Lesson6 西の遺跡の忘れ物(14)
丸太の形状をみる限り、自然に折れて飛び込んできた訳ではないようだ。悪意をもった誰かが投げ込んだとしか思えない状況に、薄気味悪さが漂う。
沈黙が流れる中で、最初に口を開いたのはメルベルだった。
「グレ兄ぃ、このままじゃ風邪ひくよ。まずは窓をどうにかするか、部屋を移るかしよう」
「あ、ああそうだな。窓は…枠まで壊れてやがる。すぐに修理は無理だな」
「なら、諦めて他の部屋に移ってから、ゆっくり相談したら」
「そうするか」
グレッグは同意を求めようとクダチの方を見るが、すでに荷物をまとめていた。といっても、バスタード・ソードとポーチぐらいなものだが。
「確か向かいはスベロ婆ちゃんで、右隣がアギーだったから…空き室は左隣だけだ」
「スベロ婆ちゃん、まだ生きてたっけ」
「メルベル、お前時々恐ろしいことを言うな」
「クダチだって、よく妖怪ババアとか言ってるじゃないか」
「仕方ないだろ。夜中に廊下で遭遇したら、誰だってそう思ー」
「クダチ!」
コレットが会話に割り込んできた。
「何か、いる…」
クダチの袖を掴みながらおびえた瞳を向けてくる。今まであえて意識しないように直視を避けていたのが、そんな目で見られたら、逸らせるわけがなかった。
(うわ、やばい…可愛い)
が、そんな浮ついた気持ちは次に続く衝撃音でかき消されてしまう。
ドン! ドン! ドン!
乱暴に壁を叩く音が断続的に続く。突然の音に全員がビクリと体を震わせた。
ドン! ドン! ドン!
「おい、何の音だ!」
「俺が知るかよっ。メルベルわかるか?」
「い、いえ、何でしょう僕にもさっぱり…」
とりわけ青ざめた表情のメルベルが、大きく頭を振る。コレットは震えてクダチの袖を握ったままだ。
戸惑ったまま4人が固まって部屋の中央で立ち尽くしていると、唐突に壁を叩く音が止んだ。
「止んだ…」
「滅茶苦茶嫌な予感がするな、おいクダチ、ダガー貸してくれ」
「ああ」
グレッグは経験からくる勘を信じることにしている。そして準備を怠らなければ、そう簡単に死ぬこともないと。ダガーを右手に構え窓に向かって集中力を高めていく。
その姿を見たクダチも、コレットをかばう位置でバスタード・ソードを構える。
張りつめる緊張感を破ったのもまた、メルベルであった。
「んぐっ!?」
後方からのくぐもった叫び声に、3人が同時に振り向くと、そこには土気色の顔をした老婆に背後から顔を鷲掴みにされているメルベルの姿があった。
「メルベルっ」
グレッグは、もがきながらも伸ばしてきたメルベルの手を必死に掴もうとしたが、ほんの僅か届かなかった。指先が触れるかどうかという距離で、メルベルの体は一瞬にして奥の暗闇へと引き込まれていく。
「待ちやがれっ!」
グレッグの怒声で、クダチは我に返った。
あの老婆は、間違い無く向かいのスベロ婆だった。しかし、とても80過ぎの優しい老婆とは思えない変わりようだ。肌の色は死人のそれだったし、だらんと開いた口と白目は、一目見ただけでも異常だとわかる。
一瞬、何かの夢かとも思ったが、すぐに甘い考えを打ち消した。恐らく現実だろう。そうなれば、まずはメルベルの無事を確認しなくてはいけない。
決心してグレッグと共に廊下へ飛びだそうと足を踏み出した瞬間、扉から黒い影が飛び出してきた。
「うわっ」
「っぶねぇ」
辛うじて衝突を避けた2人が目にしたのは、変わり果てた飼い犬の姿だった。
「クロック!!」
グレッグの悲痛な叫びが、部屋に響き渡る。発掘隊で可愛がっていた茶色のブチが特長の雑種で、名前をクロックという。捨て犬だったクロックを隊のマスコットにまで育て上げたのはグレッグの功績だ。
そのマスコットたる愛犬が、今は狂犬病に冒されたかのように涎をまき散らし、鋭い牙を光らせている。体の所々からは湯気のようなものが出ていて、それが自らの体を腐らせていく。
見るに堪えない状態であった。
「クロックだよな…なんてこった」
「犬は、やばいですよ」
「ああ、わかってる」
クダチとグレッグは慎重に武器を構えた。犬は、地上で最も危険な生物の一つだと判っているのだ。恐らく普通に剣を振るったところで、かすりもしないだろう。犬とは、素でもそれだけ俊敏で攻撃力が高い生き物なのだ。
「コレット、俺の後ろに隠れてろ」
クダチは振り返らずに、そう伝えたが返事が無い。彼女は、どうやら違う方向が気になっているらしい。
(何を見てるんだ)
思わず振り返りたくなる気持ちを、グッと堪える。今はクロックの処理が先決だ。
「おいクダチ、ボーっとするな!くるぞっ」
「わかってるよっ」
飛びかかってきたクロックの牙を、辛うじて剣で防いだ。生前より、スピードは落ちているらしく、これくらいならなんとか反応出来そうだった。
失速したところにグレッグのダガーが容赦なく突き刺さる。
「キャン!」
痛みがあるのかは不明だが、クロックは苦しそうに呻いた。できれば、痛みが無い事を祈りたかった。
(これなら、何とかイケルかも…)
そう思い始めた時、背後からドンという衝撃が3人を襲った。
壁の一部が破壊され、煙と雨が吹き込んでくる。
「今度は何だってんだよ」
「新手か」
空いた大穴から覗く闇の空間に、複数のギラつく目が浮かび上がっていた。
さすがにここまでくれば、大体想像はつく。
―不死の怪物『リビング・デッド』だ。
「ひっ」
コレットは、あわててクダチの後ろに隠れる。お化けの類も、ホラーの類も大嫌いなのだ。
「くだっ、クダチ、あれあれあれ」
「くっそ、屋内で囲まれるとか…最悪だ」
「まずいな、コレットちゃんを挟んで前後するぞ」
「了解」
グレッグが手早く指示を出し、態勢を立て直した。
「コレット、できる限り足止め頼む」
「わわ、わかったです」
怯えながらも、暗闇に向けて固有魔法を放った。




