限定された世界で
「自由に絵を描きたい」
宮坂から「絵を描くことってどういうこと?」と聞かれて、自分の口から出た言葉。
家へ帰る途中、電車のつり革につかまりながら、この思いはどこからきたのか考えていた。
そもそも俺は小さいときからよく絵を描いていたと思う。鉛筆やクレヨン、絵の具、色鉛筆……他のおもちゃはすぐに飽きてしまうがこの遊び道具はどこまでいっても飽きがこなかった。親に褒められたこともあったかもしれない。それとも自分の性分もあるかもしれない。けれどそれだけ時間をもてあましていた、ということだ。
親は共働きだった。そもそも父親の稼ぎだけではうちはやっていけなかった。
共に帰ってくるのは決まって暗くなってからだ。しばしば夜遅くに帰ってくることも少なくなかったと思う。テレビは好きじゃなかった。それはどこか別の世界の話を俺に見せてくれる道具ではあったが、どこか薄っぺらく感じた。どう薄っぺらいのか、うまく説明できないが、所詮、他人事なのだ。テレビは俺の孤独を癒してくれるモノではなかった。それよりも俺の孤独な時間を忘れさせてくれたのは父親の持っていた写真集だったり、アート関係の画集だった。その中にはマニアックなものや、専門的な価値のあるものも含まれていた。どうして父親がそんなものを持っていたのか分からない。昔、そういう道へ進みたかったのかも知れない。俺の疑問に対して父親はいつも言葉を濁していた。触れて欲しくない過去なのかもしれない。そしてその触れて欲しくない過去は俺自身も含まれているような気もしていた。
つまりは夢だけでは妻子を食べさせていけない、ということだ。
俺は小学校の頃、そんな雰囲気に息苦しさを感じていた。
父親は俺の絵を見て褒めてくれる。アドバイスもしてくれる。絵に対しての人並み以上の情熱を感じることもあった。けれど自分で手本を見せてはくれなかった(なんとなくだが父親は今の俺より高いレベルの技術を持っていると思う)。そしていつも絵を評価した後に「絵だけで食べていけるほど世の中、甘くない」「絵もほどほどにな」「趣味をもつのはいいことだ」……それらの言葉は俺の心を軽く傷つける。傷つけるといっても軽いひっかき傷のような傷だ。肌に跡がつくがすぐ治るし痛みを感じることもない。だがその言葉の中にある気持ちをおぼろげながら知ったとき深い痛みを感じた。
「家出して、ここではないどこかへ行こう」
そう思った。単純な反抗期だ。親の言うことは全て気に入らない。家族も気に入らない。そう思う自分も気に入らなければ、そう思わせるヤツらもまた気に入らない。ぐるぐると心が負の連鎖を始める。
中学に入ったばかりの頃だったと思う。小遣いを少しずつ貯め始めた。月々の小遣いや晩御飯を買うためにもらったお金を節約して貯めた(おかげで少し料理を作れるようになった)。そしてある程度お金が貯まったとき、俺は学校が終わると貯めたお金を持って、家に向かう電車とはまったく別方向の電車に乗った。それがどこに行くのか分からない。けれどその電車が連れて行ってくれるところは今よりはるかにマシな場所だろう、と思えたのだ。
電車に揺られ、車窓から馴染みのある風景から見たことも無い町並みに変わるのを眺めていた。
空は夕日なり色とりどりの町並みを橙色に染め、空は夕日の赤と夕闇の青とが交じり合って、やがてまるっきりの夜になったとき、俺は電車を降りた。そこがどこか分からなかった。行き交う人の顔を見ても誰一人、知っている顔はない。だけどどこか知っている人の面影を見ようとしている自分がいた。単純に心細かった。そして「帰ろう」と思った。どう考えてもポケットの中の財布に入った金額では自分ひとりで暮らせるわけはない。誰にも頼ることはできない。ここが俺の限界なんだ、とあきらめた。駅員に帰りの電車は何線に乗ったらいいのか聞き、家へ帰った。
家に帰った頃、あたりは街灯の明かりが道を照らしているだけであとは真っ暗だった。
そして家のドアを開けても家の中はまるで廃墟のように暗く、静かだった。そう、まだ親も帰っていなかったのだ。俺の家出はこうして終わった。
俺は自分のための晩御飯を作って食べた。そして自分のために風呂をわかし風呂に入る。
それでも両親はまだ帰ってこなかった。もうしばらくしたら帰ってくるのだろう。そしてこういうのだ。「ただいま。今日は学校はどんなだった?」ありきたりな言葉を俺にかける。それは俺に興味があってかける言葉なのだろうか。ただいつも同じように繰り返される言葉。その言葉から何を聞き出そうとしているのか。多分、両親は俺が彼らと生活することに息苦しさを感じ家出をしたことを知ることはないだろう。そして心細さのあまり逃げ帰ってしまったことも。俺は中途半端に家族に恵まれ、中途半端に家族に恵まれていない。
俺は静まり返った部屋で絵を描いた。
電車の車窓から見た夕暮れに染まる町並み、上空から藍色の夜の帳が下りてくる。人々の顔は一日の疲れからか全て無表情に存在していた。それらを描いているうちに嫌になった。俺が見たものはこんなモノじゃなかった。もっと違ったモノだった。俺は鉛筆を取り出し、その絵の上から黒々と両親を描いた。そして胸に銃弾を撃ち込んで殺してやった。
家出を計画し、電車に乗り、町を出て、隣町へ行き、県境まで行っても自由になれなかった俺が縦364×横257㎜、B4サイズの絵の中で限りなく自由になれた。
俺はその日以来、親に絵を見せていない。
○
家に帰って、宮坂に絵を描くことについて語っていたときに、ふと脳裏によぎった『デッド・ダッド』について調べようと父親の本棚を調べたが、それらしき作品を見つけることはできなかった。
俺は冷蔵庫の中を見て、傷んだトマトとぐにゃぐにゃになったキュウリ、そしてレタス(これは奇跡的に新鮮だった)を切り刻み、ベーコンと一緒にパンの上にのせ、マスタードをかけて、サンドイッチを作る。そしてインスタントもののコーンポタージュと一緒に食べながら、父親のコレクションのひとつのキキ・スミスの画集を眺めていた。そこには六羽のカラスの素描が描かれていた。どれも羽をたたみ、歪に死後硬直しているように見える。その作品の脇に説明と彼女へのインタビューが載っていた。
「(前略)とにかく動物は私の作品の中では、自然な発展の線上にあると思っているの。最初に解剖図の素描をしたでしょう。分子や細胞を描いた。それからリンパ腺や消化器などの体内組織をとりあげて、次に皮膚、そうして全体像とさまざまな宇宙論に基づく彫刻を手がけた。そして、宇宙論を経て、動物にたどりついた(後略)」
面白い。三雲と同じ発想だ。細部を精密に描くことに重点を置いている。
ただ作品の意味合いに関してベクトルが違うが。
そうだ、そもそも三雲がどうしてカラスの死体に興味を持ったのか。そして俺も何故、こんなにもカラスの死体に興味があるのか。それは死について知ろうとしているのではないだろうか。だから腐敗するから良いという発想が出てくる。いや、描くことで死以外にも何か知りえる可能性があると思う。だから完璧な死体を描きたいのだ。キキ・スミスのカラスの絵とはやはりベクトルが違う。
生と死といえばダミアン・ハーストだろう。
輪切りや腐乱した動物の死体を放置した作品を作った。その残酷さから母国イギリス中に悪名を轟かせたが、イギリス代表として'93年の国際美術展覧会ヴェネツィア・ビエンナーレに縦に真っ二つに切断された牛と子牛をホルマリン漬けにしたエキセントリックな作品を出展してターナー賞を受賞し、イギリスの最重要の芸術家にまでなった。
三雲はこれに近いだろう。
いや、それをいうなら俺もかもしれないが。
キキ・スミスの画集を本棚に戻しながら考えていた。
これら芸術家は見てもらうことを前提としている。それに比べ、俺たちはただお互いの絵の比べ合いだ。
大衆を相手にするのと、ただ一人、ライバルに差をつけたいだけではレベルが違う。いや、ベクトル自体違うことだ。人に見られることを前提としていない芸術は芸術ですらないかもしれない。いや、よく言えば、名声を目指すわけでもなく既成の芸術に一切とらわれることなく表現してる「アール・ブリュット(生の芸術)」といえるか?だが悪く言えば「品の無い落書き」だ。
そんなときケータイのメール着信音が鳴った。
メールをチェックしてみると、宮坂からだった。
「今、なにしてる?」と絵文字入りで送られていた。
返信するのも面倒くさいので無視しようかと思っが、今は彼氏役だ。
「サンドイッチを作って食べながら、キキ・スミスの画集を見ていた」と送った。
するとすぐに返信がやってきた。それに俺は返信する。
正直、面倒くさい。絵を描きたいし、もっと調べたいものもある。
宮坂が本当に恋人なら楽しく過ごせるのだろうか。そんなことを疑問に思っている俺より白石の方が宮坂に向いているのではないだろうかと、素直に思ってしまう。