Lesson2 蜘蛛の花(2)
その日森の動物たちは、上空をフラフラと飛んでいる黒い物体を不安そうに見上げていた。
「くわっ、と、ほっ」
必死にホウキを操っているのは、大きな魔女帽子と漆黒の外套に身を包んだコレットである。中にはオレンジ色のフリルなワンピースを着ているのだが、師匠には秘密だ。
お気に入りの正装で気合いを入れて出てきたのは良かったが、いかんせんホウキが言うことを聞いてくれない。
「くのっ、真っ直ぐ進んでくださいよっ」
上下に暴れ、左右にふらつき、くるりと一回転する。今にも落下しそうなその様子に、いつのまにか近寄ってきた風の妖精シルフ達が声をかけてくる。
『ちょっと大丈夫なの?森に落っこちないでしょうね』
『ふらふらとクラゲみたいねぇ』
『ねぇ、魔法使いはトカゲを食べるって本当?』
『そろそろ雷雲がくるよー』
「うるさいでーす!」
好き勝手にしゃべり出すシルフ達に、怒鳴り返す。
しかし、ふと何か大切な事を言われたような気がして、意識を逸らした途端、またホウキが暴れ始めた。
『魔法使いのくせにホウキに乗れないとか、ありえなくない?』
『風の精霊の加護を受けてないんじゃないかしら』
『嵐がくるしね』
『あら、でもこんなに沢山のシルフがいるじゃない』
『本当だわ、あははははは』
『うふふふ』
『クスクスクス』
「もう、気が散るから静かにしてくださー…ん?」
(また、何かひっかかる言葉が。ええっと)
シルフ達のくだらない会話を反芻してみた。
(クラゲ…トカゲ…雷雲…ホウキ…加護…嵐…嵐ぃ!?)
「ま、まさか」
おそるおそる前方に目をむけると、オドロオドロしい真っ黒な雲が真っ直ぐこちらに向かってくるではないか。
「どどど、どうしたら」
右往左往するうちに、なま暖かい風を頬に感じ始めた。もう余裕がない。真っ直ぐ飛ばないホウキをなんとか着地させようと奮闘していた時、近くでゴロリと鈍い音が鳴り響いた。
―雷だ!
認識した直後には、もうパニックだった。コレットは、何より雷を怖れている。なぜだかしらないが、多分幼少期に恐ろしい思いをしたのだろう。音を聞いただけで頭が真っ白になり、体が硬直してしまう。
そして、混乱した頭ではまともに魔法を制御できるはずもなく、暴れ出したホウキから簡単に放り出されてしまった。
「あ…れ?」
唇がわずかに動く間に、体はもう地上へと落下し始めていた。
ぽつり、と何かが頬に落ちる。
また、ぽつり、と頬をはじく。
「ぅう」
うっすらと世界が目を覚ました。
霞がかかったように見えるのは、霧雨のせいだろうか。ぼんやりした頭がゆっくりと覚醒していく。どうやら草むらに横たわっているらしい。
「いたいっ!」
体を起こそうと体をひねった時に、激痛が走った。どこが痛いのかわからないほど、全身が痛かったのだが、特に脚の痛みが酷いようだ。
「どこなんでしょう、ここ…」
ぼうっとしながら、周りを見渡す。
頭上に生い茂るのは、巨大なカカナシの葉だ。2m弱はあるだろう大きな葉は、肉厚で弾力がある。
「はぁ、助かりました。それにしても、運がよかったですね」
コレットは、たまたまカカナシの木に落ちて、助かったのだとわかり、木に感謝した。もちろん、彼女の小さな体をカカナシの木まで吹き飛ばした、なんてことはシルフの気まぐれである。だから『たまたま』で正解なのだ。
とにかく、まずはホウキを探さないと身動きがとれない。そう判断して立ち上がろうとしたが、痛みとショックでヘナヘナと座り込んでしまった。
「いったぁ…ん?」
―ゴロ
涙声でうずくまっていたコレットの耳に、雷鳴が届く。
「ひっ!」
その恐ろしい音を聞くだけで体は硬直し、心臓の動悸が激しくなる。すぐにでも身を隠す場所を探さなければ危険だと頭ではわかっているのだが、体は言うことを聞いてくれない。
激しくなってくる雨を恨めしそうに見上げながら、唇を噛んだ。
魔法使いは、ホウキで飛ぶモノです。
それは浪漫なのです。




