Lesson6 西の遺跡の忘れ物(11)
もう何度目の斬り合いになるだろう。徐々に命が削られていく感覚が、クダチの心を徐々に蝕んでいく。
左腕はちぎれない程度に切り刻まれているし、顔は何度も転倒したせいで、晴れ上がっている。内蔵は大丈夫だが、骨は折れているかもしれない。なにしろ口の中が鉄臭くて仕方ないのだ。
一方のトカゲは、堅い鱗に覆われているため、さしてダメージを受けていない。
少しずつクダチが押し負ける回数が増えてきている。
こちらが斬りかかると影に消え、死角から現れてはチマチマとダメージを与えてくる。そうして気がついたら満身創痍になっていた。
「コソコソ隠れやがって、立派な剣持ってるくせにビビッてんのか」
相手を挑発してみるが、乗ってくる様子もなく、また影へと消えた。
(ちぇ、さすがに負けてる方から挑発しても無理か)
舌打ちし、距離を置こうと大きく飛び退いた。
「うおっ!」
着地した床が、揺れる。
いや、正確にはトカゲが床の中から腕を伸ばしてきて、足を掴んだのだ。
「と…と…」
バランスを崩し、尻餅を付く。
(こいつ!床にも潜れるのかっ)
壁にしか潜めないと思っていたのは、戦術だったらしい。そう思わせておいて油断を誘い、会心の一撃で相手を葬る。それがトカゲのやり方だった。戦士としての経験も、クダチより上だと認めるしかなかった。
(くそ…ここまでか)
足下の闇から伸びてくる剣先を見つめながら、覚悟した時だった。
「むぁ…」
掠れるような少女の声がする。
次の瞬間、トカゲの腕には無数のツタが巻き付けられ、その剣は途中で止められていた。振り返ると、弱々しく体を起こすコレットの姿があった。
「コレット!」
喋る気力もないのか、うっすらと笑いながら頷く。
そして、コレットがグッと拳を握りしめた瞬間、ツタの棘が破裂した。
「ゴギャア!アアアア!」
トカゲの右腕が吹き飛び、泡を吹いて床を転がっている。
「逃がすかよっ」
こんな千載一遇のチャンスを逃すクダチではなかった。冷静に腹部へと強烈な蹴りを放ってから馬乗りになる。
何度も何度もダガーと突き刺し、視界が真っ赤に染まる頃に、ようやくトカゲは絶命した。
「はぁ…はぁ…」
クダチは、肩で息をしながらトカゲの死を再度確認すると、がっくりと両膝をついた。
もうこれ以上は一歩も動けるものかと体が主張している。
それでも、気力を振り絞ってトカゲが落とした剣を口に咥え、コレットの方へとズルズル這っていった。
「ほい、ホレッホ、らいひょうふは」
しかし、コレットの元にたどり着く直前、正面の扉が轟音と共に弾け飛ぶ。
ボアアア、と地の底から響いてくるような咆哮に、クダチは咥えていた剣をポトリと落とす。
首の無い熊のようなその怪物は、ドロドロと永遠に溶け続ける皮膚を持っていて、緑色の体は強烈な腐臭を放っている。6つある目はそれぞれが違う色、違う方向を向いており、獲物を決して逃さない。
「おいおい、永遠の腐乱熊とか…冗談だろ」
冒険者が考え得る中で最悪の敵である。まず、通常の物理攻撃が効かない。特殊な聖刻を施された剣や、魔法の武器でないと傷一つつけられないのだ。
その上、圧倒的なパワーで強引に仕掛けてくる。剣で受けようものなら、数十メートルは吹っ飛ばされて、即死だ。
「どう考えても無理だよなぁ…」
万全の状態で当たったとしても、恐らく1分と経たずに殺されるだろう。
ましてや、歩くのもままらない今の状態では絶望的だった。
「…けどまあ」
クダチはチラリと後ろを振り向く。
「逃げられないよな」
トカゲから拾った異形の剣。バスタード・ソードと呼ばれる柄の長い剣を構え、膝立ちでフウと深呼吸をする。
勝てる見込みなんてこれっぽっちも無いが、後ろにはコレットがいるのだ。
退くわけにはいかない。
「きやがれ、熊公!」
コレットから十分に距離を取ってから叫ぶと、同時にデス・ベアーが突進してきた。ぎりぎりにかわして、すれ違いざまに剣先を当てる。
「グオゴゴゴ」
(ん?効いてる。てことは、魔法付与された剣なのか)
クダチはすぐさま剣を構え直しつつ、考えを巡らす。このまま回避と攻撃を続けていれば、もしかして…と。
「ブォゴアウ!」
しかし、その直後に放たれた両腕のパンチを見て、絶望する。魔法で倍に膨れ上がった丸太のような腕が、高速で両側から襲ってきたのだ。かろうじて片側だけでも避けられたのは、奇跡だったといえる。
「げぇ」
コレットの横たわる部屋の隅まで吹き飛ばされ、大量の血を吐く。まさに一撃で瀕死にまで追いやられた。
(こんなん、無理だろ。汚ぇぞ、神様)
ゆっくりと近づいてくるデス・ベアーを感じながら、コレットの頭に手を伸ばした。
「ちぇ、悪いな。もう動けないや」
自分は十分闘った、これ以上は無理だ。
そう思った時、コレットが小さく呟いた声を聞いた。
「クダチ…たす…て」
気がついた時には、無我夢中でコレットにしがみつき、横っ跳びに転がっていた。
ドゴン!
もうもうと立ちこめる煙で、視界が奪われる。一瞬前までいた床が、破片をまき散らしながら砕け散り、獲物を寸前で逃したデス・ベアーの怒りが空気を震わせている。
「クソッタレ、差し違えてやる」
最後に一撃、全力で振り抜いてやると決めて、腰を落とした時だった。
「お?」
目の前をトコトコ歩く小さな植物と、目があった。いや、目はないのだが。
「なんだよ、お前…」
緊張感を削ぐようなその植物は、クダチとデス・ベアーの間に割って入った。
「えっと、確か…アラクネだっけ」
小さなアラクネは、モジモジと体をよじっている。その仕草が可愛くて、そして殺伐としたこの雰囲気には余りにも似つかわしくなくて、つい吹き出してしまった。
「なんだか、お前可愛いな」
その時、クダチは確かにアラクネが「照れて」いるように感じた。ほんの一瞬だけだが、そう感じた。
そしてアラクネ105は、本来の姿へと戻った。主人たるコレットの命なくして、戻ることのは無いはずの完全体に変化したアラクネ105は、2mを超える大きさで、15本の触手を保つ。巨大な頭部には鋭い歯を持った大きな口が開いている。
「さ、さっきと形が違うんじゃないか?」
以前見た形とは、色も形状も大きく異なる。より凶悪さを増した感じである。
「ギョエアー!」
「グゴエブゴォ」
怪獣大決戦が繰り広げられていた。
アラクネ105は10本の触手それぞれが個別に10の魔法を使う事ができる。そして残りの5本は、極めて危険な大魔法を一つずつ放てる。
これだけでも十分軍隊相手に戦えるが、それ以上に強烈なのは頭部のバキュームだ。物理・非物理を問わず指向性のバキュームを発生し、喰らい尽くすのだが、完全体では、これが範囲攻撃へと進化している。
一方のデス・ベアーは相手の攻撃など無視して、パワーで押しまくるタイプだった。
そのため、最初こそ拮抗するかと思われた戦いだが、すぐにアラクネが一方的に蹂躙する展開となった。なにしろ105の魔法が乱れ飛ぶのだ、いくら不死の体といっても、耐えられるはずがなかった。
ものの30秒もかからず、デス・ベアーは消滅した。
「す…げえ」
元の小さな植物に戻り、トコトコ戻ってくるアラクネだが、不思議と恐ろしさは感じられなかった。今ならコレットがプリティーと言った理由がわかる気がする。
「はは、俺も変人の仲間入りだな」
笑いながらアラクネの頭をちょいちょいと撫でる。
撫でながら、あることを思いついた。
「そうだ、よかったらもうちょっとだけ、お前の力を貸してくれよ」
言葉がわかるのか、わからないのか、アラクネは小さな頭を傾げた。
アラクネ105は、契約植物なのです。
固有魔法ではないのです。
なので、時々自分で考えて行動したりもします。




