無責任な情熱
「トモダチ多いとニンゲン関係が大変なんすよ。
まったくさぁ。最初このメールもらって軽くめまい起こったよ。ホントどうしようかと思ってね。で、無視してなかったことにしようかと思ったんだけどね。昨日モデルやっている時にホラ、電話鳴ったじゃん。アレさ香織なんだよね。で、こりゃ一言言っておいた方がいいな、って駅に行ったんよ。そしたら、昨日雨降っていたじゃん。けど香織、傘持ってこなかったみたいで。でも駅の入り口で立って待ってんの。いくらなんでもねぇ。駅の中ででも待ってりゃいいのにさ。髪も遠目で分かるくらい濡れちゃってて。なんかかわいそうで、そんなに私を思ってくれてもねぇ。会ってもどうせ断るだけなんだけどさ、でもどう言おうか迷って、結局声かけるの止めてさ。でも駅の入り口に陣取られて電車で帰れないし、電車で帰るの止めてバスで帰ってさ。でもバスだとバス停から家までちょっと遠くて大変なんすよ。あ、そんなの関係ないか。まぁ、なんといいますか……」
宮坂の話を聞きながら白石香織がどういう人間だったか思い出そうとした。もともとクラスで誰が何をしているかとか、誰がどういう交友関係を築いているかとか、特に興味の無い俺にとっては特に繋がりのある人間以外は顔と名前が一致しないことがしばしばあった。当然、接点のない白石香織の顔をなかなか思い出せなかったが、宮坂の話の後半でなんとなく顔を思い出した。艶のあるロングヘアが印象的な明るい雰囲気の女子だ。いつも数人の女子とまとまって話をしていた。そしてその会話の中心に彼女は存在しているようだった。よくよく考えればその白石の友人のほとんどは帰宅部だったような気もする。それが宮坂に告白した?普段の学校生活からは全く考えられないことだった。
白石は宮坂に告白したということは白石は女が好き。いわゆる同性愛者と呼ばれる人なのだろうか。
同性愛者には失礼な話かもしれないが、俺にとっては同性愛者なんてものは、正直、テレビの中の話で現実に存在しているとは思ってもみなかった。けれどこうやって実際にメールを見ると、その非現実な存在が実在して、しかもそれが身近にいたことに驚く。
彼女は普段、その性癖(と、でもいえばいいか?)を隠して一部の女子の中心的な存在として生活していた。もし同性愛者ということがバレたら周囲はどう反応するだろう。よく分からないが、普通とは違う感覚を持つ人間だ。今まで友人だった連中は距離を置くに違いない。今、こうやって距離を置きたがっている宮坂のように。そして周囲から弾かれ、立場がなくなれば、今の学生生活が友人の手によって息苦しいものに変わるのだろうか。
俺が白石のことを考えていると宮坂が「ねぇ、聞いてる?」と不機嫌そうな顔をして言ってきた。
「聞いてるよ。好きなら付き合えばいいし、嫌なら断ればいい」
「雨宮のそういうとこ、大好き」
宮坂は全然、大好きじゃなさそうに、むしろ逆のニュアンスを漂わせながら言った。
「そもそも、付き合えばいいって、私にそういう趣味ないから。つか、なんというかさ。普通に断ればいいだけのことかもしんないけど。そうなると香織の秘密を知るのは多分、自分だけだし。そうするとなんか、香織に嫌われそうじゃん。そうなると帰宅部連中にも煙たがられそうだし。嫌われるのはイヤなんだよね。でもまぁ好かれすぎるのもアレだけど……。とにかく付かず離れずできたいんだよね。O型と間違われるB型といたしましては。波風立てず、静かに湖を滑るように泳ぐ水鳥みたいに優雅に学生生活をおくって、あとは立つ鳥後を濁さずのコトワザどおりに、なんのしこりもなく卒業したいんですよ。それにさ、見てよ」
そう言ってまたケータイを操作して俺に渡した。
受信メールの日付はまた昨日だった。受信した時間は十時になっていた。
From:白石香織
subject:こんにちは
今日は来てくれませんでしたね。
私は雨の中ずっと駅前で待っていました。
駅を行きかう人並みの中から加奈が現れ、私の目の前に立ってくれる姿を想像しただけでドキドキしていました。
けれどそれは幻想に終わりました。来てくれなかったということは、つまり私のことを嫌っているのでしょうか?
女の子同士ということで少し戸惑っているとか?
それとも別の理由で来れなかったんでしょうか?
例えば駅は通学路でうちの学校の人も見ているから嫌だったとか?
絶対理由があるはずです。
でももしかしたらと一抹の不安もあります。
ただ私が勘違いしているだけなのでしょうか?
私は加奈が私を嫌っていないと思いたい。
この思いは私たち共通のものだと信じたい。
今だって必死の思いで加奈に私の気持ちを打ち明けています。
……けれど、もし加奈がそうでなければはっきりと言って下さい。素直にあきらめます。
そもそも嫌われているのなら、こんなメール迷惑ですよね。
でもそうじゃない、と祈りながら、このメールを送ります。
--END--
「末永くお幸せに……俺はおとなしく身を引くよ」
「だから私にそんな趣味ないから!しかもさ。これ重くない?断ったら恨まれそうで……それで、できるだけ恨まれそうにないように返信したけど」
「何て?」
俺の言葉に宮坂は俺から目をそらして下を見ながら「いや、実はもう付き合っている人がいますって」と言った。確かに告白(のようなもの)をした後だったし、仕方ないだろう。けれど、その言葉は白石の告白をかわすための方便にしか感じられない。俺も宮坂に特別な感情を抱いているわけじゃないが、一方で宮坂も俺に特別な感情を抱いているわけでもない。この妙な利害関係で付き合わなくてはならないのか、と思うと少しゲンナリする。
昨日、宮坂が仮面を付けて、自分を隠しているという話をしていたが、俺も妙なことに巻き込まれて無理矢理、顔にまるっきり合わない仮面を付けられたような感じになり、なんだか気が重くなって思わず口からため息が漏れた。
「だって、まぁ……ちょうどいいじゃん。これからと日曜よろしく!」
宮坂は俺の気持ちを知ってか知らずか、上目使いでにっこりと笑って、やたら元気のいい声で言った。一瞬、目にゴミでも入ったのか、片目をつむり顔を歪ませた。もしかしたら本人はとびっきり可愛くにウィンクをしたつもりかもしれない。
そして宮坂は立ち上がりうーん、と背を伸ばした。
「モデルって疲れるね。じゃあ、一緒に帰りますか」
仮の彼氏として俺は宮坂と一緒に帰ることになった。
それにしても白石だ。同性愛者だったのを隠していた。どういう思いで学生生活をしていたのだろう。宮坂に恋をして、でも近づけず遠くの方で彼女の姿を見て思い続けていたのだろうか。まるで地球の周囲を一定の距離を保ちながら、片時も目をそらさない人工衛星のように。
下校中、そんなことを考えながら宮坂と肩を並べ歩いていた。
俺が白石のことを考えている一方、宮坂は学校にいる時と変わらず俺の隣でしゃべり続けていた。
話題はアキレス腱が切れた時、身体の中で弾けるような音がした話から、また白石とその仲間連中の話、そして異性不純交際の校則があって、なぜ同性不純交際がないのか?同性なら絶対子供ができないから学校は許しているのか?責任が取れないハイティーンの不条理な宿命を語ったかと思うと、突然、夏休みの合宿でバスケ仲間とビールを飲んだ話……。
それにしても宮坂はよくしゃべる。ボクシングのシャドーのように軽快かつリズミカルに、哀れな歩兵をなぎ倒すマシンガンのように矢継ぎ早に容赦なく。そこに目的はない。ただ『話す』という行為が最重要で論点や結論はどこにもない。俺はそれに対して適当に会話を合わせる。もしくは適当に相槌をいれる。
時々宮坂を話をしていると、ひょっとしたら宮坂の会話に相手は要らないのではないのか、と思ってしまう。人間でなくてもいいのだ。まずSFに出てくるアンドロイドのような話すことのできる機械に適当な相槌を何種類か用意させる(俺の見立てでは最低三つあれば十分だと思う)それを宮坂の話に合わせて反応するようにしておく。俺の予想ではそれで宮坂は三時間は余裕で話し続けるだろう。
そうは言ってもその話はどこか人を惹きつける何かがあった。話は他愛のないものかもしれないが。
こうやって肩を並べて話しながら歩いていると宮坂の歩き方がどこかぎこちないところがあった。「まだ痛むのか?」と俺が聞いたら「ううん。あんまり片足をかばって歩いていたから、身体が普通の歩き方を忘れちゃったみたい。そのうち治るでしょ」と気にかけてくれたのが嬉しかったのか笑顔で答えた。
その後、俺が話の流れを切ってしまったからか、しばらく沈黙が続いた。
話題を探そうにも俺の頭の中には会話を楽しむような気の利いた話題はなかった。
仕方ないので俺は少し引っかかっていたことがあったので宮坂に聞いた。
「あとさ」
「何?」
「ひょっとして三雲と宮坂ってグル?」
「グルって?」
宮坂は勉強してなかった科目のテストがいきなり目の前に配られたような顔をして言った。
「いや、三雲が宮坂が俺に気があるから……」
さすがに「想い出作りにやってみれば?」とは言えない。
「……告白してみたらって言ってたからさ。なんとなく繋がりがあったんかな、と」
「いやいやいや、あの人とは全然繋がりないし、それにそんな、ねぇ。気があるってただ教室で仲良くしてるだけじゃん、うちら」
「周りからみたらそう見えたんかな?」
「そう見る人もいたかもね」
その後、駅へと歩く途中、また延々と宮坂の話し続けた。
ころころとめまぐるしく話題が変わる。クラスで誰と誰がくっついているののかとか、ドラマの恋愛とリアルの恋愛の違い云々の話から、宮坂の好きなバスケ漫画の話になり、いきなり何の脈絡もなく俺に「ズバリ、雨宮にとって美術部って何?というか『絵を描くこと』ってどういうこと?」と聞いてきた。
「絵を描くこと?」
オウム返しに俺はその言葉を返した。もしくは反芻に近いかもしれない。『絵を描くこと』が当たり前すぎた自分にとって、その言葉がうまく飲み込めなかったのだ。そんな俺のきょとんとした横顔を宮坂が見ている。ゆっくりとその言葉は俺の中に入っていった。
「そう、なんで絵を描くのか?理由が知りたいなぁ」
「なんでだろうな。単純に好きだからっていうのもあるし、絵を見るのが好きだったっていうのもある」
「絵のどういうところが好きなの?」
「見てるだけで心揺さ振られる絵。感動できるっていうか、そもそも綺麗なものって単純に惹かれるし」
「雨宮はそういうの描きたいんだ」
「そうかも。共感されたいっていうか。感動にも色々あるけど、俺の感じたものを同じように感じて欲しいというか。まぁ俺はご覧の通り自己中心的な人間だから共感って部分で許容範囲は狭いと思うんだ。でもその狭い許容範囲の中で俺と同じように感じてくれる人がいると思う。結局、俺が絵を描くのは俺と同じ人間に共感して欲しいのかも。それを表現するレベルも欲しいな。正直、写生やデッサンだけじゃなくてもっと自由に描きたいんだ……」
ゆっくりと『絵を描くこと』という意義を自問してみて、こうやって自分の考えを初めて口に出して気づいた。自由に描きたい、そう俺は思っていたんだ。写生やデッサンではなく。その時、頭の中にカラスの死体とリノリウムに横たわる宮坂。そしていつかどこかで見た初老の男の彫刻の写真が横切った。
白い床の上に横たわる初老の男の死体を模したシリコン製の精密な人形『デッド・ダッド』そんな名前。確かその彫刻の髪の毛は作者自身の髪の毛を植えたはずだ。
いつ見たのだろう。今まで忘れていたが急に思い出した。今まではそんなに興味を惹かれるものではなかったのだろう。今、こうやって自分の考えを宮坂の前で言ってみて初めて自分の気持ちに気づいた。そしてその気持ちによって記憶の奥底から、カラスの死体とリノリウムの床に横たわる宮坂に影響されて、ゆっくりと浮上してきたのだ。
それが誰の作品でどういう意味で作られたのか思い出せない。記憶の糸をいくら力一杯たぐり寄せても、何かに引っかかったままでこちらには来もしない。
俺の話を聞いて宮坂は「やっぱ雨宮って熱いね。私もそういうものあったんだけどな。バスケだけどね。燃えてたんだよね。だけど怪我してから何にもなくなっちゃった。あの時のあの熱い思いって何だったんだろうね?もう、どこにもないや」と言った。そして「そういえば雨宮って卒業したらどうすんの?やっぱ美大とかそっち系の専門学校?」と聞いていた。
「いや、地元の短大」
「そう、なんか意外。そっち系、目指せばいいのに」
「絵を描いて食べていけるほど、そんなに世の中、甘くねぇし」
「何か、借りもんだよね、その言葉。言い換えればさ、世の中、甘けりゃ、自由に絵を描いて食べていきたいです!ってことでしょ?まだ高校二年秋。まだ間に合うよ、雨宮」
宮坂の無責任で妙に熱のこもった声と期待感。
思わず目を背けたくなる。