Lesson3 初級試験(1)
≪ Lesson 3 初級試験 ≫
頭に黒地のバンダナを巻いて耳を隠したコレットは、大きな深呼吸をひとつしてから、エントランスへと進んだ。
サエナ婆の家は、煉瓦の壁に赤い煙突というメルヘンな作りだ。家は小さいが庭は広大で、様々なハーブや花が育てられている。コレットは、アイアンの呼び鈴を鳴らし、次に扉をノックした。
ほどなくして、あずき色のローブに身を包んだ老婆が扉を開けてくれた。
「あらあら、コレットちゃん。遅いからどうしたのかと思いましたよ」
「すみません、途中で迷子になりました」
「ホウキだけ先に届いたから、何かあったとは思いましたけどね」
「…あんにゃろめ」
「ん?」
「いえ、何でもありません」
いつか燃やしてやる、コレットはそう心に決めた。
「まあ、よく見たら服が泥だらけじゃないの、早く着替えないと」
「いえ、大丈夫です。それよりも先に…」
「そうね、じゃあちょっと呼びましょうかねぇ」
「呼ぶって、ちょ、いや、呼ばなくていいです!私がー」
慌てて老婆を呼び止めようとしたが、すでに遅かった。
「サエナ様~、コレットちゃんが到着しましたよ、来てくださいな~」
「わあああ、い、今私が行きますから~」
あわあわと両手を振るコレットの頭上から、『うにゃぁあ』と不機嫌そうに間延びした猫の声が聞こえてくる。姿を現したのは、ハムのごときデブ猫であった。
サエナ婆。
今年で100と15年を迎える化け猫である。
「あたしを呼びつけるたぁ、ずいぶんと偉くなったものだねぇ」
「いやっ、呼びつけるなんて、そんなことはなくて、今まさにそのー」
「あー、うるさい」
「はい」
「早く上がって来な」
「はい」
サエナ婆は、回りくどい事、面倒くさいことが極端に嫌いだ。だから、さっさと頭を切り替えて従う事にしている。そんなわけで、コレットは意外とサエナ婆に好かれていた。
ギシギシと怪しい音をたてる階段を上っていくと、2階の大広間にはすでに4人の少年少女が集まっていた。2人いる少年のうちの一人がすばやくコレットを見つけ、手を振る。
「よう、デコ。遅かったな」
「うるさい、黙れ」
「おお、こえぇ。何だよ機嫌悪いな」
「ふんっ」
コレットにしてはめずらしく、不機嫌そうに応える。
少年の名はナナル・アルフォンスという。若手の間ではダントツの人気を誇る実力派の魔法使い見習いだ。
ちょっとくらい聡明で、つやつやの黒髪で、笑顔が爽やかだからって何をしても良いわけではない。
いや、むしろ何をしても良いから、自分にちょっかい出すのだけは止めてもらえないだろうか、とコレット常々思っている。
ナナルを無視して部屋を見回し、残る一つの椅子に腰をかけた。
「コレットちゃん、どうしたの?なんか服がボロボロだよ」
シモンヌ・クラリエールはブロンドのふわふわパーマを持つ人間の少女だ。大変優秀な彼女は、ナナルと成績トップを争うほどなのだが、なぜかコレットとウマが合うようで、昔から仲がよい。
「ああ、シモンヌは優しいですね。ナナルンバとは大違いです」
「おい、変なあだ名つけんなよ!」
後ろからナナルが抗議の声をあげたが、面倒だから振り向かずに応える。
「そっちが先に言ったんでしょう」
「デコは愛称だろ」
「お師さま意外には、呼ばれたくもないですね」
「照れ?」
「イラッ」
「コレットちゃん、声に出てるよ」
隣でシモンヌが苦笑していると、天井のキャットウォークからサエナ婆が姿を現した。
ヒラリというか、ボトリというか、とにかくそこから落下してきた巨猫は、ハラハラする生徒たちの目前に着地した。そして欠伸をしながら、器用にチョークで黒板に文字を書き始める。
「さて、ようやく始められるね。これから魔法使い初級試験を始める。まずは学科試験の問答からだよ」
「あの、サエナさま!」
「なんだい」
「今年の受験生は6人と聞いていましたけど」
「ああ、いいんだよ。もう一人は学科試験免除だから別の日に受ける」
「えっ、そんなのアリなんですか?」
「おまえさん、初級試験要項、読んでないね?」
ギロリとサエナ婆に睨まれた色黒の少女は、ビクリと体を震わせ、それきり口をつぐんだ。
(あー、アンジェリーナか)
コレットは憂鬱な気分になった。
アンジェリーナ・ミルバについては、あれこれ説明するよりも当人を見た方が早い。それほど強烈な人なのである。思い出す事を脳が拒否していると、ナナルが色黒の少女にさりげなくフォローをしている様子が聞こえてきた。
「一度学科試験に合格していれば、次の2回までは免除なんだよ」
「ああ、そうなのね。てっきり特別扱いなのかと思って」
「アンジェリーナの場合、ある意味特別だけどな」
「どういうこと?」
「そうか、南の魔法使い達には知られていないのか。良家の子女でさ。いろいろ有名なんだ」
「ふうん、なるほどね。ありがとう、あなた優しいのね」
「そうか?案外見返り期待してるかもだぜ」
「きゃぁ、どんな見返り?うふふ」
(後ろが鬱陶しい…)
眉をひそめるコレットだったが、彼女が振り向いて注意するよりも先に飛来したサエナのチョークが、二人の頭を直撃した。
「うるさいね、ネズミにされたいのかい!」
「すみませんっ!」
「黙ります!」
「もっとも、学科で落ちたらあんたらの師匠に殺されるだろうけどね」
「…」
その言葉には、コレットも背筋が凍った。
(その時は、逃げよう)
本気で逃亡先を考えていたら、黒板に問題文を書き終えたサエナ婆が、くるりと振り返った。
「制限時間は10分だよ。わかった者は名前を名乗ってから、答えをあたしに耳打ちすること」
そう告げると、テーブルの上で丸くなった。




