Lesson4 遠見の筒(2)
「おのれ、ロドリゴ=アンブロゾーリ許すまじ」
猛吹雪の中、コレットは毒づいた。現在、耐寒性能だけで選んだ白クマローブをまとい、ゆっくりとした足取りで北上中である。何故こんな事になったかというと、エルバレッシュ湖付近で打ち落とされたからである。
「人をハエみたいに叩き落とすとは、いい度胸です」
師匠から借りた超高級らしいホウキに乗って、快適かつ順調に飛行していたコレットだったが、湖に近づいたところで突然巨大な雪の手に襲われた。それがエルバレッシュ湖の番人と言われる氷の精霊『ロドリゴ=アンブロゾーリ』の仕業であることは明白である。
ホウキは粉々に砕け散ったが、コレットは運良く雪で覆われた木々の上に落下した。
「あの無表情男、いつか刺してやります」
精霊達の間ではクールでポーカーフェースと評判のロドリゴだが、よほど気に入った者としか話さないという変わり者でもある。敷地内に無断侵入しようものなら、問答無用で追い返されるのだが、今回ばかりは退くわけにもいかない。
「なんとしてでも、『溶けない氷』を手に入れますよ」
デコに吹き付ける雪を拭いつつ、ジリジリと前進を続けた。その甲斐あって、1時間後には案内表示板まで辿り着くことが出来た。
― エルバレッシュ湖 → 招かれざる者に、死を ―
「ぶ、物騒な看板ですね」
流石に案内表示板に『死』なんて文字が躍っていると、この先不安になってくる。しかし、今は一刻を争う事態なのだ、躊躇っている時間など無い。
「とりあえず、指示にしたがって行きまふぁ!?」
語尾が変な声になったのは、重力のせいだ。右に足を踏み出した次の瞬間、コレットの体は一瞬宙に浮き、そして勢いよく落下していった。
「ふんぎゃああああ-!」
永遠に思えるほど長い落下を体験したコレットだったが、終焉は突然やってきた。スロープから吐き出された小さな体は、そのまま雪山に頭から突っ込んで止まった。
生き埋め状態でちょこんと飛び出した足は、ピクリとも動かない。そのまま10秒が過ぎ、20秒が過ぎた頃、雪山から可愛らしくも不気味な笑い声が聞こえて来た。
「ふ、ふふふ、うふふふ」
それと同時に、ドカーンと雪山を吹き飛ばし、大きな空豆型の植物が姿を現した。ガバリと口を開けると、禍々しい牙が姿を現すその恐ろしい植物の名前は、アラクネ105。
悪食として怖れられる植物で、およそ目に付く物は全て口に入れる。わずかに知性らしきものが残っているため、親であるコレットが喰われることは無い。
「あっはっは、喰われてしまえー」
なめんなとばかりにアラクネ105をけしかけ、周囲の雪を完全除去した。ひと息ついて周囲を見回すと、正面奥に古めかしい鉄門が見える。門扉の紋章は氷の結晶なので、恐らくここがロドリゴの住処なのだろう。
「価値の高そうな門ですが、この際気にしません。アラクネちゃん、やっちゃってください」
グワッと喰らいついたアラクネ105は、魔法でロックされた門扉を力尽くで引き裂くと、美味しそうに咀嚼し始めた。魔法などお構いなしに、全てを喰らう悪魔の花であった。
「ふむふむ、中はちょっと暗いですね」
引き裂かれた門扉から中を覗くと、うっすら石壁が見えるくらいで、奥の方は全く何も見えない状態だ。まるでダンジョンの入り口のようであった。
コレットはアラクネ105に入り口待機を命じると、慎重な足取りで中へと足を踏み入れたのだった。
―10分後
「お、恐るべし。ロドリゴ=アンブロゾーリ」
ボロボロの白クマローブはすでに脱ぎ捨てていた。ロドリゴの住処はまさにダンジョンと化しており、大小さまざまな罠が仕掛けられていた。もちろんコレットはそのすべてを発動させている。
入り口入ってすぐに巨大氷球に襲われ、避けた先で落とし穴のダブルを辛うじて避けたまでは良かったが、頭上から降り注いだ蛇がいけなかった。錯乱したまま逃走したせいで、今どこにいるのか皆目見当も付かない。
「制作者の悪意しか感じられない作りです―え?」
ダムッと叩いた壁がくるりと回転し、コレットの小さな体が吸い込まれていく。
「呪ってやるーうぅぅ」
彷徨うこと3時間。ロドリゴの前に、生きてたどり着けた事は僥倖であった。まさに死闘、大黒ネズミとのチェイスも、超高熱蒸気が噴出する通路も、一歩間違えば即死してもおかしくなかった。
しかし、彼女は今、ロドリゴの眼前に立つことができたのだ。自慢のバンダナもかわいいチェックのスカートもズタボロではあるが。
「ようやく…ようやく見つけましたよ、ロドリゴ=アンブロゾーリ!」
目の前に、キザったらしい天然パーマの男性がいる。30代後半くらいに見えるが、実年齢はテレーズよりも上であろう。センスのよい調度品に囲まれ、優雅な青いローブ姿で佇んでいる。
「なかなかしつこい奴だな、君は」
「こっちにも退けない理由があるのです」
「ふん、どんな理由かね」
「い、言えるわけがないでしょう、この変態」
「何だというのだ、全く」
カチャパンツやお尻の秘密を言える訳がない。いや、公爵の依頼というもっと大きな理由があるはずなのだが、この際おいておこう。
「我が師匠、テレーズからの親書を持ってきたんです」
「テレーズ?ああ、神葬の魔法使いか。人のくせに物騒な魔力を…なになに…ふむふむ?なるほど残念だな」
「ちょっと!」
ロドリゴは、素早く親書に目を通すと、欠伸をしながらポイッと投げ捨ててしまった。国王でさえ下にも置かぬ扱いをする師匠の親書を、こうも簡単に投げ捨てる相手など、コレットは一度も見たことがない。
「お師さまの親書を投げ捨てるとは、どういうつもりですか」
「無いものは無いのだ。仕方がない」
「そういう問題ではありません!」
「騒々しいヤツだな君は、無いものは、無いのだ。さっさと帰りたまえ。だいたい人間の分際で…ん?あれ?」
ジロジロとなめ回すようにコレットの体を見つめてきた。往復2回、おおよそ20秒程度かけてじっくりと観察し、くんかくんかと匂いをかぎ出した。
「な、なんですか、一体」
身の危険を感じて、思わず後ずさったコレットに、ロドリゴがズイっと迫る。
「君は、アレか」
「あ、アレとは」
「オトモダチか?」
「は?」
「オトモダチなのか!」
「は、はあ何の事だか…あの、じゃあ私はこれで」
(この人、危ない)
苦笑いをして、立ち去ろうと後ろを向いた瞬間、ひょいとバンダナを持ち上げられた。
「あっ!」
「うおぉぉぉ!」
コレットの数倍はあろうかという大声が、部屋中に響き渡った。
「えーるーふーだー!」
「ひぃっ」
振り返った先には、欲望の権化と化した氷の精霊がいた。先程までのイケメン風な男はどこかに消え失せたらしい。かわりに目の前には両手を突き出した熊のような変態が一人。
「さ、触らせてくれ」
「い…」
「一回だけでいいんだ、頼む!触らせてくれ!」
「い、いやあああ!」
手近な物を投げつけ、部屋中を走り回って逃げるコレット。しかし、所詮は非力な少女の無駄な足掻き。嗚呼、ついには部屋の隅へと追い詰められてしまった。両手を胸の前でクロスさせ、ブルブルと震えながら叫ぶ。
「へへへ、へんたい!」
「変態ではない、オトモダチだ」
「オトモダチのへんたいっ」
「うむ、何だかわからんが、それで良い」
「ひぃぃ」
コレットは思う。このままでは、貞操の危険が危ないと。混乱して意味不明な言葉になっているが、そういう事である。そして、決意した。
(や、やられるくらいなら、やってやります!)
「パルセノキッサス!」
仰々しい名前を叫ぶと、ロドリゴの足元から植物のつるが伸びて体に巻き付いた。要するにツタである。甘葛である。大した威力は無いが。
「む、何かな。これは」
「縛られて、反省するがいいです」
「ふむ?」
ロドリゴが首を傾げると、何の詠唱もなしに巻き付いたツタが一瞬にして凍り付き、砕け散った。
「障害にもならん!」
「うにゃおーっ」
コレットがまともに使える魔法は花の魔法だが、これは炎や氷とすこぶる相性が悪い。次々と攻撃性の高い花を生み出していくが、片っ端から凍らされて木っ端微塵になっていく。
つるバラの『モーティマー・サックラー』が氷漬けのオブジェにされると、もはや打つ手無しであった。
「こ、ここまで相手にならないなんて」
「いやいやどうして、なかなか素晴らしい抵抗であった」
「いえいえ、そちらこそ見事な氷の芸術でした」
「なんのつまらぬ小技にすぎぬよ」
「ご謙遜を」
「わはは」
「おほほ。それではわたくし、そろそろお暇を―」
「待て」
駄目であった。
「逃がすものか、久々のえるふなのだ」
「いーやー!」
のしかかってくるロドリゴに、コレットの絶叫と猫パンチが炸裂したが、全く怯む様子はない。万事休す、そう思って目を閉じた直後の事だった。
書棚横の引き戸がゴロゴロと開かれ、一人の女性が姿を現した。
「騒々しいですわ。何事ですの、あなた」
「あ、やっべ」
氷の微笑で静かに立つ金髪の女性の名は、ルチア=アンブロゾーリ。すなわちロドリゴの妻であった。




