恩には恩を 仇には仇を
◇
「あの人達も、本当に喜んでる……あれ?女の人が先に入るのかい?怪我してないよ」
「上司らしい女の方腰痛持ちみたいですよ。会話内容からして仕事にかこつけて治しに来たんでしょう……わざわざ水着まで下に着てきたのかよ。レジャースポットじゃないんだぞ……」
「あんまりじろじろ見てると悪いよ……しかし、戦ってた方を先に入らせてもいいんじゃないかな。無傷って訳でもないのに」
階層から切り離された私室。
そこの漆喰の様な素材でなだらかに整えられた壁に映し出される、小型のクレイゴーレムの眼を通して送られてくる映像。それを見て部下らしき男に同情するようにダンジョンマスターは呟く。
「しかし、アレが報酬になるなんて不思議なこともあるものだね」
俺としてはセラさんががアレをダンジョンの売りにしなかったことの方が不思議だ。
ボスの前に置かれる、怪我を癒す回復の泉。
セラさんにとってはダンジョンのいわば福利厚生程度の認識でしかなかったそれは、今やこのダンジョン一番の目玉である。
当たり前だ。死体と間違えられるレベルの人間が復活する効能だぞ。
単純に怪我や病気を治したい探索者も、成分を研究したい企業も放っておく訳が無い。
体当たりで経験した効能を匿名で探索者組合に送った甲斐があって、こんな遭難者が出そうな僻地にもちょくちょく人が訪れるようになっている。良い調子だ。
「セラさんはピンと来てないのかもしれませんが、あの泉とんでもないですよ。外傷はもちろん古傷にもある程度効果があるし、体験しましたが関節痛だの水虫だの、軽い疾患まで漬かるだけで治してくれる。身体ボロボロの現代人垂涎の代物ですよ」
「君水虫だったのかい?」
そこには突っ込まないで欲しかった。
「まぁその……探索者やってるとなりやすいんです。汗まみれでゴツイ靴履いて歩き回るから」
そうかぁ、大変だねぇ。とセラさんが俺の背中を優しく叩いてくれる。何だかちょっと恥ずかしい。
《凄いぞ……ずーっと悩まされてた腰痛がどんどん楽に……おい、何ボーっとしてるんだよ。早く回収しろよ》
《……はい》
「……あ……あーやっぱりこの人達も汲んでるね。持って帰るんだろうなぁ」
高慢ちきなトーンで繰り出される女の指示に渋々従う部下の男は、水筒を取り出し泉の水を汲み始める。……少しだけ可哀そうになってきたな。自分も入りたいだろうに。
「外に持ち出したら効能は消えるのに。がっかりしないかな」
この泉はダンジョンの魔力に反応し、初めてこの効果を発揮するものらしく、汲んで持ちだした物からは癒しの力は消え去る……とのことらしい。
一応そのことも含めて組合には情報を送ったが、それでも持ち帰ろうとする奴らは後を絶たない。
……少しまずいな。ただでさえそう大きく作られてない泉なのに。
「企業の人間のようですし成分を調べたいのもあるんでしょうね。再現出来たら自宅の風呂を“回復の泉”にできる入浴剤でもできるんでしょうか」
「へぇ!そんなことができるのかい?この世界の人間は凄いねぇ」
無論、冗談だ。
探索者学校には行けていない所為で複雑な魔術の心得はほぼ無いが、それでもこの“回復の泉”がどれだけ高度な魔術に希少な材料を用いて造られたかは肌感覚で分かる。
一朝一夕で真似できる訳が無い。
「……にしても、ありがとう」
「はい?」
細まった眼の奥から見える、紅い瞳が此方を見据える。
「君に初めて会った時あんなことを言ったけどね。やっぱり死ぬのは怖いんだ。とてもみっともないけれど」
「生物として当たり前の感情です。生きているんですから」
「はは……ありがとう……」
「お礼を言うのは此方の方です。命を助けて貰ったんですから……それに」
「それに?」
「これからもお世話になりますから。どうぞよろしくお願い致します」
細まっていた紅い眼が開かれ、パチクリと瞬く。
「えっ?え?サジ君、か、帰らないのかい?」
「もう帰るつもりは無いって言ったじゃないですか」
「いや……しかしだね……」
吸血鬼のダンジョンマスターは口をもごもごとさせて何かを言いあぐねている。
気を遣い過ぎるこの人のことだ。帰れるなら自分を人間社会に返すべきだと、そう考えているんだろう。
だが、その心配は無用だ。
「俺は帰れない。元々居場所なんてない。此処に居させてください」
「……サジ君」
「お願い致します。どうしても此処でやりたいことがあるんです」
このダンジョンを発展させる。もっと有名にする。
そうすればもっと人が来る。
あの形見をかっぱらった強盗集団が“死体”を放り捨てた、と思い込んでいるこの一帯に。
見つけられたくない筈だ。自分がやらかした犯罪の証拠を。
見に来る筈だ。“死体”がどうなったのかを。
「……分かった。サジ君。付き合ってくれるかい?」
「はい。こちらこそよろしくお願い致します」
魔石は大目に見てやってもいい。だが、父さんと母さんの形見、あのペンダントだけは別だ。
──絶対に尻尾を掴んでやる。