やがて、現代へ
それから、数カ月。
交渉に、交渉を重ねた結果。
何とか、俺の事も、陸の事も辞めさせることに成功した。
それに対する、調印もさせる事に成功した。
その後、父の家は、父の弟が引き継ぐ事になったみたいだ。
やがて、俺達は平和に暮らした。
そんな時が、過ぎ去っていった。
1947年、5月3日。
華族令が、廃止された。
それによって、俺達は一般国民となった。
母さんは、やっと来たのねと、呟いていた。
いつの間にか、赤子だった海も、
小学校、中学校、高校、社会人と大きくなっていった。
そして、いつの日か。
老いぼれ爺となっていた。
ーーー
よく、私のおじいちゃんは、そんな話をしてくれた。
おじいちゃんは、周りの色んな人達から、
白い目で見られようが、戦後は、様々な所へ赴いたそうだ。
北海道に行っては、かつてお世話になった人達に、
花を供えたそうだ。
そして、手紙を寄越した、
武田という人と会話を交わしたそう。
その時、かつてお世話になった人達に渡した、
大事に保管された、小切手を渡されたそう。
おじいちゃんは、それを見て、悲しくなったみたい。
その帰る道中、福島の会津にも寄ったんだよね。
おじいちゃんの、かつてお世話になった、
近所のおばさん。
朝倉 和子さんに会いに行くために。
その人のお墓参りは、未だに欠かさず行ってるよ。
おじいちゃんが、大切な人だって言ったからね。
名古屋に行っては、かつての友達たちに、
線香と花を供えたそうだ。
広島に行っては、補助をした孤児院に赴いたそうだ。
長崎に行っては、人々の話を聞いたそうだ。
沖縄に行っては、どんな状況化だったのかを、
聞いたそうだ。
その際、沖縄はアメリカ軍の統治下だった為、
パスポートを用いて、何とか行き来していたそう。
おじいちゃんは、1945年以降の経済の動きも教えてくれた。
幼かった頃の、私は、理解なんて出来なかった。
でも、今は誰よりも、あの時代答えられるよ。
それは、やっぱりおじいちゃんのお陰。
こんな話も、してくれたよね。
「なぁ、未来……」
「ん?どうしたの、おじいちゃん!!」
「どうして、俺の弟や友達たちが、
陸、海、空って名前だと思う?」
「ん〜?分からないよ!!」
「それはな……未来。
君のその"未来"と言う意味のように、
素敵な未来を、絵描いて欲しいと言う思いからだったんだ!
それは、君の曾祖父と曾祖母が、そう言ったんだ!
そしてそれは、また友達たちの親も同じだったんだ!」
おじいちゃんは、微笑んだ。
その笑顔には、凄まじい哀しみと、意志があった。
そんなおじいちゃんは、先に旅立たれた友達たちと、
あの世で再開するべく、つい先日旅立た。
ねぇ、おじいちゃん。
おじいちゃんは、色んな人達と、
交流があったんだね。
おじいちゃんは、よく色んな所で講演会を開いていたね。
私の学校にも、当時の戦争を伝えるべく、来てくれた。
皆、涙を流しながら、聞いてくれたよね。
その時、おじいちゃんは、よくこう言ってたよね。
「俺が見た、あの日の風景。
それは、皆との大切な毎日だった」
って。
その他にも、いっぱい。いっぱい、お話したね。
だから、おじいちゃん。
そっちでも、色んな人達に囲まれて、
お話していて下さいね。
昭和、100年。
戦後、80年の今年からお送り致します。
ご覧いただき、ありがとうございました。




