迷宮の支配者 その2
「そこにいるのか!?潰せたか!?」
茶髪を短く切り揃えたスーツの男が怒声を飛ばす。
怒気を除けばまるで同居人が蚊を仕留めようとしたかの様な言い草。
いや、そうじゃない。
何故バレた。
“透明化”に瑕疵はない。物音も立てなかった。
それ以前にこいつはあさっての方向を向いていただろう!?
視界が揺らめく。自分の指先が視界に映る。
まずい。動揺と連続使用のせいで持続時間が──
「……お前……」
解けた。剥がれてしまった。
自分の正体を包み隠す鎧が。
「……人間だ。じゃあなんで……いや、お前見たことあるぞ」
俺の姿を視認した男の声色が、驚愕を経て懐疑へと染まってゆく。
「いたよな?ウチの組合に。そんで死亡報告が上がってた。上がってたハズだ……」
肋骨を折るんじゃないかと思う位に動悸が激しくなるのが胸に手を当てなくても分かる。
何でそんなことをこいつが。よりにもよって侵入者が。
「……そーうだ。現場はこの辺りだったな?なるほどなるほど。アレは嘘か。テメーとこのダンジョンの関係性がなんとなく掴めてきたぞ──」
これ以上思考を重ねさせてはいけない。
透明化は謎の手段で破られた。ならもう真っ向勝負だ。
蛇の如く飛び掛かり一瞬で意識を奪い去る。そう腹に決めた瞬間、脚に血が大量に巡り力を溜めた蛙の脚の様に膨れ上がり──スーツの男に向かって身体が飛び出す。何の反応もできない間の抜けた男の顔に手がかかる──その直前、巨大な壁が行く手を阻む。
「ぐっ!?」
開いていると思い込んで鍵の掛かった扉のノブに手を掛けた時の様に肘が曲がり、体が思いっきり壁に向かって体当たりをかます。
大地に根差す大岩にぶつかったのかと思う程の重量感に押し返されて、砂利にまみれながら後方へゴロゴロと転がってゆく。
まずい体制を崩すな早く起こせ体を起こせ。
ふらつく頭を叩き起こし素早く立ち上がる。侵入者たちの方へ向き直る。
立ち上がって直ぐ視界に入ったのは、眼を見開いて口をぽかんと開けたまたもや驚愕の感情に支配されたらしい男と──突然行く手を阻んできた壁の正体、鎧の大男が膝をついていた。
地面にはレガースが作った轍がくっきりと残されている。
「…………まじかよ。こいつが押し返されたよ。お前はただの物漁りだったろ確か。三味線弾いてやがったのか?」
……随分しっかりと覚えているものだ。ただの一介の探索者でしかなかった物漁りのことを。一見軽薄そうに見えるが割と仕事熱心なのか?
ともかく、どうやら最近になって自分に起こった変化について興味と驚きが尽きない様子。
だが、それは此方も同じだ。
この身体になってから何かに力負けすることは無かった。というのに弾き返されこのザマだ。
光る苔に照らされて、銀色の光を鈍く跳ね返す鎧に身を包んだ巨体がゆっくりと持ち上がる。
その機械的にすら見える動きからは微塵も動揺が感じられない。
先程からころころと表情を変える横の茶髪男と非常に対照的。
……戦わなければならない相手の情報が少な過ぎる。
ただの探索者ではないことは分かる。恐らく牛尾組お抱えの腕利きなのだろうということも。
そして見た目通り怪力の持ち主だということも。
だがそれ以上は掴めない。掴みどころが無い。
「……とにかく、このダンジョンとお前は切っても切り離せない関係みてぇだな。その辺のこと、じっくり聞かせてもらおうか」
……さっきからペラペラと口の回る横のおしゃべりが口を滑らせてくれないものだろうか。
というかあいつはなんだ?どうやら大男の上司か何からしいがわざわざ入って来ておいて喋るだけで戦わないのか──
そんな考えがよぎった瞬間、頭の中からその思考を振り落とさんとばかりに足元が揺れる。
土を蹴り飛ばす爆音が耳を劈く。
鈍色に輝く巨体が、一瞬にして目の前に迫る。
脳味噌の中で何かが弾け、視界がゆっくりと流れだす。
全てがスローモーションカメラで捉えられたように緩慢に動く。蹴り飛ばされた小石が無重力空間を漂うように飛来する。砂埃が子供が必死に膨らませようとする風船のようにじわじわと広がる。隣りの男の顔が風圧で歪み愉快なことになっている。
そんな中で自分だけが普通の速さで──
「──!!」
そんな空間で“鋭いスイング”で左から薙ぎ払いに来る大槌を、膝を折り、腹筋を最大限に使って反り返り鼻先が掠るギリギリで躱す。
横の壁がぶち抜かれ、砕かれ破片の幾つかが皮膚に突き刺さる。ダンジョンが揺れて壁が崩れ去りセラさんの隠し部屋の一つが露わになる。入り口の壁の向こう、すぐそばに配置してあるのは確か植物の温室だ。いまのでかなり駄目にしてしまったかもしれない。
だが今はそればかりに思考を割けない。
俺だけじゃなかった。あの時間がゆっくりと流れる空間の中であの大男も鋭く素早く武器を振って見せた。あの巨体で。
無残に吹き飛ばされた壁の残骸が床に振り積もる中、プログラムされた機械の如く滑らかに正確に槌を上段に構え直す。
まずい姿勢が悪い避け切れない俺の身体の半分程もある槌で潰されたら再生は恐らく困難──
その瞬間、体の横から衝撃が走り俺の身体はもんどりうって崩れ去った壁の向こう側に転がり込む。
転がりながら見えた景色、ついさっきまで俺がいた筈の場所には、大男が振るう槌と地面に挟まれて潰れる小さなゴーレムの姿。
またセラさんに助けられた。
転がる体を無理やり止めて、懐から仕込んでいた“武器”を、仲間の大槌に潰された哀れな侵入者から奪っておいた黒い拳銃を取り出す。
「銃!?テメッ……」
全身を鎧に包んだ男に向かって放つには心許ないが、明らかに生身のお前を無力化するのには十分だろう?今の反応で確信できた。
銃口が二回火を吹く。
そして──けたたましい金属音が洞窟の中に響き渡る。
「……クソッどんな反応速度してるんだよ」
お喋りなスーツ男の前には、地面に食い込んだ槌から手を離した鎧の男が立ち塞がっていた。
胴体の鎧が僅かに凹み、跳弾が当たったのか兜が大きくズレて──そのまま地面へと落ち──
「…………え?」
兜が外れて露わになったその顔には集積回路にも似た幾何学的な紋様が刻まれて、そして……それ以外に何も無い。
眼も、鼻も、口も。マネキンの様につるりとしたのっぺらぼう。それが兜の下から現れた。




