三階層で起こる誤解
眼が霞む。勢いよく地面に飛び込んだ所為で腕をそこら中擦りむいた。耳鳴りが頭の中心から鼓膜に広がっていく。脳味噌の中で銅鑼を思いっきり叩かれたみたいだ……
「…………!」
白一色だった視界に映像が、徐々に戻ってくる。
目の前にあるのは白磁の中にある紅い楕円、そして乱れた金の糸……白い肌に金髪。セラさんだ。
顔には傷はなさそうだ。他は大丈夫だろうか。
「………!サ、サジ君……!」
背中が痛い。自分に押し倒され、地面に横たわったセラさんの顔に赤い雫が垂れる。目に生暖かいものが入ってくる。頭を切ったらしい。
だが今はそれを気にしている場合じゃない。
「セラさん大丈夫ですか?怪我は……」
「無いよ!それより君だよ!!ズタズタだ火傷も酷いすぐ治そう!早く!」
治す。そうだ。回復の泉は──
血の雫を落としながら立ち上がり、振り返る。
……霞む目に入ったのは、緑色の水が騒がし気に波打つ泉の姿。
良かった。少なくとも大きな被害は無い。
「サジ君!早く入って──え。嘘だ!?」
背後から甲高い悲鳴。
またもや慌てて身体を捻じる。
「セラさん!?」
「……誰か迷宮に入ってきた!そんな、今!?」
血の気の引いた白い顔──は元からだけれど、額に脂汗を垂らし、頭を掻きむしるその姿から途轍もない焦燥を感じ取れる。
今このタイミングで誰かが?早く隠れなくては、なんて間の悪い──
──いや、待てよ。
「……違う。タイミングが良すぎるんだ」
あの爆弾。時限式だった。設定した時間が過ぎたからどうなったか確認しに来たんだ。
◆
『これは、忘れ物かな?サジ君が帰ってくる前に一人来てたからその人のかも』
◆
そいつが仕込んだのか?対応の早さから察するに入り口付近で待ち伏せていた?クソッじゃあ何で戻ってくる時に気付かなかったんだ……
とにかく、置いてある位置から察するに……
「セラさん。あの爆弾は明らかに泉を吹き飛ばすことを目的としたものでした。恐らく今の侵入者は成果を確認しに来たんです」
「ええ!?」
何故そんなことをしたがったのか考えを巡らせる時間も泉に漬かる暇もない。怪我が深くて治癒に時間が掛かり過ぎる。
「ま、ま、待って、それなら二階層の石人形をぶつける位しか、あれぐらいしか対抗策が……あっでももう一度倒されてるんだった……」
確かに。一度泉に辿り着いたというならそういうことだ。例のゴーレムは体躯こそ大きいが、単純な動きしかしないからある程度経験を積んだ奴ならそれなりに易く倒せてしまうだろう。
……セラさんが気を利かせて額に分かりやすく“弱点”を持っていているのも一因だろうが。サービスが良すぎる。
「そもそも倒されたばかりだから再起動しないと、ああでも今から二階層に向かったら鉢合わせてしまう……い、いやもう隠れてやり過ごすのがいいのかな?」
「……それはマズイかもしれません。この泉を破壊したがっている奴が、明らかに第三者の手によって爆破解体を阻止されたこの現状を見てどう動くのか……」
ただの愉快犯ではなくて、確固たる意志を持ってやっているなら、間違いなくそいつの魔の手はもう一度伸びてくる。
再びの破壊工作を指をくわえて見守る訳にはいかない。
とにかく、もうそいつはダンジョンの栄養源ではない。此処の存続そのものを脅かす“敵”だ。なら…………もうこちらも、ダンジョンとしての道理を守ってやる必要もない。
「セラさん!時間がありません!……俺が迎え撃ちます!」
「……えっ!?」
「…………それから、危ない橋を渡らせてしまうのですがお願いしたいことがあります。まず────」
◇
太陽が地球の裏側にすっかり回った午後十一時。人気の無ぇ時間を選ばなきゃ行けなかったとはいえ、夜の山は不気味で仕方なかった。
「……うう……クソ、なんで夜中にこんなことしなきゃいけなくなったんだろうな……」
ダンジョンの二階層に差し掛かった辺りで、誰に告げるでもなく呟く。
急に生えてきたこのダンジョン。これの所為で枕を高くして眠れねぇ。
時間通りなら“爆弾”は弾けた筈だ。
あの探索者どもを引きつけてくれやがっている“回復の泉”と共に。
人生どんな経験が役立つか分からんもんだ。
牛尾組にいた頃、邪魔臭い半グレの根城に置き配っぽく見せかけて仕込むとかで作らされた爆弾の知識が今になって活躍するとは。
昔と比べて火薬も簡単に手に入る。たっぷり詰めてやった。
まぁそん時は送り先の住所間違えた所為で失敗しちまったけど。
あれで絶縁されたんだよな。思い出したら腹立ってきた。ケツの穴の狭い親分だったな……
いや、今はもういい。過去のことで腹立てても仕方ねぇ。
とりあえず、入り口で見張ってた限りオレの後にあのクソッタレ洞穴ダンジョンに入っていく野郎はいなかった……いなかった……よな?
念の為に時間を多く取り過ぎたせいで途中でションベンしたくなっちまったんだよな……
それに加えて待ち時間の間に、“心当たりのある場所”を見回ってきたが……死体は見つからなかった。
腐り切った……わけじゃないよな。もしかしてクマか何かが持っていった……?この辺クマいたか?
分からん。何にしてもグロい状態になってんだろうな……見たくない。だが見つけて処理しちまわねぇと安心できない。もっと落ち着いて調べたい……
だから、この辺に人が寄りつかないようにしねぇと。
そのための爆弾。そのための泉の破壊だ。
手に持った、おニューのバットをチラッと見る。
もし誰が後から来たらこれで追っ払ってやるつもりだった。アシを付けない為に、顔を隠すゴム臭い牛の被り物までしてきたがいらん心配だったか。
…………つまりアレだ。お手製爆弾が解除される心配はねぇ。
爆風で吹っ飛ぶように周りにも瓶に詰めた釘とか置いといた。あの固そうな石で囲んだ泉を吹っ飛ばしてくれるだろう。
「……確認しねぇとな──うお!?アッ!?」
バカでかい人型の影が眼に飛び込み、バットを構えた……けれどスグに強張った身体から力が抜ける。
「…………んだよさっきのゴーレムかよ」
デコの呪文に傷を付けられ、もうピクリとも動かないそれにほんのちょっぴり、ちょっとだけビビらされたことにイラつき、安全靴の爪先で蹴り飛ばす。
多少岩の表面が削れたが、座り込んだままのそれはビクともしない。
組合の報告によると、一度倒しちまえば大体三時間程は動かないらしい。さっきのダンジョンアタックの時に倒したんだしもう暫くは動かねぇはず。
……やべ、こんなの気にしてる時間ねぇや。さっさとしっかり吹っ飛んでくれたか見に行こう。
そんで、台無しになった泉の跡地の写真も撮らないといけねぇ。滅茶苦茶になった泉の証拠写真を組合に出して『もうあそこに価値はありませんよ』と宣伝しなきゃな。そうすりゃもうこんな山奥に足を運ぶ奴はいねぇ。
念のために目立つ爆弾の破片やらなんやらも回収しとこう。
変に勘繰られても困るからな。写真はそういうのが入らないように撮らないと。
ゴーレムが守護してた門を通り抜けて、二階層から三階層へ繋がる緩い坂道を考えを整理しながら降りる──
「……うおッ!!」
──突然、頭上を通り過ぎるやかましい羽音。
思わず頭を抱えてしゃがみ込む。
……音からしてコウモリの群れだ。さっきからふざけんな……こういうの嫌いなんだよ……夜に見える人影だのなんだのが……
ただでさえダンジョンと一緒に流れ込んできた異種族だとか魔力とか魔法だか魔術だかの存在のせいで、今までは“そんなもの科学的にあるわけない”ってどうにか思えてた心霊的なアレソレが輪郭を帯びてきやがった。
実際に最近はダンジョンから湧いてくるゾンビの被害に悩まされてる所があるとか、隣りん市のダンジョンじゃあ無念の内にくたばった探索者の幽霊が出たとか、襲いかかってくるそいつには魔術でしか対応出来なかったとか………そういう話を聞いちまった。
聞きたくなかった。オレ魔術使えないのに。おかげでてめぇを落ち着かせるために高い金を払って“奥の手”を常備するハメになっちまった。
ゆっくりと頭を上げ、立ち上がる。
ハプニングばっかりだがもうすぐそこだ。
もう少し歩けば、ガレキの山になった“回復の泉”が見えてくる──
「……あ?」
壊れてない。泉はなんもなかったみてぇに水を噴き上げてる。
仕掛ける前と何の変化も………
……高く噴き上がる水の向こうに誰かがいる!
「……え!?誰だお前!」
俺の声に合わせて黒い影がピクリと動く。その影はずるりと水柱の向こうからその姿を──
「…………エッ……」
頭から流れた血が縦断する生気の無い眼。
身体のあちこちにある深い火傷。
そして、血に塗れた手が握ってのは──オレがあの物漁りを殴るのに使ったバット。
「アッ………アッ……」
身体が震える。じぶんの歯がカチカチカチカチと打ち鳴らす音が顎から伝わってくる!
あの青白い顔は、あいつは、頭が割れてて、火傷があって!あの時と一緒だ!あいつだ!
死んだはずじゃ──
──そうかだから死体が見つからなかったんだ!
無念があの物漁りをよみがえらせちまった!
ダンジョンの魔力に囚われたんだぁ!!
「ああ”ぁ”ぁああ”アァッ!!ゾンビだぁぁッ!!!」
「……は?」