Lesson6 西の遺跡の忘れ物(23)
「いやあ、死んだと思いました」
「ほんとに、よく咄嗟に思いついたものね」
「フウセンカズラが有効なのは、見ていてわかりましたし」
まだ目覚めなグレッグのベッドサイドで、女性2人が会話に花を咲かせていた。
怪物の横薙ぎが襲ってくる直前、コレットは自分との間にフウセンカズラを置き、落下予想地点にも大量に敷いて置いたのだ。
おかげでかすり傷程度で済んだのだが、吹き飛ばされた後何故かコレットは倒れ込み、クダチを大いに焦らせることになった。
「無事なら無事って言えばよかっただろ」
壁に背中を預けて立っているクダチは、ブスッとした顔である。
「もう限界だったんですから仕方ないです」
「気を失うまで我慢するからだ」
「そう言われても」
「だからあれほど、飯を食えといったじゃないか!」
「お肉なんてたべられませんっ!」
そう、コレットはあまりの空腹で倒れたのだった。いつもは師匠の裏庭で取れる魔法の干しぶどうを食べているのだが、遺跡の水中で落としてしまってから、何も口にしていなかった。
師匠に肉料理を作ることはあっても、自分で食べる事はしない。
「あら、コレットちゃんは菜食主義なの?」
「いえ、お肉を食べると色々問題がありまして…」
不思議そうに見るナタリアに、ごにょごにょと言葉を濁して答えた。
実際、肉料理が食べられないわけではなく、鶏肉などはむしろ好きなほうなのだ。問題は食べた後の体調にある。
「我が儘言ってるから、あんな事になるんだ」
「ほーほーっ、そんな事言っていいんですかね」
「な、何だよ」
コレットの目がみるみるうちに細くなっていく。
あれはキケンな目だ、人を楽しく陥れる時にする目だとクダチの本能が知らせていた。
「ナタリアさん」
「あら、なぁに?」
「実は、私ヒドイことをされたんです。クダチが無理矢理耳にイヤラシ…」
「わあああ!」
「くぁ!?」
疾風の如き速さでコレットの口を塞ぐ。
「あははは、何を言ってるのかな、コレット」
「もぐあぐあ」
「うん、そうかそうか。判った、君を助けた事で例の件はチャラにしようじゃないか、な?」
「ふんぐあ」
「そうかそうか、わかってくれたのか、ありがとう。お礼に何か一つ欲しいものをあげようじゃないか」
「ふんぐーっ」
「よし、約束だ、破るな―イテェ!」
ガブリと噛まれ、思わずコレットの口から手を放す。
「何すんだよ」
「こっちの台詞ですよっ!」
真っ赤になって怒っている顔も、少し可愛いと思うクダチである。
「あらー、いつの間にか仲良くなったのねぇ」
「ナ、ナタリアさん?何を言ってるんですっ」
「いやぁ、俺達色々危機を乗り越えましたからね。自然と―」
「ちょっとマテ!」
その場でぎゃあぎゃあと騒ぎ始める二人の声で、グレッグが目を覚ました。
「騒がしいな、おい」
「!」
「けが人いるんだから、静かにしろよ」
「あなたっ」
目を覚ましたグレッグに、ナタリアがしがみつく。
それはもう、二度と逃すまいと必死にしがみつく。
「おいおい、逃げたりしないから、落ち着けよ」
「ダメ、信用出来ないんですから。もう二度と放しませんっ」
「あー、その、悪かったな」
「本当ですよ」
ゴロゴロと甘えるナタリアの髪をゆっくりと梳いていると、目のやり場に困ったクダチはまた後でと言って部屋を出て行った。
その様子を横目で見送ったコレットは、ナタリアにそっと尋ねる。
「ナタリアさん、クダチはどうして機嫌悪いんですか」
「さあ、どうしてかしらね」
彼女は何か知っているような顔をしているが、その笑顔から嫌な予感しかしなかったので、あえてそれ以上聞かなかった。
聞かなかったのに、ナタリアは我慢出来ないという顔でコレットの方を向き直る。
「うっふっふ…聞きたい?やっぱり聞きたいわよねぇ」
「はあ、いや、いいです」
嫌な予感がしたので、キッパリと断ったのだが、ナタリアはお構いなしだ。
「そう、あれは私が部屋で2人の無事を祈っていた時の事だったわ」
「あの、聞かなくていいって…」
「突然裏口を激しく叩く音がしたの」
「ナタリアさん?」
「急いで扉の所へいったわ。リビングデッドかもしれないなんて、最初はビクビクしていたけど」
「もしもーし」
「そうしたら、クダチが大声で叫んでいるじゃない。何と言っていたと思う?」
コレットはもう諦めていた。ナタリアに自分の声は届いていない。
その証拠に、彼女の顔は夢見る乙女のように、ただ中空を見つめていたのだ。
「早く開けてくれっ、コレット、コレットが死んじまう!ですって、ですってぇ~!」
クダチの口調を真似て、迫真の演技を見せるナタリアを前に、コレットは頭を抱えていた。
これか、これがやりたかったのか、と納得する。一刻も早く脱出しなくては、取り返しの付かないことになりそうだったが、ナタリアの熱演はまだまだ続く。
「それでね、慌てて扉を開けたら、クダチがコレットちゃんを抱えているじゃない…それも、こうやって! お姫様抱っこで!」
「聞こえませーん!」
コレットは耳を塞いだまま、聞こえないフリをした。これは聞いてはいけない話に違いない、何かがそう囁いていた。
そんなコレットの様子など無関係とばかりに、ナタリアは詳細に説明していく。
コレットが重傷だと勘違いしたクダチは、彼女をお姫様だっこしながら全力疾走してきたらしい。ナタリアが治療を始めてすぐ、命に別状が無いと伝えた時には、放心した様子でうっすら涙も浮かべていたそうだ。
「でね、でね、あれなの。眠っているコレットちゃんのオデコをなでて…今度は何て呟いたと思う?」
ナタリアは、両手をしっかりと握りしめ、楽しさを堪えきれないといった感じでクダチの声を真似る。
「コレット、すまなかった。だが俺はおま……と……き」
「あー!あー!あー!きーこーえーなーいー!」
大声で妨害しながら部屋を出て行く。
あっけにとられて口を開けたままのグレッグに、ナタリアがお見舞いの葡萄を一つ、放り込んだ。
「何だ、ありゃあ」
「うふふ、クダチ少年が勘違いして、コレットちゃんが照れたの」
「さっぱり判らん」
「私が思うにね…」
「本当かよ」
「でね…ところが…」
楽しそうに語らう夫婦であった。
そして2日後、すっかり体調のもどったグレッグは、ナタリアと共に王都の新管理官の査問を受けていた。クダチも何度か呼ばれていたが、コレットは客人扱いとなっていて呼ばれることは無かった。
グレッグ達が気を利かせてくれたのだろうと感謝するが、いずれ師匠に事の顛末を伝えなくてはならない。
そうなれば、魔法使いになることは絶望的だった。
「後悔はしていませんけどね」
失踪した旧管理官の悪事はいずれ暴かれ、それなりの裁きを受けることになるのだろう。
メルベルが関係していたような話をチラリと聞いたが、死者を冒涜するような事はしたくない。
コレットは屋根の上にふわふわと浮かびながら、そんな事を考えていた。
「そんなところで、危ないだろ」
「ん~?」
屋根を見下ろすと、クダチが呆れ顔でコレットを見上げていた。
2日間あまりに暇だったので、見よう見まねで作った手製のホウキは、シンプルだが意外とまともに機能するようだ。
「危なくないですよ、これでも王都の天才飛行技師から学んでるんですから」
「そういう問題じゃない」
「クダチは心配性ですねぇ」
ゴロリとホウキの上で俯せになり、足をピョコピョコと動かした。
「おま…わざとやってるだろ」
「気持ち良いですよ、クダチもやりますか?」
「冗談じゃない、俺は魔法使いじゃないっての」
「私も、違いますよ」
「…いや、そういう意味じゃなく…悪い」
コレットの事を考えると、クダチは泣きそうになる。
彼女にとって魔法使いになるという事は、何よりも優先させるべき事だったのに、それを曲げてしまったのは自分のせいだと、毎晩自分を責め続けた。
そのせいで、ここ2日はコレットをなんとなく避けていたのだが、今日彼女が帰ると聞き、あわてて探し回り、ようやくみつけたのだった。
「クダチが気にする事ではないです。私が決めたことですから」
「けど…」
下を向いて黙りこくるクダチの目に、ひらりと一枚の花びらが映った。
顔を上げると薄桃色をした、桜の花びらが二枚、三枚と落ちてきて、それはいつの間にか粉雪のように舞い踊り、辺りを幻想的な景色へと変えていった。
桜が舞い散る中、コレットは嬉しそうに指を振っている。
「私はね」
目を閉じて指揮者のように指を回すと、桜の花びらがクルクルとダンスを始めた。
「本当は、こういう魔法が大好きなんだ」
誰かを倒したり、傷つけたりする魔法ではなく、楽しませたり、癒したりする魔法。
それがコレットの目指す魔法だった。
「物覚えが悪くて、勘違いばかりして、役に立たないですけど…」
遠くを見つめるような目で呟く。
テレーズ・ノエは厳しく、そして優しい師匠であった。
「それでも、お師さまの傍に…傍に…いたかったなぁ」
ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「ひぐっ…」
舞い踊っていた桜が、ゆっくりと力を失ったように屋根へと降り積もっていく。
(コレットが泣いている。どうして泣かないといけないんだ)
そう思った次の瞬間にクダチは叫んでいた。
「それなら、俺と一緒に来ればいい」
力強く、はっきりと伝えた。
「世の中、白黒ばかりじゃないんだ。生きるために、成すべき事もある。それが判らない魔法使い協会なんて、こっちから願い下げしちまえ」
「クダチ…」
「俺はこれから世界を回る。まだまだ知りたいことが沢山あるからな。他の国に行けば、色々な魔法使いだっているし、協会だって無数にある。一緒に行こう」
突然、決心したような顔で語り出すクダチを、コレットは泣くことも忘れて見つめていた。
(ええと、これは告白?じゃないよね、冒険のお誘い?いや、でも、なんか、えーっ!?)
突然の事に混乱するコレットだったが、クダチは彼女が落ち着くまで待つことにし、屋根に座るとジッと答えを待った。
2日の間、考えに考え抜いた結論だったのだから、どう転んでも悔いはなかった。
「えっと」
しずかに降下してくるホウキ。
コレットは、花びらで滑らないように気をつけながら屋根に降り立つと、クダチの横に座った。
「ありがとう。なんかすごく嬉しい」
「そ、そうか。じゃあ…」
「うん、でもまだ行けない」
「まだ?」
「それは―」
コレットが何か言いかけたとき、キィンという音と共に後ろから激しい衝撃波が襲ってきた。
「おおおお!?」
「きゃぁ」
桜の花びらとともに屋根の一部が飛ばされていく。
「なっ、何だ何だ!」
クダチが顔を上げると、遥か先でなにかが方向転換をしてこちらに向かってくるのが見えた。
飛行する生物といえば、危険な奴しか思い浮かばない。
しかも、この速度で飛行し、衝撃波を出す生物といえば…
(ワイバーンかっ!?冗談じゃない、瞬殺されるぞ)
「何か来る、コレット気をつけろ!」
「ええっ」
勝ち目があろうがなかろうが、今度こそ絶対に護ると覚悟を決める。
腰からダガーを引き抜き、コレットの前面に立った。
しかし、その物体が近づいてくるとあまりの奇妙さに思わずダガーを落としそうになってしまった。
魔法のホウキに跨がった男女が、前後で激しく言い争いながら、こちらに向かってくるのだ。
「だからっ、お前の魔力量を考えろよっ、全開にするとか自殺してぇのかよ!」
「間に合ったんだから、いいじゃないの!」
「通り過ぎただろうがっ」
「うるさい、うるさい、うるさーい!」
女性はホウキを持っていた両手で耳を塞いだ。
それを見ていたクダチ、は心配になって横のコレットに質問する。
「なあ、ホウキって、手を放して大丈夫なのか?」
しかし、コレットの目は大きく見開いたままだった。
見間違えることなどありえないそのホウキは『レーズ・ドゥケ』
そして、それを操るのは…
ようやく言葉を発したのは、2人乗りホウキが墜落した時であった。
「お、お師さまっ!」




