Lesson5 モータルの競技会(13)
広い地下室の中央に、四種類もの重ねがけがされた魔法陣が描かれている。その中に一人の魔法使いが立っていた。伝統的な漆黒の儀礼服を着て、目深にフードを被っている。
「お嬢様、入手いたしました」
「ご苦労さま、エラン」
「血の付いた靴が実行犯、髪の毛が雇われた屑の物です」
「屑の方も、コレットに手を出したの?」
「いえ、コレット様の花に阻まれ、何も出来なかったと確認しております」
「当たり前だわ」
アンジェリーナの口元が、僅かに緩んだ。
「では靴の方を、私の足下に」
「かしこまりました」
魔法陣へと足を踏み入れた執事の顔に苦悶の表情が浮かぶが、すぐに何事もなかったようにハンカチにくるまれた靴を、アンジェリーナの足下に置く。
「エランは外で待っていなさい」
「いえ。私はお嬢様のお側に」
「今回、手加減しないのよ。狂っても責任終えないわ」
「問題ございません」
「…勝手にしなさい」
執事が魔法陣から離れるのを待って、アンジェリーナは固有魔法を発動する。直後、禍々しい黒い固まりが背後に現れた。それはユラユラと姿を変え、やがて人の顔を形作っていく。眼窩は漆黒の闇に覆われ、口は耳元まで裂けていた。
アンジェリーナの固有魔法『クライフの絶望』である。
ォォォォ…
『絶望』の声は聞くだけでも発狂する者がいると聞く。さすがのエランも、耳をふさいで恐怖に耐えていた。
顔だけのソレが床に降り立つと、魔法陣が激しく光り出した。四重結界と呼ばれる魔法陣は、『絶望』の呪いを周囲に広げないよう展開されいてる。しかし、その禍々しい気配までは防げるものではない。エランの吐き気は限界に達していた。
その時、アンジェリーナの澄んだ声が部屋に響きわたった。
「呪われし者は、わたくしの足下に置かれた、靴の持ち主」
対象物を指さしながら、ゆっくりと正確に指定する。『絶望』の姿がゆらめき、靴を取り込んだ。
しばらくそのまま揺らめいていたが、突如空間を割り、靴と共に消失した。
「ふう」
崩れ落ちるアンジェリーナの右腕は、指先から黒い模様に浸食され始めていた。
「お嬢様…」
「部屋に籠もるわ。一週間くらいは外出も出来ないわね。誰も近づけては駄目よ」
「かしこまりました」
深々と頭を下げる執事に見送られ、アンジェリーナは自室へと向かった。
* * *
遡ること小一時間、『ホウキの曲がり角亭』横の工房では、二人の男がにらみ合っていた。ロベルトと、ヒゲさん事ラキ・ラムザックである。
「提供しろ」
「断る」
同じやりとりが、朝からずっと続いている。
「コレットさんの意志だって、確認してないだろ。大怪我なんだ、決勝は棄権するかもしれん」
「あの子が逃げるわけないじゃろ、お前さんとは違う」
「いつ俺が逃げたってんだよ」
「そのホウキから逃げとるじゃろ」
ラキが指さしたのは『レーズ・ドゥケ』、ロベルトが自ら手がけた最期のホウキだ。コレットの新しいホウキとして提供するよう、ロベルトに頼み込んでいるのだが、首を縦に振らないのだ。
「こいつじゃなくても良いだろうが」
「他に何があるんじゃ」
「ベラ―ネク・デセトとか…」
「出来損ないのレプリカなんぞで、優勝できるちゅうのか。本気で言ってるのなら、殴るぞ、ロベルト」
「う…」
もちろんロベルトとて、本気で思っている訳ではない。『レーズ・ドゥケ』に代わるホウキなどあるはずがないのは、本人がよくわかっている。
「駄目だ。こいつは出せない」
「あのなぁ、ロベルト」
ラキが深くため息をついて、ロベルトの腰を叩く。
「コレットちゃんはアリアナとは違うじゃろ」
「…」
「事故の事は聞いとる。しかし、ホウキのせいではなかろう」
「俺の腕が未熟だったんだ、アリアナが落ちたのはホウキのせいだよ」
「ド阿呆ぅ!」
ラキの鉄拳が腹部に突き刺さる。
「うげふ」
「貴様を信じてホウキに乗ったんだろうが、アリアナは!」
「げほっ…」
「その時最高の技術と、最高の魂つぎ込んだ作品なんじゃろう?」
「…」
「自分が信じられんのか」
「…ああ、信じられないね」
「なら、もう頼まん。おい、ベラ―ネクもってこい。あれでやる」
ラキが言うと、若いドワーフが宿へと走っていった。
「なんじゃ、ロベルト。もう用は無いぞ、さっさと酒場の店主でもやっておれ」
「いや、だって素材転換は俺しか…」
「ドワーフをなめるなよ、若造」
ラキが扉を開けると、古くさいが良く手入れされた銀色の機械が運び込まれてくる。
「これは…」
「ドワーフ族の秘宝が一つよ。これで素材の強度を倍にする」
「倍って、そのくらいじゃー」
「むろん、もっと上げる事はできるがな。しかしベラーネク程度の速度ではそれほどの強度はいらん」
「…」
「わかったら、さっさと出て行け。邪魔だ」
「ここ、俺の工房…」
「さっき儂が買い取った。オーナーからな」
「えっ」
「儂の通り名は『東のミスリル王』でな。金には困っておらん。ではな」
「マジかよ」
ロベルトが工房を追い出されると同時に、次々とドワーフ達が素材や器具を運び込んでいく。
「あと一週間だぞ、あんなポンコツで勝てるわけねぇ…てかまともに飛ぶもんかよ」
ガツンと扉を蹴り、ふてくされた顔で酒場へと戻っていった。
ロベルトはその晩、酒を飲むことなく床についた。正確には飲もうとしたが、怖くて飲めなかったのである。また大事なものを失ってしまいそうで。
翌朝、執事のエランが寄越した馬車にはロベルトだけが乗った。面会は一人に限定されていたからだ。技術者達から多くの見舞い品を預かり、馬車に乗るが、見送りにラキの姿は無かった。
(なんだよ、大人げないな。爺ぃのくせに)
馬車でブツブツ文句を言っていたら、いつの間にかアンジェリーナの館に到着していた。
アンジェリーナは、この呪われた固有魔法のせいで
幼少より、忌み嫌われておりました。
コレットだけが、差別せず遊びも、喧嘩もしてくたのです。




