Lesson5 モータルの競技会(14)
ちょうどロベルトが見舞いに出発した日の朝、コレットはベッドで起きあがる練習をしていた。
「あたた。おばあさんみたいですね」
「コレット様、まだ無理をなされては…」
「えへ、いつもありがとね。エランさん」
さりげなく隣で支える執事の腕に、ぎゅうとしがみついてお礼を言う。エランとは、コレットが3歳の頃からの付き合いだ。
「なんの、仕事でございますから」
「うぅっ、これじゃあ決勝は無理かなぁ?」
「無茶をおっしゃる。普通、3ヶ月は安静にしている程の怪我でございますよ」
「ごめんね、迷惑かけちゃって」
「迷惑など、微塵も感じておりません」
きっぱりと言い切るエランに、コレットは笑いかける。きっとこの執事は本当に迷惑など感じていないのだろう。アンジェリーナの次に、コレットを甘やかしてくれる、大好きな人だ。
そんな人に、これ以上迷惑をかけたくなかったが、どうしても確認しなければならない事があった。
「エランさん」
「なんでございましょう」
「アンジェは?」
「今朝はお体がすぐれないとの事で、自室にてお休みされております」
「看病のしすぎかな」
「はは、お嬢さまは無理をなさいますから」
「そうだよねぇ。ちょっとお見舞いにいこうかな」
「いえいえ、コレット様はご自身を見舞っていただかなくては」
「あはは、だよねぇ」
ここで、コレットは辛そうな顔を作る。
「ねえ、エランさん。私を襲った人ってつかまった?」
「いえ、残念ながらまだ。物騒な事です」
「もう王都から出ちゃったかも」
「いえ、戒厳令が出ておりますし、まだ王都にいるかと」
「何か手がかりになる物、残ってなかったかな」
「いえ、何もなかったと思います」
「アンジェは地下?」
「…いえ、自室でございます」
「そう」
コレットは、支えていたエランをそっと押しやる。
「コレット様?」
「魔法のせいで、止めることができなかったのよ。エランさんのせいではないわ」
「何をおっしゃって…」
「おいでませ、アラクネちゃん!」
どぉん!と、どん欲巨大植物のアラクネ105が出現する。
「アラクネちゃん、私を運んで。あ、突き当たりまでよろしくね」
「こ、コレット様!?」
「だめですよエランさん。ほら、体が痺れるでしょう?動いちゃだめ」
「いえ?あの」
「コレットが魔法で痺れ花を沢山出しました。執事さんは動けず、コレットの暴走を止められませんでした」
「ちょ…」
「では、アラクネちゃん、角を右に曲がったらでっかいドアを、ぶっ壊しちゃってください」
ぐおおおお、とアラクネ105が廊下を突進していく。
「す、すみませんお嬢様。コレットさまにはバレバレです」
呟くエランを置き去りにし、アラクネ105は指示通りに目の前に迫った大きなドアへと体当たりする。
ズドーン、と館を揺るがすような振動が起きる。しかし、ドアには傷一つ付いていなかった。
「こしゃくな。アラクネちゃん、食べちゃってください」
ぐおおおおおんっ♪
植物に感情があるかは不明だが、嬉しそうな叫び声であった。
アラクネ105は悪食である。ドアにかけられたロックや、シールドなどの『魔法』すら喰らうことができるのだ。
バリバリバ…
「ちょ、やめなさいっ!」
部屋の奥から悲鳴が聞こえてきた。
「今開けるわよっ」
「まったく、開けるのが遅いのです」
「こっ、この…」
カチャリと開いた扉の向こうに、アンジェリーナが立っていた。右半身は魔物のごとく真っ黒に、猫のような目は爛々と金色に輝いていた。
「見舞いにきたですよ」
「逆じゃない、何を言ってるの」
「病人だから、早く部屋にいれるが良いです」
「…助けるんじゃなかったわ」
「今更後悔してもムダムダです」
「はぁ…」
諦めて部屋に招き入れると、静かにドアを閉めた。
「さて、アンジェ。説明してもらいましょうか」
「何を?」
「『クライフの絶望』を誰に使ったんです」
「さあ」
「…」
「黙秘するわ」
「…」
その時、突然コレットの目から涙がこぼれ落ちた。
「ちょっと、コレット!どこか痛むのですか!? 医者を、ああエランにー」
「お願いだから」
「え」
「お願いだから、もう二度と使わないで」
「コレット」
抱きついてきたコレットの頭を、そっと撫でる。
「私、死ぬのは怖い。でもアンジェがアレを使うのはもっと怖いの」
「馬鹿な。コレットの命のほうが大事だわ」
「アンジェの魂が、穢されていく気がするの」
「大丈夫よ、このくらい」
「だめだよ、どうせエランさんに言って犯人の目星をつけたんでしょ」
「…そうね」
「放っておけばいいじゃない、私は生きていたんだし」
「嫌よ!」
アンジェリーナは声を荒げる。
「それだけは嫌。あんなコレットの姿はもう二度と見たくない。コレットに手を出したらどうなるか、関わる全ての人間に思い知らせる必要があるの。そうしてようやく貴女が安全になったと言えるのよ」
彼女の意志が固い事などわかっていた。
「でも、アンジェは…」
「いいのよ、一週間我慢すれば元通りだし」
「一週間も!?」
「そうね、今回は本気だったから。そのうち代償がくるわね」
「まだ来てないの…だって前は当日に代償が来て、二日で元に戻ったのに」
「ふふふ、あの時はちょっと懲らしめる程度だったからね」
「アンジェ…」
しょんぼりするコレットの頭をもう一度撫でる。
「いいのよ、私は満足」
「満足なんて…あっ!」
「何」
「あの、アンジェ。ありがとう、助けてくれて」
「何よ今更」
思わず吹き出してしまった。コレットは真っ赤な顔で俯いている。
「だって、言い忘れていたから。最初に言わないといけないのに、ごめん」
「あっは、何だかなぁ。もう、気が抜けちゃったわ」
「うぅ」
「そういえば、コレットは決勝間に合うかしらね」
「え、無理じゃないかなぁ。エランさんが安静にしておけって」
「そうね、でもコレットには頑張ってもらいたかったなぁ」
「あ…」
そこでコレットは気が付いた。この姿ではアンジェリーナが一週間後の決勝に出場など出来るはずはない、ということを。
「私…」
「ま、仕方ないわよね。私の場合は自業自得。でもコレットは違うもの、悔しいわ」
「う、うん」
「来年、また一緒に頑張りましょう。次は私も無改造クラスに出るわよ」
「そうだね…うん」
「さーて、私は少し眠るわ。代償がくると眠れなくなるしね」
「わかった」
「おやすみ、コレット」
「おやすみ、アンジェ」
何度も振り返るコレットに、アンジェリーナは「早くいけ」と手を振る。パタリとドアを閉じた後、コレットはある決意をした。
* * *
「すげぇ、何これ。貴族すげぇ」
目の前にある館が別荘だという事実。庶民と貴族の格差を感じつつ、ロベルトはコレットのいる部屋へと通された。
たかだか数日だというのに、もう何週間も会っていないような感じがする。
「おーい、見舞いにきたぜ。大丈夫か」
「ロベルトさん!」
「おお、元気そうじゃねぇか」
「はいっ」
ロベルトの顔を見たコレットは、元気良くベッドから起きあがろうとするが、すぐにヘロヘロと倒れていった。
「無理すんなって」
「情けないですぅ」
「大怪我だったんだろ、仕方ないって」
「うぬー、これでは決勝に間に合わないです」
「え!?」
見舞いの果物やら花やらを並べていた執事とロベルトが、同時に振り向いた。
「でるの?」
「無茶でございます」
顔を見合わせた二人は、やはり同時にコレットへと向き直った。
「安静にしてませんと」
「そうだ、まだ犯人も捕まってねぇんだぞ」
心配そうな顔のロベルトに、コレットは笑顔で応える。
「それなら、大丈夫。私は友達を信じてますから」
「友達?」
「アンジェですよ」
「ああ、あのお嬢様か…けど信じてるって言っても…」
「信じてるんです。だから大丈夫です、決勝には出ます。絶対に」
「おいおい」
決して譲らないというコレットの視線から、ロベルトは目を逸らしてしまう。エランはというと、もう諦めた表情になっている。暖かく見守ることにしたようだ。
「けどよ、ホウキがなくちゃな」
「ええっ、ホウキ、盗まれたんですか!?」
「聞いてなかったか、すまねぇ。コレットさんが襲われた日の夜、放火騒ぎがあってな。チャンピオンと、うちらの倉庫が焼かれた」
「そんな…」
「全焼だったんだ、残念ながらRSRはもう無い」
「うそ」
「本当だ」
「だって…だって、決勝には出ないと駄目なの!どうしても出ないと駄目なの!お願い、ロベルトさん、お願い」
「な、どうした、何があった」
泣きじゃくるコレットを落ち着かせ、事情を聞き出すまで長い時間がかかった。
「そうか、あのお嬢様は棄権するのか」
「はい、だから私どうしても出たいんです」
アンジェリーナは、コレットが決勝に出場するための安全を確保してくれた。その思いに、何としても応えたかったのだ。
「コレットさんが羨ましいよ」
「羨ましい?」
「友達を信じて、信じられて。俺なんて、大事な人を信じられなくて、自分も信じられなくて、ラキ爺にも見限られちまった」
「どういう事です?」
ロベルトが昨日の一件を話すと、コレットは笑い出した。
「な、なんだよ、笑い話じゃねぇぞ」
「だってー、ヒゲさんもロベルトさんも子供みたいだったから」
「子供!?」
「意地張って、仲直りできない子供でしょ」
「あのなぁ…」
「ヒゲさんは、きっと一緒に作ってもらいたいんだよ。だから私財を使ってまで環境を整えてくれたんだよ」
「んなこたねぇ」
「じゃあ、賭けをしようよ。これから工房に戻って、ヒゲさんが作業を進めていたらロベルトさんの勝ち、何もしないで待っていたら私の勝ち」
「何を賭けるんだ」
「ロベルトさんが勝ったら、私がアンジェにお願いして、工房を取り戻してもらう。私が勝ったら、お願い、ホウキを…ホウキを作ってください、お願いします」
しばらく思案していたロベルトだったが、黙ってうなずくと、コレットに一冊の本を投げて寄越した。
「わかった、賭けにのるぜ」
「ありがとう!」
「それと、その本やるよ。ラキ爺が取り寄せてた奴だが、嫌がらせで盗んできた」
「ええーっ、いいんですか?」
「いいんだよ、喧嘩してんだから」
「ぷっ」
コレットは笑いをこらえられなかった。
(ほんとに、子供みたいだ)
「じゃあな、どっちに転んでも恨むなよ」
「もちろんです」
「おだいじに」
「はいっ、ロベルトさんも」
ドアが閉じた後、コレットは本に目を落とす。何気なくタイトルを読み、そして吹き出してしまった。次に会ったら、やはりヒゲさんには抱きついてしまいそうだ。
赤い装丁の分厚い本に、金色のタイトルが映えていた。
『やさしく学ぶ、エルフの文化』




