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Lesson1 ブラウニーの秘密(1)

私のお師さまは、大変に綺麗で、高名な魔法使いで、そして厳しい方です。

そして一方の私はというと、あまり優秀とはいえない弟子です。


え、名前ですか?

そうですね、お師さまにはこう呼ばれてます。



「でこちゃん」と。




【Lesson 1 ブラウニーの秘密】



 くるくると羽根が回り、天井近くに溜まった空気を床へと押し下げている。

 高さが6mもある巨大な本棚の海を、泳ぐように歩いていた少女は、ほんの少し和らいだ暑さに目を細め、それからキョロキョロと周りを見回した。


(お師さま、いませんねぇ…)


 コレットは、今年で10歳になる『魔法使い見習い』の少女だ。ほんの少しつり目で、耳がとがっているのは種族としての特徴である。

 ふと足を止めて耳をひょこりと動かしてみるが、探し人は見つからない。

 どうしたものかと首を捻ると、うっすらと青みがかった銀髪がふんわり揺れた。

 

 急いで歩いたせいか、体が汗ばんでいる。なにしろ彼女が身につけている伝統的な魔法使いの衣装は、とても暑い。

 そして漆黒のローブにオレンジの縁取り、個人的な趣味でフリルがついているが、なんとも古くさいデザインである。


(急ぎって聞いていたんですが)


 コレットは、腕組みをしながらため息をついた。


 師匠からの呼び出しはいつも気まぐれで、そして突然やってくる。そして、同じ理由ですぐにその事を忘れてしまう。

 どうせまた新しい魔法を思いついて、呼び出した事なんて忘れてしまったのだろう、そう考えて部屋に戻ろうとした時だった。


「でこちゃん」

「うわあぁ」


 突然頭上から音とともに『何か』が降ってきた。


「お、お師さま! 驚かさないで下さい」


 コレットは口をとがらせ、抗議の眼差しを上空に向ける。しかし向けられた本人は、素知らぬ顔でフワフワと中を舞い降りてきた。

 神葬の魔法使いテレーズ、世界でも数人しかいない『通り名』をもつ大魔法使いであり、コレットの師匠でもある。


「驚く方が悪い」

「またそんな無茶苦茶な事を」


 一人前の魔法使いとなると、何気なく発する声に魔力が込められていて、視覚化された音は音符のような形で口からこぼれ落ちてくる。そして突然音符が空から降ってくれば、普通は驚くものだ。


「それで、何かご用ですか?」

「ブラウニーを用意してくれる?」

「ブラウニー、ですか」

「そう、お願い出来るかしら」

「あ、はい、すぐに」


 4mくらいの高さにフワフワと浮いている丸い胞子をソファがわりに使い、巨大な魔道書を読みふけっていたテレーズは、弟子の返答に満足すると、再び本へと視線を戻しかけたのだが…。


「定番はチョコレートですよね。いや、ココアという手も…」


 扉へと向かいながらブツブツと呟く弟子の独り言が耳に入り、テレーズは一瞬首を傾げる。


(チョコ? ココア?)


 しかし、すぐに納得した表情で口元を緩める。


「冗談を言う年頃になったのね」


 魔法使いの弟子たる者が、よもや『ブラウニー(小妖精)』と『ブラウニー(美味しいお菓子)』を間違えるわけがあるまい。


「それにしても」


 彼女はうんざりした顔をする。

 召還したブラウニー(小妖精)に夕食を作らせるつもりなのだが、彼らの作る食事はお世辞にも美味しいとは言えないし、レパートリーも少ない。そのうえ加熱調理ができないから、冷たい食事ばかりなのだ。


「贅沢は言えないけど、流石に飽きるわね」


 首を横に振り、また本の世界へと戻っていった。

 魔法使いという人種は、往々にして魔法以外の事には無頓着なのだ。




 その頃―


 魔法使いの弟子たる『でこちゃん』は、全力でチョコレートブラウニーを作っていた。


(お師さまはきっと、ティーブレイクをしたいに違いありません。

 それも、手作りの美味しいヤツで、ホッと一息つきたいはずです)


 自分の観察眼を、微塵も疑うことはなかった。研究で疲れている師匠のために、飛びきり美味しいお菓子を作らなければならないという使命感に燃えていた。

 幸いにして、チョコレートブラウニーは得意だった。薄力粉にココアを加えて、バターやチョコ・砂糖を加えてグリグリと混ぜ合わせる。順調だ。

 しかし次の工程が問題だった。

 

 ブラウニーを造りには、オーブンを加熱する必要がある。

 つまり、火をおこさねばなるまい。

 コレットは魔法使いらしく、小さな木の棒を振りながら呪文を唱えた。


「私は望む。種火を束ね、劫火を作りたまえ。ゆらめく火トカゲの…火トカゲの…えっと…何でしたっけ?」


 コレットの口元から美しく紡がれていた音符は、しかし途中でガラガラと崩れてしまい、ついに魔法が形作られることはなかった。

 彼女は魔法が苦手なのだ。

 特に火に関する魔法はからきしだ。


「やっぱり…上手くいきませんね」


 ため息を一つ、そして傍らに置いた赤色の魔道書を開く。

 魔道書といっても、一人前の魔法使いが所持しているようなものではなく、魔法使いの弟子向けに作られた簡単な指導書である。特に初心者向けに作られたこの赤い指導書は、赤ちゃん向けの本という揶揄を込めて『赤本』と呼ばれている。

 世間で言えば、子供の絵本レベルのそれは、通常であれば入門して1年で卒業するのだが、コレットはもう3年使っていた。


 多分才能がないのだ。


 だが、大好きな師匠に恥を掻かせるわけにはいかない。その一心で、なんとか魔法使いを辞めずに頑張っている。

 コレットは、深呼吸を一つしてから、パタンと赤本を閉じた。


「頑張りましょう。お師さまが待ってますし」




10回目の詠唱で1匹の火トカゲが小さな火を吐いた。


20回目の詠唱で2匹の火トカゲが仲良く火を吐いた。


30回目の詠唱でまた1匹が火を吐かなくなった。




 彼女の辞書から、忍耐という文字が消えた瞬間であった。ガツン!と炉の縁を蹴る。


「さっさと吐きやがれ!…ですわ」


 その直後、黄金の輝きと共に巨大な炎の嵐が炉内を荒れ狂った。あわてて「ですわ」を追加したが無駄だったようだ。


ゴオォォ!


 恐慌状態の火トカゲ達は、決死の全力魔法を行使する。それこそ、炉内の全てを焼き尽くすほどの必死さで。

 折角作ったブラウニーの材料は、跡形も無くなっていた。


「あ、あ、あ…!」


 彼女は、がっくりと膝をつき、そして叫んだ。


「あほーっ!」


 泣きながら再び薄力粉を混ぜるところからはじめ、最終的に全ての行程を終えた時には、天窓に月が覗いていたのだった。

小さな話を少しずつ積み重ねていければなぁ、と思っています。

拙い小説ですが、お読み頂いた皆様に心より感謝いたします。

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