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こんにちは女神様



雲の上にいるかのような浮遊感が身を包んでいる。なんて心地良いんだ。ずっとこうしていたい。


あれ?なんでこうなっているんだっけ。


ああ、そうか。あのクソ野郎共に嬲られて死んだんだったか。

じゃあここはあの世かな。


「…………」


にしても、こんなにふわふわした幸福感に包まれているってことはもしかして天国にいるのか?


こんなろくでなしだった自分でも行けるものなのか。

思ったより神様は寛大らしい。


父さんと母さんに会えるだろうか。

ああ、でもあれから随分経っているから自分の息子だと分からないかも──


「………いた?………ろそろ………あっ服どうしよう」


……何か、誰かの、身に染み込んでくるような柔らかな声が聞こえてくる。……女性の声?


瞼をゆっくりと開ける。


「……あっ!起きた!」


眼に飛び込んできたのは、此方を覗き込む真っ赤なルビーと見紛う煌びやかな瞳。触れることを躊躇わせる陶磁器の様な白い肌。唇の端から覗く蠱惑的な牙。

それらを包み垂れ下がる薄い金色の長髪。


「め……めがみ……さま?」


思わず声が出た。


「え?いや、違うかな……?」


否定された。謙虚な神様だ。


「……まだ混乱しているみたいだね。無理もない。あんな状態だったんだから」


あんな状態……あれ、俺は、死んでない?

俺はズタボロになって、迷宮に転がり落ちて、ゴーレムに見つかって……。


ジャパ、と自分の身体が水を掻く音。

……折れた筈の脚が動く。焼け焦げて炭のようだった皮膚が治っている。


「こ、これは……!?」


思わず、自分が漬かっていた緑がかった液体を巻き込んで立ち上がる。全身にむず痒さ……と怠さはあるが、痛みは全く無い。何だったら長年苦しめられてきた腰痛すら消えている。


「あ……うん……げ、元気そうでよかったよ」


「これは、貴女が?」


「うん……説明するよ。するからさ……その」


……女神様の様子がおかしい。先程から微妙に俺から眼を逸らし、頬を赤らめている。何故──


「……服を着ようか。君が着てた物を布巾(タオル)と一緒に、ここに置いているから」

「ア”ッっ!申し訳ございません!」




「私はセラ・テンキーン。まぁご覧の通り、吸血鬼だ」


簡素な丸テーブルの向かい側に座る、ゆったりした外套を羽織った女性はそう名乗った。


「女神様は吸血鬼なんですか」


「違うよ?あ、いや、吸血鬼は合ってるけど……」


吸血鬼。地球に迷宮が現れたと同時にその中から存在が確認された新たな種の一つ。

いっつも収穫物を安く買い叩く冒険者組合の受付からはそう聞かされている。『もし見掛けたら即座に組合に報告を上げてください。報酬が出ますから』とも。

……その報酬も幾らかは自分の懐に入れるつもりなんだろうが。具体的な金額を意地でも言わなかったのがその証拠だ。身に覚えがある。


まぁ今そんなことはどうでもいい。


「にしても君。洗った時も思ったけど変わった手触りの服を着てるね。麻でもないし、まさか綿でもないし……」


「やけに綺麗になってると思ったら……何から何までありがとうございます……素材ですか?ポリエステルです。安物ですよ」


「……ぽり……?」


……化学繊維のことを知らない?


「……はぁ。こっちに“迷宮(ダンジョン)”ごと飛ばされてから訳の分からないことだらけだよ」


成程。どうやらセラさんはこのダンジョンの主であり“転移”して日が浅いらしい。

ダンジョンは地球とは異なる世界、異世界から移ってきたというのは現代社会が研究を重ねた今、誰もが知っている定説だ。


そうしたことも掴めていなかった“迷宮黎明期”は酷かったな。世界中が大混乱で、日本でも政府が調査に手間取っているとダンジョンから魔物が溢れて騒ぎになったことが何回もあった。酷かったのはそれに便乗した暴徒も出て──


いや、今はそれも重要な問題じゃない。とりあえずもっと気にすべき点がある。


「何故ダンジョンの主であるセラさんが……吸血鬼である貴女が侵入者の俺を助けるようなことを?」


吸血鬼。ダンジョンの出現により世界が一変したその日から存在が確認された種族であり──そして同時に“人類にとっての大敵”であり“駆除対象”である。と組合からは聞かされている。


今日に当たるまで吸血鬼という存在をお目にかかることはなかったが、言ってしまえば人類を食料にする種族が人類と敵対するのは当然の理屈だろう。だから普段はあまり信用してない組合の言い分でも信じられた。


だが、今事実として俺は吸血鬼のセラさんに助けられた。命の恩人だ。


「……え?理由かい?」


自分は専用の血袋となる為に生かされたのか?それとも眷属にする為に?それとも他に別の理由が──



「その、死にかけてたから……あのままだと死んじゃう大変だと思ったからかな?」


「はい……はい?」


目の前の吸血鬼さんは、何故だかバツが悪そうにその白魚のように細い指で頬を掻く。


「その、自分専用の血液生産機にしようとか、眷属にして一生ダンジョンの警備をさせるとか、ないんですか」


「えっ?な、なんだい急に怖いこと言いだして」


……なんか引かれている。俺そんなにおかしいこと言った?

この人はダンジョンの主で、吸血鬼なのに。その考えが頭に過らなかったのか?


「……いや、確かに。恐れられるべき迷宮の主であり……偉大なる血を引く吸血鬼なら、君の言う通りそうすべきなのかもしれないね……でも、無理なんだ」


深いため息が此方まで届く。その息からは血生臭さが感じられない。


「昔からこうなんだ。吸血鬼なんだから人を襲わないと生きていけないことは分かってる。友達になんかなれない。でもどうしてもできないんだ」


「向こう……君達で言う所の異世界でも駄目だった。人を歯牙に掛けようとすると脚が震える。怖いんだ。何かを……自分の手で傷つけたり、死に至らしめるかもしれないってことが」


「そのくせ、自分が死ぬことも怖くて中途半端に生きてきた……血族の誰かが採ってきた瓶詰の血を分けて貰って、ちびちび啜りながら生きてきた。はは。それだって誰かを傷つけて得たものだっていうのは分かっているくせにね」


自らを嘲る笑い。ほんの少し上がった口角から覗く牙はまるで碌に“使った”ことが無いように白い。


「こんなのだから血族からはもう暫く前から見放されててね。どうにか自分で作り上げたこの木っ端迷宮(ダンジョン)が我が屋敷で、唯一の財産だ」


「偶に入り込んでくる冒険者や動物だの魔物だのは石人形(ゴーレム)に相手してもらって、どうにかこの日が届かない迷宮を維持してきた。物は人並みに拵えられたから、それでちまちま稼いだ銭で人からひっそり血を買って啜る、卑しい蛭の様に生きる毎日だった。いや、懸命に日々を生きてる蛭に失礼かこの言い分は」


……随分卑屈な吸血鬼だ。


「……でも、とうとう年貢の納め時が来た。何時ものように迷宮(ダンジョン)の魔力の維持に四苦八苦していると、突然とんでもない地響きが巻き起こった」


「最初は地震だと思って、迷宮が崩れないように震えながら隅で祈っていた。神頼みなんて吸血鬼がすることじゃないね」


「暫くすると地響きは収まった。どうにか状況を確認しようと迷宮(ダンジョン)を見回りながら外に出ると──」


「全く覚えの無い光景が広がっていたと。そういうことですね」


……“他の奴”が新聞やネットインタビューで語っていた話とよく似ている。自分の意思ではなく、無理矢理向こうから引っ張られてきた奴らは大体同じことを言っている。


「まぁそういうことなんだ。こっちに来てからこの迷宮(ダンジョン)に冒険者は一人も来てない。外の状況もまるで掴めなくて出られない。一回出ようとしたけれど、夜中だってのにどこもかしこも明るくて、正体がバレるのが怖くて逃げだしてしまった」


その判断は正解だ。

何処もかしこも探索者で溢れる昨今、街中で“駆除対象”の吸血鬼であることが割れたら末路は想像に難くない。


「血液の予備ももう尽きる。迷宮を維持する魔力だってもうカツカツ……そして“財”も底を突いた。でも、もっと早くにこうなるべきだったんだろうね。やっと踏ん切りがつきそうだよ」


穏やかな笑みが、此方に向けられる。


「有難う。年寄りの長話を聞いて貰えて。良い冥途の土産になるよ。君に会えてよかった……迷宮を操作して出口を近くに持ってくるから少し待ってて貰えるかな。一緒に出よう」


一緒に出る。その言葉を聞いて思わずコンパスを兼ねた腕時計を見る。


[PM:01:12]


自分の人生を今終わらせようとしている命の恩人。何処かに去り行こうとしているその姿。


その小さい筈の背中が、二度と帰って来なかった父さんの背に重なって見えた。



恩人の手を、逃がさないように背後から力強く掴む。


「わっ!?えっ、えっどうしたんだい?」


「セラさん。俺は、鬼月。鬼月 佐治と言います」


「あ、ああ、そういえば名前を訪ねていなかったね。失礼……キヅキ・サジ。サジ君。良い名前だね」


「俺を貴女の従者にしてください」


「うん。私はこれから……えっ」


「貴女の助けになりたい。このダンジョンを、一緒に盛り立てましょう」


「えっ……ええ!?」


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