Lesson5 モータルの競技会(7)
「ふああぁぁふ」
気の抜けた声であくびをする。モータル・カッパギアの出場者講習会で、コレットは強烈な睡魔と戦っていた。しかし敗北寸前なのは明白だった。
(魔法に関する禁則事項とか、耳タコです。もう眠いです、だめです)
街中で使用が許可されているのは回復魔法のみだ。それ以外の魔法を使用すると、強烈な罰則が待っている。『チェイス』においても、適正な競争を促すために魔法使用は原則禁止。
例外はあらかじめホウキに組み込まれた術式の使用と、危険を避けるための緊急使用のみだ。
「ということでぇ~、え~、あと数日後には~、ごほん、予選コースのぉ~、お~、下見がぁ~、できることにぃ~」
安らかな寝息をたてるコレット。周りの受講者達もほぼ全滅している。そんな安穏とした雰囲気の中で、無事講習会は終わりを告げた。受講者達からは、早速不満の声があがる。
「今年の教官、最悪」
「何言ってるかわかんなかったよ」
「もう少し短く喋れないのかね」
「昼飯食ったら、何する」
「古くせぇな、お前の。今時湿度コントロールなしかよ」
皆、がやがやと騒ぎながら昼食会場へと向かう。一方、コレットはといえば、むくりと頭を持ち上げてからしばらくボーっとしていたせいで、すっかり出遅れてしまっていた。気が付けば周りにほとんど人がいない。
「あれぇ」
キョロと周りを見回してから、帽子をかぶり直す。今日はすっぽりと頭を覆う黒の帽子で、上の両端が少しとがっている。ちょっと猫耳っぽい感じがお気に入りらしい。
(とりあえず、お昼ごはんですね。それで午後はちょこっと練習をしましょう)
昼食会場に向かおうとして、はたと気づく。
「どっちだろ」
右を見ると、長い直線の廊下。左を見ると少し先に大きな上り階段。どこにも案内板は付いていない。
(こういう時こそ、慌てず騒がず、ミラクルワンドですね)
懐にしまってあった15cm程度の短い棒を取り出すと、講習会場のテーブルに立てる。そしておもむろに『呪文』を唱えた。
「モータルの精霊さん、昼食がとれるのは右でしょうか左でしょうか。教えてください。あ、お腹が空いて死んでしまう程ではないですが、できれば早めにつく方が嬉しいのです。それでは、お願いしますよ、てりゃ」
指を話すと、棒はパタリと右に倒れた。
「よし、右ですね」
ぐっと棒を握りしめ、長い廊下へと踏みだそうとした瞬間、後ろからものすごい大笑いが聞こえた。
「あははははは、ちょ、ちょっと待った!」
笑い転げているのは、短い栗色の髪をした背の高い青年だった。青色でコーディネートされた服は、ゴテゴテと装飾されていないが素材は高価なものだと、一目でわかる。かなりの富裕層なのだろう。
「いや、ま、ま、うくくく」
「なんですか、失礼な」
「ごめん、ほんと、なんて…あっはっは」
コレットは失礼な青年を放置して講習会場を出ようとしたが、再び止められる。
「悪かった、ちょっと待ってくれ。昼食会場はそっちじゃない」
「え?」
「左の階段を上ったところなんだ。よかったら一緒に行こう」
「そうですか、それはご丁寧に」
丁寧に挨拶をすると、コレットは会場を出て右に向かった。
「あ、あれ?おーい、君。そっちじゃないよ」
「どうぞお構いなく」
「怒っちゃった?」
「そういうわけでは、全く」
「でも昼食が用意してあるのはあっちなんだが」
「それはどうですかねぇ」
「ん?どういうこと?」
何だかんだといいながら、その青年はコレットと並んで廊下を歩いていく。別に毛嫌いする理由も無かったので、自己紹介くらいはしておく。
「それで、モルテンソンさんも出場するんですか」
「イーサクと呼んでくれ。そりゃそうだ、あんなに眠い講習を耐えたんだしな」
「私は寝ちゃいましたが」
「けしからんねぇ」
「あはは、反省してますよ」
「お、あれれ?何か良い香りがしてくるな」
「香辛料の香りですね」
話ながら更に歩いていると、中庭に通じる廊下で仕出し弁当を売り出していた。カップに入れた辛いルゥと、もっちりしたパンのような物がセットで販売されている。香りを嗅ぎながら、イーサクが販売員の少女に話しかけた。
「こんな所で販売して、いいのかい?」
「はい、王都から許可を貰ってますので」
「ふぅん、ならいいんだけどね。あまり変なものを―」
「一つくださーい」
「コ、コレットさん?」
「はい」
何の躊躇も無く、そのセットを買ったコレットを、イーサクはマジマジと見つめた。このような食べ物は見たことが無いし、通路で販売するなんて衛生面も心配だ。とても正気の沙汰では無いと思っただろう、さっきまでのイーサクなら。しかし、今は好奇心の方が強い。コレットが選んだ物なら、何か面白いことがあるはずだと確信していた。
「何だか、美味そうだな。俺にも一つくれないか」
「かしこまりました!」
販売員からスプーンを受け取った二人は、中庭の芝生に腰を下ろして昼食を取ることにした。
「しかし、こんな食べ物があるとはなぁ。去年もあったんだろうか」
「さぁ?でも、美味しそうですね」
「ああ、食欲をそそる香りだねぇ。このパンみたいなヤツに付けて食べるのか」
「多分そうですね、あ、ちょっと辛い」
「いやでも、これは美味いぞ」
真剣な表情でルゥとパンを交互に食べるイーサク。絶賛しながら半分まで食べ進んだところで、廊下が騒がしい事に気付いた。
「何かあったのか」
「事故でしょうかね」
暫く見ていると、コレット達と同じようなセットを持った少年が中庭に入ってきたので、事情を聞いた。どうやら昼食が用意されているはずの会場で、不手際があったらしく、まだ食事が届いていなかったらしい。建物中を探し回って、ようやく先程の店に行き着いた、と疲れた顔で教えてくれた。
「もしかして、コレットさん、このことを予見していたのか。すごいな」
「私は何もしてませんけど」
「精霊に聞いていたじゃ無いか」
「冗談に決まってるじゃないですか、いやですね。本気で信じました?」
「いや、え、でもさっき…」
「占いと一緒ですよ、あはは」
「うーん、ま、追求しないけどさ」
釈然としない顔つきだったが、イーサクはあまり拘るタイプではなかったのが幸いして、追求されなかった。
その後は穏やかな会話が続き、練習コースの開放時間となった。
「じゃあな、コレットさん。俺はこっちだから。そのうちまた、情報交換しよう」
挨拶をしたイーサクは、改造無制限クラスの練習コースへと歩きだそうとする。
「私も同じなんですけどね」
「はぃ?」
「私も、改造無制限クラスですよ」
「またまた、冗談を」
コレットが黙って差し出したRSRを見て、イーサクは表情を硬くした。
「すごいな、これは。型は古くさいけど、フレームとか見たことが無い技術が入ってる…」
「信じましたか」
「ああ、こりゃうかうかしてられない」
「どうせ優勝するのは私ですし、お気楽にどうぞ」
ふふん、と鼻を鳴らすコレットだったが、イーサクも負けてはいない。
「じゃ、勝負するか」
「良いですよ」
「負けた方が、さっきのルゥとパンを奢る」
「受けましょう」
自信満々の顔で勝負を受けたコレットだったが、ロベルトの工房に戻ったら皆に大笑いされることになった。昨年の優勝者で、今年も優勝候補筆頭のイーサク・モンテンソンに、大会初心者が大見得を切ったのだから、それも仕方の無いことだった。
「くっそう、絶対に勝ってやる」
笑われたのが悔しかったのか、密かに猛特訓を積むコレットであった。




