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1-1 運命と書いてどうしてこうなったと読む

2012/03/19 冒頭のことわざを念のためちょっと修正。




子供が生まれたら犬を飼いなさい。


子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。


子供が幼い時、子供の良き遊び相手となるでしょう。


子供が少年少女の時、子供の良き理解者となるでしょう。


そして子供が大人になった時、

自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。


――E国のことわざより。



 ☆☆☆☆☆



 僕の名前はエミリアノ・ライネス。

 僕には大事な大事な姉弟きょうだいがいた。

 同じ年に生まれて、ずっと一緒に育ち遊んだ彼女は、かけがえのない姉弟であり友達だった。

 きこりの家に生まれた僕は、生まれたお祝いとして父さんが子犬の赤ん坊をくれた。そしてその日から僕らは一緒に育っていった。

 彼女は真っ黒な短い毛と垂れ下がった耳を持つ大型犬のラブラドール・レトリバー。

 名前は僕と同じ文字をとって、父さんがエミリアナと付けた。

 元気で好奇心旺盛な上に甘えん坊で、そして普段は人懐っこいけれどどんな敵からも僕を守ろうとしてくれたくらい勇敢だった。

 僕が辛いときは頬をなめ、心配そうに一声鳴いて傍に寄り添って慰めてくれた。

 僕がいじめっ子に殴られそうになると前に出て唸り、吠えて守ってくれた。

 家で父さんから大好きな騎士の話を聞いている時も僕の横に寝そべって一緒に聞いていた。

 焼きたてのパンも一緒に分け合って食べていた。

 彼女が甘えてくる時は顔中をなめられたり、その大きな体でじゃれつかれて押し倒されたりした。

 ケガをして泣いていたら、ひどく困ったような悲しそうな顔をしてオロオロと周りを回っていた。

 僕が彼女にいけないと怒ると、尻尾を垂らしてすまなそうに鳴いていた。

 村の子供達と遊ぶときも、一人で遊ぶときも一緒だった。

 森で出会った怖い獣から守ってくれた。

 暑い日は川に一緒に入って遊んだ。

 一緒に野山を走って遊んでくれた。

 そう。大事な、本当に大事な友達だったんだ。


「エミィー。もうかえるよー」

 薄暗くなった森の中、僕は親友エミリアナを呼んだ。するとすぐに茂みが音を立てて、その間から大きな犬が飛び出してきた。

「ウォン!」

「おかえり、エミィ。あはっ」

 全身真っ黒な犬は振り切れんばかりに尻尾を動かしながら笑顔で僕に鼻を寄せてきた。僕は胸全体を使ってそれをしっかり受け止めて、小さな手でその大きな体を撫でる。

 僕とエミリアナは同じ6歳。けれどエミリアナはもう立派な大人の体になって、四本足で立つだけで僕の目線と同じくらいの高さになっていた。しかも石臼より重くて僕じゃあびくともしない。よくのしかかられて動けなくなったところを舐め回されたりしていたっけ。

「さ、とうさんのきこり小屋にもどろう。きょうはウサギさんのお肉だって」

「ワフ!」

「こ、こらっ。エミィ、よだれよだれ。まだはやいよー」

 山の獣道を駆け上がる。村の子供達と遊ばない時は父さんのお仕事に一緒に付いて行ってきこり小屋の近くで遊んだり野草を収集するのがいつものことだった。

 その日は騎士ごっこだ。木の棒を振り回してエミリアナと一緒に山の中を走り回っていた。ついでに大きな山芋やベリーの実を見つけたので上機嫌だった。

 父さんは『準騎士』だった。高い税金を支払って騎士の儀式を受けて、運良く人間を越えた力を発揮する『騎士』の素質を開花させ、更にその後襲ってくる熱と衰弱に耐えて生き残った。けれど父さんは『騎士』となるだけの力は持てなかった。

 厳密な意味での『騎士』は風より速く時速200kmで大地を駆け、その拳は岩を割り、木の幹を打ち砕く。そしてその認識・反射・処理速度は1秒の間に平行して5作業を行える者を指す。

 儀式後の熱と衰弱を耐え切った者は人間の能力の上限が解放される。人がどれだけ鍛えても走る速さで決して犬に勝てないのが人間の限界だけれども、無事に儀式を生き残ればそれも可能になる。『騎士』の資質を得た人は、一ヶ月も鍛えればこれまでの普通の人間の限界を軽く凌駕することができる。しかしそれでもなお、先の『騎士』の3条件を満たすには高い壁が立ちはだかっていて、それを越えられない者は総じて『準騎士』と呼ばれている。

 村のお年寄りの人達や神殿の日曜学校で語られる英雄譚では雷より早く動くという騎士がでてくる。だけど父さんは雷はおろか、グラスパンサーの域まで至れずに『準騎士』止まりだった。

 けれど『準騎士』とはいえ、普通の人以上の力を持っている事には変わりない。そして『騎士』の資質を持つ者は数少なく貴重で、その力は普通の人ではできない事もやってのけるため色んなところで重宝されている。きこりの仕事の他に、警邏や狩りやモンスター駆除といった力仕事では正に百人力。だから父さんは裕福ではないが、決して貧しくも無い生活を僕ら親子2人と1匹に与えてくれていた。

 母さんは知らない男の人と一緒にいなくなってしまったけれど、明るい大好きな父がいたからさほど悲しくはなかった。時々遠方から伯父や伯母や従兄が訪ねてきてくれた時は、思いっきり僕を甘えさせてくれたのも嬉しかったし。

 男手一つの家だから、家事は父さんと二人でやっていた。料理は無理だけど、それ以外の掃除や洗濯や修繕なんかは村のお姉さんやおばさん達に混じって僕も拙いながらも教わりながら手伝っていた。

 エミリアナと一緒に村で遊んだり、父さんにくっついていって山に入ったり、神殿で読み書きや聖文を習ったり、言われるままに家事を手伝ったりと。

 そんな日々を僕らは過ごしていた。

「エミィ、つりばしからおちないようにね」

「オン」

 僕とエミリアナは蛇や獣に出くわさないように辺りを見回しながら駆けていた。もう少しできこり小屋が見えてくるころだ。父さんももう少ししたら小屋へ戻ってくるだろう。その前にウサギ肉の用意をしておかなくちゃと考えていた。

 そして、アイツに出遭った。

「――グルルルルルルル!」

「エミィ?」

 隣を走っていたエミリアナがいきなり立ち止まり、鼻を空に向けてひくつかせた後、険しい顔をして唸りだした。村のいじめっ子や野犬や野猿に襲われた時だってこんなに獰猛な声を聞いたことはなかった。

 続いて強烈な異臭がした。吐き気を催すような酸っぱい臭いに思わず僕は鼻を押さえ、口元を手で押さえる。

 僕よりずっと鼻の効くはずのエミリアナは、だけど異臭を気にした様子もなく鼻に大きなシワを寄せてずっと前の曲がり道を睨んでいた。

 やがて曲がり道からクマほどある影がよろめきながら現れる。

 全身を包むほどに大きなコウモリの羽、鋭い爪と牙、長い蛇の尾、頭に生えた二本の角。それはまさしく悪魔の姿だった。

 大きな悪魔は体中に傷を負い、息も絶え絶えの様子で血走った赤い目を僕たちに向けてきた。

「ギィ……力が、足りない。血を、血をよこせ……! 早く! お前の血を!」

 幼い子供ながらにそれが決して出会ってはいけないものだと分かってしまった。

「あ……」

 腰が抜けてよろめき、お尻から地面につく。

 あまりの恐怖に呼吸がまともにできず、まるで地上で溺れているようだ。

 そんな極限の状態で、ゆっくりと体をひきずりながら近づいてくる悪魔から一瞬たりとて目が離せなかった。あの鋭いカギ爪で僕は切り裂かれるのだろうか。それとも牙を突き立てられ、頭から飲み込まれてしまうのだろうか。

 そんな想像しかできなかった僕の前に、小さな影がさす。

 エミリアナだ。

 黒いゴールデン・レトリバーの彼女は毛を逆立てながら雄雄しく四肢を踏みしめて、尻尾をピンと硬く伸ばしながら恐ろしい強大な悪魔を睨みつけていた。

 そう。僕を守ろうと。

 いつも僕をいじめっ子や獣からかばってくれたように、彼女は変わらずに立ち向かおうとしていた。

「エミィ……」

 僕は動けなかった。地面にへたりこんだまま、涙と鼻水の止まらない頭を弱弱しくふるだけ。

 無論、悪魔は僕との間に立ちふさがるエミリアナなんて気にも留めていない。深い傷を負っているのか、地面に体液を垂らしながらゆっくりと体を引きずって近づいてくる。

 やがて、すぐそこまで迫ってきた時、エミリアナがけたたましく吠えて飛び掛っていった。

「邪魔だ!」

 一閃。

 エミリアナの甲高い悲鳴が山に響く。

 振り払うような悪魔のカギ爪は、悪魔の腕に噛み付こうとしていたエミリアナに4本の爪あとを深々と刻んだ。

 僕は赤い血を吹き出して力なく地面へと落ちて行く彼女を呆然と眺めていた。

 エミリアナは一度地面にバウンドして、切り裂かれた爪あとから血を撒き散らしながら倒れ、もう動かなくなった。

「いやだ……エミィ、エミィ……!」

 先ほどまでとは違う涙が溢れる。這って赤い血溜りを作っていく彼女の元へと行こうとしたけれど、その前に激しい異臭を撒き散らす悪魔の足が視界に降ってきた。

「グ……余計な手間を。早く、早く補給しなければ……」

 悪魔が僕の頭を掴もうと、手を伸ばした時。

「テメエ……何してんだ」

 悪魔の背から知らない男の声がした。

 それは低く、身震いするほどにどこまでも底冷えした声だった。

「キサマッ!」

 悪魔に激しい焦燥が表れる。

 慌てた様子で悪魔は背中の羽を広げ、後ろを振り向きざま爪を振り上げた。

 そして、振り上げた悪魔の腕が断ち切られる。切り飛ばされた腕は脇の茂みへと転がっていった。

「ギイイイィィィィ!!」

「往生際の悪い……さっきは逃がしちまったが、これで終わりだ」

 悪魔の体に隠れてよく見えなかったけれど、どうやら大人の男性が悪魔を追い詰めているらしいと分かった。

「オノレ、オノレ、オノレェ、オノレェェェーーーー!! ニンゲン如きに――」

 つんざくような悪魔の悲鳴が耳を打つ。その絶叫はどうしようもないほど絶望の色に染まっていた。

「降魔」

 その言葉は後で知った事なのだけれど、悪魔祓い専門組織『ムーンストラック・ウォーカー』の聖句だった。

 僕が見えたのは、悪魔の体に走った白い線だけ。それが首に、背に、腕に、足に、角に、縦横無尽に走った一瞬の後、悪魔はバラバラになって地面に崩れ落ちていった。

「坊主、無事か!」

 悪魔の体の向こうから現れた男の人は鎧姿で太刀を片手に持った中年の騎士だった。

「う……」

 男の人に返事をしようとしたけれど、全身が震えて上手く言葉を出せなかった。

「チッ。ツァオ国への長く続く戦争支援のおかげで国内が少し手薄になった途端、あちこちで悪魔やらモンスターが目立って暴れだして厄介この上ねえ」

 忌々しそうにこぼす男の人が太刀を納める。後には僕と男の人と二つの死体。

 震える体をおして、僕は這いながらもう動かないエミリアナへと手を伸ばした。大事な親友の変わり果てた姿に、僕はひたすら肩を震わせてしゃくり上げていた。

「お前の犬か?」

 フルフルと頭を横に振る。

「……ちがう。ともだち。ずっと、ずっといっしょだった、ぼくのともだち。

 いつもぼくをたすけてくれて……っ、ひっく」

 その僕の言葉と様子にエミリアナとの関係を察してくれたのか、男性の顔に苦い色が混じった。

「すまん。間に合わなかったか……」

「エミィ……ごめん。ごめん」

 僕は泣きながらエミリアナの頭を力いっぱい抱きしめた。もう彼女の鳴き声を聞く事も、顔を舐めてくれることもない。それがひどく僕の胸を苦しめた。

 男の人は黙ってそれを見下ろしている。

 僕はずっと彼女に繰り返し誤りながら、ゆっくりとその温もりが消えていくのを胸で感じていた。







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