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Lesson1.ワスレナグサ(19)

 突き飛ばされたコレット達は、突然の事に受け身を取る余裕もなく茸の海へと倒れ込んだ。


「いたっ!」

「てっ」

「ぐっ」


 柔らかい茸の群生に突っ込んだにしては、痛そうな悲鳴があがる。コレットは、慌てて顔を覆った手から血が滴り落ち、クダチは茸をつぶした左腕から血が滲み出していた。 そしてマウノは片膝にじんわりと血が広がっている。


「何しやがる!」

「くくく、採取の手伝いをしていただいて、いるのです」


 クダチが声を荒げてスランバートルを睨むが、彼は気にする様子もなく、狂気に満ちた目で空を見上げていた。やがて真っ白な茸の海に赤い斑点が広がっていく様子を一瞥し、満面の笑みを見せた。


 真っ白な犬歯と、真っ赤な瞳とともに。


「素晴らしい、素晴らしい!茸が枯れぬということは、穢れ無き(にえ)であったか。それも3人とも!最近はどいつもこいつも若いうちから遊びすぎでな、血がまずいと主様が嘆いておられる。困ったものだよなあ、ハヌマン」

「左様でございます。旦那さま」


 興奮するスランバートルとは対照的に、ハヌマンは冷静に冒険者達の動きを監視していた。だからこそ、一瞬のうちに距離を詰めてきたマウノの動きに対応することが出来たといえる。ただの執事にすぎないハヌマンが、主人を守るためにとるべき行動、それは予見と挺身である。ハヌマンは、主人に向けられた殺意の前に、躊躇することなくその体を投げ出した。


「ぎゃっ」


 マウノが低い姿勢から振るった右手には、鋭いかぎ爪が延びていた。大抵の怪物が膝を付く強力な一撃をくらい、ハヌマンの体は鮮血を吹き出しながら一回転して後ろの木に激突する。


「おや、壊されてしまいましたか」


 目の前で執事が挽き肉のように潰されたというのに、スランバートルは涼しい顔である。


「お前、吸血鬼の眷属か」

「若干訂正したいところもありますが、いかにもそうですなぁ」


 スランバートルの横には木刀を抜いたクダチが、逃げ道をふさぐように立っていた。だが、退路を断たれて焦った様子は感じられない。吸血鬼の眷属自体はそんなに能力の高い存在ではなく、冒険者2人で十分倒せる相手なのだが。


「そう慌てなくても良いでしょう。あ、ほら、主様がお見えになられましたよ」


 スランバートルは、不敵な笑いで上空を指さす。慎重に武器を構えながら、二人は指さした先へと目を向ける。そこには真っ黒な暗闇の空間が広がっていた。

 いや、よく見れば無数のコウモリであることがわかる。どこかから現れた膨大な数のコウモリが空間の中心へと集まっていき、禍々しい黒い瘴気を放ちながら、『ソレ』は現れた。

 真っ黒なドレスに白いフリル、ゴシックな格好をした少女は、金色の瞳とブロンドの髪、透き通るような白い肌に真っ赤な唇を持ち、背には大きなコウモリの翼を生やしていた。

 だが、可愛らしい容姿に反して、少女の放つ重圧に圧倒された二人は、知らぬうちに後ずさりしていた。


「まさか…き、吸血姫か」


 クダチは自分でも喉が急速に乾いていくのがわかった。吸血鬼の中でも、女性の姿をした吸血姫はその残虐性と粘着性から、冒険者達の間では最悪のモンスター筆頭として君臨している。物理攻撃は若干劣るものの、魔力に関しては男性型の吸血鬼よりも格段に高く、やっかいな事極まりない。

 しっかりと下準備をした上で、ギルドのトップクラスが20人くらいで挑めば、あるいは撃退くらいは出来るかもしれないが、今のクダチ達では歯牙にもかけられないだろう。いや、餌という意味で歯牙にかかりそうだが。


「美味そうだねぇ?」


 バサリと翼を振り、少女が囁く。


「どちらも、期待出来そうじゃないか。見た目の良い方も、野性的な方も」


 久しぶりに穢れの無い贄が二体もある、それだけで少女は軽い恍惚を覚え、ブルリと身をくねらせる。我慢できずに、ほぅと喘ぐような吐息を吐き出すと、開いた赤い唇から白い牙をのぞかせた。


「我慢出来そうにない、一人目はすぐに飲み干してしまいそうだよ」


 バサリ、バサリと翼を二度振り、少女はゆっくりと地上に降りてきた。その間、クダチは痺れたように体が動かなかった。隣のマウノは低くうなり声をあげていたが、やはり足が思うように動かないようだった。


「悪いね、久しぶりのご馳走だから、行儀が悪くて。本来なら『神』に祈ってから頂くのだろうけど」


 少女はまばゆい笑顔で悪い冗談を言いながら、近づいてくる。クダチは、その時ようやく金色の目が輝いている事に気が付いた。


(チャームか!くそっ、いつのまに詠唱なんか…)


 心の中で舌打ちしてから、自分の愚かさに加減に呆れる。吸血姫のチャームに詠唱など必要ないのだから。基本中の基本を忘れ、接近を許した時点で喰われても仕方のない事だった。死という単語が脳裏をよぎった時、後ろにいたスランバートルがおずおずと声を発した。


「フランメイルウ様、あの、お伝えする事が…」


 恍惚の表情をしていた少女の眉間に、皺が寄った。舌打ちとともに激しい怒気を伴った低い声が響きわたる。


「食事を邪魔する程の理由だろうね?」

「も、申し訳ございません!しかし、贄がもう一人おりまして…極めて稀な『えるふ』の娘でございます、こちらも極上の―」


 スランバートルはそこで一度言葉を飲み込む。主の不機嫌が最高潮だと知り、すぐさま明快な『解答』へと切り替えた。


「姿が見えません、お気をつけください」


 娘という言葉に、一瞬眉をひそませるフランメイルウだったが、すぐに思いだし「ああ」と興味なさげな声を発する。


「ただのゴミだよ、気にすることはないさ」

「はっ」

「喰いたければ、お前の好きにするといいよ」

「ありがたき幸せ!」


 尻尾があれば、思い切り振っているであろうスランバートルの様子を、鼻先で笑い飛ばしてフランメイルウは食事へと向き直る。


「さて、申し訳なかったね。せっかくのご馳走なのに、無粋な輩のせいで中断してしまったよ」

「か…」


 ゆっくりと差し出した手が、クダチへと伸ばされていく。抗う事を許さない、強者の持つ圧倒的な力を前にクダチはただ唾を飲み込む事しかできなかった。


「やはり、最初は見目の良い方だね、辛抱できない」

「あ…う…」


 少女の顔が近づいてくる。真っ白な牙から伝わる吐息が首筋にかかった時、甘美な恐怖が背筋を伝わり、爆発しそうになる。クダチの体中を駆けめぐるそれは、恐怖と快楽と吐き気が混じり合い、混沌としたものが正気を削っていく。


(やめろ!俺に触れるな!)


 絶望に歪む顔で、空気を求めるように喉を晒すクダチに、美しい牙がめり込もうとしたその刹那、涼やかな心地よい声が響きわたった。


「吸血姫フランメイルウを、拒絶する」

「ぐっ!?」


 フランメイルウは突如牙の先に現れたスパークを避けられず、顔を押さえたまま背後へと跳躍した。茸の海上空でバサリと羽根を広げると、ギリと唇を噛んで森の奥を睨みつけた。直前でおあずけを喰らった事と、あまりの快楽に惚けていた事から油断してたとはいえ、不覚をとった事、二つの感情が渦のように体中を駆けめぐる。


「おのれゴミ屑が…」


 吸血姫本来の、醜悪でどす黒い感情を全開にしたフランメイルウ。その視線は正確にコレットへと向けられていた。同時に、美味しそうだった贄から嫌な匂いが漂ってくる。魔を退ける花の香りだった。それはクダチとマウノの首にあるピンクの首飾り、腕輪、ピアスから漂っている。


「その結界は破れませんよ、神葬のテレーズ直伝ですからね」

「テレーズだと」


 思いもかけず忌々しい人間の名を聞き、フランメイルウは気が狂いそうになる。それは彼女が生涯で唯一遅れをとった相手であり、忘れがたき過去である。羞恥と怒りで我を失ったまま、彼女は高笑いをする。


「はははははは!#=5の&@¥%だと?くそ*▽&○が$§〓‡てやるよ!」


 口にするのも憚られるほどの、恥ずかしい単語を大声で連発する。それは詠唱ではなく只の罵倒なのだが、ブンブンと振り回す彼女の腕からは輝くばかりの音符が溢れ出していた。


 存在が魔法そのものである吸血姫は、身振り手振りが呪文の詠唱に相当する。こうして生まれた巨大な炎の塊は、冷静に考えれば彼女の大切な食事も一緒に吹き飛ばしてしまうほどの魔法だとわかるのだろうが、今の彼女にそんな気遣いは無理である。


 一方で暴走するフランメイルウに対して、コレットは周到に準備していた。


「アラクネ!」


 すでに待機していたアラクネ105が、ギョエアアと怪獣さながらの奇声を発しながら突進してくる。


「あの火、食べちゃって」


 口がガバリと開くと、もの凄い勢いで炎の塊を吸い込み始めた。いきなり魔法を吸い込まれて体勢を崩したフランメイルウは、墜落を避けるため慌てて地面に降り立つ。


「ちっ、厄介なものを持ってるね」


 一瞬次の魔法を使うかどうか躊躇したのを見逃さず、コレットは二人の手を取る。


「今です、逃げましょう!」

「おう!」


 すでにチャームの効果を逃れていたマウノがよろけるクダチに肩を貸し、コレット達はもと来た道を一目散に逃げ出した。


「逃がさないよっ、犬!早く追えっ」

「は?犬…わ、私めのことですか?いやしかし、この植物がいて…」


 フランメイルウは盛大に舌打ちをする。彼女は下僕にしたこの男が、ここまで使えないとは思っていなかった。商人の才能は高いので、利用できると思って下僕にしたのだが、大事なところではコウモリほどの役にも立たない。


「はぁ…もういいよ」


 心優しい吸血姫は、深いため息をつくが怒ってはいない。役に立たない下僕でも、全く使い道が無いわけではないのだ。


「ああ、それにしても…間に合わないよねぇ。久々のご馳走だったのに…」


 目の前にいる植物精霊のアラクネは、魔法を使う者にとって非常に相性が悪い相手だ。彼女も見たことのない個体だが、巨大な頭部といい、炎の魔法を一瞬で飲み込んだ能力といい、通常の個体よりも強力なことは間違いない。まともにやり合っても、時間がかかるばかりで何のメリットもない。


「あー、くそ。腹立たしいな」


 フランメイルウは、スランバートルの襟首をひっ掴むと、バサリと上空へと飛び立った。贄達の方へ向かえば一瞬でアラクネの口に吸い込まれるだろう。仕方なく館へと引き返すことにした。

 一度後ろを振り返るが、アラクネが追いかけてくる様子は無いようだった。


「主様…助けていただき、あ、ありがとうございます」

「は?何言ってんの?」


 館へと向かう途中でスランバートルが発した言葉に、フランメイルウは唖然とする。自分が助けてもらえるほど価値のある存在だと思っているらしい。


「君は、もうストレスの元でしかないね」


 館まで持ち帰ってからにしようと思ったが、面倒になったのでその場で補食することにした。

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