2-3
――ナインヘルツ暦4870年
ダーンドール神国の中心部。神都ダーンスレイブ。
この国は世界第一位の広大な国土を有し、その肥沃な土地で莫大な農作物を生産する農牧国家。
文明は西のアスリア連合国ほど発達していないけど、代わりに独特の文化や魔法が発達している。
神都には様々な神を祭る神殿が立ち並び、どこかのんびりとした空気で満たされている。決して西のアスリア連合国のような都会の華やかさや煌びやかさはないけど、ほどほどに発展した都は人が多く、市場が立ち並ぶ大通りは活気があり賑やかだ。
中央の大通りに立てば端が見えず、地平線が見えてしまうほどに神都は大きい。
食べるものに事欠かず、飢え知らず。温暖な気候と安定した天候。豊かな自然に恵まれ、精霊や妖精も数多く住まい、手を取り合って暮らしている。
神話で語り継がれる聖域、決して人の立ち入る事の許されない神獣の森を守るように覆い囲う超大国。
調和をかかげ、融和を柱とする法は穏やかに暮らす意思さえあれば何者も拒むことはない。自ら侵略戦争を起こすことはなく、他国から侵攻されれば全て迎撃してきた。
人口も多く、多種多様な種族が暮らしている。エルフやドワーフをはじめ、ホビットやダークエルフ、ピクシー、ケンタウロス、雪女、八つ手、大入道、化け狐などという風に。
故に、不必要な開拓は人ならざる者達の住処を奪うこととなり、人は決められた土地を精霊や妖精達から譲り受けられた立場として慎ましやかに暮らしていた。
そんな国の神都に悪魔祓い専門組織『ムーンストラック・ウォーカー』の本部があった。
☆☆☆☆☆
ふと、目が覚める。
眠っていた体の感覚が一気に押し上げられ、意識が浮上していく。
「う……ん」
閉じた瞼の上からやや赤みがかかった白い光が突き刺さる。その眩しさにちょっと額に皺が寄るのを感じる。
うっすらと目を開けてみれば、宿の部屋にある小さな窓の隙間から夕暮れの光が差し込んでいた。僕はベッドの上で毛布から上半身を出して一つ伸びをする。
「ふあ……よく寝た」
体調には異常なし。眠気やまどろみもすぐになくなった。
視線を下に向けると、白いシーツのベッドとこんもりと丸みを帯びて盛り上がった毛布が見える。僕は毛布を手にとり、めくりあげた。
「ユーリ、もうそろそろ仕事の時間だよ。起きなきゃ」
毛布の下から顔を出したのは僕(22)の7つ年下の妹、ユーリヤだ。
すーすーと見る人をなごませる可愛い寝息をたてている。
ロングワンピースのパジャマ姿で、裾が太ももまでめくれてちょっと乱れている。以前、足の付け根付近までめくれ上がっていた時はさすがに正座させて女性の嗜みについてお説教してしまった。
少し日に焼けた細い腕は抱き枕よろしく僕の腰にしがみついている。こうしていると、昔ラブラドール・レトリバーの親友『エミリアナ』を思い出す。小さい頃は彼女ともこうして身を寄せ合って眠っていたっけ。
小さな丸い顔。綺麗というよりは可愛い、凛々しいというよりはあどけない顔立ち。
セミロングの白に近いアッシュブロンドの髪は寝癖でところどころはねていて、後で櫛を入れるのを手伝おうと思った。
そんな心地よい夢の世界にいる妹の肩に手をかけて少しゆすってみる。
「ユーリ、起きてユーリ」
「ん~……ごはん?」
わずかに開かれたユーリヤの目からアンバーの色がこぼれる。
目を覚ましたユーリヤは一度四つんばいになって犬のように伸びをした後、女の子座りになって目をこすった。
「ふぁ……ぅん。おはよ、お兄ちゃん」
「おはよう、ユーリ」
ユーリヤが寝ぼけ眼のまま、ふにゃふにゃと両手を僕の前へと上げる。
「お兄ちゃん、起こしてー」
「はいはい。よっと」
ユーリヤの手をとって、引っ張り上げてから僕の胸に抱っこする。そのまま柔らかくて小柄な体を持ち上げて床に降ろした。
「ほら、着替えた着替えた」
「うん。エミリお兄ちゃん、ちょっとあっち向いててー」
「はいはい」
ユーリヤから視線を外して後ろを向くと衣擦れの音がしてきた。
とりあえず後ろを振り向かないように僕も着替えを探してこれからの準備をする。髪や顔の手入れをしていると後ろのユーリヤから声がかかった。
「もういいよー」
振り返るとユーリヤは青と白を基調としたローブに上着のサーコートを重ねた女神官姿になっていた。胸元には始まりの女神のシンボルであるブロンズの十字架が光る。癒しの奇跡の使い手の証でもある。
ひらひらするローブの横には大きくスリットが入っていて、その下にはスパッツを穿いている。街の神官が着る儀式用ではなく、外での運動性を考えた作りだ。
僕も手に取ったシャツとズボンを広げて手早く戦闘服に着替える。愛用の大剣と全身鎧はまだ置いたままだ。
「櫛はどこだろ」
「あ、こっち。ほら、これだよ。僕が梳いてあげる」
櫛を手に取った僕が手早くユーリヤの髪に櫛を通していく。何度かそれを繰り返して、荷物袋から青いリボンを取り出す。
うなじの辺りで髪を束ねて一括りにする。うん。できた。
「はい、できあがり」
ポンと軽くユーリヤの頭を叩く。
立ち上がったユーリヤはその場で両手を広げてくるりと一回転した。ふわりとローブの裾が空気を孕んでわずかに宙に浮く。
「ねえユーリヤ可愛い、可愛い?」
「もちろん。ユーリヤはとびっきり可愛い自慢の妹だよ」
いいこいいこしてあげるとユーリヤの顔が蕩けるような笑顔になる。うん、輝いてるなぁ。
「えへへ」
ユーリヤが僕の胸に飛び込んできて、頬擦りする。もっと撫でての合図だ。
「よしよし」
気持ちよさそうに目を細めるユーリヤ。
ご機嫌な妹に、見てる僕まで胸が暖かくなるような幸せな時間。
そこに突然、荒々しくドアを開く音と共に怒鳴り声が飛び込んできた。
「いい加減にせんかぁ、この色ボケ兄妹が!」
「わぁ!」
驚きにちょっと飛び上がるユーリヤ。
ドアから現れたのは同僚の若いエルフの女性オリアーヌ・キュヴィエさんだった。
エルフ族の特徴の先の尖った長い耳をはじめ、やや釣り目で金髪碧眼の綺麗な顔立ちの女性だ。見た目は18歳前後といったところかな。長い髪は一本の三つ編みにして背中に垂らしている。右耳にはユニコーンのイヤリングがぶら下がっている。
ただ森の妖精のエルフには珍しく、少々体つきがふくよかな女性だ。ぽっちゃり体型と言おうか。
昔彼女が「こんなんじゃ森に帰れない……」とエール(ビール)片手にさめざめと泣いていたのを思い出す。彼女が言うには「くそったれデブ天使の祝福という名の呪いを受けてしまった」とのことらしい。
でも、見た目ちょっと鈍重そうだけど、これでも騎士としては非常にフットワークが軽くてスピーディな動きを得意としている。更に左右の腰の小剣と細剣を使い分けての攻撃はその手数の多さで敵を圧倒する。魔法が付加されているから重ねてとんでもない被害になる。
小剣細剣共に刺突が主な攻撃方法だけれど、小剣はその軽さと小回りの良さで正に変幻自在。細剣は間断なく突きの雨を降らせつつ、全ての力が一点に集中される全力の一突きは鋼鉄をも穿ったほどだ。
そんな彼女は今、目に剣呑な光をたたえて僕らを睨みつけていた。
「さっきから聞いてればいちゃいちゃいちゃと! お前ら、彼氏なしイコール人生の喪女の隣で舐めてんのか!」
「ご、ごめんなさい」
首をすくめ、ついとっさに謝ってしまう。
でもそんなにいちゃいちゃしてたのかなぁ? 僕とユーリヤは普通だと思うんだけど。うーん。
「普通じゃねーよ。それが普通だってーんならあたしはそんな世界、魔王になってでも滅ぼすぞ。このリア充どもが」
「え、あれ。声に出してた?」
「言わんでもそのとぼけた顔見れば一発で丸分かりだ、馬鹿たれ」
半眼でオリアーヌさんに睨まれた。
ユーリヤは小首をかしげてきょとんとしている。
「ほれ、リーダーとシャルルはもう下で待ってんぞ。お前らも起きたなら集合だ」
「あ、はい」
「お兄ちゃん、はやくはやくー!」
先に飛び出したユーリヤがぶんぶんと手を振っている。
窓の外を見ると木々の間にゆらめく太陽がその一日を終えようとしていた。
夜が訪れる。僕らの仕事の時間だ。
★★★★★
16歳で騎士の儀式を受けて、一時は発熱で死ぬか死なないかのかなりやばい所までいった僕だったけれど、意識不明から回復した時にはもう熱は下がっていた。
無事騎士の力を得た僕は3年修行して力をつけて、19歳で念願の悪魔祓い専門組織『ムーンストラック・ウォーカー』の入隊テストに合格した。
そして妹のユーリヤも僕に付いてきて同じ試験を受け、わずか12歳ながらも癒しの奇跡を体現してみせた。癒しの奇跡の使い手は何人いても足りないくらいに引く手数多で、ユーリヤの入隊はあっさり決まった。
こうして僕ら兄妹二人はこれまで育った町を出て、神国の首都である神都ダーンスレイブへと移り住むことになった。
同じ年に入隊した同期は他にもいるけれど、僕たち二人は揃って補充としてシラキ小隊に加わる事になった。他の同期の皆は、僕らと同じようにどこかの隊の補充として入るか、新人だけで新しく隊を作らされるかのどちらかだった。
後から入ってきて僕らの友達になった魔導士のザウル君だけはちょっと特殊な配属になっちゃったけどね。
以前にも少し触れたけれど、ムーンストラック・ウォーカーは民間の大組織でたくさんの人材を抱えている。上は世界三大騎士団すらと張り合えるであろう一流の騎士から、下はヒヨコな新入り見習いまで様々だ。
その人数分を食べさせるためにはたくさんのお金を稼がないといけない。もちろん武具といった道具の備品も組織の運営費に含まれるからもっとお金がかかる。
そのため僕らの悪魔祓い専門組織はその名前とは裏腹に雑多な依頼を受けている。見習い勢を含めた下部構成員は悪魔関係なしに、それこそ警備や護衛、街道の安全確保のための魔獣掃討、果ては貴族子弟・日曜学校の講師まで請け負っている。
そうして色んな経験を積みつつ、研修などで少しずつ悪魔への知識や対応を習って、やがて悪魔祓いとして一人前になっていく。
大口の顧客はもちろん神国をはじめ、商人、貴族、そして聖職者だ。大きな仕事をいくつか抱え、一人前の上部構成員が彼らの依頼をこなして組織は莫大な収入を得ている。
僕らのような下部構成員の稼ぎはほとんど利益はないと言っていいくらいだ。
悪魔は人のいる場所に現れる。その被害は常に影のように僕らに付きまとい、国の頭を悩ませている。だからこう言ってはなんだけど、僕らのような仕事は常にそこそこ必要とされている。
被害にも大小あり、国家が乗り出さなければいけない程大きなものもあれば、被害解決に動くには労力と出費が見合わないような小さなものもある。
例えばフィーラル大陸西部にある悪魔の国『イビル』。悪魔の軍団が丸ごと土地を奪い取ったため、それ以上の国への侵略を阻止するために国境には騎士団・魔導団が駐留されて睨みをきかせている。
組織トップに位置する有名な大隊の一つは、今なおイビル国との国境でせめぎあいの真っ最中だ。神国との半年契約で2個大隊が出張っていて、僕らの同期の出世頭の一人もその大隊で戦っている。
例えば吸血鬼。人の暮らしにまぎれて人の生き血をすする悪鬼。これは被害が大きくならない限りは村長や町長、領主などが自分の裁量で解決する。
そうそう、うちの組織の一番上のトップは吸血鬼のクォーターさんだ。なんでも創始者さんの息子さんで、すっごく強いらしい。それこそ世界三大騎士団のトップと渡り合えるくらいに。
組織には様々な部門がある。僕らのように実働部門をはじめ、事務部門、研究開発部門、調査部門、記録部門などなど。
組織はまず事務部門で国や貴族、民間人らから依頼を受ける。大きな依頼になれば大隊規模で数ヶ月派遣されることもある。当然依頼料もすごく大きくなる。
いつか僕らも成長して、そんな大きな依頼を受けるんだ。
けれど、現実としてはまず目の前の依頼を無事完遂することを考えなくちゃ。
どんな依頼でも全力で解決する。それが組織の看板、ひいては先人達が培ってきた信頼を背負うって事なんだから。
ここは神都から徒歩で6日ほど離れた土地の村。
そこの村の村長さんが領主様に怪奇現象による不安の陳情を出し、国家規模の案件ではないとして、神都の僕らの所属する民間組織の悪魔祓い専門組織『ムーンストラック・ウォーカー』に回って来た。
そうしてちょうど待機中だった僕らシラキ小隊に白羽の矢が立ち、調査・解決しに現地の村へとやって来たという次第だ。
僕らが休んでいる宿は、かつては中継点として賑わっていたようで村の規模としては大きめだったが、今ではすっかり閑古鳥が鳴いていた。客も僕ら小隊だけだ。
2階が客室で、1階が酒場となっている。奥のほうでは宿のご主人さんが料理をしているのか、鍋の吹き出す音や食材を刻む包丁の音が聞こえてきていた。届いてくる匂いで腹の虫がちょっと騒ぐ。
「来たな。これで全員揃ったか」
階下に下りてきた僕ら3人に最初に声をかけてきたのは白木銀さん。この小隊のリーダーだ。
キツネの頭に人間の体を持つ人狐の種族で、27歳の男性。褐色の肌に金髪、そしてアンバーの瞳を持っている。お尻には小麦色のふさふさした尻尾が1本垂れていた。
白のシャツとズボンに茶のベストを着た姿でテーブルの前の椅子に腰をかけ、愛用の小さな円盾を磨いている。
銀さんは騎士で、闘気を操る事に長けている。盾を片手に拳一つで敵に切り込むその後姿は頼りになる事この上ない。その闘気による肉体硬化術は力の強い大鬼の棍棒もはじき返す。
僕やザウル君の使役する獣と同じく重戦士タイプだ。最初会った時に「武器はいらん。盾で殴ればいい」と言って、その通りに小鬼の大群を蹴散らしていった時は呆気にとられたよ。
「やーやー。オリアーヌは今日も美しいねぇ。ユーリヤちゃんも笑顔が眩しいよ。ああ、ぼかぁこんな女性達に囲まれて幸せだ」
もう一人はシャルル・ジェルマンさん。25歳で人間の魔導士の男性。ブラウンの垂れ目に伸ばし放題の長い赤毛をヒモで乱暴にポニーテイルにしている。そして顎の無精ヒゲが特徴の人だ。
青紫のフード付のウィザードローブを着て、後ろに倒れているフードの中には使い魔の手のひらサイズの赤い鬼熊が盛大に寝こけていた。
両手を広げながら小走りでユーリヤに近づき、肩を抱こうとするもその手が空を切る。ユーリヤはそんなシャルルさんに気付くことなくテーブルに駆け寄って、そこに積まれた食べ物に目をらんらんと輝かせている。。
そして空振ったシャルルさんの手は、その隣にいたオリアーヌさんの胸あたりへ当たった。
「……おい」
「やあ、どうしたんだいオリアーヌ! そんな怖い顔してちゃ君の魅力が台無しだよ! ああ、でも君の怒った顔もチャーミングっ! その低い声なんかもなんでか背筋がゾゾってして素敵さ!」
なんというか、女性に目がないシャルルさんは本当にスキンシップが大好きだ。だけど成功しない。そして決して懲りない。
「子供に手を出すなと何回言えば分かる!」
「あべし!」
オリアーヌさんの拳骨がシャルルさんの頭に振り下ろされた。
一方、当のユーリヤはといえば。
「お兄ちゃん、これ食べていい? 食べていい?」
「ユーリ、待て。お預け」
「うー」
湯気立つお皿を前に、指をくわえて眉を八の形にしていた。
「……本当に大丈夫なのか、こいつら」
後ろの奥からご主人さんの呟きが聞こえたような気がするけど、きっと気のせいだよね。うん。
本当は2-3で話を終わらせようかなと思っていたのですが、
やっぱり分割する事に。
次で2話は終わりです。