Lesson5 モータルの競技会(12)
その日、競技会場でボヤ騒ぎがあった。幸い、選手倉庫を一部焼いただけで会場に被害はなかったが、火の気が無い倉庫での火災なだけに、放火ではないかとの噂が飛び交っていた。
厳重な警備体制をかいくぐって放火するとなると、関係者が疑われるのは常である。公式には調査中だが、ファンの間ではラデクが犯人ではないかと囁かれていた。
というのも、被害にあった倉庫のうち予選2位のコレットが全焼、1位のイーサクが半焼だったからだ。去年準優勝で今年予選3位のラデクが結果に満足していなかった事は想像に難くない。加えてコレットに対する罵詈雑言が酷かったと証言する者が出てきた。しかし…
「とんでもない、私も心を痛めているのですよ。被害に合われたお二方が、無事本戦に出場される事をお祈り申し上げます。それでは」
当のラデクは、そんな噂もどこ吹く風といった体でさらりと疑惑を受け流している。そんな事よりも当面の問題は、コレットのホウキが燃え去った事だ。
ボヤ騒ぎの翌朝、モータル・スピリット亭の1階酒場ではロベルト達が緊急会議を開いていた。
「チャンピオンはどうせスペアを持ってるからな」
「ちくしょう、金持ちってやつぁこれだから…」
「チェイスでスペアホウキを持つのは当然だ。むしろ、用意しなかった俺たちに問題がある」
「けどさあぁ、納得いかねぇよ」
「そりゃ俺たちよりもコレットさんの方が…あれ?コレットさんどうした」
「あ、ボヤ騒ぎで手一杯だったけど、そういえば見かけてないっすよ」
「部屋で寝てるならいいが…誰か見てきてくれ」
「儂がいこう」
ヒゲさんが2階へと上がっていくが、すぐに顔をしかめたまま戻ってきた。
「おらん」
「おかしいな、これだけ騒ぎがあって気が付かないわけないし」
「買い物に行ったんだよな」
「グローブを見に行くと言っておったな」
「その後見かけた奴は?」
「…」
「変な事に巻き込まれてないよな」
「おい、滅多なこと言うんじゃねぇ」
重苦しい空気が漂い始めたとき、ギィと酒場扉が開く。
「コレット様のお連れの方々でいらっしゃいますか?」
酒場には場違いの男が、入り口に立っていた。両手に白い手袋をはめ、皺一つない執事服を着こなしている。
「我が主より言付かって参りました。コレット様が事故に遭われ、大きな怪我をなされましたので、当家にてしばらくお預かりいたします。2~3日で面会が出来るようになりますが、ご心配は無用との事でございます」
「お、おい。コレットさんが怪我ってどういうことだ!」
周りが制止する間もなく、ロベルトは執事の胸ぐらを掴む。
「貴方、門のところで、一度お会いしましたな。コレット様と親しくされていた」
「…そういや、あんた喧嘩してた貴族の執事か」
「クロイゼル・エランで御座います」
「おい、まさかあの女がやったんじゃねぇだろうな」
「無礼な」
一瞬だけ声を荒げた執事だったが、ロベルトの手をはたいき落とした後、すぐに平静な口調へと戻る。
「結構、用件はお伝えしました。それでは」
「まてまてまて!」
辞去しようとする執事を、ロベルト達が一斉に引き留める。
「せめて見舞いぐらいさせろ」
「無事だって確認しねぇと」
「火事の件だったあるだろ」
「そうだよ、本戦どうするとか」
「どんな具合かぐらい教えろ」
口々に騒ぎ出す男共に、執事は冷たい目を向けて言い放った。
「なるほど、いいでしょう。コレット様の状態を客観的にお伝えいたします」
「お、おう頼むぜ」
「まずー」
執事はそこで言葉を止め目を閉じると、大きく息を吸い込んだ。まるで覚悟を決めるかのように。
「コレット様を発見したのは中央東通りを3ブロック進んだ雑貨店の前です。馬車で帰宅の途についていたお嬢様が、偶然外の景色をごらんになられていたのが幸いしました」
「コレットちゃんが、グローブを見に行った時だな」
「それは、直視できないほど酷い状態でした。わたくしでさえ、一瞬目を逸らしてしまったほどですから。裏路地から自らの体を引きずってきたのか、地面にはべったりと血の道ができあがっております。右腕はあらぬ方向に曲がっており、服にはどれだけ蹴られたのかわからないほどの靴跡、特に酷かったのは左目です。こちらは失明寸前でした」
淡々と話す執事の話に、ロベルト達は声を失う。
「記憶が混濁していたのでしょうか、意味不明な言葉を発せられていました。お嬢様は一瞬立ち止まると、しかし目を逸らすこともなく一直線にコレット様のもとへ駆けつけ、お召し物が汚れることも気にせず、適切な処置をなされました。コレット様は、お嬢様の問いかけに何度か応えた後、気を失われました」
執事は、天を仰ぎ溢れ出す思いを押しとどめる。コレットの事は3歳から知っている。勝ち気なアンジェリーナお嬢様が唯一心を開いて話す『大切なお友達』なのだ。
「その後、医師団を召集いたしました。幸い、処置が早かったため失明は免れましたが、内蔵の損壊や骨折、失血など安心できる状態ではございません。脳に異常は無いようですし、性的な暴行は受けていませんが、精神的なショックは相当大きいと思われます。魔法による治療中とはいえ、2~3日は面会などできるものではない、とおわかりいただけましたでしょうか」
シンとする部屋で、突然破壊音が鳴り響く。
「ラキ爺…」
真っ二つになったテーブル。硬いはずのドワーフの拳が、血を流していた。
「誰がやったか、わからんのか」
「わかっていても、お教えできません」
「なぜだ!」
「逮捕などされては、困るからです」
「なんじゃとぉ、そいつを庇おうてぇなら…」
「はぁ?庇う?」
執事の口元が、ヒクリと歪む。そのあまりに邪悪な笑顔に、全員が気圧されていた。
「何にせよ、2~3日しましたら使いを寄越します。その頃には面会もできましょう。それでは失礼いたします」
「お、おい!」
有無を言わせず辞去した執事が館へと戻る頃、アンジェリーナはベッドサイドでコレットの頬を撫でていた。昨晩より一睡もしていない。侍女達は看病を代わるように懇願していたが、この場所を譲るつもりは無かった。
「痛かったでしょうね」
何度目になるかわからない呟き。今は綺麗な顔で安らかな寝息を立てているが、昨晩は見るのも辛いほどであった。昨晩『コレットの顔に少しでも傷を残したら、殺してやるわ!』と医師団に喚き散らした事を思いだし、ふふと笑みを溢す。思えば、無茶を言ったものだが、そのおかげで傷一つ残っていない。外側の傷は。
「もう大丈夫だから。目を覚まして」
アンジェリーナはとにかく、祈った。神は信じていないが、精霊は見える。彼女もまた固有魔法持ちであるから。
だから精霊に祈った。
(お願いします、コレットを救ってあげてください)
そうして続けた何万回目かの祈りで、コレットの指先がピクリと動いた。
「コレット!」
「あ…んじぇ?」
「うわあああん、よかったよおぉ~!」
子供のような大号泣が館中に響き、医師団が駆けつけた時には「痛い」「苦しい」「死ぬ」ともがき続けるコレットに、アンジェリーナがしがみついていた。
引き剥がすのにまた、大騒ぎだったとか。




