Lesson5 モータルの競技会(10)
予選当日、コレットはピットの奥でオペラントスーツに着替えていた。この日は曇天だったが、湿度はそれほど高くなく、飛行に適した環境だったこともあって、多くの観客が押し掛けている。
そのためか、朝から予選会場は異様な盛り上がりを見せており、つられて選手たちもヒートアップしていた。
市販クラスですら、上位4番までが僅差で固まるという大混戦になった。先程聞いた速報では、アンジェリーナが3番手に付けているようだ。
「観客が多いのは、苦手なんですけどね」
ドワーフのヒゲさんが作ってくれたスーツに身を通しながら、ブツブツと不満をこぼす。
当初、どんなスーツになるのか戦々恐々としていたのだが、ヒゲさんのセンスが想像以上に良く、仕上がりを見た時思わず抱きしめてしまったほど気に入っている。
全体的に白を基調に太めの黒いストライプが入っており、スカート部分はチューリップを逆さにしたような形状をしている。。
「まぁ、悩んでいても仕方ありません」
耳当て付き帽子をしっかりとかぶると、ホウキを手に更衣室を出た。
ピットでは、ロベルトの他にも『ホウキの曲がり角亭』の技術者達が数人打ち合わせをしていた。邪魔しないように脇を通り抜けようとしたが、ロベルトはめざとくコレットを見つけ、声を掛けてきた。
「よぅ、準備終わったかい」
「まあ、一通りは」
「ホウキの調子も良さそうだし、適度に緊張しているようだし、万事順調だな」
「他のチームは、どんな感じですか」
「大体想定通りの動きだよ」
予選に関しては、タイムアタックの順番をどうするかが大きなポイントになる。コースに出るのが早すぎても、ライバルに情報を与えてしまうし、遅すぎるとタイムが伸びなかったりする。
また、運が悪いと前を走る遅いホウキに邪魔をされてしまう事もあり、コースに出るタイミングはどのチームも頭を悩ませている。
「チャンピオンは様子見だな、いの一番に飛び出して行ったのは、優勝候補の一人ラデクとその取り巻きだ」
「今はコース空いてます?」
「ボチボチかな、あと2~3周するとチャンピオンが出てくるかもしれん。そうなると、直後は大混雑だ」
「ふうん、じゃあ今出ようかな」
恐らく昨年のチャンピオン、イーサクが基準となるタイムを出してくるので、それに合わせてギリギリの調整をして再アタックする者が沢山出てくるのだ。そうなるとコース上は大混雑、初回アタックは悲惨な事になる可能性が高い。
話し合いの結果、今すぐコースに出ることにした。
「それじゃあ、行ってきます」
「おおそうじゃ、コレットちゃん、ちょっと待った」
コースに向かおうとしたコレットを、一人のドワーフが引き留める。
「頼まれてたもの出来たぞい」
「あ、ヒゲさん」
「すっかりヒゲさんで定着しとるな」
「あーっ、ゴーグルだあっ!!」
「ふほほ」
ヒゲさんが持ってきたのは、つや消しの黒い金属枠で作られた飛行用ゴーグルだ。RSRの風量調整は最低限なので、全開走行するとモロに風が顔に当たり、目が痛くなる。そのため、コレットが2日前から作成をお願いしていたのだった。
「いいですねー、これは、いい」
「じゃろう」
耳当て付き帽子の上から、ゴーグルをはめる。多少視界が狭くなるが、付け心地も良く快適だ。ヒゲさんに抱きついてお礼を言っていると、周りから俺も俺もという視線が突き刺さってきたので、サッサと切り上げてコースへと向かった。
「51番のコレットです」
「はいはい、私が予選計測責任者のブルーノです、よろしく。コレットさんは初めてでしたね。タイムアタックに入る時はホームストレート手前までに、忘れず合図をしてくださいよ」
「合図って、どうやって?」
コレットが首を傾げると、ブルーノは深くため息をついた。
「さては講義で寝てましたね」
「あ、あはは…は」
「タイムアタック開始、と言葉にしていただければ、あとは腕のソレが反応してくれます」
ブルーノはコレットの腕にあるオペラントの呪印を指さす。
「スタートラインを割った瞬間から、その腕にタイムが刻まれます。同様にゴールラインを一瞬でも過ぎればタイムはそこで止まります」
「なるほど」
「では、コースへどうぞ」
「はーい」
『バラークRSR』に跨がり、ゆっくりとコースへと進入していく。下見で確認して以来、頭の中で繰り返しシミュレーションしてきたが、やはり本物の持つ迫力は段違いだ。
周りのホウキから出る乱気流や、舞い上がる土埃、視界を遮る水しぶきなど、一つ一つが圧倒的な存在感を持って迫ってくる。
そんな雰囲気を楽しみながら、コレットは冷静に状況を把握していた。
「ん、早めに勝負しちゃおうかな」
比較的空いていたし、何よりコースの空気が最高に良いバランスなのだ。そしてそのバランスは、もうじき崩れると確信していた。大気中にほんの少し、雨雲の香りが混じっているのだ。
コレットは、わずかにホウキを外側にズラして最終コーナーへアプローチしていく。ライン取りよりも脱出速度を優先し、一気に加速した。
「タイムアタック、開始します」
そう告げると、腕の呪印が金色に輝く。
「ぐっ…う!」
猛烈な風圧で飛ばされそうになり、思わずうめき声を上げる。全開走行の強烈な風を受けながら、ゴーグルの奥で第一コーナーへのラインとタイミングを確認した。
(1つ、2つ、3つ、ココだっ)
ピットを超えてから4つめの旗を視認したところで、思い切り減速をする。ホウキのフレームが放つ軋み音を聞きながら体を起こし、大きく右へと傾けた。
大胆で流れるような体重移動は、コレットの姿を一瞬コーナーから消失させる。
「げぇ、今一瞬消えなかったかぁ」
「相変わらずキレキレだな、コレットちゃん」
すでに見慣れたピットの仲間でさえ、驚きを隠せないのだ。いわんやライバル達においてをや。
「何だ、あのちっこいの!」
「見たことが無いけど、初参加か。まずい、ノーマークだぞ」
「ちょっと、次に出ますわ。嫌な予感がします」
イーサクが出るまで様子見を決め込んでいた選手たちに、動揺が走る。コレットが2つめのコーナーを抜けた頃には、多くのピットが慌ただしく再アタックの準備を始めていた。
そんな事になっているとはつゆ知らず、コレットは迫り来る第3コーナーに集中していた。
(次は確か、やんちゃ坊主が遊んでいるところでしたね)
第3コーナーでは、アンジェリーナに教えて貰った通り、若い風の精霊が遊んでいた。この程度の速度では、追いつかれて悪戯されてしまうだろう。特にエルフのコレットにはちょっかいを出してくる可能性が高いので、少し手前から高度を上げて距離を取った。
上昇する際、ほんの一瞬だけ精霊の下の方に洞窟らしき穴が見えた気がしたが、その時は特に気に留めることも無く、次のコーナーへと進入していた。
順調にコーナーを抜けていき、最終コーナー手前でチラリと腕の呪印に目を向ける。現状で3番手のタイムだった。
イーサクは当然トップタイムを叩き出してくるだろうし、今後の展開を考えるともう少し縮めておきたいところだ。
(イーサクが出てくるまで、できてあと一周ですか。うーん、アレ使うしかないか…嫌だなぁ)
コレットの眉間に盛大な皺が寄る。もの凄く嫌そうな顔で、ボソリと呪文を呟くが、反応しない。そうこうしているうちに、最終コーナーに進入してしまった。もう時間が無い。
(くっそう、やりますよ、えー、やりますともっ!)
コレットは自棄になって叫ぶ。片手を振り上げて、真っ赤な顔で叫ぶ。
「ななつぼし☆トリップ!」
その直後、ホウキの先端に黄金色の魔法陣が浮かび上がった。一瞬にして魔法陣を通り過ぎるコレットとホウキ。そこに現れたのは、白銀に輝く派手なホウキと猫(的な何か)であった。
耳付きのフードは、『猫耳付きのフード』に進化し、さらにはゴーグルと一体化して猫目ゴーグルが付属している。無駄に精巧な尻尾は、意志に反応して左右に揺れる。全く意味が無いようでいて、実はバランスを取るのに使えるという優れ物だ。そして本体はフリルバリバリの可愛いドレス風スーツで、腰には大きなリボンまでついている。
「うおおお!」
「変身したーっ!」
「なんじゃ、ありゃあ…って可愛いじゃん」
「意味あんのか、あれ」
「ド阿呆ぅ。意味など不要、見た目が全て、可愛いが正義だ」
「すっげぇ」
イーサクの出番待ちでごった返していたホームストレート前の観客席は、一時騒然となった。その瞬間を見逃した観客からはブーイングと共に大アンコール合戦が始まり、見逃さなかった観客達は口々に感想を言い合っている。
しかし、当の本人はそれどころではなかった。暴れるホウキを押さえ込むのに必死で、観客に気を回す余裕など皆無である。
(ちょっ、何コレ!?)
事前に聞いていたのは、最高速を伸ばすが操作がピーキーになる、という程度だったはずだが、ピーキーどころの話ではなかった。少しでも操作を誤ればどこに飛んでいくかわからない恐怖がある。
(こんなので全開なんて、無理)
若干スロットルを緩めた状態で、コーナーを抜けて行った。それでもなんとか暫定ポールをもぎ取り、ヘロヘロの状態でピットに戻ってきたのだった。
しかしその15分後、予選は唐突に終了する。
満を持してタイムアタックしたイーサクが、コレットのタイムを抜いてポールポジションを奪い取った次の周、突然大雨が降り出して中断。そのまま予選順位となった。
結局コレットは2位に落ち着いたのだが、そのインパクトある走りと変身により、一日にして熱狂的なファンを獲得したという。
「一体どんな訓練を受けてらしたの?」
「久しぶりに、チェイスの原点を見せて貰ったわい。当時の興奮が蘇るようじゃ」
「あの体重移動って、いまのホウキでもできるのかい」
「彼氏はいるの?」
「ところでもう一度変身してもらえないだろうか」
「コレ猫ちゃ~ん!」
結果発表の後、コレットのピットには相当数の野次馬が集まっていた。危険を感じたロベルトが身代わりをおいて脱出する案を出し、コレット自身は裏口からこっそりと抜け出す事にした。
「何でワシが身代わり!?」
「身長的に、あんたしか出来ないだろ」
ヒゲさんが納得いかない顔でコレットの変装をしている。フードを脱いだらエルフの少女がドワーフのおっさんだったとか、もはやホラーである。
「じゃあ、モータル・スピリット亭で合流な」
「はい。あの、ヒゲさんごめんなさい」
「なんのなんの。気にしなくてよくってよ」
「よ?」
ひっそりとした通路を抜け、裏口へとたどり着く。なんとか、誰にも見つからずに脱出できるかと気を緩めた時だった。
「やあ、やっぱり裏口か」
「ひゃぅ」
ビクッと肩を震わせて振り返ると、イーサクが笑っていた。
「予選2番手おめでとう」
「嫌味ですか」
「いや、本気で驚いてるんだけどね。何しろ、一瞬でも首位を取られたんだし」
「みんな余力がありそうでしたけど」
「ははは…まあね」
イーサクは苦笑いで返す。実際、余力どころかギリギリの超本気モードだったのだ。おそらく他の選手も同様だろう。昨年よりコースアウトする者が多かった。
「で、用がなければ帰りますよ。いま絶望的に疲れてるんです」
「ああ、お祝いでもしようかと思ったんだが」
「いりませんよ、そんなもの」
「つれない所が、またいい」
「気持ち悪い事を」
「とりあえず、宿までは護衛するよ。危ないから」
「暇なんですか?余計な心配ですよ」
コレットは眼球だけを横にチラリと動かし、ふんと鼻を鳴らしながら口元を緩めた。その表情がツボにはまったらしく、イーサクはため息をもらす。
「いいね、ゾクゾクする表情だ」
「へんたいだ」
「それは、断固否定する」
なんだかんだで、ちゃっかり横に居場所を確保したイーサクに護衛されながら、『モータル・スピリット』にたどり着く。
「じゃあ、気をつけるんだよ。いきなり注目されると厄介事も増えるからな」
「体験者の言葉は重いですね」
「真面目に言ってるんだぞ」
「わかってますよ、気をつけます。ありがとう」
「どういたしまして、じゃあな」
去って行くイーサクが見えなくなるまで見送っている時、ふと視線を感じた。
キョロキョロと周りを見渡すが、特に怪しい点はみあたらない。
(気のせいですかね)
さっさと気持ちを切り替えて買い物に行きたかったが、イーサクの忠告もあるので、念のためその晩は宿へ引きこもることにした。もっとも、ロベルトたちによる祝宴が始まり、外出どころではなかったのだが。




