「全部グレッグのおっさんとナタリアさんに渡しましたよ。3人目が生まれて大変らしいんで」
「呆れた」
「恩人ですからね」
それから暫く昔話に花を咲かせていると、マウノに抱えられて連行されるコレットの姿が見えた。手足を必死に動かしたり、叫んだりしているようだが、マウノが動じる様子は全く無い。
余程神葬のテレーズが恐ろしいのだろう。
「さて、久し振りにお灸をすえないと」
「お手柔らかに、お願いします」
あとでプリンでも買ってやろうと同情しつつ、事の成り行きを静かに見守るクダチであった。




